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やさしい日本語とは

2019/10/07

新連載
【特集】

『やさしい日本語』


やさしい日本語とは



猪塚 元 (いのづか はじめ) 日本語教育講師/東邦大学他講師
 

 「やさしい日本語」のとらえかた
 現状では最後にあげた文献等にあるように、「やさしい日本語」は基本的に「多文化共生」というコンテキストの中で語られ、「地域社会での共通言語」になりうるのは「やさしい日本語」であり、それが障害者や母語話者にとってもどのような意味合いを持つかが批判を含めて考えられてきています。それらの詳細は本にゆずり、今回は翻訳という観点からのアプローチをみていきます。

「やさしい日本語」と(機械)翻訳
 まず庵巧雄(
2016 p.186-7)にあげられている記事の見出し部分の原文とその書き換え翻訳を例として見てみましょう。
①は原文、②はそれを
officeの翻訳機能を使って英訳したものです。③は②の英訳を同じ機能で日本語訳し、④はその日本語訳③を英訳したものです。このあとは双方とも③④が交互に繰り返されるだけになります。

原文
①いつ起きてもおかしくない首都圏を襲う地震に備える
Prepare for an earthquake that could hit the metropolitan area at any time.
③首都圏を直撃する地震に備える
Prepare for an earthquake that hits the Tokyo metropolitan area.

書き換え
①東京などで地震が起きるかもしれないので、地震のときのために準備して下さい。
There may be an earthquake in Tokyo, so please prepare for the event of an earthquake.
③東京で地震が起きるかもしれませんので、地震に備えて下さい。
There may be an earthquake in Tokyo, so please prepare for the earthquake.

 ここでまず注目すべきなのは、①と③です。原文では①と③相違が大きいのですが、書き換えでは①と③の違いほぼありません。それに対して②と④の違いは、原文でも書き換えでもないのです。

 このことを極論すれば、原文の①のようないわゆる「凝った言い回し」をした文を書いても、英訳として伝わることは、それぞれの英訳がほぼ等しい(②≒④)ことから、③のような「平凡」な文とたいして変わらないのではないかということです。

 もちろん「だから機械翻訳はまだまだだ。」とか「その違いを出すのが翻訳者の力量でだ。」という観点からの見方をする人も多いでしょう。文学などの翻訳ではもちろんそれは重要なのは言うまでもありません。翻訳を含めて文章を書く人が目指しているのは、いわゆる「よい文章(翻訳)」です。ところでここで「よい」というのはどのような基準を想定してのことでしょうか。

文章を書くとき工夫すべきこと
 たとえばマニュアル、公用文などの実用的な文章においては、さきほどふれた文学作品などのようにその文体まで考えることが重要なものとは逆に考えることができます。そのような文章においては、「基本的に伝達される(したい、するべき)内容が同じもの」ならば「言い方を工夫する」さいに、いわゆる「凝った」すぐれた文章を目指すのではなく「極力シンプルな言い方」、それはまた「翻訳しやすい(誤解されにくい)」言い方をめざすという方向がありえるわけです。
公用文の例を庵巧雄(
2016 p.49-50)見てみましょう。

原文
①昼間に居宅外で労働することを常態としている場合
When it is normal to work outside of the residence in the daytime.
③昼間は住居の外で働くのが普通のとき。
It is normal to work outside the residence during the day.

書き換え
①昼、いつも外で働いている場合
If you are always working outside during the day
③日中はいつも外で働いている場合
If you work outside all the time during the day

ここでも先ほど同様で、原文では①と③相違が大きいのですが、書き換えででは①と③の違いほぼありません。それに対して②と④の違いは、原文でも書き換えでもありません。

 翻訳にとっての「やさしい日本語」はまずこのようなことから考えていくことができるでしょう。

翻訳からの「やさしい日本語」と日本語の能力
 ただし、いまあげた極力シンプルにするような「工夫」というのは、日本語における表現力を落とすのではないかという心配もあるかもしれません。このことに関しては今回は以下の引用を示すことにとどめ、次回「翻訳」にとっての「やさしい日本語」について。さらにもう少し踏み込んで考える際にふれることにします。

 庵巧雄(
2016 p.50)「母語話者は<やさしい日本語>を用いて外国人にたいする情報提供を実践することで、日常生活のなかで自分の考えを相手に伝え。説得する能力・スキルを磨くことができる。いわば「やさしい日本語」は「日本語表現の鏡」になる」(要約筆者)

参考文献
庵巧雄他編『「やさしい日本語」は何を目指すか 多文化共生社会を実現するために』2013 ココ出版
庵巧雄『やさしい日本語 多文化共生社会へ』2016 岩波新書1617
庵巧雄他編『<やさしい日本語>と多文化共生』2019 ココ出版 
注:庵氏は災害時における「やさしい日本語」と平時においての<やさしい日本語>を区別していますが、ここでは「やさしい日本語」統一しました。




【プロフィール】
猪塚元(いのづか はじめ)
上智大学外国語学部ロシア語
学科卒業、同大学大学院言語学研究科 
博士前期課程修了 文学修士
日本語教育能力検定試験 合格 
東邦大学等で講師
大学院では音声学の研究室に所属し10年ほど日本各地で方言の
フィールドワークに従事
大学院終了語、辞書出版社で露和・和露、英和・英英などの辞書の
編纂また情報処理振興事業協会でコンピュータ用日本語辞書の
プロジェクトに従事

 ●著書 
 (共著:猪塚恵美子)『日本語の音声入門』バベルプレス
 (共著:猪塚恵美子)『日本語音声学の仕組み』研究社
 (共著:井口厚夫他)『
Japanese Now(英文)』荒竹出版