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『総合的な翻訳による英語教育』第21回

2020/01/22

『総合的な翻訳による英語教育』第21回










 
 
 
 
前稿では英語民間試験の成績活用に至る経緯と日本人が英語を話せないのは言語差が最大の原因であることを踏まえ、英語民間試験の成績活用の問題点をについて論じた。本稿では、会話試験が必要か、英語教育がどこまで必要かということを、自動翻訳・通訳の高度化が飛躍的に進む近年の状況を踏まえ、根幹的に考えてみたい。    
                                       

自動翻訳・通訳の時代が来た!
 1995年Windows 95が発売されインターネットへのアクセスが容易になると、海外との実務においてもメールでのやりとりが急速に広まり、今ではそれがほとんどだ。このため、2000年以降はグローバルな企業においても「聴き話す」よりも「読み書き」が実務の主流だ。ただし、「読み書き」も最近はグーグル翻訳
[1]などの自動翻訳の方が中堅大学の学生の平均より遥にできる[2]。音声認識と翻訳さらにその音声出力ができる通訳機能が充実した機器やアプリもここ数年で急激に増えている。

 スマホにダウンロードする無料の旅行会話アプリ「ボイストラ
[3]」(情報通信研究機構NICT)は、訳したい言葉をスマホに吹き込むと、(京都府にあるNICTの)スーパーコンピューターに送信され、瞬時に翻訳されて訳文が画面に送られ音声も流れる。この間1秒に満たない。交互にスマホに話しかければ会話が成立する。国も支援し、ここ2年ほどは人工知能(AI)を使って人間の脳のような回路を作ることで飛躍的に性能が向上した。国産のシステムなので、特に日本語の翻訳の正確性に優れている[4]。2020年春からスマホなどで稼働する第5世代移動通信システム(5G)の時代になると、タイムラグのないリアルタイムの通訳なので、日本と米国にいる人たちがあたかも同じ会議室にいて対面で討議するような感覚になる。

 AI機能の付いた自動通訳機ポケトーク
[5]74言語対応:通訳19,800円/通訳+カメラ翻訳29,800円:2017年12月発売)やチータトーク(32言語対応:11,000円:2019年8月発売)などを使えば、英語だけではなく多様な言語で日常的な会話だけでなく実務のやりとりもできる。病院や電鉄、家電店、百貨店など外国人の患者や客の多い職場でも本格的に導入されてきているが、外国に行く日本人もこれを購入ないし空港で借用して旅先での宿泊や買い物、観光に使うことが増えている。

 『グーグルレンズ』
[6]という無料アプリは、検索しなくても目の前のものを調べられる。スマホのカメラをある製品に向けるだけで同じ画像を検索してその製品の名前を特定してくれる。例えば、薬の錠剤に向けると何の薬かが分かる。[7]また、紙に印刷されたホームページのアドレス(URL)に向けると、スマホのブラウザーでそのページを開くこともできる。さらに、英文に向けるだけで日本語に翻訳する。グーグル翻訳の可能な103の言語間の翻訳をするので、どの国の人も海外で街の看板や標識を母語で読むことができる。

グローバル化と英語教育
 グローバル時代だからと、英語力の基盤となる文法と読解を否定し、話す能力に傾倒した英語教育が政財界主導の下推進され、中高で力点を英会話に移行して30年ほどになるが、英語を話す能力はさほど上がっていない。大学受験もセンター試験では「読む聴く」能力をみたが、「書く話す」を加えるために、文科省は民間英語試験の20年度導入を決定した。しかし、大学入試で「話す」を課したからと言って、基盤となる英語力(=文法・語彙・読解力)を育てないままでは本当に話せるようにはならない。

 そもそも「話す」能力を中高でどれだけ伸ばせるのか、という問題がある。文科省が英語教師に求めるiBT 80 点(英検準1級)に達するのは,中学で28%,高校で53に留ま
[8]。教師がこの実力ではまともに「英語で授業」はできない。いわゆる「教室英語」のキャッチボールはできるだろうが、それで自由な発想で意見を交わすことはできない。海外の文化や社会情勢・制度、地域の宗教と戒律に縛られる生活など深い内容のある話を英語で語れる教師がいたとしても、普通の高校では英語が壁となって授業が分からず不満を抱える生徒が溢れる。その教師の自己満足に終わるのだ。

 「日本人が英語を話せない」のは(文法操作面での)「極端な言語差」と(そうした操作の瞬間的な)「脳内処理」が最大の原因だ。英語力の基盤となる文法を堅固にしないと自由な口頭運用はできない。酷評される従来の文法訳読法だが、文法力と読解力、作文力、すなわち英語の基盤はしっかり養えた。英米人にとっても難解な評論や哲学書も読めた。ところが、話せる英語を期待する政財界の偏見から、「話せないのは文法訳読式の教育が原因である」と何の根拠なく決めつけ、これを否定していきなり英会話を志向しても、英語を自由に話せるようにはならない。口頭運用には瞬時の脳内処理を要する文法操作[9]
の修得が不可欠だ。その修得は、文法をしっかり学び掌握して、文法操作を繰り返し幾度となく練習することで、はじめて可能になる。

言語獲得期には言語差が越えられる
 言語獲得期には、(遺伝的に組み込まれた言語習得装置の機能により、)十分なインプットさえあれば、言語が自動的に習得される。発音は2、3歳でほぼ完成し、主要文法は(3歳頃脳が成熟した後)5、6歳までに獲得される。ところが、7歳以降には、文法を意識下で自動構築する能力は急速に不活性化し、10歳前後以降の思春期には(「知識獲得の一般装置」を使い)意識的に努力を積み重ねて習得しなければならない。
 

 これも社会格差として片づけられそうだが、英語幼稚園(日本人向けインターナショナルスクールに)に通う児童は母語話者とほぼ同じくらいの英語運用力を獲得する。授業が全てネイティブの先生によるためだ。最近6歳の女児が英検準2級(大学入試レベル)に合格したとして某TVでは天才扱いされていたが、言語獲得期の英語幼稚園の児童は英検の日本語の設問が分かれば、同程度の英語力をみんな持つのである。ただし、そこまでの早期英語教育が万人に広がることはないだろう。

これからの英語教育はどうあるべきか
 自動翻訳がさらに高性能化すると、日常会話だけではなく商談や討論ないしは講演なども瞬時に翻訳・通訳するようになる。そういう社会においては、英語だけではなくかなり多くの言語について、「話す・聞く」、「書く・読む」をスマホの自動翻訳・通訳に任せるのが普通になる。グローバルなコミュニケーションというが、今後はスマホを含む通訳機を介したそれぞれの地域の言語でのコミュニケーションすなわちグローカル・コミュニケーションになるだろう。


 「自動翻訳・通訳の時代に日本人が学校でどういう英語教育を受けるのが適切か」ということを根本的に考える必要がある。近年、教育の現場においても、学生が(予習ないし授業中に)読解や英作文に自動翻訳を使うことが普通に行われるようになり、それを前提に授業を行う必要が出ている。対応に苦慮する状況にあるのだ。

 英語は日本語とは世界で最もかけ離れた言語なので、日本人は英語の習得に克服し難いハンディを抱えている[10]
。それでもほとんどの生徒は英語を話せるようになりたいと思っている。生徒が自分の可能性を拓く目的で英語を学べるようにするのは良い。だが、中高でそれなりに勉強しても英語の習得に躓き、学習に苦痛を感じている生徒もたくさんいる。大学に進学しない生徒も3割近くいる。自動翻訳・通訳が実用化されている現状では、外国人とのコミュニケーションは英語が話せなくても楽しめる。そうした生徒にまで過度な負担をかけないことを考える時期になったように思う。私立大学ではスポーツ枠やAO・指定校推薦枠で一般入試を受けないで入学する学生が半数前後に及ぶ[11]が、一般入試においても、大学(ないし学部)によっては、英語の試験実施にあたって、①日常会話が可能なレベルか、②商談や討論ないしは講演が可能なレベルか、③ネットのHPなどの標準的な英文を読めるレベルか、④業務文書の読み書きができるレベルか、⑤新聞や哲学書を読めるレベルか、到達目標に応じて試験の種類やレベルを選べるようにしてもよい。学生が習得を望みそれが叶えられるレベルの英語力を睨んで学習に励むのは報われることだが、それ以上のレベルを一律要求する試験は学生に過酷な仕儀である。ほかの学習に時間を振り向けた方が実り豊かなことになる。本人に得られない英語力は、学習や研究においても、さらに社会に出て企業で働く場合も、自動翻訳・通訳が補ってくれる。

 
[1] Google翻訳は(Deep Learningによる)AI機能のおかげか、2016年以降急速に翻訳精度が向上。

[2] 自動翻訳のレベルが実用段階になったため、海外のハッカーによる日本の情報の搾取が急増。

[3] 多言語音声翻訳アプリVoiceTra」は20107月に公開され、その後、事業会社に技術移転して成田空港「NariTra」等の商用システムにも社会還元。今後は、観光・医療・ショッピング分野を視野に多言語化・多分野化・高性能化を図り、2020年東京オリンピックをターゲットに研究開発を実施。

[4]  日本は言語が壁となって海外からのサイバー攻撃が受けにくかったが、最近は翻訳技術の進歩で海外のハッカーが日本語の情報を容易に理解できるようになって中小企業や個人を狙った攻撃も目立っている。

[5] 新発売のポケトークS74言語に対応し、55言語では音声とテキスト、19言語ではテキストに翻訳。

[6] ハイキングや登山で、ある地点から見える山の名前を突き止めることを「山座同定」と言うが、『AR山ナビ』は、地図やコンパスがなくても、かざすと山座同定ができる。標高と山までの距離も示される。日本の山1万6千峰以上のデータだけでなく湖沼や首都圏を中心とした高層ビルのデータを収録。

[7] 「かざすAI図鑑」と呼ばれる『リンネレンズ』は、(近代分類学の父カール・フォン・リンネにちなんで名づけられたが、)スマホを向けると生き物の名前が分かる。水族館の水槽の前では、泳ぎ回る複数の魚の名前が同時に表示され、魚の名前をタップして行くと、イラスト付きの解説や生き物の分類を示す系統樹でどこに位置するかといった詳しい情報も出てくる。

[8] 京都府中学英語教員の英語能力試験TOEIC:京都市を除く中学英語教員で、16年度にTOEICを受験した74人中、英検準1級に相当する730点以上は16人で約2割。最低点は280点、500点未満14人。

[9]  WH移動:例えば、疑問詞を文頭に移す操作では、think を動詞とするDo you think [who]? という形は、whoを前に持ってきて、Who do you think [   won the race]? となる。ところが、knowという動詞の場合には、Do you know [who won the race]? のようにwhoは動かない。主文の動詞の種類によって移動先を変える判断が要る。

[10]
 戦前の旧制中学高校の頃は選抜されたエリート学生が英語の習得に励んで高い読解力を身につけた。しかし、戦後の新制中学で習得の困難な外国語を全ての学生に学ばせることに疑念が投げかけられた。

[11]
 早稲田大学が今まで学生の約4割だったAO・推薦入試枠を6割まで引き延ばすと決定。
 


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。