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ローマ帝国衰亡史とアフリカ喪失 ― 川村清夫

2020/10/22

第198回 ローマ帝国衰亡史とアフリカ喪失



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー

  

         
 「民族大移動」は、ヨーロッパを古代から中世へ移行させた一大歴史現象である。
4世紀のフン(北匈奴)族の中央アジアからウクライナへの移動にはじまり、フン族に追されたゲルマン諸部族が東西ローマ帝国に攻め込み、476年に西ローマ帝国を滅亡に追い込んだのである。「民族大移動」は、ローマ帝国の後継国民であるイタリア人からはInvasione、フランス人からはInvasionと呼ばれるように、「蛮族の侵入」と考えられている。旧ローマ帝国領だったブリテン島に移住したゲルマン人の子孫であるイギリス人からはInvasionと呼ばれると同時に、Migration(移住)とも呼ばれている。ゲルマン人の子孫であるドイツ人からはVölkerwanderung(諸民族の遍歴)と呼ばれている。

 侵入してきたゲルマン人は現地の住民から略奪者として恐れられたが、堕落が横行する「腐った文明人」であるローマ人の支配より、粗暴だが「純朴な野蛮人」であるゲルマン人の支配の方が受け入れられたのである。

 最初に東西ローマ帝国に侵入したゲルマン人は西ゴート族だった。彼らは西ローマ帝国がブリテン島を放棄した410年に、ローマ市を攻撃、陥落させて略奪を行った後、
415年にフランス西海岸に西ゴート王国を建国した。次に侵入したヴァンダル族はフランスとスペインを略奪した後、酋長ガイセリック(ガイセリッヒ)の下、ジブラルタル海峡を渡って北アフリカを占領、439年にカルタゴを首都とするヴァンダル王国を建国したのである。それではヴァンダル人の北アフリカ征服を、ギボンの原文、朱牟田の和訳の順に見てみよう。

(ギボン原文)…
 the country was extremely populous, the inhabitants reserved a liberal subsistence for their own use; and the annual exportation, particularly of wheat, was so regular and plentiful, that Africa deserved the name of the common granary of Rome and of mankind. On a sudden the seven fruitful provinces, from Tangier to Tripoli, were overwhelmed by the invasion of the Vandals; … 

(朱牟田和訳)(アフリカ)一帯はきわめて人口稠密で住民らは多量の生活必需品をまず自分らの用に保持した上で、年々の輸出、特に小麦のそれは、誠に規則正しくかつ豊富だったから、アフリカはまさしくローマ及び人間界全体に共通の穀倉と呼ぶにふさわしかった。それが突如として、タンジールからトリポリまでの収穫の多い七つの属州が、ヴァンダル族の侵攻に圧倒されたのだ。

 タンジールは現在のモロッコの都市、トリポリは現在のリビアの首都である。北アフリカは紀元前
146年にローマ帝国に征服されたカルタゴの旧国土で、一大穀倉地域だったのだ。regularは「定期的」と訳すべきだ。

(ギボン原文)
An edict was promulgated, which enjoined all persons, without fraud or delay, to deliver their gold, silver, jewels, and valuable furniture or apparel, to the royal officers, and the attempt to secrete any part of their patrimony was inexorably punished with death and torture, as an act of treason against the state. The lands of the proconsular province, which formed the immediate district of Carthage, were accurately measured, and divided among the Barbarians, and the conqueror reserved for his peculiar domain the fertile territory of Byzacium, and the adjacent part of Numidia and Getulia. 

(朱牟田和訳)彼(ガイセリック)はすべての住民に、それぞれの所有する金、銀、宝石、高価な家具や衣類等を偽りも遅滞もなく王の役人に差し出すことを命ずる法令を宣布し、世襲の財産を僅かなりとも隠匿しようと試みる者は、国家に対する叛逆行為として、死と拷問とを以て仮借なく罰せられた。カルタゴの直接的な管轄下にある属州総督の支配する属州の各土地は、正確に測量されて、蛮族らの間に分配され、征服者自身はその専有の領地としてヴュザキウムの肥沃な領域と、ヌミディア及びデトゥリアの近接各地を保持したのである。

 patrimonyは「先祖代々の財産」と訳すべきだ。
The lands of the proconsular province, which formed the immediate districts of Cartageは、「カルタゴに直属する総督領の土地」と訳すべきだ。朱牟田は地名をまちがえて表記している。Numidiaは「ヌミディア」(アルジェリアの地中海地域)と正しく表記したが、Byzaciumは「ビザキウム」(チュニジア南部)であり、Getuliaは「ゲトゥリア」(アルジェリアのサハラ砂漠地域)のことである。

(ギボン原文)
The union of the Roman empire was dissolved, its genius was humbled in the dust, and armies of unknown Barbarians, issuing from the frozen regions of the North, had established their victorious reign over the fairest provinces of Europe and Africa. 

(朱牟田和訳)ローマ帝国の統一は解体しその精神は塵にまみれて、北方の氷結地帯から出て来た誰知る者もなかった蛮族の軍勢が、ヨーロッパとアフリカの最も美しい各属州に、勝利者としての統治権を確立していたのである。

 
geniusは「英知」、unknownは簡潔に「未知の」、establishedは「確立したのである」と訳すべきだ。

 北アフリカは小麦、葡萄、オリーブを大量に生産して、イタリア半島に輸出していた。北アフリカをヴァンダル族に奪われた西ローマ帝国は、莫大な農産物、徴税の対象を失い、残った領土に対してより高額の徴税を行って、窮乏化への道をたどるのである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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