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ローマ帝国衰亡史とイタリア王国への転落 ― 川村清夫

2020/12/07

第201回 ローマ帝国衰亡史とイタリア王国への転落



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー


          


  テオドシウス王朝が455年に断絶した後の西ローマ帝国では、ゲルマン人総司令官リキメルが実権を握った。彼はアウィトゥス、マヨリアヌス、リヴィウス・セヴェルス、アンテミウスの4人の傀儡(かいらい)皇帝を次々に擁立して、殺害している。
 これらの傀儡皇帝の中で、東ローマ帝国出身のアンテミウスは西ローマ帝国の失地を回復しようとした。彼はヴァンダル王国と西ゴート王国と戦ったが、惨敗してしまった。

 アンテミウスは
468年に東ローマ皇帝レオ1世と同盟して、ヴァンダル王国の首都カルタゴを攻めた。これに対してヴァンダル王ガイセリックは休戦を申し出たが、休戦は時間稼ぎだった。その間にガイセリックは東西ローマ海軍を撃破する部隊を編成、カルタゴ目前のボン岬で火攻めを敢行したのである。ギボンの原文、朱牟田の和訳の順に見てみよう。

(ギボン原文)
He named his largest ships of war with the bravest of the Moors and Vandals, and they towed after them many large barks, filled with combustibles materials. In the obscurity of the night, these destructive vessels were impelled against the unguarded and unsuspecting fleet of the Romans, who were awakened by the sense of their instant danger. Their close and crowded order assisted the progress of the fire, which was communicated with rapid and irresistible violence; and the noise of the wind, the cracking of the flames, the dissonant cries of the soldiers and mariners, who could neither command nor obey, increased the horror of the nocturnal tumult. Whilst they labored to extricate themselves from the fire-ships, and to save at least a part of the navy, the galleys of Genseric assaulted them with temperate and disciplined valor; and many of the Romans, who escaped the fury of the flames, were destroyed or taken by the victorious Vandals. 

(朱牟田和訳)彼(ガイセリック)は麾下の軍船中最も大きな幾隻かに、ムーア人、ヴァンダル族中の最も勇敢な連中を乗組ませ、その背後には燃え易い品を山と積んだ多数の大型舟艇を曳かせた。夜陰にまぎれてこれらの物騒きわまる船団は、無防備無警戒のローマ方船団に向けて突き進み、相手方は危険が目睫の間に迫って初めて目をさました。彼らの密集した隊形は火の廻りを助け、火は抗し難い猛烈さで急速に次々と燃え移った。風の音、火のパチパチ弾ける響き、指揮も服従もあったものではない兵士や水夫らの我勝ちの叫喚などが、この深夜の騒動を一段と怖ろしいものにした。彼らが火艇から何とか逃れよう、軍船の一部たりとも助けようと必死にもがくところを、ガイセリックのガリー船団は訓練を積んだ適度の勇敢さで襲いかかり、猛火をやっと逃れたローマ兵の多くは、勝ち誇ったヴァンダル兵に殺されたり捕らえられたりした。

 ボン岬の戦いは、諸葛孔明が曹操を撃破した赤壁の戦い(208年)によく似ている。ガイセリックは
Gensericと表記されている。dissonant criesは「阿鼻叫喚」、the galleys of Genseric assaulted them with temperate and disciplined valorは「冷静な百戦錬磨のガイセリックのガリー船団が襲いかかり」と訳すべきだ。

 西ローマ帝国がヴァンダル王国に惨敗した後、西ゴート王国はフランス中部に侵入した。
470年にアンテミウスは西ゴート王エウリックと戦ったが敗北、フランス中部、スペインの大部分は西ゴート王国の領土になった。

(ギボン原文
)Their ambition was soon rekindled; and the design of extinguishing the Roman empire in Spain and Gaul was conceived, and almost completed, in the reign of Euric … He passed the Pyrenees at the head of a numerous army, subdued the cities of Saragossa and Pampeluna, vanquished in battle the martial nobles of the Tarragonese province, carried his victorious arms into the heart of Lusitania, and permitted the Suevi to hold the kingdom of Galicia under the Gothic monarchy of Spain.The public confidence was lost; the resources of the state were exhausted; and the Gauls had too much reason to believe, that Anthemius, who reigned in Italy, was incapable of protecting his distressed subjects beyond the Alps. 

(朱牟田和訳)が、やがて西ゴートの野心は再び燃え上り、ヒスパニア及びガリアからローマの勢力を一掃しようとする計画が構想されて、エウリックの治下にほとんどそれが成就した。…彼は大軍の先頭に立ってピレネーを越え、サラゴサ、パンプローナの両都市を征服、タラゴナ属州の勇壮な貴族らと戦ってこれを破り、勝に乗じてルシタニアの中心部にまで兵を進めて、ヒスパニアのゴート族の王政下にガリシア王国の保持をスエビ族に認めた。…国家への信頼は失われ、国の財政は疲弊し尽し、その上ガリアの全国民は、イタリアに君臨しているアンテミヌス帝には悲境にあるアルプス以遠の民を保護する能力など全くない、と知る理由はあり余る程あったのだ。

 朱牟田は
SpainGaulを当時の名称で表記している。サラゴサ、パンプローナ、タラゴナはいずれもスペイン東北部の街、ルシタニアは現在のポルトガルである。had too much reason to believeは「わかりきっていたのだ」と訳すべきだ。
 西ローマ帝国は、領土がイタリア半島、クロアチア、フランス北部だけの、飛び地国家になってしまった。
472年にアンテミウスはリキメルと内戦を起こして敗れ、ローマで殺害された。この直後にリキメルも急死して、西ローマ帝国の実権はゲルマン人将軍のオドアケルが受け継いだ。西ローマ帝国の滅亡は、この4年後のことである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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