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愛新覚羅溥儀と辛亥革命 ― 川村清夫
2021/01/22
中国史始まって以来、4000年以上続いた君主制に終止符を打ち中国を共和制に転換した辛亥革命は、1911年10月10日に武昌(現在の武漢)で勃発した。これを武昌起義という。
中国の革命家孫文は、中国を満州人王朝の大清帝国から解放して共和国を成立させようとしたが、清朝当局から弾圧されて日本に亡命した。孫文は、日本の国家主義者でアジア主義者の内田良平の援助を得て、1905年8月20日に東京で中国同盟会を結成した。中国同盟会は中国本土で現地組織を組織して、運動家を大清帝国で新たに編成された新軍の内部に浸透させた。新軍の軍人は識字率が高く、中国同盟会の機関紙が広く購読された。1911年10月9日に決起をもくろむ武昌の運動家が誤って爆弾を破裂させて決起計画が清朝当局に露呈、10日朝に新軍将校3人が公開処刑された。追及が本格化すると感じた新軍は先手を打って10日夜に決起を開始、11日昼には武昌の街から清朝当局を駆逐して、18日には大清帝国軍の反撃を撃退した。武昌起義は中国南部に波及して、18省が大清帝国からの独立を宣言した。アメリカで遊説中だった孫文は急いで帰国して、1912年1月1日に南京で臨時大総統に就任した。2月12日に隆裕皇太后は、内閣総理大臣である袁世凱を大総統にする条件で宣統帝溥儀の退位を宣言、大清帝国と満州人の中国支配は終焉して、中華民国が成立した。しかし袁世凱は2月15日に北京で大総統に就任、孫文から辛亥革命の成果を横取りして独裁者になったのである。
武昌起義は、1981年の台湾・香港合作映画「辛亥雙十」(監督丁善璽、主演ディ・ロン(狄龍))と、2011年の中国・香港合作映画「1911」(監督、主演ジャッキー・チェン(成龍))で映画化されている。
それでは溥儀の自伝「わが半生」の原文、丸山昇の和訳の順に見てみよう。
(原文)我在不知不覚中做皇帝的第三年、又糊里糊塗地退了位。在皇朝最后的惊濤駭浪的日子里発生的事情、保留在我記憶中的有這麽一点的印象:在養心殿的東暖閣里、隆裕太后坐靠南窓的炕上、用手絹擦眼、面前地上紅毯子執上跪着一箇粗而胖的老頭子、満瞼涙痕。我坐在太后的右辺、莫名其妙、納悶他們哭什麽、殿里除了我們三人別無他人、安静得很、甚至胖老頭抽鼻子的声音我都听見了、他辺抽縮鼻子辺説話、説的什麽我全不懂。后来我才知道、這箇胖老頭就是袁世凱。這是我看見袁世凱唯一的一次、也是袁世凱最后一次見太后。如果別人没有説錯的話、那麽、正是在這次、袁世凱向隆裕太后直接提出了皇帝退位的問題。
(丸山和訳)私はわけがわからぬままに三年間皇帝をつとめ、またわけがわからぬままに退位した。末期に起こったことで私にもっとも強い印象を与えたのは、ある日養心殿の東暖閣で、隆裕太后が南がわの炕(オンドル)の上に坐って、ハンカチで目をふいており、前の床の赤い絨毯の上にふとった老人がひざまずいて、顔いっぱいに涙をこぼしていたことであった。私は隆裕太后の右がわに坐っていたが、二人のおとながなぜ泣くのかわからず、非常に不思議に思ったものだった。このとき御殿のなかには私たち三人のほかにはだれもいず、非常に静かだった。ふとった老人は大きな音をたてて鼻をすすりながらしゃべるので、何を言っているのか私にはまったくわからない。あとになってはじめて知ったのだが、このふとった老人こそ袁世凱だった。これが私が袁世凱を見た唯一の機会で、袁世凱が太后に会った最後であった。人が私に言った話に間違いがなければ、まさにこのとき、袁世凱は隆裕太后に直接退位の問題を持ち出したのである。
養心殿は紫禁城の中央部にある小さな御殿だが、18世紀前期の雍正帝以来の歴代皇帝が居住して政務をとった場所である。東暖閣は養心殿の東側の部屋で、西太后が皇帝の玉座の背後にある椅子から政務を決裁した(垂簾聴政)場所である。原文は白話(口語体)で書かれている。「糊里糊塗」(hulihutu)と「莫名其妙」(moming-qimiao)は「わけがわからない」意味である。「粗而胖的老頭子」(cuerpangde-laotouzi)は「肥え太った老いぼれ」の意味である。「納悶」(namen)は「納得がいかない」意味である。「才知道」(caizhidao)は「やっとわかった」の意味である。「如果別人没有説錯的話」(ruguo-bieren-meiyoushuo-cuodehua)は「人が私に言った話に間違いがなければ」の意味である。
溥儀は退位した後も尊号を存続され、中華民国から年間四百万両を支給され、宮中に居住し続けてもよい「清室優待条件」によって、1924年まで紫禁城に住み続けたのである。
袁世凱は自分が皇帝になろうとして、1915年12月12日に中華帝国を建国して、北京で洪憲帝を名乗ったが、各地から反対運動にあって1916年3月23日に帝政を撤回、まもなく病死している。
川村 清夫(かわむら・すがお)
上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。
株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。
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