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草の根の真心、一輪の花から始まった絆が世界を救う

2020/08/22

【特別特集】反人種差別、暴動に想う~人種差別をどう考える    
第2回 


草の根の真心、一輪の花から始まった絆が世界を救う


吉田ひろみ
(バベル翻訳専門職大学院生)

 

                                
ハワイのプロテストは他州に比べると平和的で、最後は、皆、サーフボードで海へ繰り出すというハワイらしいものでした。数日前、自宅付近を散歩中、「Justice!George!」の手作りボードを、未だ掲げたままのお宅をお見かけしました。又、先程、「学校の先生から、クラスで「Black Lives Matter!」を議題に討論の授業をしてもいいかどうかという質問メールが届いたけど、どうしよう?」と子供に聞かれ、「なぜ、先生はそんなことを聞くの?」と不思議に思い子供へ尋ねると、「クラスの中には、敢えて、こういう問題を話し合いたくないと思う子やFamilyもいるかもしれない、もし、誰かが思いのまま発言をして、他の誰かが不快な気分になったり、嫌な思いをしたり、傷つけたりしてはいけない、とてもセンシティブな問題だから。」通常、授業内容は大人(先生方)主体でお決めになられるものではないのだろうかと不思議に思いながら、単一民族国家では、ないかもしれないと思われる様な子供への質問と事前確認の配慮に驚きつつ、又訴訟大国アメリカならではの対応と感じられました。

ハワイでは昨日、一日に355人という史上最高の感染報告があり、週明けから予定されていた現地学校再開案も、生徒と教員の方々への安全対策を含め、この様な不安定な状況下で再開することへの懸念から異議を唱え、教員組合が、政府とハワイ教育委員会を訴えました。いったいどうなるのだろう?と親子共々、不安な気持ちでしたが、本日夕方6時頃、ようやく学校からアップデート情報が届いたばかりです。東京の人口の約10分の1というハワイで、それと同様に近い数値と考えると、急速なパンデミック拡大率。全米一規制の厳しい州といわれ、約5か月間、自宅待機、No School状態で過ごしていたKeiki(子供達)を思いながら、パンデミックの最中、度々、昔の戦争中や戦後の子供達は、どんな風に過ごしていたのだろう?と思いました。それに比べれば恵まれている、耐えられる、きっと大丈夫と思いながら、6フィートソーシャルディスタンスの為、周囲との距離を置きながら新居で過ごす中、ある日、お向かいのアンクルが声をかけてくれました。「Are you Japanese?」アンクルも日系人の様でしたので、「Are you Japanese?」と尋ねると、「No! I am Okinawan!」会話中、度々、「I am Okinawan!」と繰り返し、又白人の方々のことを「Haole(ハオリ)」と仰っていました。(ハワイの日常では、比較的、よく耳にする表現ですが、蔑称の意味が含まれることもあるそうなので注意が必要との事)。アメリカで唯一の宮殿と独自の王朝文化を持つハワイアンと、琉球王国という独自の文化歴史を持つオキナワン、共に激動の時代を乗り越え今日に至り、何か不思議な共通点がある様に思えます。そんな中、戦争中のいくつかのエピソードを読み、感銘を受けました。その中のひとつを引用させて頂きます。

大東亜戦争(太平洋戦争)の終結から、わずか5年後、昭和25年(1950)9月のこと。まだ戦争の傷跡が残る日本に、一人のアメリカ人がやってきました。アメリカ海軍、駆逐艦乗りのアーレイ・バーク提督です。

巨大な戦艦を追い回す駆逐艦乗りには、日米とも猛将といわれた人が多くいましたが、
バーク提督もその一人。バーク提督は、太平洋戦争の中でも、日米合わせて9万人以上もの犠牲を出した激戦地「ソロモン海戦」で日本軍の脅威となった人です。

そのバーク提督が、敗戦国日本を支配する占領軍の海軍副長として、アメリカから派遣されたのです。「朝鮮戦争」勃発の直後、バーク提督が東京の帝国ホテルにチェックインした時のことです。「バーク様、お荷物をお持ちいたします」「やめてくれ、最低限のこと以外は、私に関わるな!」実は、バーク提督は、筋金入りの日本人嫌いでした。

親友を日本軍の真珠湾攻撃によって失い、血みどろの戦いで多くの仲間や部下を失っていたからです。戦争中、バーク提督の心には、敵である日本人への激しい憎悪が燃えていました。「日本人を一人でも多く殺すことなら重要だ。日本人を殺さないことならそれは重要ではない」という訓令を出したほどでした。

また、公の場で日本人を「ジャップ」「イエローモンキー」と差別的に呼び、露骨に日本人を蔑み、どれだけ日本人の従業員が話しかけても無視しました。

「腹立たしい限りだ! 黄色い猿どもめ!」日本に来てから1ケ月ほどしたある日のこと。
「なんて殺風景な部屋なんだ」ベッドと鏡台と椅子だけの部屋を見て、せめてもの慰みにと、バーク提督は、一輪の花を買ってきてコップに差しました。この後、この花が以外な展開をたどることになります。翌日、バーク提督が夜勤から戻ってみると、コップに差した花が、花瓶に移されていたのです。バーク提督は、フロントに行き苦情を言いました。「なぜ、余計なことをした。誰が花を花瓶に移せと言った?」「恐れ入りますが、ホテルではそのような指示は出しておりません」「何だって?」この時は誰が花瓶に移したのか分からなかったのです。さらに数日後、何と花瓶には昨日まではなかった新しい花が生けられていました。「一体誰がこんなことを?」花はその後も増え続け、部屋を華やかにしていきました。バーク提督は、再びフロントへ行きました。

「私の部屋に花を飾っているのが誰なのか、探してくれ」調べた結果、花を飾っていた人物は、バーク提督の部屋を担当していた女性従業員でした。

彼女は自分の乏しい給料の中から花を買い、バーク提督の部屋に飾っていたのです。
それを知ったバーク提督は、彼女を問い詰めました。「君は、なぜこんなことをしたのだ?」「花がお好きだと思いまして」「そうか。ならば、君のしたことにお金を払わなければならない。受け取りたまえ」と、彼女にお金を渡そうとするバーク提督。ところが彼女は、「お金は受け取れません。私は、お客様にただ居心地よく過ごしていただきたいと思っただけなんです」「どういうことだ?」アメリカではサービスに対して謝礼(チップ)を払うのは当たり前のこと。しかし、彼女はお金を受け取りません。この後、彼女の身の上を聞いたバーク提督は驚きました。彼女は戦争未亡人で、夫はアメリカとの戦いで命を落とし、しかも、駆逐艦の艦長で、ソロモン海戦で乗艦と運命を共にしたのでした。それを聞いたバーク提督は、「御主人を殺したのは、私かもしれない」と彼女に謝りました。ところが、彼女は毅然としてこう言ったのです。

「提督、提督と夫が戦い、提督が何もしなかったら提督が戦死していたでしょう。誰も悪いわけではありません。悪いとすれば、それは戦争です。」バーク提督は考え込みました。
「自分は日本人を毛嫌いしているというのに、彼女はできる限りのもてなしをしている。この違いは、いったい何なんだ?」
「彼女の行動から日本人の心意気と礼儀を知った。日本人の中には、自分の立場から離れ、公平に物事を見られる人々がいること。また、親切に対して金で感謝するのは日本の礼儀に反すること。親切には親切で返すしかないことを学んだ。」
(彼はいささかの金額を、彼女の退職手当用に匿名でホテル側に寄付することにしたとの事)。

又、朝鮮半島の出張から戻り、アメリカ人の出迎えもないまま汚れた惨めな格好で夜中にホテルへ戻ってくると部屋が変わっており、さほど気にもとめていなかったが、前の部屋があった階で働く従業員が現れ、「貴方が家に帰られないので、皆、残念がっている」と告げられ、それならばと、バーク提督とその従業員の二人はフロントへ赴き交渉。以前使っていた部屋へ戻ることになり、元の部屋へ戻ると、その階を担当している従業員達全員が現れ、暖かく出迎えると共に、温かいお茶を用意してもてなしてくれ、その心遣いにバーク提督は、思わず涙が出そうになったと後に語っています。この様に、単なるゲストにしか過ぎない彼(元敵国軍人)に対して、ホテルの職員たちは親身に接していたという様な体験が続き、彼は自分の日本人嫌いが正当なものであるのか考えるようになり、バーク提督の日本人に対する見方は一変したのです。折しも朝鮮戦争は激しさを増しており、バーク提督は、一刻も早くアメリカ軍の日本占領を終わらせ、日本の独立を回復するようにアメリカ政府に働きかけるようになりました。加えて、日本の独立と東アジアの平和を維持するために、日本海軍の再建を説きました。まだ終戦5年後ですから、アメリカ人の大多数が反日感情を持っている中で、バーク提督は、根気強く説いてまわり、ついに海上自衛隊を作ることに成功。その後、バーク提督は、アメリカ海軍のトップである作戦部長に就任。3期6年間も作戦部長を務めたのは海軍史上でバーク提督だけです。

バーク提督は、最新鋭の哨戒機 P2Vを16機、小型哨戒機S2F-1を60機も海上自衛隊に無償で供給し、海上自衛隊の創設に力を尽くした功で、日本から勲一等旭日大綬章(最高の勲章)を贈られました。各国から多くの勲章を授与されたバーク提督ですが、90代で永眠なされた際、葬儀の時に胸に付けられた勲章は、日本の勲章ただ一つ。それは本人の遺言でした。そのため、ワシントンの海軍博物館にあるバーク提督の展示には、日本の勲章だけが抜けたままになっています。

見返りを求めない日本の「おもてなし」の心。たとえ、ささやかな「花一輪」、「一杯のお茶」であっても、真心は人の心を変えることもできる。世界的パンデミックの中、こういう草の根の「真心」こそ、これからの世界を変えていけるのではないでしょうか。

 

【プロフィール】
吉田 ひろみ
ハワイ州在住。国際企業フルタイム勤務の傍ら、学業と子育て、地域国際ボランティア活動への参加等、子供と共にチャンレンジの連続で、日々奔走中。今後共、ハワイと日本の国際交流において、何らかのお役に立てる様、又、ハワイの自然と動物愛護にも貢献していきたいと思います。