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『総合的な翻訳による英語教育』第32回

2020/12/22

『総合的な翻訳による英語教育』第32回

翻訳の効用と技量












  

近年翻訳書が増えている

 近年(SF書などをはじめ)文芸翻訳書が増えている。AI学習機能により精度が最近飛躍的に向上した(Google翻訳など)自動翻訳が活用されるようになっても、文芸翻訳には翻訳者の言語的なセンスと社会文化的な知識と個性的な視点が反映される。これには自動翻訳では到底太刀打ちできない。

 読売新聞に下記の記事があった。

      柳美里さん全米図書賞受賞「福島移住で生まれた作品」
 米国で最も権威のある文学賞「全米図書賞」が発表され、翻訳文学部門で福岡県在住の作家、柳美里さんの小説『JR上野駅公園口』の英訳版が選ばれた。『JR上野駅公園口』は福島出身で上野のホームレスになった男の物語。家族のために出稼ぎを長く続けながら、厳しい生活に追い込まれた人生を通し、経済成長を優先した日本の戦後や現代の格差社会を問い直す。東日本大震災後、福島の住民と交流を重ねた経験が色濃く反映された作品だ。日本で2014年に出版後、モーガン・ジャイルズさんが翻訳した。(読売新聞2020.11.19より抜粋)

 この小説自体が著者の生きた時代の経験と苦難を生きる住民との交流を反映したとあるが、米大学日本語科を卒業し早稲田大学院に在籍するジャイルズ [1]氏が著者の経験と社会への問いかけを英語国民も実感できるように翻訳したものだからこそ、栄誉ある文学賞を得られたのだろう。原著がいかに名訳になるかは翻訳者の力量がものを言うのである。

 フランス文学者、随筆家の辰野隆 [2]氏は、「外国語は「翻訳」してはじめて分かる」とし、次のように記した。

 外国語を外国語として読んでいる段階と日本語に落としてようやく分かった「腑に落ちる」。翻訳してこそ、彼我の文化的背景の差も踏まえた深い理解がしっかりとできるのだ。(解体新書TV)英語を英語のまま理解はできても浅いレベルの理解に留まる。

 「英語を英語のまま理解する」のが良いとする向きがある。「英語のメンタリティーでの理解」ということだ。確かに、(原作を一応読める場合、)「原語のメンタリティーでの理解」があると思う。しかし、母語である「日本語に落としたことで、腑に落ちる」ことも事実だ。

「文法訳読」で鍛えられる読解・翻訳力 

 学校の授業では伝統的に用いられてきた「文法訳読」という教授法においては、学生に訳させることにより、学生が本当に理解しているかどうかを教師が確認でき、学生が躓いた英文を取り上げて構文や語彙の解説を加え、模範訳を提示する。学生は英文を和訳するにあたって、構文解析した上で訳語を選択し訳文を練り上げるが、その際、社会、文化など諸々の差異を斟酌する思考プロセスを経験する。学生にしても「母語に訳す」という思考鍛錬プロセスが真の理解には必要なのだ。
 たとえ原作をそのまま読めたとしても、理解が不十分になることが少なくない。翻訳書というのは、読者に代わって訳者が原書を深く読み込んだ果実という面もある。翻訳者はそうした役割を担っているのだが、翻訳の過程で言語的なセンスだけではなく訳者の視点や理解を訳に盛り込むことになる。訳者がそうしたことができるようになるのは、学校教育の中で「文法訳読」の授業を受け、社会、文化などの差異をじっくり考慮して翻訳する術を鍛えられたためだ。日本人にとって「文法訳読」の授業が英語を習得するのにいかに有効だったかは、これにより養われた高度な英文読解力に示されており、難関大学の受験校ではコミュニケーション英語の時間を「文法訳読」にかなり割くことが常態化している。

アクティブラーニングには条件がある
 
 1980年代後半頃から英語教育研究者や教員は、英会話・英語コミュニケーションに舵を切った文科省の影響もあって、その効果を分析しないまま頭から「文法訳読」を否定する傾向が強まった。教師が教えるより学生の発言を重んじる「アクティブラーニング[3]」など、新しい教授法に飛び付く教師も多いが、学生が英語で発言しようにも「英語は文法基盤がなければ使えない」。ほぼ決まりきった表現のキャッチボールをさせ、「学生主体のコミュニケーションができた」と自己満足している教師もいるが、英語で自由闊達にコミュニケーションできているわけではない。それぞれの学生が「自身の経験や発想に基づいて母語で発言できる」ほかの(社会問題などを扱う)教科とは違うのだ。「アクティブラーニング」が有効に機能する教科とそうでない教科を峻別しなければならない。それを錦の御旗のように掲げ、「教えるべきことを教えない」教師は、教育者としての使命を果たしていない。

翻訳の個性と通訳の臨機応変

 翻訳と通訳は英語に関わる専門職として関心は高いが、それぞれ訳読におけるような何段階かの基礎作業がある。第一に原文に沿った忠実な訳を作成し、これをより自然な訳文に改める作業が必要になるが、どれだけ自然な翻訳になるかは訳者の個人的な感性に依る。芸術的なセンスがあれば、文芸作品などの翻訳が向いているだろう。「文章が自然かどうか」より「翻訳が正確かどうか」が重要な、科学や経済と政治といった分野の場合、その分野の専門知識と用語/表現の知識 [4]にそれなりに精通していることが翻訳者に求められる。
 通訳の場合には、特に俊敏さと正確さが必要になる。もちろん、専門分野の場合、その分野の専門知識と用語/表現の知識もいるが、訳文の自然さはそれほど求められない。なお、日韓通訳や英仏
[5]通訳など、近似言語間の通訳は語順なども同じなので、聴こえた文の流れに沿って訳せば良い。このため、作業負荷はさほどでもないが、日英語間通訳は基本語順だけでなく修飾語句の位置も逆転するので、リアルタイムの処理は尋常では考えられないほどの注意力が必要となる。

どこまで原文を翻訳に反映できるか
 
 翻訳や通訳においては、「論理的な意味」以外に「文化的なニュアンスを含む意味」があり、さらに場合によっては、(漢字、仮名などの)視覚的表現形式や(俳句などの七五調の)音調形式、(擬音擬態語による)音韻象徴など「媒体形式に随伴するイメージ」まで移せるのか、ということも問題になる。通常、論理的な意味は伝えられるが、同じ言語グループなど、よほど近似した言語でない限り、言語形式や音韻のイメージ(「音象徴」)まで移すことは困難である。ただし、欧州の言語
[6]は印欧語族の中の欧州の三大グループ(ゲルマン語派、ロマンス語派、スラブ語派)と先住ケルト民族の言語などに分類できるが、同じグループの言語は方言の違いを超えず、翻訳や通訳の必要がないことも多く、言語形式や音韻のイメージまで移すことさえ可能なこともある。

異質な文化参照枠に沿った翻訳・通訳
 
 翻訳・通訳というのは、ただ原文の意味を言語的なレベルで目標言語に訳出することではない。自然な意訳になっていなければならないのだ。「自然な意訳」というのは、日本語の表現として自然なだけでなく、特に、日本人の文化・社会的な背景知識において、正しく文意が理解される日本語(意訳)になっていることも重要だ。これは訳文の日本語を読む者が原文の英語の意味を日本の文化・社会的な背景知識に照らして理解できるように、「文化・社会的な背景知識の転換」を行なうということである。翻訳・通訳は、原文を目標言語の文化的な環境において適切に機能(=理解)できるようにする作業だ、と言っても良い。そこに翻訳者の知識と個性と技量が反映される。
  


[1]   翻訳家(女性)として、柳美里、山崎ナオコーラの作品を手がける。アメリカ・インディアナ大学日本語科卒。現在、早稲田大学大学院に在籍。

[2] たつのゆたか、1888-1964。東京帝国大学教授。初めて本格的にフランス文学を日本に紹介。

[3] 「主体的・協働的な学習・指導方法」として1990年代に欧米の高等教育を中心に普及した学習・指導法。認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の養成を図るとして、次期学習指導要領では小中高にも適用しようとしているが、英語のような極端に異質な外国語の授業に文法・語彙が未習熟の生徒が対応できる学習法ではない。 

[4]   ただし、専門用語や表現の知識は、自動翻訳を一次訳に使えば、かつてのように翻訳者自身の知識はあまり要らないので、多様な専門分野の翻訳に対応できる。

[5]   本来、英語はゲルマン語だが、歴史的に英国が1066年のノルマン征服により300年ほどフランス語が公用語になったことから、非日常語彙のほとんどがフランス語に占められ、名詞句内の性の一致や格変化の消滅、準動詞構文の導入など、フランス語化が進んだ。

[6]  スペイン、ポルトガルによる16世紀の征服以降、(先住民の言語を残す辺境地域もあるが、)両国の言語が中南米の母語となっている。


 


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。