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ローマ帝国衰亡史とアッティラ大王 ― 川村清夫

2020/11/07

第199回 ローマ帝国衰亡史とアッティラ大王



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー

  

         
 「民族大移動」において、ローマ帝国に侵入した異民族の中で最も目立ったのは、アジア系民族のフン族であろう。フン族の出身はまだ判明していないが、紀元前2世紀にモンゴル高原から前漢に侵入した匈奴族の内で、紀元後
1世紀に後漢に服属して万里の長城の南方に移住、中国人に同化した南匈奴族と違って、モンゴル高原から中央アジアへ移った北匈奴族ではないかと言われている。

 フン族の名称は匈奴族の名称に由来しているとの学説もある。匈奴の名称は現代中国語では
Xiong-nu(ションヌ)と発音される。古代中国語では現代中国語のx(シュ)の発音をhy(ヒュ)と発音していたので、古代中国語では匈奴はHyong-nu(ヒョンヌ)と発音され、フン族の名称Hunと近似するというのである。

 フン族は
370年頃に黒海の北方に現われ、パンノニア(現在のハンガリー西部)を本拠地にして、中央ヨーロッパからウラル山脈まで領有する大帝国を築き上げ、395年に分裂直後の東西ローマ帝国に侵入して、撤退と引き換えに多額の貢納金を脅し取っていたのである。

  フン族の歴代の君主の中で最も有名だったのはアッティラである。ゴート族の血を引く6世紀の東ローマ帝国の歴史家ヨルダネスは「ゴート族史」で、東ローマ皇帝のフン族への使節の1人だったブリスクスによるアッティラの風貌を伝えている。ギボンの原文と朱牟田の和訳の順に見てみよう。

(ギボン原文)
His features, according to the observation of a Gothic historian, bore the stamp of his national origin, and the portrait of Attila exhibits the genuine deformity of a modern Calmuk; a large head, a swarthy complexion, small, deep-seated eyes, a flat nose, a few hairs in the place of a beard, broad shoulders, and a short square body, of nervous strength, though of a disproportioned form. 

(朱牟田和訳) さるゴート族の歴史家の記述によれば、その民族の祖先の特徴を帯びていたというし、彼アッティラの肖像は現在のカルムイク人特有の醜男ぶりを見せており、頭が大きく、顔色は浅黒く、眼は極端に引込んで小さく、鼻は平たく、顎髯は疎髯で、肩幅は広く、ずんぐりとした短躯は不均衡な体形ながら怒りっぽそうな気力をみなぎらせている。

 カルムイク人は、
13世紀にモンゴル帝国がロシアを占領した時にヴォルガ河中流域に定住したモンゴル系民族である。原文は白人優位主義から、アッティラがアジア人だと断定している。a few hairs in the place of a beardは「あごひげはまばらで」と平易に訳すべきだ。of nervous strength, though of a disproportioned formは「不格好な体形ながら好戦的な力をみなぎらせている」と訳すべきだ。

 451年にアッティラは、西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世といさかいを起こした皇帝の姉ホノリア皇女から求婚され、持参金として西ローマ帝国の半分を要求して侵入した。この侵入は、カタラウヌム(現在のフランス東北部マルヌ県)の戦いで、西ローマ軍総司令官でアッティラの知人でもあったフラヴィウス・アエティウス率いる西ローマ・西ゴート連合軍によって阻止された。452年にアッティラは同じ口実で再び侵入したが、アエティウスは迎撃する兵力を集められなかった。ここでローマ教皇レオ1世が、マントヴァ(イタリア島北部)で進撃を止めたアッティラに会見して、ホノリアの持参金を金銭で払う条件で撤退させた。その会見のありさまをギボンの原文、朱牟田の和訳の順に見てみよう。

(ギボン原文)
The genius of Leo was exercised and displayed in the public misfortunes; and he has deserved the appellation of Great, by the successful zeal with which he labored to establish his opinions and his authority, under the venerable names of orthodox faith and ecclesiastical discipline. The Barbarian monarch listened with favorable, and even respectful, attention; and the deliverance of Italy was purchased by the immense ransom, or dowry, of the princess Honoria. The state of his army might facilitate the treaty, and hasten his retreat. Their martial spirit was relaxed by the wealth and indolence of a warm climate. 

(朱牟田和訳)レオの天才はこの公けの災難に際して行使され発揮されて、彼は正統派の信仰と宗教上の規律という神聖な名の下に自己の主張と権威とを確立しようと熱意を以て努力して見事にそれを果たし、大教皇の名に十分に応えている。…蛮族王は好意というよりもむしろ敬意を見せつつ注意深く耳を傾け、結局イタリアの解放は、公女ホノリアの莫大な身代金あるいは持参金で購われることになった。彼の軍隊の状況も、このとりきめを容易にし彼の退却を早めたのかも知れぬ。兵士の戦闘精神は、温暖な気候下での贅沢と怠惰に緩んでいたのだ。

 アエティウスが武力で阻止したフン族の侵入を、レオ1世は会見で阻止してみせたが、フン族では疫病が発生して戦意が低下していたので、アッティラは穏便な妥協をしたのである。
deliveranceは「救済」、princessは「皇女」、wealthは(略奪品の)「富」と訳すべきだ。

 453年にアッティラは新しい妻との結婚式の直後に急死した。彼の息子たちの間で相続争いが起こり、454年には東ゴート族の反乱に敗れて、フン族の王国は瓦解したのである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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