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- 【連載】コラム 10冊併読で探るトレンド - 今、何を読みたいか?
- 新しい読書体験に向けて - 前川 悠貴
新しい読書体験に向けて - 前川 悠貴
2013/10/25
読者の皆さま、こんにちは。今号から12回にわたり連載を担当することになりました、前川です。私は大学卒業と同時にバベル翻訳大学院に入学した生粋のバベルっ子です。
十代の頃から文章を書くことが好きで自由気ままに創作をしていましたが、翻訳を始めて、文体により真剣に向き合うようになりました。
大量の“文体接種”が何よりの素材! と日々読書に明け暮れておりますが、私は本を読むのが速いほうではありません。そこで思い立ったのが10冊併読でした。ジャンルを限定せずに、そのときの気分に合わせて本を手に取る。続けてくと、「いつどんな気分のときに何が読みたいか」に正直になります。
本コラムでは、10冊(10ジャンル)併読を疑似体験しながら、日本語文体の多様性を見つめていきます。
12回連載のうち、前半は特にトレンドを意識した日本の小説を取り上げます。お仕事小説、ライトノベル、お坊さんの本、女流作家作品、村上春樹作品を予定しています。
連載後半は海外文学(主に古典新訳と移民文学)に触れ、翻訳文体の広がりについて考えます。
さて、「文体の多様性」と一口に申しましても、文体論は、作品論や作家論に比べて非常に議論のしにくい分野です。その理由の一つに、文体は作品と切り離すことができない存在であるため、文体のみを抽出して分析してしまうと、作品全体の印象と受け手(読者)の心理的側面を無視してしまう可能性が生じることが挙げられます。そこで、文体の「客観視」とともに、「主観視」を損なうことなく、文体の多様性に触れることが本コラムの目標です。
A.「客観視」に関して、特に着目する点を以下に挙げます。
B.「主観視」に関しては、個人的な尺度となりますが、以下の通り項目を設定します。
①作品全体の印象
-1 明暗(三段階)
-2 軽重度(三段階)
-3 読後感(直後の印象、作品世界を離れるまでにかかる時間、再読をしたいか等)
②共感度 (作品世界と同じ体験をしたことがあるか、ない場合、どういった体験に基づき共感したか)
③先入観 (作家、作品、ジャンルに対する先入観の度合いと内容)
以上に挙げた項目を軸としますが、10ジャンル併読というテーマに沿い、各ジャンルならではの文体的特徴や共通項にも注目していきます。
さてここで、難しいことを考える前に決めておきたいのが読書に対する姿勢です。普段塾講師として小学生の国語を指導する立場から、子どもの読書体験に立ちあって感じたことをいくつかお話します。
★共感力が感動を呼ぶ
山田詠美著『ぼくは勉強ができない』に収められている短編『眠れる分度器』を講義で扱ったことがあります。
あらすじ:転校先の学校でも自身の性格を曲げずクラスメイトから反感を買い、仲間はずれにされている主人公の少年、時田秀美。クラスには「鳥のえさ」と称して皆が残した給食のパンを持ち帰る少女、赤間ひろ子がいる。他のクラスメイトはパンをわざと残してひろ子に渡しているが、秀美はおかまいなしに給食をたいらげ、そのことがひろ子の救いとなっている。しかしある日、彼女の行動が貧しさゆえのものだと知った秀美は、ひろ子にパンを差し出す。結果、ひろ子のプライドを傷つけ泣かせてしまうが、その出来事がきっかけとなり秀美は初めて仲間としてクラスメイトに受け入れられる。
さて、この物語を読み、「クラスで仲間はずれにされていたのは誰か?」という問い対し、「女の子」と答える子どもが半数以上いました。クラスメイトたちが、少女の行動の意味に“気づかないふり”をしていることを、仲間はずれと捉えたのです。
“貧しさ”の定義が分からない。私はどこか安心した気持ちが半分、複雑な気持ちが半分でした。共感なしに感動はないことを目のあたりにしたからです。自分の体験したことのない気持ちに共感するのは難しい。恐らく大半の子どもは、ある程度の年齢になりもう一度読めば意味を理解するのだと思いますが、それはあくまで大人としての感受性で理解するわけです。
★“未知の世界”を想像させる文章
今現在、私の中で “カルカッタ問題”が浮上しています。ことの発端は、俵万智著『ある日、カルカッタ』を教材に選んだことでした。随筆である本作では、カルカッタの文化“川に土の像を流す”シーンが出てきます。カルカッタがインドの都市であり、インドが世界のどのような位置にあり、人々はどういった生活をしているか。説明したり、資料を見せたりするのは簡単です。特に写真などの視覚を通じて入ってくる情報は、ご存知の通り、文章から得る情報よりも圧倒的に多く速いものです。
しかし問題は、“先入観”が生まれることです。先入観なしに文章から映像を想像する――つまりヴィジュアル化する――ことが読解力の基盤であるとすれば、写真や地図を見せて良いものか悩みます。そんな中、別学年でマザー・テレサの伝記を扱ってしまい、“カルカッタ問題”はいまだ解決しておりません。
異文化を理解するための文章。これはまさに翻訳作品そのものです。未知の世界を想像させうる、豊かな文章表現ができているだろうか? 文体論を通した読者体験で、文章に対する意識を掘り下げてみませんか。
次回は『半沢直樹』ブームで一世を風靡した、“お仕事小説”について分析を試みたいと思います。
(プロフィール)
前川悠貴(まえかわ ゆうき):成城大学文芸学部英文学科卒業。MST(翻訳修士)バベル翻訳大学院修了。研究分野は宗教文学、移民文学。趣味は絵画と西洋美術史。芸術系大学進学を目指し高校時代はデッサンに明け暮れたが、大学で英米文学に心酔。宗教や民族の壁を越えた作品に魅了され探究を続けている。現在、ワークショップ監訳スタッフ、学習塾講師。共訳書に『親より稼ぐ25の方法』(合同会社Dresh 2013年 kindle版)がある。
十代の頃から文章を書くことが好きで自由気ままに創作をしていましたが、翻訳を始めて、文体により真剣に向き合うようになりました。
大量の“文体接種”が何よりの素材! と日々読書に明け暮れておりますが、私は本を読むのが速いほうではありません。そこで思い立ったのが10冊併読でした。ジャンルを限定せずに、そのときの気分に合わせて本を手に取る。続けてくと、「いつどんな気分のときに何が読みたいか」に正直になります。
本コラムでは、10冊(10ジャンル)併読を疑似体験しながら、日本語文体の多様性を見つめていきます。
12回連載のうち、前半は特にトレンドを意識した日本の小説を取り上げます。お仕事小説、ライトノベル、お坊さんの本、女流作家作品、村上春樹作品を予定しています。
連載後半は海外文学(主に古典新訳と移民文学)に触れ、翻訳文体の広がりについて考えます。
さて、「文体の多様性」と一口に申しましても、文体論は、作品論や作家論に比べて非常に議論のしにくい分野です。その理由の一つに、文体は作品と切り離すことができない存在であるため、文体のみを抽出して分析してしまうと、作品全体の印象と受け手(読者)の心理的側面を無視してしまう可能性が生じることが挙げられます。そこで、文体の「客観視」とともに、「主観視」を損なうことなく、文体の多様性に触れることが本コラムの目標です。
A.「客観視」に関して、特に着目する点を以下に挙げます。
- 文の長さ (一文の語数の平均)
- 句読点の打ち方 (句読点の個数と、息つぎ位置の特徴)
- 比喩表現 (主に隠喩表現による効果)
- 文末表現 (文末表現の統一性、不統一性のよる印象付け)
- 色彩語 (色を感じる表現に関する特徴、色彩語の数、分類の度合)
B.「主観視」に関しては、個人的な尺度となりますが、以下の通り項目を設定します。
①作品全体の印象
-1 明暗(三段階)
-2 軽重度(三段階)
-3 読後感(直後の印象、作品世界を離れるまでにかかる時間、再読をしたいか等)
②共感度 (作品世界と同じ体験をしたことがあるか、ない場合、どういった体験に基づき共感したか)
③先入観 (作家、作品、ジャンルに対する先入観の度合いと内容)
以上に挙げた項目を軸としますが、10ジャンル併読というテーマに沿い、各ジャンルならではの文体的特徴や共通項にも注目していきます。
さてここで、難しいことを考える前に決めておきたいのが読書に対する姿勢です。普段塾講師として小学生の国語を指導する立場から、子どもの読書体験に立ちあって感じたことをいくつかお話します。
★共感力が感動を呼ぶ
山田詠美著『ぼくは勉強ができない』に収められている短編『眠れる分度器』を講義で扱ったことがあります。
あらすじ:転校先の学校でも自身の性格を曲げずクラスメイトから反感を買い、仲間はずれにされている主人公の少年、時田秀美。クラスには「鳥のえさ」と称して皆が残した給食のパンを持ち帰る少女、赤間ひろ子がいる。他のクラスメイトはパンをわざと残してひろ子に渡しているが、秀美はおかまいなしに給食をたいらげ、そのことがひろ子の救いとなっている。しかしある日、彼女の行動が貧しさゆえのものだと知った秀美は、ひろ子にパンを差し出す。結果、ひろ子のプライドを傷つけ泣かせてしまうが、その出来事がきっかけとなり秀美は初めて仲間としてクラスメイトに受け入れられる。
さて、この物語を読み、「クラスで仲間はずれにされていたのは誰か?」という問い対し、「女の子」と答える子どもが半数以上いました。クラスメイトたちが、少女の行動の意味に“気づかないふり”をしていることを、仲間はずれと捉えたのです。
“貧しさ”の定義が分からない。私はどこか安心した気持ちが半分、複雑な気持ちが半分でした。共感なしに感動はないことを目のあたりにしたからです。自分の体験したことのない気持ちに共感するのは難しい。恐らく大半の子どもは、ある程度の年齢になりもう一度読めば意味を理解するのだと思いますが、それはあくまで大人としての感受性で理解するわけです。
★“未知の世界”を想像させる文章
今現在、私の中で “カルカッタ問題”が浮上しています。ことの発端は、俵万智著『ある日、カルカッタ』を教材に選んだことでした。随筆である本作では、カルカッタの文化“川に土の像を流す”シーンが出てきます。カルカッタがインドの都市であり、インドが世界のどのような位置にあり、人々はどういった生活をしているか。説明したり、資料を見せたりするのは簡単です。特に写真などの視覚を通じて入ってくる情報は、ご存知の通り、文章から得る情報よりも圧倒的に多く速いものです。
しかし問題は、“先入観”が生まれることです。先入観なしに文章から映像を想像する――つまりヴィジュアル化する――ことが読解力の基盤であるとすれば、写真や地図を見せて良いものか悩みます。そんな中、別学年でマザー・テレサの伝記を扱ってしまい、“カルカッタ問題”はいまだ解決しておりません。
異文化を理解するための文章。これはまさに翻訳作品そのものです。未知の世界を想像させうる、豊かな文章表現ができているだろうか? 文体論を通した読者体験で、文章に対する意識を掘り下げてみませんか。
次回は『半沢直樹』ブームで一世を風靡した、“お仕事小説”について分析を試みたいと思います。
(プロフィール)
前川悠貴(まえかわ ゆうき):成城大学文芸学部英文学科卒業。MST(翻訳修士)バベル翻訳大学院修了。研究分野は宗教文学、移民文学。趣味は絵画と西洋美術史。芸術系大学進学を目指し高校時代はデッサンに明け暮れたが、大学で英米文学に心酔。宗教や民族の壁を越えた作品に魅了され探究を続けている。現在、ワークショップ監訳スタッフ、学習塾講師。共訳書に『親より稼ぐ25の方法』(合同会社Dresh 2013年 kindle版)がある。
記事一覧
- “女流作家の重さと軽さ――綿矢りさ編” - 前川 悠貴 [2013/12/10]
- 「“オタク”の底力!――ライトノベルの文体」 - 前川 悠貴 [2013/11/25]
- 「“おじさま”ステータス:お仕事小説」 - 前川 悠貴 [2013/11/11]
- 新しい読書体験に向けて - 前川 悠貴 [2013/10/25]
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- 10:第4回 すんなり入れる特許翻訳-特許明細書の「従来の技術」(19pv)