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ローマ帝国衰亡史とローマ市民層の没落 ― 川村清夫

2020/10/07

第197回 ローマ帝国衰亡史とローマ市民層の没落



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー

  

         
 ローマ帝国軍は、元来ローマ市民(イタリア半島の住民)から編成される軍隊だった。しかしローマ帝国の領土が拡大するにつれて、属領から安価な労働力、農産物が入るようになり、ローマ市民層は没落、堕落していった。それに連動してローマ軍人も軟弱になり、ローマ帝国軍の主力は質実剛健なゲルマン人傭兵に取って代わられていったのである。
 それではローマ市民層の没落を、ギボンの原文、朱牟田の和訳の順に見てみよう。

(ギボン原文)
In populous cities, which are the seat of commerce and manufactures, the middle ranks of inhabitants, who derive their subsistence from the dexterity or labor of their hands, are commonly the most prolific, the most useful, and, in that sense, the most respectable part of the community. But the plebeians of Rome, who disdained such sedentary and servile arts, had been oppressed from the earliest times by the weight of debt and usury; and the husbandman, during the term of his military service, was obliged to abandon the cultivation of his farm. The lands of Italy which had been originally divided among the families of free and indigent proprietors, were insensibly purchased or usurped by the avarice of the nobles, and in the age which preceded the fall of the republic, it was computed that only two thousand citizens were possessed of an independent substance. 

(朱牟田和訳)さて商工業の座である人口の多い都市では、自分の手の熟練と労働とに生活の資を仰ぐ中流の市民が、多くの場合最も多産、最も有用、そしてその意味で最もたよりになる社会の構成分子である。ところがローマの庶民らは、そういう座ったままの奴隷的営みを軽蔑して、ごく早い時期から借金と高利貸しの重圧に苦しんできた。また農民は兵役の期間中、わが農園の耕作を放棄するほかはなかった。イタリアの各土地は、本来は自由民で貧困な所有者らの間に分けられていたものが、気づかぬ内に強欲な貴族らに買い取られたり奪われたりして、共和制の滅びる直前の時代には、独立の資産を多少とも所有している市民はわずか二千と数えられていた。

 第1文に関して、朱牟田の翻訳はこなれていない。原文の
who derive their subsistence from the dexterity or labor of their handsは、「自らの熟練と労働によって自立する」と訳すべきだ。またsuch sedentary and servile artsは、豊かな生活に慣れたローマ市民が軽蔑した「単調な奴隷みたいな営み」と訳すべきだ。

 ローマ市民のローマ帝国に対する忠誠心は、
212年にカラカラ帝の「アントニヌス勅令」が帝国内の全ての住民にローマ市民権を与えたことで、大幅に低下した。さらに284年にディオクレティアヌス帝が専制君主制を導入して、ローマ市民の権利は消滅したのである。

(ギボン原文)
But when the prodigal commons had not only imprudently alienated the use, but the inheritance of power, they sunk, under the reign of the Caesars, into a vile and wretched populace, which must, in a few generations, have been totally extinguished, if it had not been continually recruited by the manumission of slaves, and the influx of strangers. 

(朱牟田和訳)しかし浪費癖の強い庶民らが、愚かにも自分らの参政権の利用のみかその継承までも手放してしまった時、彼らは代々の皇帝らの統治の下、何の値打ちもないみじめな下層民へと顛落してしまい、もしも奴隷らの解放と異人種の流入とで絶えずその層が補強されることがなかったとしたら、数代のうちに完全に絶滅してしまったに相違ない。

 原文の
powerは、参政権のことである。強い皇帝を支持したローマ市民層は、自ら市民の権利を放棄して臣民に成り下がったのである。

 
4世紀以降のローマ帝国は、没落したローマ市民層を物質的に援助した。(1)ローマ庶民への月一回だった小麦の分配を、毎日パンを与えるように変えた。(2)ルカニア地方の森林のどんぐりの実で野生の豚を肥らせ、廉価な豚肉をローマ庶民に供給した。(3)ローマ市民の灯火、風呂わかしのために、アフリカから毎年三百万ポンドのオリーブ油を供給した。(4)カンパニア産の葡萄酒の貯蔵庫を作り、ローマ市民のために保管した。
 ローマ帝国はローマ市民に物質的援助と共に娯楽を与えた。「パンとサーカス」である。

(ギボン原文)
But the most lovely and splendid amusement of the idle multitude, depended on the exhibition of public games and spectacles. … From the morning to the evening, careless of the sun, or of the rain, the spectators, who sometimes amounted to the number of four hundred thousand, remained in eager attention; their eyes fixed on the horses and charioteers, their minds agitated with hope and fear, for the success of the colors which they espoused and the happiness of Rome appeared to hang on the event of a race. 

(朱牟田和訳)しかしながら怠惰な民衆にとって最も強烈で素晴らしい楽しみをそそるのは、しきりに催される公開の競技や見せ物の類だった。…朝から夕方まで、晴雨に頓着なく、時には四十万に達する見物衆が、気もそぞろに動こうともせず、目は馬なり戦車の御者なりに釘づけ、頭の中は自分の支持する側の勝利を願って希望と心配とに揺れ動き、まるでローマ全体の幸不幸が競争の成功如何にかかっているかのようだった。

 原文の
careless of the sun, or the rainは「天気にはお構いなしで」、espousedは「応援する」と訳すべきだ。また訳文の「成功如何」は不要だ。
 強力なローマ帝国を築いたローマ市民層は政治的見識を失い、愚民になったのである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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