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「翻訳者の心」 ― 佐々木理恵子

2020/12/07

特別寄稿

 

 「翻訳の心」
 

佐々木  理恵子
(バベル翻訳大学院修了生)

TPT読者の皆様は、今、翻訳のお仕事や学習に日々楽しく取り組むことができていらっしゃいますでしょうか。私は、2004年にバベル翻訳専門職大学院を卒業し、その後、出版翻訳、産業翻訳をはじめ、様々な翻訳関連の仕事をさせて頂いたのですが、それらの経験を通して、「翻訳者の心」というものはなかなか面白いものだなと感じることが多々ありました。また、今だからこう思うということも色々あります。そのことを少しお話しさせて頂きますが、読者の皆様にとって、ふと、ご自身の心とも向き合うきっかけとなれば幸いです。


さて、その「翻訳者の心」の話に入る前に、少し唐突ではありますが、仏教のことについてお話しさせてください。仏教にはお経がつきものですね。しかし、もともと釈迦の教えは、書面に書かれたものはなく、釈迦の死後、弟子たちの口伝により語り継がれていったものでした。ただ、当然のごとく、人それぞれ教えの内容にばらつきも見えてきましたので、いくたびか大勢の弟子らが集まり、教えを確認し合うということもなされたようです。そして、仏教は、インドから中国大陸、朝鮮半島、日本へ、また別ルートでは東南アジア諸国へと、様々な地域に伝わったわけですが、その長き旅路では、多くの僧侶や学者らによる懸命な研究や各書物の解釈・翻訳がなされました。仏教は日本に伝わった後も、日本の文化や政治背景のもと、日本独自の展開や変容も遂げてきました。そのような時代変遷のなか、日本に限ったことではありませんが、本来の釈迦の教えとは全く異なる新しい教え(戒律、経、思想、文化など)も生まれていきました。釈迦の教えと少し異なる展開は、良い悪いの話ではなく、そのような展開がそれぞれの地域や時代に生きる人々の間に必要性を持って生まれたということなのでしょう。もとより、仏教のみでなく、人類が生み出した様々な宗教、哲学、思想は、異なる言語や文化背景を持つ人々の間に、翻訳、つまり言語変換という作業を通して伝えられていきました。

さて、前置きが長くなりましたが、宗教、哲学、思想などが、国から国へ、人から人へ伝わる、つまり、物事の伝来が起きる際には、常に、そこには「伝える者の心」と「受け取る者の心」が少なからず影響してまいります。何かを適切に人から人に伝える、何かを語った本人の言葉を忠実な形で後世に残す、という行為は、決して簡単なことではありません。そこには、どれほどの苦難が強いられていたことかと、また同時に、大きな喜びもあったのではなかろうかと…、壮大な歴史の中で揺れ動く人間の心の機微を感じずにはいられません。

では、現代において、「訳す」ということを生業としている翻訳者には、いったいどのような「心」が存在し、また、その心にはどのような「苦しさ」や「危うさ」が秘められているのでしょう。もちろん、一口に「翻訳者の心」といっても、それは状況により多種多様で、決して数ページで語れる話ではありません。しかしながら、あえて、ここでは一例を出してみたいと思います。

例えば、翻訳者が一つの書籍翻訳の仕事を請けようとする時、次のような心が考えられるかもしれません。いずれも、一人の翻訳者に、ただ一つ当てはまるというものではなく、翻訳者ならば誰もが複数の面を併せ持っているのかもしれませんね。

1)感動と情熱と使命感
翻訳者があまりにも著者の思想に入り込みすぎている(著者の思想が好きすぎる)。

感動や情熱や使命感は高いにこしたことはありません。しかし、気がつけば、自分でその思想を完全理解した気になってしまい、訳文に過剰さが出てしまうことがあります。そのような時は、自分を見つめる客観性と自制心の育成が必要です。それがあれば、感動と情熱と使命感は、翻訳者にとって大きな成長や輝きにつながることと思います。逆に、心に何の感動も情熱も使命感もなければ、どこかしらけた状態となり、それは自然と訳文にも出てしまうかもしれませんね。

2)報酬ありき
自分にとっての適正と思われる報酬額の有無を重視している。

適切に料金交渉などを行うことはプロとして推奨されます。しかし、報酬の程度により、翻訳の質や翻訳者の感情にムラが出るのはよくありません。初めの段階で、契約事項(翻訳料、仕事の範疇、作業期間、スケジュール延期の場合の処置など)を明確にし、翻訳会社、翻訳者、著者の三者合意の上でプロジェクトを開始する必要があります。ですが、いくら報酬・契約重視とはいえ、不測の事態には、許容範囲内でのフレキシビリティを持つことも、仕事を行う上ではプロとして必須とも言えるのではないでしょうか。

3)経験欲しさ                  
基本的に経験不足だが、挑戦してみようという勇気と意欲はある。

どのような職種であれ、勇気と意欲は、いずれかの時点で出さなくては、プロにはなれません。そのような勇気と意欲ある人材には、翻訳会社側による適切かつ温かい(時には厳しい)指導やフォローアップが必要になることもあるかと思います。しかし、翻訳者自身が、自分に経験が少ないことを開き直り、周りからの助けを得て当然という心持ちでは、次のチャンスはやってこないのかもしれません。

4)専門家すぎる
翻訳者が専門分野に深く精通している。

専門知識豊富な翻訳者が仕事を遂行する上では、時に、著者の思想や知識と翻訳者の思想や知識にギャップが生じる場合があります。基本的に、翻訳者が異を唱えるべきは、著者の思想そのものではありません。翻訳者の本分は、あくまでも著者の言わんとすることを他の言語に変換して伝えることであり、そこに翻訳者自身の別思想を混同させてはなりません。しかし、翻訳者側から見て、著者の言わんとすることに何らかの明らかな誤りを見つけたり、何かが著者にとっての不利益につながる可能性があると察知すれば、著者にそのことを伝えるのは翻訳者としての真摯な姿勢であると思います。場合によっては、適切な落とし所や対処法を探ることが必要となり、そのためには、翻訳者と著者双方に(もしくは翻訳コーディネーターに)高い共感性、協調性、コミュニケーション能力が必要となります。

5)ニュートラル
適切な専門知識、翻訳技術に加え、人並み以上の学習意欲を要し、翻訳に対する情熱、プロとしての姿勢、自己を見つめる客観性、問題に気付く洞察力、問題を解決に導くための説明力、著者への敬意と理解を備えている。

一見すると、これ以上の理想的な人材はないようにも見えます。しかし、もし、私はこのタイプです、と感じたとしたら、ごめんなさい….、その思い込みこそがもっとも危ういのかもしれません。翻訳は、非常に繊細で緻密な作業であり、翻訳者には「気づく」という行為に対し、人並み以上の高性能なアンテナを求められます。自分の翻訳者としての能力、プロジェクト全体の流れ、著者の心、読者の心、ソース及びターゲット言語の文化背景、スケジュール管理、チームワーク、ありとあらゆる細かな点にアンテナを張りながらプロジェクトを完結させなくてはなりません。人間ですから途中で何らかの心のアップダウンは出てくるでしょうが、それでも素早くニュートラルの状態に戻し、そしてその安定をできる限り保てるだけの知恵が必要となります。その知恵は、おそらく一生をかけて磨いていくものなのでありましょう。

このようにざっと挙げてみましたが、いかがでしょうか。皆様は、この中のどれかに当てはまるところがありますか? 

こうして見てみると、翻訳という仕事は、単に、黙々と調べ物をしたり訳したりというだけでなく、様々な場面で、著者や翻訳会社など他者との検討や交渉も重要な仕事の範疇として出てくることをあらためて感じて頂けるかと思います。これまでに、翻訳会社の方や著者さんとどうも良いコミュニケーションが取れなかった、という方はいらっしゃいますか?そこには、様々な事情がおありで、お辛いことも多々あったことと思います。最後に一つ、とても大切なことをお伝えしたいと思います。

それは、私自身がある方から教わったことですが、「相手の尊厳を守って伝える」ということです。「相手が大切にしていることを傷つけないように伝える」ということです。私たちは、誰もが、真剣になればなるほど、自分の仕事をきちんとこなしたいと思えば思うほど、余計な一言を言ってしまいがちです。また、そこには、自分がいかに正しいかを強調してしまいがちになることもあります。これらは誰にでも起こり得ます。私もいくたびもありました。しかし、正しさを求めることは争いを生むことにもなりかねません。そこで、余計な一言なのか、余計な一言でないのかの見極めが必要になります。それを見極めるための簡単な方法が、一つあります。

検討や交渉の難しい場面において、自分の感情のみから出てきた一言は、おそらく余計な一言です。しかし、物事を論理的に考えて、穏やかに語る一言は、余計な一言ではなく、プロジェクトの遂行にとって必要な一言ではないでしょうか。必要な一言を述べるには、大きく深呼吸をしてみてはいかがでしょう。一旦、コンピュータの前から離れてみてはいかがでしょう。散歩でも、お茶でもされてみてはいかがでしょう。しかめっ面でタイプする一言は、余計な一言かもしれません。口角をあげ、3回ほど、大きく深呼吸した後にタイプする一言は、相手の心に温かく届く一言かもしれません。

是非、余計な一言は避け、必要な一言を勇気を持って発し、そして、日々の仕事や学習を有意義にこなされていってください。翻訳作業に集中していると、ある時、自然に、意識せずとも、芯から著者と一体になれているかのような体感を味わう瞬間が生まれます。「翻訳者」という自我がふと消え、自然に訳語や訳文が湧き上がってくる、もしくは、自然に訳語や訳文が天から降ってくるような瞬間を体験したことのある方も多いのではないでしょうか。その瞬間、瞬間を、どうぞ心から楽しんでください。そして、最終段階では、消えた自分自身をまた取り戻し、「翻訳者」として、すべてを見つめ直してみてください。さらに、著者の心、読者の心に、また思いを馳せてみてください。翻訳という仕事は、皆様が普段感じられている以上に価値のある、人類の歴史、発展、進歩に貢献し、そして多くの人々の心の豊かさや深さにつながる仕事なのかもしれません。

読者の皆様の益々のご活躍を、心から深くお祈りしております。


 



佐々木理恵子(アメリカ カリフォルニア州在住)

1997年渡米。翻訳会社勤務、バベル翻訳専門職大学院卒業を経て、2004年より大学研究機関にてリサーチコーディネータ及び教授秘書として勤務する傍ら、2018年まで出版翻訳、産業翻訳、翻訳関連リサーチ、バベルでの監査業務に携わる。その後、心理学(産業カウンセリング)学位を取得し、さらに仏教を通じて人の心について学ぶ。

 

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