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愛新覚羅溥儀と「わが半生」― 川村清夫

2021/01/07

第203回 愛新覚羅溥儀と「わが半生」



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー


          

   
 
1616年に満州(中国東北部)で建国された満州人王朝の大清帝国は、1644年に中国を征服して、満州、中国、モンゴル、新疆、チベットを支配する大帝国を築いた。しかし1842年にアヘン戦争でイギリスに敗れ香港を奪われてから欧米帝国主義諸国に侵略されるようになり、1895年に日清戦争で日本にも敗れて、大清帝国は欧米、日本の半植民地化した。植民地化への危機感をいだく知識人の間から国家の抜本的改革が叫ばれ、1911年に辛亥革命が起こり、1912年に大清帝国の帝政は廃止され、アジアで初めての共和国である中華民国が誕生したのである。

 愛新覚羅溥儀は、大清帝国の最後の皇帝である。彼は
1906年に醇親王の長男として生まれ、1908年に西太后に毒殺された伯父の光緒帝の後を継いで宣統帝として即位した。辛亥革命によって溥儀は退位したが、北京の紫禁城の中で皇帝であり続ける権利(清室優待条件)を与えられた。しかし1924年に溥儀は軍閥の馮玉祥によって紫禁城から追い出され、天津の日本租界に移住した。1931年の満州事変で日本が満州を占領すると、溥儀は1932年に建国された満州国の皇帝に即位した。日本は1945年に太平洋戦争に敗れ、溥儀は満州に侵入したソ連軍に捕まり、1950年には中華人民共和国に引き渡された。溥儀は戦犯として再教育を受け、1959年に釈放されてからは周恩来首相のはからいで中国人民政治協商会議全国委員になり、1967年に死去した。

 溥儀の波乱に満ちた一生は、ベルナルド・ベルトルッチ監督が
1987年に製作したイタリア、イギリス、中国合作映画「ラスト・エンペラー」(The Last Emperor)で世界的に知られている。ジョン・ローン(尊龍)が溥儀、ピーター・オトゥールがスコットランド人の家庭教師レジナルド・フレミング・ジョンストン(Reginald Fleming Johnston)、坂本龍一が満州映画協会理事長の甘粕正彦に扮していた。台詞は英語だったが、北京で大規模なロケ撮影が行われ、溥儀の一生は西洋人好みの脚色も含まれていたが、大体において再現されていた。

 「ラスト・エンペラー」のストーリーは、
1919年から1924年まではジョンストンが1934年に出版した回想録「紫禁城の黄昏」(Twilight in the Forbidden City)に基づいている。「紫禁城の黄昏」は2005年に中山理が完訳している。しかしストーリーの大部分は、溥儀自身が1964年に出版した回想録「わが半生」(我的前半生)に基づいている。「わが半生」は、溥儀が口述して弟の溥傑が書きとった原稿を、中国共産党の公安部に属する群衆出版社の文編室主任の李文達が編集したものである。日本語訳は1965年に小野忍、野原四郎、新島淳良、丸山昇の初訳が出版されたが、1977年に、終戦直後の東京裁判で溥儀が偽証した部分などを小野たちが翻訳した、完全版が出版されている。

 それでは、「ラスト・エンペラー」前半の見せ場である、
1908122日に2歳だった溥儀が紫禁城の正殿である太和殿で大清帝国の皇帝に即位する場面を、原文、丸山の和訳の順に見てみよう。

(原文)我父親単膝側身跪在「宝座」下面、双手扶我、不叫我乱動、我更掙扎着哭喊、「我不挨這児!我要回家!我不挨這児!我要回家!」父親急得満頭是汗、而文武百官行的是三跪九叩礼、磕起頭来没完了、我的哭叫也越来越響。我父親只好哄我説、「別哭別哭、快完了、快完了!」

(丸山和訳)私の父は片膝を立て、横むきになって玉座の下にひざまずき、私がむやみに動かないように両手で私を支えていたが、私はそれでももがきながら泣きわめいた。「こんなとこいやだ、おうちに帰る。こんなとこいやだ、おうちに帰る」父は気をもんで額じゅう汗びっしょりになった。文武百官の三跪九叩はいつ果てるともなく、私の泣き声もますます高くなった。父は私をなだめすかすしかなかった。「泣くんじゃない、泣くんじゃない。もうじきおしまいだ、もうじきおしまいだよ」

 「三跪九叩」とは、明代から清代にかけて行われた、臣下が皇帝に対して三回ひざまずいて九回頭を床にこすりつける儀礼である。「掙」(
zheng)は「もがく」、「扎」(zha)は「飛び込む」意味である。よって「掙扎」は溥儀が父親の醇親王にすがりつこうとする動作を表現している。「挨」(ai)は「ぐずぐずする」意味である。「磕」(ke)は「当たる」意味である。よって「磕起頭来」は「頭を床に当てては起こす」三跪九叩の動作を表現している。「哄」(hong)は「なだめる」意味である。「ラスト・エンペラー」では、溥儀は泣きわめいたりせず、家に帰ろうよと、醇親王にせがむ演出になっている。

 幼帝溥儀は、
19111010日に武昌(武漢)で勃発した辛亥革命によって、翌年212日に6歳で退位することになるのである。


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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