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私とレストランとの出会い - 李 陽果

2013/10/25

私とレストランとの出会い

李 陽果:
ニュージーランドの大学のビジネスコミュニケーション学部を卒業して、
現在ホテルで働いています。
Babelの専攻の分野は文芸翻訳専攻です。
英語のスキルアップのために現在近くの英会話学校に通っています。

 

 高校を卒業する一年前、地元の食堂でアルバイトを始めました。仕事内容はホールの接客とレジ、です。フルタイムで週6日、17時から夜遅くまで働いていました。あんまりにも一生懸命働きすぎて、翌日の授業に遅れたこともときどきありました。でも、その仕事内容がとても責任あるものでした。たまに近くの信号のところで客引きのためにビラ配りをしたりしました。キャンペーンをやるときは、私の手書きのチラシを作ってもらったりもしました。しいては、営業用に自分の名刺をいただいたときは本当に言葉が出ないほど嬉しかったです。1年半ぐらいその食堂で働きました。なんと、それと並行してポスティングのアルバイトもしていました。そのポスティングの本当に大変なところが、大きなマンションには管理人の目が厳しくて、なかなか投函することができないところです。なので、食堂のアルバイトが終わった深夜2時ごろ自転車でマンションを回りながら投函していました。そこまで責任感は強かったと言えます。
 
 ニュージーランドの大学を卒業後、新卒で奈良の会社に就職しました。仕事内容はホテルのレストランのマネジメント補佐です。和洋折衷の創作料理レストランでアルバイトが10人ぐらいの体制で働いていました。レストランに配属になる前に各部署で研修をしました。フロント、売店、プール、そして配属になったレストランです。一番楽しかったのがプールの監視員でした。お客様はお子様が多く、いろいろと話しかけられてうれしかったです。
 奈良の会社では一年間働きました。そのあとニュージーランドでハウスキーピングとして一年働いて、帰国してホテルのレストランのアルバイトをすることになりました。そこで大学時代の旧友に再開しました。彼女はベルアテンダントでした。私はホテルの顔である一階のビュッフェレストランで働いていました。労働時間は長く、10時から夜の11時頃まで働いていました。時々体調を崩したりもしましたが、そこでは半年程働きました。

 その後、アメリカ領サイパンにインターンシップに行きました。そこでもレストランに配属になりました。レストランの種類はビュッフェレストランに中国レストランに日本食レストランが全て一緒になっているところでした。そこでのシフトがきつく、例えば朝の6時から9時まで、そして夜の4時から9時までという中ぬけシフトだったので、そこでも体調を崩し病院に頻繁に行っていました。しかしそこでは英語圏での接客の経験が積め、後に役に立ちました。そこでは半年間働きました。本当は一年の契約だったのですが、それ以上働くと本気で体を壊しそうだったので、あとの半年間のフロントでの研修はせずして退職しました。

 そしてそのすぐ後、ニュージーンランドにワーキングホリデーに行きました。そこではサイパンの経験を生かし、ホテルのレストランで働きたかったのですが、ビザが継続して働けるのが3ヶ月だけで、ホテルは長期で働く人しかとらないので、何度面接を受けてもビザのせいで落ちました。結局、日本食レストランで働くことになりました。最初の寿司店は人間関係が悪いため2ヶ月程でやめ、違うレストランで働くことになりました。そこでは従業員が日本人のため、仕事で使うのは日本語が多いですが、お客さんとは英語で話すのでお客さんとよく話すようにしていました。そしてそこで3ヶ月程働いた後、今の病気になり帰国して入院しました。このようにレストランの仕事のせいでよく体調をくずし、入院したわけですが、今ニュージーランドの永住権を取りたいと思っていて、そのためにはレストランマネージャーになる必要があります。そしてレストランで働くことは、楽しんでできる仕事なので、現在はホテルのハウスキーピングをしていますが、病気がなおった暁にはまたレストランで働きたいと思っています。できたらニュージーランドのレストランでまた働きたいです。これが私の目下の目標です。

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