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『総合的な翻訳による英語教育』第34回

2021/02/22

『総合的な翻訳による英語教育』第34回
 
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外国語の訳語と過剰使用 












  

 本稿では、翻訳語と翻訳表現に何を充当するかによって、同じ言語の語彙、表現に対する翻訳でも、その与える印象、インパクトが変わることを見ると共に、政治家やメディアが一般人には浸透していない外国語を頻繁に使う風潮についても触れたい。

どういう訳語を充てるか―その意図
 
 外国語の翻訳には、どういう訳語を充てるかが読者に与えるインパクトにも影響する。
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が女性に対する不適切な発言をした問題で、最初謝罪を容認したIOCが、日本だけでなく世界の批判の強さを受けて、absolutely inappropriateと姿勢を変えた。新聞によって、これを「絶対的に不適切」「完全に不適切」「極めて不適切」と訳語を使い分けている。「絶対的に不適切」>「完全に不適切」>「極めて不適切」の順に読者に与えるインパクトが弱まるのではないだろうか。そこに森喜朗会長が女性に対する不適切な発言への各社のスタンスの違いが見て取れる。

「助詞の使い方」でもスタンスの違いが見て取れる。
「女性を蔑視した発言」(=「女性蔑視発言」)と断定的に書けば良いところ、2月5日の朝日新聞朝刊1面は「女性を蔑視した受け取れる発言」。東京新聞も2面に「女性蔑視とも受け取れる発言」と書いている。徐々に及び腰な表現になっている。読売新聞朝刊は2面に「森氏発言『性差別』『時代遅れ』海外でも批判噴出」との記事を載せてはいるが、1面は「女性に対する自身の発言」、社会面は「女性に対する不適切な発言」と「蔑視」という言葉を極力避けていた。
 「森氏、会長辞任へ」を報じる2月12日各紙朝刊1面記事においても、毎日、朝日、東京新聞は「女性蔑視発言」と書いたのに対し、読売新聞は「女性蔑視受け取れる自身の発言」、日本経済新聞は「女性蔑視受け取れる自身の発言」、産経新聞は「女性蔑視ともとれる発言」と及び腰な感は否めない [1]

 客観的に情報を報じると一般人には思われているメディアにおいてさえ、日本語における微妙な差異がこのように意図を隠して使われる。海外のニュースを翻訳する場合にも、訳者ないし所属企業の「立ち位置」が訳語や助詞などの文法要素を含む翻訳表現の選択に影響を及ぼすことが少なからずあるのだ。このため、読者もその意図を読み込まなければならない。文字通りに受け止めるのは危険だ。翻訳者も「意図しない意味合いを盛り込んでしまわない」ように、訳語訳文が含みうる「意図」を吟味することを翻訳作業の一環として良いのではないだろうか。

和製英語
 
 通訳者は海外で通じない和製英語 [2]が英語で何と言うかを知っていないといけない。
 モーニングコール(wake-up call)、トランプ((playing)cards)、ノートパソコン(laptop computer/notebook computer)、ガソリンスタンド(gas station/filling station)、コンセント(outlet/plug/socket)、ミス(mistake)、デメリット(disadvantage)電子レンジ(microwave)など多数ある。なお、「クーラー」(air conditioner)が「エアコン」に改められるなど、長年使われた和製英語が(日本語読みではあるが)英語に変わったものもある。ただし、日本語における長い語彙の「短縮化」プロセスにより「エアコンディショナー」ではなく「エアコン」になっている。この日本語における長い語彙の「短縮化」は、語彙の長さがコミュニケーションの際に煩わしい、新聞などの文面においてスペースを取り過ぎるなどにより、生産性の高い「規則」として、新語や外来語にまで新規に適用される。
 「コンビニエンスストア→コンビニ」、「デパートメントストア→デパート」、「パーソナルコンピュータ→パソコン」、「チョコレート→チョコ」など、日常生活に欠かせないものが溢れている。これらは「ストライキ→スト」に見られるように、英語だと1音節で発音されるものが、日本語では5音節になって、煩わしいから短縮されたケースに近い。ただ、かつて「ハンスト←ハンガーストライキ」中に、テントの中で隠れてパンなどを食して「パンスト」と揶揄される例もあったが、これだと女性の履く「パンスト←パンティストッキング」と紛らわしい。なお、「アルバイト→バイト」は元々ドイツ語を学ぶ学生が(独語arbeit「仕事、職」を短縮して)使ったものだ。
 日本語の短縮語は新聞などに見る「公正取引委員会→公取委」、「厚生労働省→厚労省」「労働組合→労組」、「国際連合→国連」など膨大だ。「被害者→害者」は警察関係での隠語、「警察→サツ」などは暴力団などの隠語だ。
略語とは思われないものもある。「食パン」は「主食用パン[3]」、交通機関「バス」は「オムニバス[4]の略語だ。ただし、映画や音楽で「複数の作品をまとめ1作品としたもの」を表す「オムニバス」は略語にしない。また、「合コン」は「合同コンパ」の省略だが、「コンパ」という言葉も英語の「company」の略語であり、この場合は「交際」や「付き合い」という意味。なお、com-panyは「一緒に-パンを食べる人」が原義。I like your company.を学生は「会社が好き」と訳す。その意味もあるのだが、your companyは「あなたと一緒にいること」の意味もあるので、「一緒に居たい」と訳したい。

外国語の使い過ぎ

 ネット社会になってから、やたらに略語英語がメディアで使われることが多い。日本語の短縮語は表意文字の漢字により意味が自明だが、表音文字の欧米語の短縮語は意味を持たない要素から成るので、その意味を覚えていないと使えないし理解できない。
 ICTはinformation communication technologyの頭文字を繋いだ略語だが、「情報通信技術」の意。SNSはSocial Networking Serviceの略で、登録された利用者同士が交流できるWebサイトの会員制サービスのこと。こうした略語英語の使用は、日本社会においてその概念が一般人の間に十分に広まっていることが条件になる。最近、「SDGsな未来」、「ESGな企業」という言葉がメディアでも使われる。SDGsはSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略。「ESG」は、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字を取って作られた言葉。近年では、この三つの観点から企業を分析して投資する「ESG投資」が注目されている。また、環境や社会に関して注目を集めているもう一つのキーワードが「SDGs」だ。企業人や知識人には通用するが、街で訊いて答えが多く返ってくるほど一般化はしていない。「持続可能な未来」、「環境に優しい開発」などみんなに何となくでも分かる言葉を使いたい。
 東京都の小池知事は英語を多用するが、多くの国民にはさっぱり分からない。「スマートシティ」「リデュース」「ホイッスルブロワー」「ワイズスペンディング」「オーソライズ」「オーバーシュート」と横文字を連発するが、「なんのこっちゃ」というのが茶の間の声だろう。「ロックアウト」とも言ったが「ロックダウン」が正しい。中途半端な英語の知識をひけらかし市民を煙(けむ)に巻くのは心ある情報発信ではない。もっとも、官僚はそれが得意技である長い伝統があるのだが。
 河野大臣は、ワクチン接種に関して、「ベネフィットとリスク」という言葉を2月16日の記者会見で述べていた。小池節よりはマシだが、戸惑う国民も少なくないだろう。生命にも関わるコロナの予防の切り札だけに、中高生以上の全ての国民に理解できる言葉で伝えなければならない。小池二世というか二番煎じに映る。

「ソーシャル・ディスタンス」≠「パーソナルスペース」

 2020年早春からの異変がある。「三密[5]」「飛沫」「ソーシャル・ディスタンス」(social distance)がキーワードになりコロナ禍の社会で広まり「何とか警察」が蔓延る事態を生んでいるが、この言葉は「飛沫の飛散距離」に基づいて生まれた新製用語である。コロナが終われば消え去る言葉だ。
 類似語に「地域や文化による人と人との距離の違い」について社会心理学で使われたパーソナルスペース [6]personal-space)という言葉がある。これは消えることはない。対人距離( 個体距離、パーソナルエリア)とも呼ばれる。他人が自分に近づいたときに不快に感じる個人的空間範囲のことだ。異文化コミュニケーションで外国人と接する場合、是非心得ておくべきだろう。
 親しい相手や好意を持っている相手、特に恋人や家族など親密になるほどパーソナルスペースの範囲は狭く(近くにいても気にならない。むしろ心地良い)、逆に見知らぬ人や好意を持っていない相手、特に嫌いな人になるほどパーソナルスペースは広くなるし、近くにいたら不快になる。パーソナルスペースに侵入してくると、防衛反応が働いて人は不快感や嫌悪感を示す。一般に女性よりも男性の方がこの空間は広いとされているが、社会文化や 民族 、個人の性格やその相手によっても差がある。
 相手(友人を含む他人)と話す場合、欧米人は手を軽く伸ばした距離で話すが日本人はその半分のほどの距離で話す。これに対し、アラブ諸国では鼻先で相手の匂いが嗅げるほどの距離で話さないと、相手と信頼関係があるとみなされない。もちろん、男女間や家族間では違ってくる。欧米人はアラブ人が近付き過ぎると身の危険を覚え不安を覚える。お互い意図しなくても民族間の異文化衝突になるのだ。

              パーソナルスペースの種類

1966年アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールがパーソナルスペースを以下の4つに分類。
密接距離(0~45cm):恋人や家族など極めて親しい人のみが入ることを許される範囲。
個体距離(45cm~120cm):お互いの表情を容易に読み取ることができる友人との会話に適した距離。
社会距離(120cm~360cm):同僚や上司・取引先と机越しの対面で商談するのに適した距離。
公衆距離(360cm以上):講演会や演説などの公式の場で演者と聴衆との間にとられる距離。


 

[1]  こうした読売新聞の記事のスタンスは、2016年6月 読売新聞グループ本社会長を退き、読売新聞グループ本社代表取締役主筆となった渡邉恒雄氏が、中曽根康弘元首相など政界と太いパイプを持ちメディア支配してきたことと関連するかもしれない。

[2]  和製英語:英語風に聞こえる日本語のことだが、海外では通じない。大概が日本にはない概念をメディアとかが造語して広まったり、特定のサービスや商品の商標名が一般に浸透したりするものなどがある。

[3]  日本に食パンが広まったころに海外で広く主食とされていたパンのスタイルだったことから「主食用パン」と名付けられ、現在では「食パン」と略されている。

[4]  元々はラテン語で「全ての人のために」という意味の形容詞omnisの複数形与格omni‐busだが、「大勢で乗れる馬車」の誕生がきっかけで、「乗合馬車=オムニバス」となり、末尾の屈折辞busだけで「バス」の意味になった。

[5]  密閉、密集、密接

[6]   パーソナルスペースは性別や年齢によっても範囲や大きさが違う。
 

 


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。