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(14) 日本国憲法に関する翻訳 ―川村清夫

2019/04/22

日本翻訳史

(14) 日本国憲法に関する翻訳

                        
               川村清夫: バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー


  
 
1945815日に、日本がアメリカ、イギリス、中華民国、ソ連に無条件降伏する昭和天皇の放送が行われ、第二次世界大戦が終わった。降伏文書の調印式は92日に戦艦ミズーリ号の艦上で行われ、日本は195198日に調印されるサンフランシスコ講和条約が発効する1952428日まで、アメリカ軍など連合軍の占領下に置かれ、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー(Douglas MacArther)元帥が連合軍最高司令官として日本の支配者になったのである。連合軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander of the Allied Powers略称GHQ)は、有楽町の第一生命ビルに設置された

 
GHQの目的は日本を非軍国化、民主化することにあった。そのために連合国が戦犯を裁く極東国際軍事裁判が開かれ、大日本帝国憲法の改正として日本国憲法が公布されたのである。極東国際軍事裁判は194653日から19481112日まで開かれ、東条英機などA級戦犯が処刑、禁固刑に処せられた。

 日本国憲法は、幣原内閣と
GHQの間の交渉の末に完成したが、1946212日にアメリカ陸軍のコートニー・ホィットニー(Courtney Whitney)民政長官をはじめとするGHQ民政局が作成したGHQ草案(マッカーサー草案)を、222日に幣原内閣が受諾して成立したのである。日本国憲法は113日に吉田茂内閣によって公布、194753日に施行されて、この日が憲法記念日になっている。

 憲法改正を主張する人々は、日本国憲法をアメリカから押し付けられた
GHQ草案の翻訳だと決めつけている。しかしGHQ草案は、マルクス主義憲法学者の鈴木安蔵などが立ち上げた憲法研究会が19451226日に発表した憲法草案要綱の影響を受けているのである。鈴木たちは植木枝盛と土佐立志社の自由民権運動の私擬憲法東洋大日本国国憲案を基幹にして、アメリカ、フランス、ソ連、ドイツのワイマール憲法を参考にしながら、憲法草案要綱を作って、国民主権と人権に関する日本国憲法の理念を形成した。ホイットニーなどGHQ民政局の4人の法務将校はいずれも会社法専門で、憲法学者がいなかった。ホイットニーの部下であるマイロ・ラウレル(Milo Rowell)が憲法草案要綱」を高く評価、GHQ草案を作るに当たり参考にしたのである。

 それでは日本国憲法の国民主権、人権、戦争放棄に関して第
1条、第31条、第9条を、GHQ草案、憲法草案要綱、東洋大日本国国憲案の順にさかのぼって考察する。まず国民主権に関して、第1条を見てみよう。

(日本国憲法第
1条)天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

GHQ草案第1条)The Emperor shall be the symbol of the State and of the Unity of the People, deriving from the sovereign will of the People, and from no other source.

(憲法草案要綱)日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス。天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス。

(東洋大日本国国憲案第
4075条)日本ノ政治社会ニアル者之ヲ日本国人民トナス。皇帝ハ国政ノ為ニ責ニ任セス。
 
 第
1条はGHQ草案の翻訳であるが、国民主権の理念は憲法草案要綱、東洋大日本国国憲案から連続している。
 
 人権について、第
31条を見てみよう。
(日本国憲法第
31条)何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

GHQ草案第32条)No person shall be deprived of life or liberty, nor shall any criminal penalty be imposed, except according to procedures established by the Diet, nor shall any person be denied the right of appeal to the courts.

(東洋大日本国国憲案第
46条)日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ何等ノ刑罰ヲモ科セラレザルベシ。又タ法律ノ外ニ於テ鞠治セラレ逮捕セラレ拘留セラレ喚問セラレルルコトナシ。

 第
32条は細部において、単なるGHQ草案の翻訳とはいえない。人権の理念も東洋大日本国国憲案から連続している。
 
 戦争放棄に関して、第
9条を見てみよう。
(日本国憲法第
9条)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

GHQ草案第8条)War as a sovereign right of nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for setting disputes with any other nation. No any navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will never be conferred upon the State.

 第
9条の戦争放棄の理念は東洋大日本国国憲案に存在しない、GHQ草案の翻訳である。

 日本国憲法は国民主権、人権を保障した理想的な憲法である。しかし戦争放棄の条文は、最近の東アジア情勢の緊迫化により、憲法改正が叫ばれているのである。

 


川村 清夫(かわむら・すがお)
上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、
2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。