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源氏物語の続編としての「山路の露」 ― 川村清夫

2020/08/22

第194回  源氏物語の続編としての「山路の露」



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー

  

               
 「夢浮橋」の結末は、薫と浮舟の物語を中途半端なままで終わらせている。大弐三位とみられる作者は読者に、この後二人の恋愛がどうなったか、想像に任せているのである。この挑発的な結末に対して、源氏物語の愛読者たちが想像力をたくましくして書いた続編の一つが、鎌倉時代前期に建礼門院右京大夫が書いたといわれる「山路の露」である。

 「山路の露」は、浮舟の行方を知ることなく終わっていた中将の君が彼女の生存を知って喜び、薫は浮舟と再会しているが、浮舟は彼とよりを戻すことを拒んで、薫が落胆する結末にしている。「夢浮橋」のストーリー展開を尊重して、ほとんど変えていない。

 「山路の露」は源氏物語の続編であるにもかかわらず、英語にも現代語にも翻訳されていない。ここでは薫と浮舟の再会、浮舟の反応、結末を原文と試訳で紹介する。土方洋一青山学院大学教授と、西木忠一大阪樟蔭女子大学教授による注釈を参考にした。

 薫は小野の山荘に出かけ、尼僧として夜の勤行をしている浮舟を見つけ、彼女の袖を引っ張って、無理やり再会するのである。

(原文)
里わかぬ雲居の月の影のみや
見し世の秋にかはらざるらん

と、しのびやかにひとりごちて、涙ぐみたる様、いみじうあはれなるに、まめ人もさのみはじづめたまはずやありけん、

ふるさとの月は涙にかきくれて
その世ながらの影は見ざりき

とて、ふと寄りたまへるに、いとおぼえなく、化け物などいふらんものにこそと、むくつけくて、奥さまにひき入りたまふ。袖をひきよせたまふままに、せきとめがたき御気色を、さすが、それと見知られたまふは、いと恥づかしうくちをしくおぼえつつ、…とざまかうざまにあらまされつるを、のがれがたく見あらはされたてまつりぬると、せんかたなくて、涙のみ流れ出でつつ、我にもあらぬ様、いとあはれなり。

(試訳)
どの里も分けへだてなく照る月の光ばかりは
うつし世にあった時の秋と変わらないのかしら

とひそやかにひとりごとを言って、涙ぐむさまは、とても美しいので、薫もこればかりはお慰めなさらないことがあろうか。

ふるさと(宇治)の月はあなたを失った涙にかきくれて
昔のような輝きを見ることはありませんでした

と、少しお近づきなさったので、まったく思いがけないことで、化け物であろうと、気味悪がって、奥の方に引っ込んでしまわれた。薫に袖を引き寄せられなさるままに、こらえきれない御様子だったが、薫だとわかると、たまらなく恥ずかしく、くやしく感じながら、…逃げようもなくこうして見られてしまったので、どうしようもなく、涙だけが次々に流れ出て、我を忘れた様子は、ひどくあわれである。

 よりを戻したい薫に対し、浮舟はやんわりと拒否の和歌を詠むのであった。

(原文)「さりや、いとかくおぼしすてたるなんつらき。昔より思ひ知りにし身なれども、深き心の色は、かうしも人はあらざりけると、我のみ思ひ知らるるに、をこなる恨みをそふにやあらん」とのたまふに、…あまりおぼつかなからんもあやしかりぬべければ、

ながらへてあるのもあらぬうつつをば
ただそのままの夢になしてよ

ほのかにまぎらはしたるも、昔にかはらずなつかし。

(試訳)「そうですよね。このように私を見限って捨てたのはつらいことです。昔から思い知ったわが身ですが、私の愛情の深さは、あの人(匂宮)はこれほどではなかったと、自分にはよくわかっているというのに、ばかげた恨みも加わったのでしょうか」とおっしゃると、…あまりぼんやりしているのも変なので、

生きながらえて、なお生きているとはいえない現実の私を
そのまま世にはない夢の中の者とおあきらめになってください

とぼんやりとまぎらわしたのも、昔と変わらずなつかしかった。

 薫は、浮舟とよりを戻せなかったことを秘密にしたいのだが、匂宮から秘密が漏れるのではないか心配しながら、「山路の露」は終わるのである。

(原文)我もまた聞こえにくきことまじりにたる心地して、まほならで、「憂きふしに、かくこそありけれ」と聞こえ出でんも、うつつ少なき心地すべし。…忍ぶるよしに聞こえたることの、かりにもあふなき方はねけれど、宮の御あたりにて、我とさだかに言ひ出でんことは、もしおのづからものの隠れなくて、ほの聞く人あらばなど、口重き心地するも、過ぎにし方の恨みの、なほとけぬなるべし。

(試訳)自分でも、言い出しにくい心情がそこにこめられているような気持ちがして、まともに言うのではなくて、「いやなことに、こんな出来事がありました」などと言い出すのも、実情からほど遠い感じがするだろう。…内密なこととして申し上げたことが、仮にも漏らされることはないだろうが、匂宮の身辺で、自分からはっきり話題にしていたら、もしもひとりでに秘密が漏れてしまって、耳にする人がいたならば、言いにくい気がするが、匂宮への恨みは溶けないであろう。

 薫が恋愛体験を秘密にしようとする結末は、源氏物語第2帖「帚木」の冒頭で、光源氏が恋愛体験を秘密にしようとするのと酷似している。「山路の露」の作者が源氏物語の愛読者だった証拠である。源氏物語に関して連載されてきた翻訳エッセイは、ここに終わる。

土方洋一、『山路の露』、千本英史(編集)、日本古典偽書叢刊、第
2巻、2004

西木忠一、池田良子、『山路の露注釈』、大阪樟蔭女子大学論集、
31~411994~2004

 


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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