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【新連載】第3回 コンテンツとは何か

2021/09/07

新連載
翻訳者のキャリアアップのための コンテンツ・メイキングの方法

第3回  コンテンツとは何か


バベル翻訳専門職大学院教授

 本連載では「コンテンツ・メイキング」と題して、翻訳者がキャリアアップをはかるための素材作りを紹介しています。そもそもコンテンツとは一体どのようなものを指しているのでしょうか。説明を要さないかもしれませんが、翻訳者向けということもありますし、少し言葉の定義と訳し方に拘ってみたいと思います。

カタカナ用語の妙
 私は、大学の文学部卒でシステムエンジニア出身ということも手伝って、いわゆるローカリゼーションと呼ばれる翻訳業界に関わっていました。ソフトウェア、マニュアルが主な成果物になっていましたが、業界の特性もあり、カタカナ用語の扱いには苦労した記憶があります。いくつかのポイントがあげられ、せっかくの機会でもありますから、次の点を紹介しておきましょう。

・発音
・語末長音
・複数形
 
《発音》
 英語ネイティブにとっては、英語をカタカナ語にするは困難を伴う作業なようです。もともと英語の発音があって、それに近づけてカタカナ語にするのですが、もともとの英語の発音が邪魔してしまうからです。
 不思議なことに、日本人にとってこの作業は朝飯前です。日本で英語教育を受けた人が英語を日本語式に発音すればいいだけの話だからです。communicationは、日本語式でそのままコミュニケーション、だけど、英語ネイティブにとっては、最初が「カ」に近く聴こえるためカミュかコミュかの判断がつきません。

《語末長音》
 IT業界の創成期はコンピューターチップの価格が高かったため、できるだけデータの保存容量を減らそうとする動きが試みられました。マイクロソフト社が提案したのは、日本語の語末長音を省くということでした。「ー」のことです。今でも「コンピュータ」と表記されているのを目にします。私は、語末長音を省くという方針によってカタカナ語の表記がバラバラになってしまったことを社会問題として、事あるごとに警鐘を鳴らしてきました。
 そして、マイクロソフト社は容量制限の必要性が感じられなくなったとして、語末長音を復活させる方針を再度発表しました。その方針転換により、語末長音は元に戻るどころか、語末長音を省くことに慣れてしまったがために、語末長音を省くという一般的習慣だけが人々の心の中に残り、どっちつかずの状況になっています。
 
《複数形》
 英語ほど日本語は複数形に拘りません。「子どもが公園で遊んでいる」は文法的に正しい一方、意味的には、公園に遊ぶ「子ども」が一人なのか複数いるのかを判別することができないため、この文だけからでは正しく英訳することができないのです。前後関係という文脈から子どもの数を判断してchild かchildrenかを決める必要があります。
 カタカナ語に話を移して考えてみましょう。カタカナ語の場合でも、英語の複数形は日本語では単数形で訳しても構わない状況がほとんどです。childrenと複数形であっても、必ずしも「子どもたち」、「子どもら」としなければいけないわけではありません。「子ども」の方が自然な訳だったりするケースも多々あります。もちろん、例外もあり、会社の登記関係といった場合、社名にcommunicationsが使われていたら「コミュニケーションズ」と訳すのがむしろ適切です。

 ところが、最近、複数形を意識した訳語が使われはじめるようになってきているのをご存知でしょうか。その好例がSDGsです。「エス・ディー・ジーズ」と日本語で呼ばれることは、大抵の方なら知っているはずです。初めて聞いた方は、「なんだ、~ジーズとは?」となんとも言えない違和感とともに、疑問が頭をよぎったのではないでしょうか。
 そして、本連載のテーマであるコンテンツがそれに続きます。ただし、訳語してのコンテンツが不可思議なのは、原文である英文が単数形であっても「コンテンツ」(contents)のように複数に訳される点です。コンテンツという訳語が一度普及してしまうと、「コンテント」(content)が何か舌足らずのように聞こえてしまうのは不思議でなりません。
 あまりにも長い導入だったかもしれませんが、テーマの訳語に関して、導入の一環として拘っておきたかったという理由からでした。


改めてコンテンツとは

 What I create is conditioned by content (p.245).
 Emerson, Caryl. (1997). The First Hundred Years of Michail Bakhtin, Princeton University Press: Princeton, NJ.

 ドストエフスキー作品の批評から多声性概念を見つけ出したロシアの文芸批評家ミハイル・バフチンの思想は、文学のみならず、教育学、社会学、心理学、言語学、コミュニケーション学、精神医学、第二言語習得などの様々な領域において参照されるようになりました。先にあげたのは、バフチンがFormとContentを比較分析した際の評論をしている、バフチン批評で知られるカーリー・エマーソンからの引用です。
 フォームとコンテンツを単純に定義すると、前者が器で、後者が中味となります。しかし、エマーソンが述べている「私が創造するものは、コンテンツによって条件付けされる」(著者訳)は、ジレンマに陥っているようで、その意味の解釈に困難さを感じざるを得ません。というのも、コンテンツとは人間の想像力を駆使して創り上げられたものと一般的に解釈することができ、エマーソンの記述によると、コンテンツの意味の中に「私が創造するもの」がすでに入り込んでいるからです。「条件付けられる」の意味合いからして、エマーソンの記述によると、コンテンツとは創造する前にすでに存在するものでなければなりません。存在しなければ、条件付けの基準になり得ないからです。

【法律にすがるとコンテンツとは】
 そこで、困った私は、法律にすがろうということで、「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」にあたってみることにしました。

平成十六年法律第八十一号 コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律
(定義)
第二条 この法律において「コンテンツ」とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラム(電子計算機に対する指令であって、一の結果を得ることができるように組み合わせたものをいう。)であって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう。
(出典)e-Gov法令検索
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=416AC1000000081

知的財産権保護の範疇ではありますが、「人間の創造的活動により生み出されるもの」とある通り、先ほど説明したコンテンツの一般的な解釈からは外れないことがわかりました。そのため、エマーソンの言った言葉もどのように解釈すればいいのか、執筆時点では判断がつきません。
 明確になったのは、「映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲーム」の成果物の中から、本連載では「文芸」に近く、「文字」、「図形」、「色彩」など、またそれらの組み合わせを使って表現する方法をとることがわかります。これは、「書くこと」との関係性の度合いによって抽出した結果となります。一方、映画を制作するにはセリフから構成される脚本(台本)を書き、歌詞のある音楽は歌詞を書くことが求められますので、そのどれをとっても書くことは必要になってきます。つまり、書くという行為は、人間の創造的行為の中でも最たるものなのです。書くという行為を踏み台にキャリアアップをはかることは、二重の意味で創造的な作業になります。

 

【プロフィール】
小坂貴志(こさか・たかし)
神田外語大学教授。青山学院大学文学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社。アメリカコロラド州デンバー大学スピーチ・コミュニケーション研究科修士課程修了、同博士課程単位取得終了満期退学。その間、J.D.Edwards World Source Companyでテクニカル・トランスレーターとして勤務。その後、Monterey Institute of International StudiesにてAssistant Professor、立教大学経営学部特任准教授などを経て、現在に至る。最新の著書として『入社1年目のビジネス英語大全』(出口朋美との共著、ジャパンタイムズ社、2021年)があり、これまでに数多くの著作を発表している。

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