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百人一首と女流歌人たち ― 川村清夫

2021/09/07

第219回 百人一首と女流歌人たち


川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー


      

  
 摂政内覧左大臣の藤原道長が権勢をふるった
11世紀初めの平安王朝文学では、女性の活躍がめざましい。男性貴族たちが宮廷での権力闘争に明け暮れていた一方、女性貴族たちは宮廷女官として出仕しながら、日記、随筆、物語などを書き、社交界では歌会で和歌を作って、歴史に名を残したのである。

 女流歌人たちは国司など地方官を歴任する受領階級(下級貴族)の出身で、皇后の住む後宮で文芸サロンを形成していた。藤原道長の長女で一条天皇の皇后彰子には、紫式部、大弐三位母娘、和泉式部、小式部内侍母娘たちが仕え、道長の長兄である藤原道隆の長女で一条天皇のもう一人の皇后定子には、清少納言が仕えていた。それでは百人一首にある女流歌人たちの和歌の英訳を、ポーター訳、マッコーレー訳の順に見てみよう。

(和泉式部、後拾遺集恋三
763
あらざらむ この世の他の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな

(ポーター英訳)

My life is drawing to close, 
I cannot longer stay,  
A pleasant memory of thee 
Ai fain would take away; 
So visit me. I pray. 


(マッコーレー英訳)

Soon my life will close. 
When I am beyond this world 
And have forgotten it, 
Let me remember only this: 
One final meeting with you. 


 和泉式部は男性遍歴が多かった。死ぬほど会いたい恋人を思って書いた歌である。マッコーレー訳の方が平易で忠実な翻訳である。

(紫式部、新古今集雑上
1497
廻り逢ひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな

(ポーター英訳)

I wandered forth this moonlight night, 
And some one hurried by; 
But who it was I could not see, - 
Clouds driving o’er the sky 
Obscured the moon on high. 


(マッコーレー英訳)

Meeting on the path: 
But I cannot clearly know 
If it was he, 
Because the midnight moon 
In a cloud had disappeared. 


 紫式部は『源氏物語』の藤の裏葉の帖までの作者である。久しぶりに会った幼なじみ(女性)が早々に帰ってしまったのを惜しむ歌である。マッコーレー訳は相手が男性で、小径での逢い引きであるように誤訳している。

(大弐三位、後拾遺集恋二
709
有馬山 ゐなのささ原 風吹けば
いでそよ人を 月を見しかな

(ポーター英訳)

As fickle as the mountain gusts 
That on the moor I’ve met, 
‘Twere best to think no more of thee, 
And let thee go, But yet 
I never can forget. 


(マッコーレー英訳)

As mount Arima 
Sends this rusting wind across 
Ina ‘s bamboo plains,
I will be just as steadfast
And never will forget you. 


 大弐三位は『源氏物語』の若菜の帖以降の作者である。有馬山は神戸市北区にある山で、「ゐなのささ原」は有馬山南東を流れる猪名川沿いの笹原である。マッコーレー訳は有馬山の名を出して、より正確な翻訳である。

(清少納言、後拾遺集雑二
940
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
世に逢坂の 関はゆるさじ

(ポーター英訳)

Too long to-night you’ve lingered here, 
And, though you imitate 
The crowing of a cock, ‘twill not 
Unlock the tollbar gate; 
Till daylight must you wait. 


(マッコーレー英訳)

The rooster’s crowing 
In the middle of the night 
Deceived the hearers; 
But at Osaka’s gateway 
The guards are never fooled. 


 清少納言は『枕草子』の作者である。彼女は藤原行成に、『史記』で孟嘗君が雄鶏の鳴き声をまねる食客のおかげで函谷関を通れた話を用いて、「逢う」を掛けた逢坂の関ではその手は通じないと伝えた歌である。マッコーレー訳は逢坂の関の名を出して正確である。

 現代の和歌の世界でも、馬場あき子、俵万智など多くの女流歌人たちが活躍している。



川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

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