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オーストラリアで始まった私の英語との出会い - 李 陽果

2013/09/25

シートの作成中に感じたこと

李 陽果:
ニュージーランドの大学のビジネスコミュニケーション学部を卒業して、
現在ホテルで働いています。
Babelの専攻の分野は文芸翻訳専攻です。
英語のスキルアップのために現在近くの英会話学校に通っています。

 

自己チェックを通して思ったこと
 
 学生のときから海外にあこがれがありました。高校生のときにオーストラリアへ17日間海外研修としていきました。都市はダーウィンです。ホストファミリーが毎晩夕食後にチョコレートケーキをくれたのを覚えています。現地の高校にも実際に見学に行き、授業にも参加しました。印象的だったのは、ランチがおやつみたいなものだったことです。何もかもが新鮮で自分の中に新しい風をふきこみました。また私のホストファミリーは少し冷たい人だったので、他の学生もまじえての合同バーベキュー大会で別のホストファミリーと仲良くなり、日本に帰ったあとも手紙を送りました。名前はシャンティーというパーマの髪の女の子でした。その子とその子の家族がよく話しかけてくれました。私はその子の家にホームステイしている学生がうらやましかったです。その時高校一年生で、二年生の人とも一緒に20人ぐらいで行きました。そのオーストラリアでの経験が、のちのニュージーランドの大学へ渡航という結果をもたらしたのだと思います・・・。
 
 さて、高校を卒業する一年前、地元の食堂でアルバイトを始めました。仕事内容はホールの接客とレジ、です。フルタイムで週6日、17時から夜遅くまで働いていました。あんまりにも一生懸命働きすぎて、翌日の授業に遅れたこともときどきありました。でも、その仕事内容がとても責任あるものでした。たまに近くの信号のところで客引きのためにビラ配りをしたりしました。キャンペーンをやるときは、私の手書きのチラシを作ってもらったりもしました。しいては、営業用に自分の名刺をいただいたときは本当に言葉が出ないほど嬉しかったです。1年半ぐらいその食堂で働きました。なんと、それと並行してポスティングのアルバイトもしていました。そのポスティングの本当に大変なところが、大きなマンションには管理人の目が厳しくて、なかなか投函することができないところです。なので、食堂のアルバイトが終わった深夜2時ごろ自転車でマンションを回りながら投函していました。そこまで責任感は強かったと言えます。
 
 それらのアルバイトを満喫したあと、ニュージーランドに2004年渡航しました。大学を見つけたのはささいな日常のことでした。新聞にニュージーランド、奨学生募集とかいてあったのを見つけたのです。ついでに言いますと、バベルでも奨学生です。論文と英語面接を経て、授業料が半額になるというので、親にさっそく報告して、応募しました。その頃私は一人暮らしをしていました。今は実家なので寂しさも感じることはありませんが、その頃本当に寂しさをよく感じていたのを覚えています。ニュージーランドの大学に行ってからは寮生活ということもあり、人との距離の取り方にとまどっていました。距離が近い分友達と大喧嘩をすることもありました。大学では人間関係のうまい進め方を学んだと思います。勉強にも力を入れていました。ビジネスコミュニケ-ション学科を専攻したのは、将来起業するときに役立つと思ったからです。その当時は、レストランを経営することを夢見ていました。今はホテル業界というまったく違う業界にいますが・・・
 
 大学の4年目には近くのホテルのレストランでインターンシップをして、それが卒業論文のかわりになりました。それで、私は卒業論文なるものは書いていません。在学中にレポートは2000字程書いたりはしましたが。12月に大学を卒業して、日本に就職するまでの3ヶ月間、悩みぬいたすえに首都のウェリントン市のホテルで働くことにしました。そこでは新人に仕事を教えたり、学ぶことが沢山ありました。そのときに改めてニュージーランドが好きになり、また二年後に戻ってホテルで働くことになるのですが・・・
今でもニュージーランドが好きです。またの暁には、バベルを卒業後、一度お世話になったホテルでまた働きたいと思っております。私と英語との関わりはこんな感じでした。
ありがとうございます。

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