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司馬遷と『史記』:始皇本紀 ― 川村清夫

2021/04/07

第209回 司馬遷と『史記』:始皇本紀



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー


          


  『史記』において史記本紀は、中国史の神話時代の聖人帝王である五帝から前漢の武帝までの、支配者の行状を年代順に記述したもので、
12巻から成る。今回は秦始皇本紀にある、焚書坑儒をあつかう。

 秦は、紀元前
230年に韓、228年に趙、225年に魏、223年に楚、222年に燕、221年に斉を滅ぼして、中国を統一した。秦の国教は儒教でなく、法家思想であった。法家思想は、人間は倫理がないので法律で束縛しようとする法治主義を主張して、人間の倫理性を信じて道徳で教化しようとする徳治主義を主張した儒教と対立した。法家思想は、儒教の内でも性善説を唱えた孟子に対して、性悪説を唱えた荀子の影響を受けている。法家思想を代表する政治家の李斯は荀子の弟子で、秦の丞相になった。

 紀元前
213年に始皇帝は中国全土の統治に関して、地方を現地の領主に支配させる封建制を廃止して、中央政府から官吏を派遣して支配させる郡県制にしようとした。これに対して、斉の儒学者の淳于越は伝統に基づく封建性を擁護した。そこで李斯は始皇帝に、すでに中国全土は統一されたので、伝統は無用であり、伝統を重視して統一国家を批判する儒教をはじめとする諸子百家(老荘思想、孫子兵法、墨家思想など)の思想の弾圧と、医学、占い、農業以外の書物の焼却を提案して、始皇帝は李斯の提案を裁可したのである。これが焚書である。

 それでは李斯の焚書の提案と始皇帝の裁可を、原文、小竹文夫、武夫兄弟の和訳の順に見てみよう。

(原文)「丞相斯昧死言:古者天下散乱、莫之能一、是以諸侯并作、語皆道古以害今、飾虚言以乱実、人善其所私学、以非上之所建立。今皇帝并有天下、別黒白而定一尊。私学而相与非法教、人聞令下、則各以其学議之、入則心非、出則巷議、夸主以為高、率群下以造謗。如此弗禁、則主勢降乎上、党与成乎下。禁之便。臣請史官非秦記皆焼之。非博士官所職、天下敢有蔵詩、書、百家語者、悉詣守、尉雑焼之。有敢偶語詩書者棄市。以古非今者族。吏見知不挙者与同罪。令下三十日不焼、黥為城旦。所不去者、医薬卜筮種樹之書。若有欲学法令者、以吏為師。」制曰:「可。」

(小竹兄弟和訳)「丞相李斯は死をおかして、あえて申し上げます。古は天下が散乱して統一がなく、諸侯が並び興ったため、学者のことばはみな古をたたえて今をそしり、虚言を飾って真実を乱し、おのおの自己の学んだところを最善として、上の建てた制度をそしったのです。今や皇帝が天下を併有し、黒白を分って政令を一尊に定められましたのに、私学の徒はなおたがいに法教をそしり、一令が出ると聞けば、おのおのの学ぶところで非議するのです。朝廷では心中に非とするだけですが、外では巷間に非議し、君主に従順でないのを名誉と心得、違った見解を立てるのを高尚と思い、群下の衆を率いて誹謗をおこなうのです。これを禁じなければ君主の勢威が上に衰え、小人の徒党が下にできあがります。これを禁止するのが上策です。わたくしは史官の取扱う秦の記録以外はみなこれを焼き、また博士官が職務上保存するもののほか、一般民間にある詩・書・百家の語は、これをことごとく郡の守尉に提出させて、焼き払い、ことさらに詩・書を偶語する者があれば棄市し、古をもって今をそしる者は族滅し、官吏で知って見逃す者には同罪を科し、命令が出て三十日以内に焼かない者はいれずみをして城旦にしたいと思います。ただ医薬・卜筮・種樹の書は例外とし、もし法令を学ぼうとする者があれば、吏をもって師とするようにいたしたい」と、始皇はこれを裁可した。

 李斯が焚書の対象としたのは詩・書・百家とある。「百家」は儒教、老荘思想、孫子兵法、墨家思想などのことであるが、「詩」は古代中国の詩集である詩経、「書」は古代中国の歴史書である書経のことである。「棄市」は罪人を市場で斬首してさらし物にすること、「城旦」は土木工事に使われる囚人のことである。「制」は始皇帝のことである。なお当時の中国には紙がなく、書物は木簡、竹簡をひもでつないだ巻物だった。

 始皇帝は真人(仙人)になって、不老不死を実現しようとした。そのために方士(神仙の魔法使い)の盧生と侯生たちに不老不死の仙薬を開発させようとしていた。ところが二人とも始皇帝を「天性剛慢で、事を専断する。昔から自分ほどすぐれた者はないと自惚れ、もっぱら刑罰を事として人を罪している」と非難して逃亡した。始皇帝は激怒して、460人以上の学者(儒学者だけではない)を咸陽で穴埋めにした。これを坑儒という。

 焚書坑儒は文化に対する蛮行である。しかし中国では
1966年から1976年にかけて起こった文化大革命で、始皇帝が賞賛され、文物破壊と知識人の虐待が行われたのである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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