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源氏物語と「東屋」 ― 川村清夫

2020/06/08

第189回  源氏物語と東屋



川村清夫
バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー

  

  浮舟は、母である中将の君によって、異母姉である中君が住む、二条にある匂宮の邸宅に滞在していた。目ざとい匂宮は彼女の姿を見つけ、強引に言い寄ってきた。娘に身の危険を感じた中将の君は、急いで浮舟を三条にある隠れ家に移した。薫は浮舟が隠れ家にいることを知り、弁の尼の手引きで浮舟に会い、宇治の八の宮の山荘に連れて行った。薫は、浮舟が亡き大君にそっくりであることに感動するが、和琴、漢詩といった、貴族のたしなみが欠けていることに落胆するのである。

 それでは薫が浮舟に、貴族のたしなみとして和琴が弾けるか尋ねる場面を、大島本原文、渋谷栄一の現代語訳、ウェイリーとサイデンステッカーの英訳の順に見てみよう。

(大島本原文)「昔、誰も誰もおはせし世に、ここに生ひ出でたまへらましかば、今すこしあはれはまさりなまし。親王の御ありさまは、よその人だに、あはれに恋しくこそ、思ひ出でられたまへ。などて、さる所には、年ごろ経たまひしぞ」
とのたまへば、いと恥づかしくて、白き扇をまさぐりつつ、添ひ臥したるかたはらめ、いと隈なう白うて、なまめいたる額髪の隙など、いとよく思ひ出でられてあはれなり。まいて、「かやうのこともつきながらず教へなさばや」と思して、
「これは、すこしほのめかいたまひたりや。あはれ、吾が妻といふ琴は、さりとも手ならしたまひけむ」
など問ひたまふ。
「その大和言葉だに、つきなくならひにければ、まして、これは」
と言ふ。いとかたはに心後れたりとは見えず。

(渋谷現代語訳)「昔、皆が生きていらっしゃった時に、ここで大きくおなりになったら、もう一段と感慨は深かったでしょうに。親王のご様子は、他人でさえ、しみじみと恋しく思い出され申します。どうして、そのような場所に、長年いられたのですか」
とおっしゃると、とても恥ずかしくて、白い扇を弄びながら、添い臥していらっしゃる横顔は、とてもどこからどこまで色白で、優美な額髪の間などは、まことによく思い出されて感慨深い。それ以上に、「このような音楽の技芸もふさわしく教えたい」とお思いになって、
「これは、少しお弾きになったことがありますか。ああ、吾が妻という和琴は、いくらなんでもお手を触れたことがありましょう」
などとお尋ねになる。
「その和歌でさえ、聞きつけずにいましたのに、まして和琴などは」
と言う。まったく見苦しく気がきかないようには見えない。

(ウェイリー英訳)
“How I wish you had known Uji when they were all here!” he said, turning to Ukifune. “You would understand better then how deeply it moves me to hear the sound of this instrument once more. You must, I am sure, realize that there was something singularly lovable about him, when you see how fondly his memory is cherished even by outsiders like myself. It is indeed a thousand pities that you wasted all those years in a place like Hitachi!” she colored slightly and looked down, clutching and unclutching her white fan. Seen in profile, her rising color enchanting the dazzling whiteness of her brow, she was so strangely like Agemaki that he could not help feeling it would be the easiest thing in the world to teach her anything that Agemaki had known. “Do you play at all?” he asked, not very hopefully. “They ought at any rate to know something about this one where you come from,” and pointed to an eastern-zither. “We called it a Japanese zither,” she said, “and to us in Hitachi the music of real Japan was as strange as its songs.” The reply, which this time came readily to her lips, showed that she had a good deal more to say for herself than he had supposed. 

(サイデンステッカー英訳)
If you had grown up here I think you might have had a rather different feeling for things. We were no kin to each other, but the prince had a strong hold on my affections. It is pity that you spent so many years so far away.” 
She was toying shyly with a fan. Her profile was an unblemished white, and her forehead between the rich strands of hair, brought memories of her sister. He must give her music lessons and otherwise make her a lady for whom he need not apologize. 
“Have you had a try at the koto? Perhaps you have had lessons on the East Country koto?” 
“I do not even speak the language of the capital. Should you expect me to play a capital koto?” 
She was clever. 


  浮舟の容貌で「なまめいたる額髪の隙など」を、ウェイリーは訳さなかったが、サイデンステッカーは
her forehead between the rich strands of hairと訳している。薫の質問に対する浮舟の返答にある「大和言葉」を、ウェイリーは都の歌曲、サイデンステッカーは都の言葉だと解釈している。「いとかたはに心後れたりとは見えず」を、ウェイリーはshe had a good deal more to say for herself than he had supposedと丁寧に訳したのにくらべ、サイデンステッカーはそっけなくShe was clever.と訳している。

 浮舟は薫の質問を巧みにかわした。しかしこの直後に薫は、
1013年頃に藤原公任が編纂した和漢朗詠集の上巻380にある、尊敬(橘在列)が作った漢詩の一節「楚王台上の夜の琴声」を朗詠するが、浮舟は漢詩を知らなかった。薫は「ことこそあれ、あやしくも言ひつるかな」(事もあろうに、変なことを言ってしまったなあ)と、後悔するのであった。

 このエピソードから、「宇治十帖」は和漢朗詠集が編纂された
1013年以後に書かれたと、推定できるのである。


川村 清夫(かわむら・すがお)

上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。  

 

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