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『総合的な翻訳による英語教育』第19回

2019/11/22

『総合的な翻訳による英語教育』第19回


 
          
 大学入試での英語民間試験の成績活用が突然中止になった。本稿と次稿では、急遽、文科省が行ってきた偏向した英語教育行政と英語民間試験の成績活用の問題点を根幹的に考えてみたい。

2020年度に始まる大学入試改革の目玉だった英語の民間試験が、実施まで5カ月の土壇場で見送りとなった。準備してきた高校や大学、試験団体からは反発や戸惑いの声が上がり、混乱は収まりそうにない。制度設計の甘さに目をつぶって見切り発車で導入に突き進んだ文部科学省の責任は重い。(日本経済新聞(2019/11/1 22:08)


 そもそも英語民間試験の成績採用というのは、「グローバリゼーションの時代に『日本人が英語を話せる』英語教育をするように」という企業の意向を政治家が受け、それに沿うべく文科省がコミュニケーション英語[1]に舵を切った1990年前後以降、英会話力がさほど向上してこなかった状況で、大学入試を変えることによって中高の英語教育を「話す」ことにベクトルを向けさせて会話力を上げる目論見で推進されたものだ。

外国語学習に不見識な思い込み   
 テレビの報道番組(「民間試験導入見送り」発表後)で、スウェーデン出身の映画コメンテーターLilico氏(48歳)が「何でこんなに日本人は英語がしゃべれないの!今頃、何で日本はいつまでも変わらないの、検討、検討ばっかり」「日本は島でやはり陸続きではないということで、スウェーデンは陸続きだからいろんな言葉をしゃべった方がコミュニケーションがいっぱいとれるので、…小学校3
年から英語が義務でみんな勉強する。中学ではドイツ語かフランス語、高校はスペイン語など別の言語を学ぶ[2]」と言っていた。また新潮社編集委員・フォーサイト元編集長BS-TBS「報道1930」に出演中の堤伸輔氏(63)は「自分でしゃべりたいと思う気持ちを作らせてあげることが大事なんです。今だんだん外国人の先生も中学・高校で増えて、ネイティブに触れる機会も増えている。英語ができると世界が広がるよ…と教える」と述べた。だが、「日本が島国である」とか「自分でしゃべりたいと思う気持ち」などということは、生徒の英語を話す力とは全く関係ない。それに生徒はみんなしゃべりたいと思っている。話せないのは言語差が極めて大きいためなのだ。

 スウェーデン語を母語とするLilico
氏が「中学ではドイツ語かフランス語、高校はスペイン語など別の言語を学ぶ」として、日本では何故英語すらできないのか、という思いを吐露している。英語は、本来北欧語と同じゲルマン語派に属し、文法や語彙に共通性が多く、スペイン語[3]、イタリー語、フランス語などロマンス語派とも近い関係にあり[4]、欧州人は母語の知識を利用して相互の言語を習得しやすい。(TOEFLの成績は、1964年以来、北・中欧に南欧と旧英領植民地が続き、言語差の小さい順にほかの国が続く。)これに対し、英語は日本語からは言語的に最もかけ離れ文法も異質なので、その習得に日本人は欧州人と較べて69倍ほど学習に時間がかかる。(もちろん、日常的に話す状況がないこともある。)母語との違いが外国語習得の難易の決定要因であることを全く理解していないのだ。

 韓流の俳優や歌手が日本語が上手いのは、韓国語と日本語の文法と(漢字ベースの)語彙がほぼ共通だからだ。韓国語の文法をほぼそのまま使い、一部の発音を規則的に変えることで済むので、短期間で日本語が流暢に話せる。国際日本語能力試験は毎年断トツ1位だ。実質、母語知識の微調整で、「新たな言語学習」ではないのだ。

「英語での授業」方針の経緯
 日本の英語教育はグローバル化に振り回される財界やその意を受けた政治家、それに従う役人によって崩壊の危機に瀕している。教育行政においては、学習指導要領の方向を決める過程で、中央教育審議会の外国語専門委員会の審議があるが、「英語の授業を基本的に英語で行う」方針はその審議にふさず、文科省が内部で独断したものだ。この方針は20134月から高校で実施されたが、その検証がないまま、12月には中学での実施予定が公表された。高校では「討論や発表を通じてより高度な英語を使えるようにする」というのだが、授業の英語さえ分からない生徒が溢れる現状を全く斟酌していない。これは現場の先生や研究者の声を汲もうとしない文科省の上意下達の体質に因る。言語習得の仕組みどころか、「英語での授業」が失敗を重ねた明治以来の歴史も知らない。

 文科省が「文法や読解を軽視しコミュニケーション英語に転換して30年経つ」が、公立校では、塾に通える生徒以外は、コミュニケーションどころか英語の基礎力も乏しい。この事態を招いたことへの反省もなく、講演で「外国語科の目標はコミュニケーション能力を養うことだけだ」と役人は言い切る。だが、言語能力が脆弱では普通のコミュニケーション[5]はできない。そもそも、コミュニケーション能力は、論理的な思考力と同様、母語で育てるのが基本だ。英語に丸投げするものではない。

 「会話力を偏重して」英語力を評価しようとする風潮は浅はかなことだ。戦前の旧制中学のエリート学生が週に
6-7時間の英語の授業を受けても、外国人の講義に付いて行けなかった。それだけ「英語を聴く」のは日本人には難しいのだが、戦後世代はじっくり「英文を読む」力を培い欧米の文献を読み解いて技術大国を築いた。メールの交信が実務の主流になった現代は「読み書きの能力」を再評価するのが現実的だ。

荒唐無稽な英語力評価基準
 自民党の教育再生実行本部がまとめた「成長戦略に資するグローバル人材育成部会提言」(20134月)では、「大学において、従来の入試を見直し、実用的な英語力を測るTOEFL等の一定の成績を受験資格および卒業要件とする」とし、国公立トップ30校の卒業要件をiBT 90点にすることを提言したが、これは英語教師でもクリアするのが難しい。文科省が英語教師に求めるiBT 80点(英検準1級)に達するのは、(2013年時点で)中学で28%、高校で53%に留まる。生徒も中学3年で英検3級以上が約26%、高校3年で準2級以上が約36%しかいない。教師も生徒もこの実力では「英語で授業」はできない。

 試験問題は、受験者の学力に対応していなければならない。英検2級で出題される英文は高校生の文法力と(指導要領が定める3000語の)語彙力でどうにか読めるが、TOEFLは「米国の大学・大学院の講義を理解し討議できるか、論文が読み書きできるか」を測るものであり、語彙力も15000語程なければ出題文が読めない。また、設問に瞬時に答えなければならず、英文の脳内処理に手間取る日本人には非常に不利だ。大方の受験生には歯が立たない。教育再生実行本部には英語教育の専門家が誰もいない。遠藤本部長は「まず目標を決め、そこから逆算して教育の中身を決めていくことが確実です。探したら米国にTOEFLというテストがある。聴く・話す・読む・書くを全部測れます」と宣う。学力をどう測るかは疎か、英語教育の「いろは」を知らない。何よりも不思議なのは、「自分は英語が話せないが、」と前置きする政治家が英語教育の目標を掲げ教育方略を説いていることだ。「習得プロセス」を体験しないで、どうして習得方法を語れるのか。

言語差が最大の原因
 「なぜ日本人は英語が話せないのか」、その原因は二つある。一つは、外国語の習得には、①「言語差」が決定的に影響することだ。もう一つは、言語差を構成する要因は色々あるが、中でも、英語には日本語にない、②(「数の一致」や「疑問/関係詞の移動」など)「瞬時の処理を必要とする計算や操作」などが含まれ、そのリアルタイムの脳内処理が極めて大きなハンディになる。小学校中学年以降の外国語習得では運用の完全な自動化はまず望めない。どうしても意識的な文法操作になる。例えば、疑問詞を文頭に移す操作(WH-Movement)では、think を動詞とするDo you think [who]? という形は、whoを前に持ってきて、Who do you think [   won the race]? となる。ところが、knowという動詞の場合には、Do you know [who won the race]? のようにwho
は動かない。主文の動詞の種類によって移動先を変える判断が要る。こうした「瞬時の計算や操作」を完全自動化するには、言語獲得期の「自動言語習得機能」を活用するしかない。その臨界期を越えたら、どんなに反復訓練しても半自動化が限界で、処理が意識的になるのは避けられない。「日本人が英語を話せない」のは(文法操作面での)「極端な言語差」と(そうした操作の瞬間的な)「脳内処理」が最大の原因なのだ。教育技法の転換などの小細工では克服できない。文法基盤を堅固にしないと運用ができない。酷評される「文法訳読」だが、日本人にとって「英語を使う」基盤作りには成果を上げてきたのだ。

 次稿では、本稿を踏まえ、英語民間試験の成績活用の問題点を会話試験が必要かという点も含め根幹的に考えてみたい。


 
[1] 科目としての「コミュニケーション英語」は、英語での指導を基本とし、高等学校は25年度入学生から学年進行で実施。

[2]
EUの「ヨーロッパ言語年2001」における新教育プログラムの目標として、母語プラスEU2か国語習得が提唱されている。

[3] ローマ帝国のラテン語の末裔としてスペイン語とポルトガル語は方言差程度の違い。

[4] 特にフランスの王朝に支配された1066年以降300年にわたりフランス語がイギリスの公用語になったことから、親族語や日常語はゲルマン系の英語が残ったが、3音節以上の語彙や文法の一部にはフランス語が導入されたので、ロマンス語の様相を帯びる混合語に変容している。

[5] いわゆる「学校英語」という教室内で使う会話表現を語彙の入れ替えでコミュニケーションを行うことはできるが、これは自由な発話の交換による普通のコミュニケーションではない。

 
 
 


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。