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『総合的な翻訳による英語教育』第25回

2020/05/22

『総合的な翻訳による英語教育』第25回












  
 

アクティブ・ラーニングは基礎的な学力が前提
 
 文科省が「教員が一方的に教える」のではなく「生徒が自主的な思考を通して能動的に学ぶ」アクティブ・ラーニング
[1] を教育の根幹に据えたことにより、多くの学校で授業形態が変わってきている。具体的には生徒による体験学習や教室内でのグループ・ディスカッション&ワークを中心とするような授業だ。しかし、学びによる基礎的な学力と知識がなければ、それぞれの生徒の豊かな経験を背景とする自主的な思考は望めない。また、教員がしっかりと教えて基礎学力を身に付けさせなければ、生徒自身では習得の困難な科目もある。アクティブ・ラーニングは決して万能ではないのだ。

 劇作家山崎正和氏は「言語力あっての表現力」(「地球を読む」)の中で、次のように記している。(下線筆者)

 文部科学省は、生徒の論理的な国語力の向上を目指す傍ら、主体的な表現力の育成を図るとして、2022年度から高校国語の新しい学習指導要領を実施する。その目玉が選択科目「論理国語」の新設で、従来の名文読解の指導、教師が読み方を教え込む教育から、生徒に考えさせる教育への転換だと言われる。これには文学関係者の危惧が強く、特に近代文学の名作の軽視につながるという批判が、文学を研究する16の学会から出された。
 だが、冷静に考えると、新政策の真の問題点は、その結果、夏目漱石や森鴎外が忘れられるということにあるのではない。文豪は知らなくても、正確に企業の報告書が書け、新聞記事が読める人材が増えれば、公教育の最低基準は満たされたと言えるからである。むしろ大問題は、文科省そのものが言葉の本質を正確に捉え、現場の教員に迷いない言語観と教育法を伝えているかどうかにある。
 危うさは、すでに「論理国語」という用語法自体に表れている。百歩譲ってそれを叙事的な言葉と理解しても、それと反対語の叙情的な言葉との関係は、冒頭に述べたように複雑微妙である。一方、大衆的な流行語は「カワイイ」とか「ヤバイ」とか、情緒的な述懐の氾濫を見せている折から、「論理国語」がその撲滅を意図しているなら理解できるが、そういう気配も感じられない。
 何よりも文科省の言語観の浅薄が感じられるのは、生徒の表現能力を過信し、自由な発表活動を教育の中心に据えようとしていることである。人間は自由に感じたり、考えたりしたことを話すのではなく、まず言葉を与えられ、それによって物事を感じ、考える存在であることが、ここではまったく忘れられている。さらには、表現という営みが極度に安易に捉えられ、言葉を知らない乳児でもできる、むずかりや甘えと同程度にしか理解されていないと言うべきだろう。
                「地球を読む」読売新聞 4/20(下線筆者)


 社会や理科などの科目には、比較的に短期間で学んだ基礎知識や自身の経験を基に、生徒がネット情報などを調べたり現地調査や体験学習をし、それを踏まえたグループ・ディスカッション&ワークにおいて調査結果や生徒それぞれの体験談さらに自由な発想・提案などを個人や班が発表することで、深く学んで行くことができるテーマ(温暖化、海洋プラスティック、食品廃棄、スマホ利用のあり方など)がいろいろある。
 しかし、言語、特に外国語はその言語基盤がしっかりしてないと使えない。文法や語彙が極めて近い「日本語と韓国語」もしくは「英語とフランス語
[2] 」の場合は、それぞれの言語を母語とする話者が母語の文法と語彙を活用して目標外国語をかなり短期間に話すことができる。韓流スターが日本語が上手いのはそのためだ。また韓国では高校で二つの外国語が必修だが、反日教育下であっても、ほとんどの生徒が第二外国語に日本語を選んでいるのは学びやすいためなのだ。また、「冬ソナ」 [3] の俳優ペ・ヨンジュンに夢中になった中年のおば様たちが、ほんの数週間家で韓国語を学んだだけで、現地での買い物など簡単な会話を楽しめたのも同じ理由による。
 ところが、日本語や韓国語と英語は世界の言語を6つのグループに分けた場合、最も離れた言語のため、系統的に近いゲルマン語族や(歴史的にフランスの王朝に支配され300年ほどイギリスの国語となったことのある)フランス語を母語とするフランス人が英語を学習する場合と比べ9~12倍前後の時間を要する。日本人が英語の学習に中高大8年間学んでもなかなか話せるようにならなかったのはそのためだ。日本人が外国語音痴でもなければ、批判されてきた「文法訳読」法など、教え方も関係ない。英語教育が小学5年からになっても、(3歳頃から6歳頃までの母語に準じる形で自動的に習得可能な「言語習得期」を過ぎているため、)基盤となる文法・語彙力の育成には時間がかかるのである。特に、類似した文法装置が母語にない(節境界を超える瞬間的な移動処理を要する)疑問詞/関係詞の「WH移動」や「数の一致」などの操作は、言語習得期以降の学習ではどんなに頑張っても、半意識的に行うのが関の山で、母語話者のように無意識な処理はまず望めない。
 もちろん実際の助詞、接続詞など語彙の音形は違うし用法も若干異なるが、文法の95%は同じで、漢語を背景とした語彙はいずれも日本語と意味範囲、用法も共通だ。中国からの借入の時代や地域によって漢語の音読みが異なるものもあるが、韓国語と日本語の(韓国語では、ビザがピジャになるなど、「子音と母音の間にyを挿入する」のでこれを直すといった)一部の音韻対応を調整すれば、母語の語彙知識がそのまま使える。日常語彙は新たに覚えなければならないが、数百語の基本語を覚えるのにさほど時間を要しない。2、3か月学習すれば、買い物や旅行には困らない。1、2か月すれば授業で対話式のアクティブ・ラーニングが可能だ。教員はアドバイスだけで済む。
 しかし、日本人や韓国人が英語を学ぶ場合、文法の全てと英語由来の(日本語ではカタカナ表記)外来語を除けば、語彙の全てが違う。膨大な文法装置と語彙を習得し、脳内処理メカニズムを新奇に構築しなければ英語は使えないので、高校2年後期以降でなければ本来のアクティブ・ラーニングはできない。難関大学の受験を目指す高校や進学塾では文法読解力を伸ばすために、英語コミュニケーションの時間でも文法訳読式の授業を行い英語力の基盤を育成している。
 「言語力あっての表現力」でも下記のように指摘されているが、

 「
人間は自由に感じたり、考えたりしたことを話すのではなく、まず言葉を与えられ、それによって物事を感じ、考える存在であることが、ここではまったく忘れられている。」

 そのことを理解せず、何でも「アクティブ・ラーニングが新しい優れた授業の姿だ」と思い込んでいる文科官僚
[4] と言語習得に対する学術的知見を欠き同じ思いに憑りつかれている教員が少なくない。だが、主要な文法装置の教育も(その仕組みのエッセンスを真に理解しないまま、)関係する用例が出るごとに教科書に断片的に書かれている「説明を文字通りなぞるようにざっと読む」に留まる。後の授業は用例をそのまま使う形の「生徒のグループ対話」に委ねる。英語の言語基盤の乏しい生徒がいわゆるグループ対話をしたとしても、習い覚えた限られた定型表現のキャッチボールに過ぎない。「文法知識を活用して新奇な発言を交わす」ことにはならないのだ。生徒が、対話したり本を読むことを通じて「英語の未習得な文法規則」を自ら新たに獲得することもできない。結局、英語学習が積み重なって行かないのである。こうした生徒任せの授業は教員の英語教育の放棄に等しい。

 文法は無論だが語彙、慣用句を含む英語力基盤の育成に、従来の名文読解の指導、教師が読み方を教え込む教育(「言語力あっての表現力」)こそ、必要なものなのだ。これを欠いては、「流れに竿さす」が「水の流れに従い、竿を使って船をうまく進める」の原意から「物事を順調に進める」の意味になることや、「においをよくかぎ分ける」が原意の「鼻が利く」が「ちょっとしたことから、役に立つことやいい話を見つけ出すのがうまい」の意味で使うことを生徒が自ら理解することは難しいだろう。豊かな表現に富む日本語を身に付けるにも、(夏目漱石や森鴎外のような古典であることはないが、)人間の感性や男女の愛憎、人生の機微、生き方などを扱う文学作品は、その深い読みを解き明かすことが望ましい。それは教員が責任を持って導かなければならない。アクティブ・ラーニングはその理解を踏まえた上で行なえば良い。

次回以降は英語という言語について、文法、語彙、発音などを全般的に概観したい。


 


[1] 
   生徒が能動的に学ぶことによって「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」(2012年8月中央教育審議会答申)内容。

[2]   欧州人は数か国の言語を話せるが、それはもちろん欧州の諸言語が(一部を除き)いずれも印欧語族に属するロマンス語派、ゲルマン語派、スラブ語派に分かれ、同じ語派の言語は文法と語彙が(音韻調整はあるが)ほぼ共通で方言差しかないものも多いためだが、ビジネスや就業、旅行で相互往来も激しくラジオやテレビも広域で視聴でき、EUでは母語以外に二つの外国語が必修だということがある。

[3]  韓国KBSで2002(平成14)年に放送された韓国ドラマ「冬のソナタ」。日本で2003年に 初めて放送され大反響を呼び、これをきっかけに日本での韓流ブームに火がついた。

[4]   文科省の教科委員は、中高の教員上がりの地域の教育委員が先任者の指名推薦などにより着任するため、言語習得の学術的な知見に欠ける嫌いがある。


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。