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『総合的な翻訳による英語教育』第13回

2019/05/22

(連載)『総合的な翻訳による英語教育』第13回
 
          
  
 
 前稿までに、英日、日英翻訳の実力を検証し、いずれも高精度なソフトは中堅大学の学生の平均をかなり超える翻訳レベルにあることを見てきた。そして、学生がこうした翻訳ソフトを利用して授業に臨む
[1]実態にどう対応するべきかが教育の現場でも問題となっている。教師も授業に機械翻訳を活用してそのメリットを活かすことが求められる、さらに英語学習の目的と動機付けも再設定しなければならないと現状を認識できた。



 前稿で紹介したシンポジウム
[2]では、「英語教育に機械翻訳が利用できるのではないか」として、以下が提案されている。
①機械翻訳の結果を学習者が吟味し、より良い訳文を考える。
②学習者自身による翻訳と機械翻訳を比較し、学習に生かす。
③最初に機械翻訳を行い、修正して訳文を完成させる。

  もう少し具体的に述べると、恐らく下記のようになるだろう。
  ①は、機械に翻訳例を提示させ、それを学習者が吟味し、不適切な個所を修正し、
   より良い訳文にする。
  ②によっても、慣用表現だけでなく、(科学技術や学術論文などの)諸分野の専門用語や定型表現
   などを機械翻訳から組み込んで、かなり長い文書の英文作成において、語彙や表現が揺れない
   一貫性を確保する。
  ③学習者は機械による翻訳をベースに、文脈や文化社会宗教的な要因を考慮に入れ、
   適切にそれに対応できるように修正して、望ましい英語に改める。 

 特に、②の使い方は、英語の論文を書く研究者だけでなくプロの翻訳者や通訳
[3]にとっても訳に立つ。今後は、翻訳は機械が得意な機能[4]と人間の文法語彙力と知的な判断力の融合した作業になる。ただし、語彙数では機械が人間を凌駕しているが、色々な状況や文脈において適切に語意を選択するには、人間の常識や社会文化的な知識に照らした知的な判断力が要る、ということを忘れてはならない。そうした知識としては、コミュニケーションにも不可欠な、異国の多様な言語文化や社会宗教的な背景に関するものが含まれる。

慣用句・連結句
 我々が言語処理する場合に、文中の複数の語の連鎖を、文法構造に沿って句として統合して意味解釈を行なうが、慣用句・(共起頻度の高い)連語・連用句はいわば一つの単語のように「固定した塊
[5]として処理されるため、ほかの語連鎖と較べかなり高速に処理されることになる。そしてまた、こうした出現頻度の高い慣用句・連語・連用句を用いた場合、自然な表現の文になることが多い。更には内部解析や合成を行わなくて済むため、こうした慣用句・連結句をたくさん覚えることは、(アクセスがかなり自動化された)スムーズな発話にも寄与する。だが、膨大な慣用句・連結句を覚えることが誰にでもできるわけではないので、機械翻訳機・通訳機で見ながら使うという手もある。

インタラクティブな前編集    
 翻訳能力も処理速度もかなり低かった90年代には、予め用意された前編集規則に従って原文を作成ないし編集し、それを自動翻訳にかけるというプロセスであった。最近の翻訳ソフトは原文と訳文を画面上で(左右ないしは上下で)並列表示するが、訳文の誤訳箇所に対応する原文部分を変えた途端に瞬時に訳文が変わる。このため、「必要最小限の編集をリアルタイムで翻訳ソフトとインタラクティブに行う」という、かつてとは異次元の作業になる。もちろん、英語が分からないと翻訳文が正しいかどうかは分からないので、利用者はそれなりの英語力を持っていなければならないが、自動翻訳を日英翻訳に使うことは専門用語などが一貫していて信頼できるという意味でも、いちいち(紙でも電子でも)辞書を引いて行うより遥に効率的だ。自動翻訳自体は瞬時に行われるので、訳に難のある部分ごとに編集作業を行ったとしても、翻訳を自ら全て行うのに比べ格段時間の節約になりメリットが大きい。

機械翻訳に依存しない学生の和訳
 学生が翻訳ソフトを利用して講読の授業に臨む場合、学生の読解力が見られないということになりそうだが、対応策はある。授業の中で学生に和訳させる場合には、(学生が自分で訳したものであれ機械が訳したものであれ、)ノートに書いたもしくはプリントアウトされた訳文を読むのではなく、「英文を見ながら和訳をする」ように指示する。それだと学生が英文を理解していなければ訳せないことになる。もちろん、機械翻訳で予め翻訳していて(その機械訳がどこまで正しいかは別にして)その訳文を通して英文の意味を一応解っていたとしても、授業の中で「英文を見ながら和訳をする」ように指示された学生は、英文に沿った形で文の構造や修飾関係などを自分の頭で考えて和訳しなければならない。このため、学生も機械任せで予習をしないわけにはいかない。機械による翻訳を参考にしたとしても、英文の構造解析と意味の理解という作業は予習段階でやはり行うことになる。学生が機械翻訳を利用して授業に臨む場合でも、文法読解力をしっかり伸ばせるのだ。

文化に沿った翻訳  
 夏目漱石が教師をしていた頃、英語の授業の中で生徒に
I love you.を和訳させたことがあった。その際、生徒たちは「我、汝を愛す」や「我、其方を愛おしく思う」と訳した。それを聞いた漱石が「日本人はそんな図々しい言い方はしない。「月が綺麗ですね」とでも訳しなさい」と言ったという逸話がある[6]。「月が綺麗ですね」を告白と解したとき、洒落た返しとして使える言葉がある。それは、「死んでもいいわ」だ。このフレーズは、二葉亭四迷が、I love youを「死んでも可いわ」と翻訳したという逸話からきているが、どうもこれは眉唾物のようだ。実は、二葉亭四迷がツルゲーネフの小説、『片戀』(ほかの翻訳や映画では『初恋』)を翻訳した際に、(男に愛を打ち明けられた女が男に対して返した言葉(原文ロシア語Ваша(所有代名詞女性形)の直訳:英訳版ではYours”))「(私は)あなたのもの(よ)[7]」を「死んでもいいわ」と訳した。こちらも日本人的な情緒のある訳し方であるため、「月が綺麗ですね」の返しとして相応しい。こうなると翻訳というより発想の転換だ。明治時代と違い、令和時代には「月が綺麗ですね」を告白と解し「死んでもいいわ」と応える若者はいないだろうが、それでも漱石らのような暗示的な表現に趣があることは感じられる。また、まだ「愛している」というより「好き」の方が多いだろう。言語的なレベルの翻訳しかできない機械翻訳には、こうした情緒的な意訳は望むべくもない。こうした文芸翻訳における発想転換的な超訳は人間だからこそできるのだ。授業でもこうした文芸翻訳の領域に誘い、学生の感性を磨きたい。

 次回以降は、機械翻訳から離れ、総合的な訳読の授業について考えたい。
 


[1]教科書の英文をスマホで画像認識し、それを文字化するソフトで電子テキストに変換し、これを機械翻訳することができるので、かつてのように教科書の英文を一々タイプして電子化する作業が必要ない。

[2]JACET教育問題研究会主催の言語教育エキスポ『AIや翻訳機が進化したら外国語教育はどうなるでしょうか?一緒に考えましょう。言語教育エキスポで。』(2019.3.10

[3] 国際会議における同時通訳では、通訳ブース内の作業においてペアの通訳者の一方が専門用語やその分野の定型表現などをリアルタイムで調べ通訳担当に示すが、自動翻訳が瞬時に出てくると、これを示すことができるので、タイムラグなく作業が効率的にできる。

[4]翻訳ソフトは多様な分野の専門辞書を有しており、専門語が機械翻訳により得られるので、翻訳者が辞書引きする時間と手間が省ける。
 
[5]定型表現(フォーミュラ):複合語、句動詞、慣用句、(共起頻度の高い)連語・連用句など。

[6]漱石がそう言ったという証拠や文献はない。
 
[7]二葉亭四迷の『片戀』翻訳【私は何も彼も忘れて了って、握ってゐた手を引寄せると、手は素直に引寄せられる、それに随れて身躰も寄添ふ、シヨールは肩を滑落ちて、首はそつと私の胸元へ、炎えるばかりに熱くなつた唇の先へ來る死んでも可いわ」とアーシヤは云つたが、聞取れるか聞取れぬ程の小聲であつた。】英語版【 I forgot everything, I drew her to me, her hand yielded unresistingly, her whole body followed her hand, the shawl fell from her shoulders, and her head lay softly on my breast, lay under my burning lips. . . .“Yours”. . . she murmured, hardly above a breath.

 
 


成田一(なりた はじめ)
大阪大学大学院言語文化研究科名誉教授。英日対照構造論・機械翻訳・言語教育/習得論専攻。大阪大学功績賞受賞。
著書『パソコン翻訳の世界』(講談社現代新書)、『日本人に相応しい英語教育』(松柏社)、編著『こうすれば使える機械翻訳』(バベルプレス)、『英語リフレッシュ講座』(大阪大学出版会)、共著『名詞』「現代の英文法6」(研究社)、『ことばは生きている』(人文書院)、『日本語の名詞修飾表現』(くろしお出版)、『翻訳辞典2002』(アルク)、『私のおすすめパソコンソフト』(岩波書店)、『英語教育徹底リフレッシュ』(開拓社)、『21世紀英語研究の諸相―言語と文化からの視点―』(開拓者)他。英文テキスト編注解説、論文・新聞(読売、朝日、日経など)・雑誌記事(『SPA!』(責任編著)、『週刊現代』、『英語教育』、『新英語教育』、『Professional English』、『The Professional Translator』、『Cat(cross and talk)』他)多数。英語教育総合学会会長。