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翻訳の心構え―産みの苦しみと楽しみ - 黒岩 克彦
2013/06/10
「翻訳の心構え-産みの苦しみと楽しみ」
「翻訳の心構え」という壮大なテーマを、現在勉強中の身としてどう扱うべきか迷いましたが、出来上がった方法論など持ち合わせていないので、ここは思い切って実際に行っている翻訳作業(私の場合は修行中ですので提出課題に取り組む)を取り上げて考えてみようと思います。
きっかけは、デジタルマガジンに掲載された佐々木理恵子さんの記事でした。そこでは、「Do」「Be」という二つの意識を切り口にして、翻訳の営みを「原語を翻訳語に正確に置き換える」だけではないことを、ご自分の体験を基本に紹介されています。
翻訳というプロセスが、「原著」を「翻訳者」が「翻訳語」で「読者」に届ける一方的な単純作業ではなく、翻訳者が原著に逆戻りしたり、少し飛んで「読者」になりきって翻訳したりと、「原著者」「翻訳者」「読者」の三役を臨機応変かつ重層的にこなす作業であることを、佐々木さんは「Be」の意識で指摘されたのだと思います。
そこで、「原著者」「翻訳者」「読者」の三者がどのように絡み合いぶつかり合いながら翻訳という営みが進行していくのかを自分の体験に沿いながら整理し、その中で翻訳というプロセスには何が求められるのかを考えてみたいと思います。
まず作品を原語で読むことから翻訳のプロセスが始まりますが、この場合「翻訳者」は「原著読者」(原著者に対する読者)という立場です。原語作品の正確な理解が求められ、その精度はアウトプットとしての翻訳作品に決定的な影響を及ぼします。
翻訳を目指す方ならこの点は問題ないかというと、そこにまず落とし穴があります。思い込みによる誤解とその結果生まれる誤訳です。漢字の書き順等は、この思い込みが激しい例です。私は、長年使い込んだ単語や用語でもできるだけ確認するよう心掛けています。
課題を添削していただき、思い込みによる誤訳を指摘されて詰めの甘さを痛感することがよくあります。次に訳文ですが、初めは訳文は洗練されている必要はなく、むしろ原語の流れに即した「直訳」にすべきです。(そのまま完成訳になれば最高ですが、まずありません。)
ある講座を受講した際に講師の方が、まず学校の授業でやるような「○○解釈的な直訳」を行い、それを修正・調整して翻訳文を完成する方法を採用していましたが、直訳と完成した翻訳文との距離がよく見え、原文の理解度や翻訳語への転換テクニックの応用方法等、直訳が翻訳文に変身する過程がよく見えることに気づかされました。
直訳は原語の仕組みを優先した訳文で、これですっきりすれば問題ないのですが、なんともおさまりの悪い感覚になることが大半です。原語の束縛から離れて翻訳語本来の仕組みに沿った訳文になろうとする感覚が背景にあるからです。しかしこの「居心地の悪さ感」を解決しようとする営みにこそ、直訳文が「翻訳文」に変身する核心が秘められている気がします。この処理感覚の鋭敏さが「翻訳者」としての生命線といったら言い過ぎでしょうか。
次は作品に関する情報の収集です。作品のジャンルによりその方法も異なりますが、ここでも、思い込みによる誤解を避ける手間を惜しまないことです。特にノンフィクションについては、各種のメディアやネット情報で刷り込まれたイメージのために思わぬ思い込みをしている場合があります。
ネット検索した結果が、その情報の信頼性を担保するとは限らないのです。可能ならば直に確かめるとか、原始的な検証方法の効果を再認識することも場合によっては必要かもしれません。私の場合は幸いにも、この情報収集作業が「これから翻するぞ!」という意識を駆り立ててくれる時間であり、これから始まる壮大な謎解きゲームへの期待感にあふれています。
いよいよ翻訳文の作成です。翻訳作品は第三者が読むためのものですから、翻訳者は、「原著読者」だけでなく「翻訳作品読者」(翻訳作品に対する読者)の立場からも訳文を考える必要性があります。すると「読者」を、「原著読者」と「翻訳作品読者」の二つに区別する必要があります。
やや乱暴かもしれませんが、「原著読者」として読み取ったものを「翻訳作品読者」の視点で訳文を作成することが「翻訳」だと言えます。「原著読者」と「翻訳作品読者」の二役を同時に抱え込まねばならないのは「翻訳者」の宿命です。何やら難しい話になり、どうしたらよいのか困っていた時に次のような一文を見つけました。「テキストを読み込むときは読者だが、訳文を作る段になると、限りなく創作者に近づく気がすることを誰もが挙げる(野谷文昭)」。
ただし創作できるのは訳文ですから、「原著」の範囲を超えず、しかも「翻訳作品読者」を念頭にという条件付きです。どうあがいても創作者本人になれるわけではありません。何とも窮屈で厄介な立場かと思いきや、実はこの窮屈さこそが「翻訳」の醍醐味だと思っています。少々自虐的な言い方ですが、原著の制約に縛られ翻訳語の制約に縛られる中をくぐり抜けて、いわゆる「腑に落ちる訳文」を手にした時の爽快感はどなたも実感があるかと思います。
この爽快感は翻訳者しか味わえないものです。古今の名訳といわれている作品はその爽快感を体験できる宝庫です。語学の達人と言われる人物の名訳(邦訳、原語訳)に触れることも、その意味では「翻訳の心構え」の一つかもしれません。ところで読者の視点と簡単に述べましたが、これもなかなかの厄介ものです。
先日返却された課題(文芸作品の翻訳課題)のコメントで「無意識のうちに自分と同じ年齢の読者を対象にしているようです」と指摘されました。この「無意識に」が困りものです。大袈裟ですが、これまでの言語生活の歴史が無意識のうちに反映しているということです。染みついた性格は直しようがないように、時間を巻き戻して根本的に改善することは無理としても、自分の癖の源を知ることで一定の改善ははかれます。そうでないと救われません。
未知のジャンルの文章に触れる機会を意図的に作るとか、自分の語感や文体と真逆の世界に触れて、その文体や口調になれることも対策となります。そんな意味もあって、現在、文芸分野の他に、全くジャンルの異なる分野(医薬分野)の講座を受講しながら、少しでも改善できないか奮闘しています。
学生時代の専攻分野の関係で、悪名高い「翻訳調」の邦文を読む機会が多く漢字の多い文章に接することが多かったので、翻訳の勉強を始めた当初は、「表現が冗長」「○○解釈調(いわゆる翻訳調)」「表現が漢語調で硬い」等の指摘を受けました。当初原因がわからず悩んでいましたが、自分の言語歴にその源があると分かると対策もしやすくなります。「欠点を直す第一歩は、欠点を知ることだ」と言うと、ごくありふれた教訓のように聞こえますが、私にとっては需要な「翻訳の心構え」です。以上、私の経験をもとに「翻訳の心構え」を述べてみました。皆さんのご参考になれば幸いです。
<プロフィール>
(黒岩 克彦:くろいわ かつひこ)
東京都在住 バベル翻訳大学院、文芸翻訳専攻 在学中 翻訳書に、「グリーン戦略3つの鍵」(バベル・プレス刊)共訳がある。
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