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『翻訳知識をベースに』― 太田朱美

2021/03/22

【連載】VOICES from Alumni Overseas
第6回 
 

『翻訳知識をベースに』

 
太田  朱美
(翻訳者、2014年バベル翻訳専門職大学院修了)

 
 

  “It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives.

                       It is the one that is most adaptable to change.”
   (この世に生き残るのことができるのは、最も力の強い者でも、最も賢い者でもない。
                                               それは、変化に適応できる生き物だ。)

 
  これは、進化論を提唱した有名な生物学者・地質学者であるチャールズ・ダーウィンが残した言葉です。コロナ禍前とコロナ禍後の生き方や働き方が見直される時代に生きている今、私たちに求められることとは、「ニューノーマル」な変化に対し柔軟に適応するために最適な選択をすることのように思います。翻訳者というポジションは、働き方という観点からはすでに優位な位置にいると私は実感しています。PC、インターネット、翻訳原本さえあればどこでも仕事ができてしまいます。翻訳者として7年以上経験を積み上げてみて、この執筆を機に改めて自分自身が翻訳学習を始めた目的、学習を通しての気づきと学び、社内通訳・翻訳の重要性とメリット、そして今後の課題と夢について綴ってみたいと思います。
 
翻訳学習を始めた目的:
 目的は、とてもシンプルなものでした。現在の職務能力を高めるため、そして、英語と日本語の両面から文章力を養うためでした。2014年より正社員の社内通訳・翻訳として現在の会社(自動車業界Tier 1サプライヤー)の設計技術部に所属しています。業務案件は技術仕様書、金型要件書など技術関連資料は勿論のこと、議事録、法規、設備投資、トップミーティング資料を含むビジネス関連資料など多岐に渡ります。アウトプットする度に上司に叱られ、書き直しの連続でした。どのような文章にも改良の余地はあるし、不完全な人間が不完全な翻訳をしているから、何を言われても仕方ない・・・と開き直った時期もありましたが、私はある意味学ぶチャンスだと思いました。長期間に渡りかなり伸び悩みました。翻訳者とは、いわゆるモノカキです。読解力のみならず、読み手に分かりやすく表現する文章力が求められます。翻訳ではないかのように読める文章を書くには一体自分に何が不足しているのか、探求の旅にバベル大学院への入学を決意しました。

バベル翻訳大学院での学習:気づきと学び
 翻訳者として自分には何が必要なのか、そのポイントに気づくまでかなりの時間を要しました。卒業ギリギリになってやっと見えてきたことが知識、リサーチ能力、要約力の必要性です。まず、自分が翻訳に携わる分野において深い知識が必要だという事に気づきました。設計技術部で設計者をサポートするには、最低限の設計知識が無いと、その文化でのコミュニケーションが成立しないのです。図面の読み方、金型要件、CADデータの見方のみならず、光学や電子技術など習得しようとすればするほど山のように出てきます。翻訳作業というのは、豊かな知の宝庫であると思うようになりました。
 そして、そのような未知な世界の知識を習得するには、リサーチ能力が欠かせません。「翻訳リサーチ入門」を受講してそのノウハウを学びました。翻訳というのは正確さと読みやすさというのが両論でなくてはならない挙句、依頼者は更にスピードを求めてきます。翻訳を打診した際に素早くリサーチをして、その業界の専門家たちが読んでも違和感の無いような文章を作成することが翻訳者としての思いやりなのではないでしょうか。
 3つ目に要約力の必要性についてです。「サマライズ」や「国際金融翻訳」での課題を通して基礎を習得しました。企業のエグゼクティブは超多忙であり、一語一句読んでいる時間がありません。内容を知的・論理的・構造的に要約するといった基礎的能力は重宝しますし、コンパクトな文にまとめようとするので、その業界の専門用語が自然、かつ必然的に身につくようになります。いかにシンプルに伝えるか、私の今後の課題でもあります。

社内通訳・翻訳の重要性とメリット:
 日系企業にとってバイリンガルな人材は必要不可欠です。シニア副社長の企画により「memoQ Trial」と題したプロジェクトが立ち上がりました。これは、膨大な量の翻訳案件を短期間で捌くために、Tauyouという機械翻訳をプラグインしたmemoQ翻訳メモリソフトを使用して日本語を話さない現地従業員に英訳させ、その翻訳資料の精度を検証するというプロジェクトでした。とにかく日本語で書かれている資料は何でも知りたいと思われたシニア副社長の打開策だったのかも知れませんが、目標としていた精度には全く未達という結果で、約半年でプロジェクトが終了しました。翻訳は誰(機械も含め)でもできると思われがちですが、できないということが実証されてしまいました。 
 社内通訳・翻訳のメリットとは、報酬の安定、業務の幅広さなどがあげられますが、特に顔の知れた仲間と長期・短期のプロジェクトに参加できることが私にとって興味深い点です。2015年にキックオフされたPLM(製品ライフサイクル管理)システム統合プロジェクトは、親会社と子会社のシステムを統合させるためにプログラムを開発する業務で、現在も続いています。天才的なプログラマーのグループに入って通訳・翻訳に携わり、彼らとのコミュニケーションから刺激され学ぶことは計り知れないものです。徐々にプログラミング自体に興味がそそられ、現在では無料のオンラインコースで基礎を習得しながらPythonを学習中です。
 2020年1月に出図業務の依頼が舞い込んできました。出図とは、JIS規格によれば「登録した図面を発行する行為」と定義されていますが、使用するシステムによって難易度が異なります。日本の親会社のシステムに入って出図をする条件だったので、バイリンガルである私に依頼が来ました。計約300ページにも及ぶシステム教育手順書を読み、親会社の技術管理部に支援を頂きながらの該活動は丸1年続きました。結果、図面や3Dデータの修正法、部品表の構成や修正法などを学ぶことが出来ました。
 同年10月には、毎年ネバダ州ラスベガスで開催される電子機器の見本市であるCES(Consumer Electronics Show)に出展する技術紹介ウェブサイト、投稿ビデオナレーション、個人情報取扱規約などの翻訳依頼がありました。今年はコロナ禍の影響を受け100%デジタルでの出展イベントとなり、モノを展示できない代わりに言葉で全てを表現するというチャレンジは本当に学ぶことが多かったです。常に言葉に対しアンテナを張って適応する言葉を探し続けました。本プロジェクトを通して新たに気づいたことは、自分の翻訳成果物が実際にウェブサイトやビデオといったカタチになって残った時の喜びは、幸せホルモンを分泌する!ということです。良いモノを残すために次も頑張ろうと活力にもなります。
 その成果も実り、念願であったシリコンバレー拠点との活動も徐々に増え、現在は彼ら主催によるスタートアップ企業の分析に携わっています。製造会社は常に新技術の発掘に注力しビジネスモデルについて模索しています。そうした中、自分にできることとは「Annual Report翻訳」講座で培った知識を利用して、各企業の財務状況を分析することです。CEOのメッセージを熟読しその会社のビジョンやミッションを調査したり、貸借対照表などを読み込んで自己資本比率を算出したり、Annual Reportには貴重な情報が満載です。

今後の課題と夢:
 なぜ私は翻訳を続けているのでしょうか?それは、学ぶことがあるからです。作家・村上春樹さんの言葉をお借りして言うと、「翻訳とは、一語一語を手で拾い上げていく究極の精読」だからなのです。翻訳をしていると、いろんな新しい体験ができる、文章の勉強にもなる、頭の訓練にもなるし、それなりにカタチになって残る、おまけに一応はお金になるし、良いことだらけです。現在の職務能力の向上のみに留まることなく、更に知識習得や文章力向上のために書籍翻訳を継続し、シノプシスやエグゼクティブサマリーが効率的に作成できるように要約力の向上に努めたいと思います。そして、リサーチ能力向上対策として自然言語処理やプログラミングの学習へと拡大していきたいです。Pythonというプログラミング言語を習得し、ウェブスクレイピングや分析結果の見える化を実践していきたいと思っています。何事も自分の気づきが大切であり、その気づきをどのように理解し実行へ移すのか。これらの学びを通して、目まぐるしく変化するグローバル情勢への対応力を養うことが私の最終的なゴールです。
 翻訳家としての夢は、フリーランスで書籍翻訳を手掛けることです。具体的な目標は、良書を見極める知識も身につけ、年に1冊の本を翻訳することです。それは、他人の文体に自分の身体を突っ込んでみるという体験にとても興味があるからです。バベル翻訳大学院在学中に翻訳出版ワークショップに参画し、共訳を手掛けました。その経験を活かして、フリーランサーとして書籍翻訳へと活動を拡大していきたいと思います。

 

【プロフィール】
太田朱美:バベル翻訳大学院、特許・技術・医薬翻訳専攻修了。
ミシガン在住、自動車業界Tier 1サプライヤーにて社内通訳・翻訳者として勤務する傍ら、フリーランスの医療通訳として従事。駆け出し翻訳家、自己向上・改善を目指して奮闘中。