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「Do」から「Be」への意識転換 - 佐々木 理恵子

2013/05/10

「Do」から「Be」への意識転換


佐々木 理恵子:バベル翻訳大学院修了。MST(翻訳修士)。出版・ビジネス翻訳者。米国大学研究機関リサーチコーディネーター。

 

先日、本マガジン4月25日号で記事を執筆させて頂きました際に、翻訳者が陥入りやすいワナとでも申しましょうか、原文読解における読み手の意識について、次のように触れさせて頂きました。
 
********** 以下、引用 **********
 
少し話は変わりますが、つい最近、ある方から大変うれしいメールを頂戴しました。その時、私は必ずしも平常とは言えない心に囚われ、極度の緊張と疲労を感じていました。そのような状態のときに頂いたそのメールは、私にとってふと我に返るきっかけとなり大変ありがたい思いがこみ上げてきたのですが、数日後、もう一度そのメールを読み返してみますと、確かに全文熟読していたはずなのに、「あれ、こういうことが書かれていたんだ」と、前回とはまた違った深みや味わいを感じずにはいられなかったのです。
 
同じ文章なのに、読み手の心境によって文章の意味や味わいが七変化をとげる。だからこそ、翻訳者が原文を読むときは翻訳者自身の心境や状況がどうであるのか。そこに、翻訳そのものも大きく左右されるという面白さ、怖さ、興味深さをあらためて感じます。
 
翻訳には単一の正解というものがなく、人それぞれいろいろな訳し方があります。俗に「十人十色(じゅうにんといろ」と言われます。しかし、実は、そんな単純な表現で収まるものではないのでしょうね。たったひとりの訳者のなかでも、本当は、その時々の心の持ち方次第で、訳文は「十時十色(じゅっときといろ)」となる、と言えるのかもしれませんね。
 
そうであれば、自分自身の意識レベルが高まった状態で仕事をしていると、それぞれ個々が持つ知識や技術の枠を超えたところで、自然と、ありとあらゆる仕事の質や能力も高く高く飛躍していくのかもしれません。
 
それは、本当に、自然な形で…。
 
********** ******** **********
 
さて、この「翻訳者の意識レベル」、我々翻訳者は翻訳を行う上で、いろいろな種類の「意識」を持ちながら、または意識せずに「無意識」の「意識」を潜在的に抱きながら翻訳作業を行っています。その「意識」は、種類をあげればキリがないことでしょう。なかでもよく耳にするパターンを挙げてみますと、どうでしょう、次のような感じでしょうか。
 
「翻訳プロとして仕上げるぞ!」「この本をよい本に!」「締め切りまでに間に合わせなくては!」「わかりやすい文章で!」「あ~、もうやだ、早くこの仕事終わらせたい」「難しすぎて頭が混乱!」「疲れた~、もう昨日も徹夜だし…」「この仕事って、私の専門じゃない…。あ~どうしよう」「もう時間ないよ。これでいい!」「この文章って、本当に面白い!」「うれしい!初の翻訳の仕事!」「こんな訳し方してていいのかな~」「あ~本当はもっと違う分野の仕事したいな~」「この仕事で人の役に立ちたい!」「この著者さん(内容)を日本に(世界に)紹介したい!」「どうやったら、この内容を一番効率的に上手く確実に伝えられるだろう」などなど。
 
また、こういうパターンもありますね。
 
「………….。(別に何も考えてません。ただただ、淡々と訳してます)」という、冷めた意識。
「原文の世界に入り込んで、すでに自分が自分でなくなっています」という、ある意味で『無』の意識
 
ひとつひとつ挙げていけば紙面がいくらあっても足りません。皆さんは、日ごろ、どんな意識状態で翻訳作業をされていらっしゃるのでしょう?
 
このような意識は、本当に人それぞれ多種多様だと思いますが、ここでは、私が思うところの「翻訳者が持つ無意識下における意識のひとつ」について、少し述べてみたいと思います。
 
翻訳というと、一般的には、多くの方々から次のようなイメージを持たれているのではないでしょうか。
 

 

  • 縦のものを横にすればいいんでしょ。
  • ある程度語学力があれば誰でもできるでしょ。
  • 訳者の主観や感情を一切入れず、原文に書かれていることをそのまま他の言語に変換するんでしょ。
  • 原文執筆者の言うことを伝えればいいだけだから、完全に黒子、そこに訳者本人の意志や考えは存在しないわよね。なんだか自分がなくて、つまんない仕事ね。
  • まっ、学校で習う英文和訳や和文英訳とは何か違うのよね。自然な表現であればいいのよね。

 
これらはすべてあたっている、その通りだと思います。しかし、一方では、すべて誤りであるとも思います。
 
このデジタルマガジンをお読みの皆さんのなかには、バベル翻訳大学院の院生が多数いらっしゃるかと思うのですが、なぜ誤りと言えるのかについては、ご卒業までに、身をもってご経験されることと思います。そのあたり、個々の皆さんの学習の中で、是非、時間をかけて、その「誤りを知る楽しみ」を存分にご堪能頂ければと思います。
 
この記事では、誠に私見ではありますが、自分なりの視点から、日ごろの仕事を通じて感じる「翻訳者の意識」について考えてみたいと思うのですが、それは、上記が誤りと言えるひとつの要因とも解釈できるのかもしれません。
 
私たちが原文を前にして行う作業は、まず「読書すること」や「理解すること」であり、そして「翻訳すること」「推敲すること」「修正すること」です。これらはすべて行動、いわゆる「Do」の世界です。
 
しかし、この「Do」の世界において、翻訳者が抱く意識までもが「Doのみ」であっては、おそらくアウトプットされた成果物としての翻訳は、自分にとって納得のいかないものや心残りな仕事となってしまうことでしょう。
 
では、この「Do」の世界において、いったい何が足りないというのでしょうか?
 
私は、それは「Be」の意識ではないかと思うのです。
 
この「Be」の意識、多くの翻訳者の方々のなかでは、無意識にそれが働いていらっしゃるように思います。あえて、知識やスキルなどのいわゆる経験値を考慮せずの場合、翻訳初心者であっても熟練者であっても、作業中の意識のみを考えると、「Be」の意識が働いているときの翻訳成果物は質が高く、これが働いていないときの翻訳成果物は質が落ちる、このように感じます。
 
「Be」の意識での翻訳作業の流れ、それは
 

 

  1. 翻訳者ではなく、読者として、「原文を読書すること」
  2. 翻訳者ではなく、読者として、「原文を理解すること」
  3. 翻訳者として、「原文を精読すること」
  4. 翻訳者として、ニュートラルに、「原文を熟読すること」
  5. 翻訳者として、ニュートラルに、且つ、専門的スキルを持って、「原文を理解すること」
  6. 翻訳者として、ニュートラルに、且つ、専門的スキルを持って、「原文に疑問を抱くこと」
  7. 翻訳者として、専門的スキルを持って、「問題を解決すること」
  8. 翻訳者ではなく、原文執筆者となって、「翻訳すること」
  9. 翻訳者ではなく、読者となって、「訳文に疑問を抱くこと」
  10. 原文執筆者となって、且つ、翻訳者として、専門的スキルを持って、「問題を解決すること」
  11. 翻訳者ではなく、読者となって、「訳文を推敲すること」
  12. 原文執筆者となって、翻訳者として、且つ、読者となって、「訳文を修正すること」
  13. 翻訳者ではなく、読者となって、「訳文を新鮮な目でざっと読むこと」
  14. 翻訳者として、必要に応じて、「9から13を繰り返すこと」
  15. (必要に応じて、要所要所で、翻訳者として、クライアントとの検討を加えること。)

 
さて、「Do」の意識のみで行う場合の翻訳作業についても書いてみます。
 

 

  1. 翻訳者として、「原文を読書すること」
  2. 翻訳者として、「原文を理解すること」
  3. 翻訳者として、「原文を翻訳すること」
  4. 翻訳者として、「訳文を推敲すること」
  5. 翻訳者として、「訳文を修正すること」

 
いかがでしょうか?「Be」の意識で行う翻訳と、「Do」の意識で行う翻訳では、その作業(意識)工程が明らかに違います。
 
「Do」から「Be」へ。
 
この意識転換のみで、成果物としての翻訳の質は大きく変わるように思われませんでしょうか。そして、この意識転換、実は、それほど時間を要することでも労力を要することでもありません。むしろ、経験豊かな翻訳者の場合、自動的に、一瞬にして、潜在意識下で行われていることでもあるように思います。かえって、「Do」の意識のみで行うことで、異文化相違や言葉の迷路に迷い込み、問題解決の糸口が見つからず、無駄な時間を費やすことも多いように思います。
 
翻訳の世界でご活躍中の読者のみなさんのなかには、こんなこと、今更言われなくても…とおっしゃる方はたくさんいらっしゃるかと思います。また、意識していなかったけれど、(または上記とはまったく同じとは言えないけれど)、それでも確かに、私は「Be」の意識で作業してる、とお感じになられる方も多々いらっしゃることと思います。
 
一方、もし、ほんの少しでも「自分はそうではなかったな。でも、これで何か違いがでるかもしれないな」と思われる方がいらっしゃれば、是非、一度、この「Be」の意識をお試しになられてみてください。たとえ経験が浅くとも、または、ご自身では、翻訳プロではなく、まだまだ私は学習者と思われている方でも、きっと、これまでとは違った角度から、原文に取り組むことができるように思います。(ちなみに、翻訳プロとは、学習者中の学習者のことを指すと、私は思っています。)
 
つたない私見や検討ですが、少しでも皆様の翻訳者としてのご成功やご活躍の一助となれば幸いです。

 


佐々木 理恵子(ささき りえこ)
バベル翻訳大学院修了。MST(翻訳修士)。米国カリフォルニア在住。出版およびビジネス翻訳者。米国大学研究機関リサーチコーディネーター。

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