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ローマ帝国衰亡史とローマ歩兵隊の軟弱化 ― 川村清夫

2020/09/23

第196回 ローマ帝国衰亡史とローマ歩兵隊の軟弱化



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー

  

               
 ローマ帝国軍は、紀元前
3世紀のポエニ戦争でカルタゴを破った大スキピオや、紀元前1世紀に独裁権を確立したカエサルの時代は厳格な規律の下で精強を誇った。しかし2世紀の皇帝トラヤヌスの時代に帝国の領土の拡張が限界に達し、ローマ市民が安定した生活に慣れて享楽的になるにつれて、ローマ軍の規律はたるみ兵士は軟弱になっていった。

 初代皇帝アウグストゥスはゲルマニア(現在のドイツ)を征服しようとしたが、紀元
9年のトイトブルク(現在のオスナブリュック付近)の戦いでローマ軍はゲルマン諸部族連合の前に全滅して、以後ライン河がローマ帝国とゲルマニアの境界になった。トラヤヌスは106年にダキア(現在のルーマニア)を征服、領有したが、271年に放棄され、ドナウ河もローマ帝国と異民族の境界になった。

 
4世紀半ばにはじまったゲルマン諸部族(フランク族、ゴート族、ヴァンダル族など)やフン(西突厥)族の民族大移動によって、ローマ帝国の領土は頻繁に侵犯されるようになった。弱体化したローマ軍を補強するため、ローマ帝国はゲルマン族を補助部隊に組み込んだ。その最初がライン河地域に住んでいたフランク族で、彼らが西ローマ帝国の滅亡後に西ヨーロッパを制覇するきっかけになった。古代ゲルマン人は貧しさ、粗食、寒さにも耐えられる頑健な体質を備えていただけでなく、身体的にも古代ローマ人よりすぐれていた。古代ローマ人男性の平均身長が158センチくらいだったのに対して、古代ゲルマン人男性の平均身長は173センチくらいだった。それではローマ歩兵隊の軟弱化に関して、ギボンの原文、中野好夫の和訳の順に見てみよう。 

(ギボン原文)
The effeminate luxury, which infected the manners of courts and cities, had instilled a secret and destructive poison into the camps of the legions; and their degeneracy has been marked by the pen of a military writer, who had accurately studied the genuine and ancient principles of Roman discipline. The relaxation of discipline, and the disuse of exercise, rendered the soldiers less able and less willing, to support the fatigues of the service; they complained of the weight of the armor, which they seldom wore, and they successively obtained the permission of laying aside both their cuirasses and their helmets. The heavy weapons of their ancestors, the short sword, and the formidable pilum, which had subdued the world, insensibly dropped from their feeble hands. As the use of the shield is incompatible with that of the bow, they reluctantly marched into the field, condemned to suffer either the pain of wounds, or the ignominy of flight, and always disposed to prefer the more shameful alternative. 

(中野和訳)宮廷といわず都市といわず、それらに浸透していた柔弱奢侈の風潮は、いつとは知らずローマ軍団の幕舎内にも破滅的毒素を浸潤させていた。…ところが軍紀の弛緩と教練の不足により、軍務の疲労に堪える兵たちの体力が低下し、彼等はそれを厭うようになって、甲冑の重量を訴え、ほとんど使用しなくなったのだ。そして胸甲や兜などを廃する許可を次々ととりつけた。祖先たちの使った重い武器、それによってこそ世界を征服してきた短剣や恐るべき投槍は、いつのまにか彼等の繊手からは失われていた。槍の使用と弓の使用とは両立し難いとの理由で、彼等は気乗り薄のまま戦場に臨み、戦傷の痛みを受けるか、さもなくば逃走の恥辱を選ぶよりほかなかったが、彼等がつねに選んだのは恥ずべき後者の途だった。

 中野の和訳には、文語的表現が目立つ。原文の
their feeble handsの訳語は「彼らのか弱い手」と、orは「それとも」とするべきである。

 ギボンはローマ軍が兜、甲冑、短剣、投槍を廃止したように書いているが、これは誇張である。
Gabriele EspositoThe Late Roman Army (2016)によれば、帝国末期のローマ兵士は甲冑をやめて鎖かたびらを着て、盾は長方形でなく円形になったが、兜をかぶって短剣、投槍も持っている。

(ギボン原文)
The cavalry of the Goths, the Huns, the Alani, had felt the benefits, and adopted the use, of defensive armor, and , as they excelled in the management of missile weapons, they easily overwhelmed the naked and trembling legions, whose heads and breasts were exposed, without defence, to the arrows of the Barbarians. The enervated soldiers abandoned their own and the public defence, and their pusillanimous indolence may be considered as the immediate cause of the downfall of the empire. 

(中野和訳)これに反しゴート族、フン族、アラニ族などの騎兵隊は、護身用甲冑の利点を知って、進んでこれを着用した。しかも彼等は飛び道具類の操作にも卓れていたので、裸同然の姿でびくびく進んでくるローマ軍団など苦もなく圧倒し、全く防具なしの彼等の顔、胸などは蛮族どもの矢にとり恰好の的になった。…すでに無気力になった兵たちは、みずからの護身のみならず、国家の衛りまで放棄してしまったのだ。そしてこの臆病きわまる彼等の懶惰性こそが、帝国没落の直接原因だったと考えてよかろう。

 中野の訳語はここでも文語的である。原文の
excelledは「すぐれていた」と平易に表記するべきだ。The enervated soldiers abandoned their own and the public defenceは「無気力になった兵たちは、自分を守ることも、国家を守ることもやめてしまったのだ」とするべきである。

 
4世紀半ばにはじまった民族大移動により、西ローマ帝国は476年に滅亡したのである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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