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『総合的な翻訳による英語教育』第26回

2020/06/22

『総合的な翻訳による英語教育』第26回












  
 

MTの高度化と日本語
 
 翻訳は原文の難易度によって訳文の精度も変わる。このため、MTの翻訳精度が低かった1990年頃にはMTの処理しやすい「規格化日本語」が提案された。しかしながら、その「型にはまった日本語」への書き換え作業が膨大な時間を取ることになり、結局そうした原文のMT処理前の編集は行われなくなった。1995年頃には専門辞書の強化によって分野特有の語彙や表現を利用できるように補強されたが、(AI機能を擁しないことから)あくまでも言語レベルの翻訳で、人間のように社会常識や背景文化さらに文脈情報に照らした翻訳はできなかったので、翻訳精度の最も高いソフトでも、(文書の分野や文の難易度にもよるが、)日英翻訳は60~70パーセントほど、英日翻訳は75~85パーセントほどの翻訳率に留まった。(もちろん、日韓、英仏など近似言語間の翻訳は95%の翻訳率だった。)ところが、2010年代後半になると、AIによる深層学習(deep learning)の進展により、文脈情報もしくは場面情報をある程度反映した翻訳ができるようになり、Google翻訳では翻訳精度が日英で80パーセント台、英日で90パーセント後半に迫るレベルになってきた。中堅大学の最上位学習者に迫るレベルだ。


日本語のバリアフリー化

 
 しかし、そこで使われる日本語の訳語は小中学生や日本語を外国語として習得したアジア系を主体とする外国人 にとっては難しいものだ。ところが、それは外国人
[1]にとってだけではない。近年、日本の中学や高校では(国語や数学などの)試験の問題文の日本語が読めない(従って、問題文の意味が分からない)生徒がかなり増えていることが問題になっている。そうした日本語能力の落ちている状況では、外国人だけでなく多くの若い世代の日本人にとっても、機械翻訳の活用においては、原文でも訳文でもなるべく平易な日本語であることが求められるのだ。 

 暮らしや安全に直結する行政情報を、日本で暮らす外国人にやさしい日本語で伝えることの重要性が高まっている。これからの日本語はある意味バリアフリー化する必要があるのではないだろうか。「やさしい日本語化支援システム」プロジェクトでは多言語音声翻訳が注目されている。最近はWebサイト翻訳の提供を開始した自治体が出ている。たとえば、綾瀬市には、多くの外国人市民が生活しているが、特定の国・地域への偏りが少なく多国籍に分散しているため、“言葉の壁”への対応が課題となっている。そのため、市役所窓口における“言葉の壁”の低減を目的に、平成29年度から平成30年度まで「自治体向け音声翻訳システムに関する研究開発」
[2]の実証利用を行い、平成31年度からは本格導入に移行し、窓口サービスの向上に取り組んでいる。

翻訳文化の伝統
 
 「社会」や「自由」など、明治に入り外国語の翻訳の中でつくられた。社会という言葉はsocietyに当たる言葉が日本人の文化の中になく新たに生まれた言葉だが、翻訳文化の始まりの時代、外国語をそのままカタカナで表記することはなかった。福沢諭吉は漢語を基に英語の訳語を考案した。しかし、このような翻訳語を生み出す中で、明治初期にはお雇い外国人を多数抱え、外国語で行なってきた大学の授業も、明治後期にはほとんどが日本人による日本語の授業の転換できたのである。

 政治や行政の言葉には、一般の日本人にとって馴染みのない英語が使われることが少なくない。新型コロナウイルスのニュースに「ロックダウン」(lockdown「都市封鎖」)とか、「アラート」(alert「警戒警報」)などが出てくる。これは外国語好きの小池都知事が使った言葉だが、何も英語でなくていい。「クラスター」(cluster)も「(感染)集団」の方が分かりやすい。「ソーシャル・ディスタンス」(social distance)「社会的距離」ないし「人との距離」でいい。なお、仕切りのビニールや透明板などを「パーテーション」と呼ぶことが定着している。だが、partitionは音声を映して表記すれば「パーティシュン」だ。せめて「パーティション」としたい。「パーテーション」と聴くと、気持ちが悪いというか違和感がある。これも「仕切り」で良い。外来語として日本語に定着していない語を英語のまま使い、強引にカタカナの日本語にするのは、役人が一般人に分かりにくいように英語を使う手法だが、こうした風潮は日本人の言語生活に悪影響を及ぼしていると思う。外国語を翻訳するなり対応する日本語を使う。それが日本の良き伝統であり守るべきものだ。

活字を読む行為
 
 「活字の学び」の中で鈴木るりか氏(2017年、中学2年でデビュー。「さよなら、田中さん」は10万部超のベストセラーに。)は下記のように述べている。

 活字を読む行為は一見、静かな営みですが、実はアグレッシブな精神活動だと思っています。音楽や映像は、電源を入れれば自然と耳や目に入ってきます。本を読む時は文字を追い、言葉を理解し、文章を読み解き、展開を予想し、わからない語意を調べます。集中力のいる、面倒な作業です。現代は本を読むより刺激的なコンテンツがあふれており、本が打ち勝つのは難しい面もあります。若者の読書離れが叫ばれて久しく、「本を読まなくても生きていける」と言われたら、それも事実ではあります。

 でも、折に触れて何度も引き戻されるような、人生に大きな影響を与える1行や言葉に出会う体験を、読書で得ることができます。私にとっては、坂口安吾「不良少年とキリスト」の「人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。(中略)いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ」と、太宰治「葉」の最後の一文、「どうにか、なる」がそうです。この言葉を思うと、大抵のことは、乗り切れます。

 文章力、国語力は天性のものではなく、活字を読むことで後天的に身につきます。読んだり書いたりすることに、年齢の早い、遅いは関係ありません。メールやSNSでも、伝える力は必要です。ちょっとした手紙を書く時、心と文章がぴたりと合うと気持ちがいいものです。表現力、語彙力が豊かになると、自分自身も楽しくなります。今は、スマホやタブレットで小説を読む人もいます。デジタル機器は読書の時間を奪う敵と見るのではなく、共存できればいいと思っています。電子書籍を先に買ってから紙の本を手元に置きたくなり、後から買う人もいます。現代には現代の読書スタイルがあります。それぞれの生活に合わせて、うまく活字を取り入れてほしいです。

[論点スペシャル]「活字の学び」魅力と大切さ(読売新聞2020.6.12)より抜粋。

 ただ、残念なことに、(毎日平均7時間も使う女子高校生
[3]にみられるような)スマホ依存の生活が若者の読書離れを加速し、短文中心のツイッターなどによるスマホでのやりとりが、読解力を大きく劣化させたと思われる。
前々回の稿でも引用したように、

 小中学生と大学生合わせて4000人を対象に語彙量を調べたところ、中学3年生の平均点を下回る大学生が散見されるという。調査した中央学院大学の田島ますみ教授(53)は「今の大学生は感覚重視で、論理性や理屈が希薄。だが、社会に出れば、友人だけで通じる言葉は受け入れられず、説明力や理解力が求められる。すごい、やばい、エモいだけで成り立つ会話の次元から脱却し、場面に応じて言葉を使い分けてほしい」と話す。

(読売新聞2020年3月28日『国語力が危ない-現代の「あわれ」拡散』)

 子供の読解力低下が懸念されている中、活字の大切さが改めて見直されている。経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査(PISA)
[4]では、本や新聞に親しむ子供の読解力が高い傾向にあることも分かっている。しかし、スマホに生活が蝕まれている生徒は読書に割く時間もなく乏しい日本語知識しか期待できない。それでも平易な日本語で良いので、論理的に使えるようになって欲しい。

                    付言
正常な生活様式に向けて

 コロナの時節、「マスク」の着用が、「ソーシャル・ディスタンス」(social distance「社会的距離」と共に、言わば「社会的脅迫」のようになっている。店に入る時にマスクをしないと白い目で見られるので、マスクをせざるを得ない。しかし、ほかに同乗者のいない自身の車の中や普通に一人で外を歩いている時にマスクをするのは合理性のないことだ。夏にかけてマスクをする¬のは不快であるし熱射病の危険さえある。

 宮沢孝幸京大准教授(ウイルス学)は、コロナウイルスは空気感染しないので、「新しい生活様式意味なし」と断じ、ソーシャル・ディスタンス」は必要ないと言い続けている。「レジは間をあけて並ぶ」「席を1つあける」「すれ違う時に距離をとる」など、言わば常識になっていたことも、意味のないことだ。要するに、飛沫が飛ぶような行為をしない限り、必要ないのである。准教授は、「唾液による感染を防ぐには飲み会やカラオケで騒ぐのをやめればいい。大勢の人が集まっても、黙っていれば大丈夫で、電車や映画館では感染は起きない」と強調する。対面で「大声で話す」とか、室内で傍に人がいるときに激しい運動をして「はあはあ」息をすることは避けなければならないが、道路でマスクをしてマラソンはできない。人にあまり近づかない配慮で良い。中国ではマスクをしたまま運動した中学生が何人も死亡している。マスクをしていない時に、人前で「くしゃみする」「咳き込む」ような時には、手や腕やハンカチで口を押さえればいい。

 西浦博北大教授(理論疫学)は、「対策をまったくとらなければ、国内で約85万人が重症化し、うち約42万人が死亡する恐れがある、ただし、人との接触を8割削減すれば、約1カ月後には流行を抑え込める」と試算を公表した。新型コロナへの過剰な恐怖心を煽られた人たちは、彼の数理モデルに恐れをなして経済を止めてしまい、その不安心理は政治の決断に影響を及ぼした。教授の試算は要因分析が単純すぎると批判されている。吉村大阪府知事の「外出自粛の効果はあったか」との質問に、阪大核物理研究センター長中野貴志教授は「他者との接触を8割減らすスローガンなども、データ上はその効果は確認できない」と言う。多くの感染者を出した夜の男女の濃厚接触のクラブや密集して叫び合うライブハウスなど以外、合理的な飛沫対策をしっかりすればほとんどの飲食店は休業要請はいらなかったのだ。

 そもそも日本で感染が欧米と較べ桁違いに少なかったのは、欧米人のように、他人の頬へキスの挨拶、握手やハグもなければ、会話時に鼻先まで顔を近づけて、(唾が飛ぶこともある)強い破裂音を伴う発声をすることもない。家では靴を脱ぎ、ほぼ毎日シャワーか入浴する。下着も変える。トイレの後で手を洗う。花粉症や風邪の予防にマスクをする。こうした大方の日本人の生活習慣がコロナの感染拡大を抑えてきたのだ。




[1] 
  海外の日本語学習:国際交流基金の18年度の調査によると、世界の日本語学習者は385万人になっている。中国100万人、インドネシア70万人、韓国53万人、オーストラリア40万人、タイ18万人、台湾17万人、米国17万人ほか、アジア諸国とブラジルがこれに続く。初等教育34万人、中等教育170万人、高等教育98万人、学校教育以外83万人だ。

[2]   「自治体向け音声翻訳システム」(音声翻訳システム「VoiceBiz」を本格導入)は、国(総務省・国立研究開発法人情報通信研究機構)が“世界の「言葉の壁」をなくす”ことを目標とする「グローバルコミュニケーション計画」として、産学官連携によるオールジャパン体制で実用化を目指しているもの。
対象言語:当初は英語・ベトナム語の2言語。途中から、中国語・ハングル・タイ語・インドネシア語・ミャンマー語・ブラジルポルトガル語も追加され計8言語。一部の言語には、最新のAI技術(ニューラル機械翻訳)を搭載し、大幅に翻訳精度が向上(英語はTOEIC900点相当)。

[3]   女子高校生の1日のスマートフォン使用時間は平均7時間で、15時間以上使用する生徒は9.7%に上る。「デジタルアーツ」社が2015年2月9日に発表した調査で分かった。…1日の平均使用時間は、小中学生が2時間未満、男子高校生が4.1時間で、女子高生が飛び抜けて長い。(JCASTニュース2020/4)

[4]   PISA(ピザ):15歳を対象に、実生活で知識を活用する力を測る調査。読解力、数学的応用力、科学的応用力を3年ごとに調べている。2018年は79か国・地域の生徒が参加。日本の読解力は前々回(12年)の4位、前回(15年)の8位から急落して15位で、06年と並ぶ過去最低となった。


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。