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(10) 大日本帝国憲法に関する翻訳―川村清夫

2019/01/22

日本翻訳史

(10)大日本帝国憲法に関する翻訳

                        
                川村清夫: バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー


  
 
1889年に発布された大日本帝国憲法は、1876年にオスマン(トルコ)帝国の大宰相ミドハト・パシャが起草した「ミドハト憲法」に次ぐ、アジアで2番目の憲法である。「ミドハト憲法」は1878年に専制政治を復活した皇帝アブドゥル・ハミド2世によって停止されたが、1908年に青年トルコ党による立憲革命で復活、帝政が廃止された1924年まで存続した。大日本帝国憲法は太平洋戦争敗戦後の1947年まで一貫して存続して、1931年のエチオピア帝国憲法の模範になったのである。

 明治政府は、明治維新が成功した
1868年に発布した「五箇条の御誓文」の精神を実現するため、憲法制定と国会開設から成る立憲君主制の確立を模索していた。

 民間では、自由民権運動の指導者植木枝盛がフランス法に基づいて1881年に起草した、国民主権、革命権、一院制国会を唱えた「東洋大日本国国憲按」をはじめとする、私擬憲法が作られていた。しかし国民主権や革命権が、政府に受け入れられるはずがなかった。

 政府では、君主に実権を与えないイギリス法を唱える大隈重信と、君主に実権を残すドイツ法に好意的な伊藤博文が対立した。大隈は
1881年の「明治十四年の政変」で政府を追われ、ドイツ法に基づく憲法が作られることになった。伊藤は参事院(内閣法制局)書記官の伊東巳代治と、1882年から1年間プロイセン王国が支配するドイツ、オーストリア(ハプスブルク帝国)へ憲法調査旅行に行き、ルドルフ・フォン・グナイスト(Rudolf von Gneist)、ロレンツ・フォン・シュタイン(Lorenz von Stein)から指導を受けた。帰国後1885年に初代首相になった伊藤は、参事院議官の井上毅に憲法の草案の起草を命じたのである。

 井上は
1887523日に憲法草案甲案を提出したが、430日に内閣顧問のドイツ人ヘルマン・ロエスレル(Hermann Roesler)が日本帝国憲法草案(Entwurf einer Verfassung für das Kaisertum Japan)を提出していた。日本帝国憲法草案は、1831年のベルギー王国憲法を模範とした、1850年のプロイセン王国憲法に基づいている。伊藤、井上、伊東と首相秘書官の金子堅太郎は8月に横浜市金沢区夏島の伊藤の別荘で合宿して「夏島草案」を作り、18883月には高輪の伊藤邸にて「浄写三月案」に成長させ、枢密院の審議を通過させて、1889211日に大日本帝国憲法を発布したのである。

 ここでは天皇の存在と、立法における天皇と内閣、国会の協力関係について、日本帝国憲法草案、法制局参事官の渡辺廉吉の和訳、夏島草案、大日本帝国憲法の条文を比較する。

(日本帝国憲法草案原文)

Art. 2.  Der Kaiser ist der heilige und unverletzliche Souverain des Reichs. 
         Alle Rechte der Staatsgewalt bleiben in seiner Person vereinigt und er übt dieselben nach den von ihm in dieser  Verfassung gegebenen Bestimmungen aus. 
Art. 3.  Alle Regierungsacte des Kaisers bedürfen zu ihrer Gültigkeit der frühere Gegenzeichnung eines Ministers.
         Die Minister des Kaisers sind verantwortlich. 
Art. 4.  Die gesetzgebende Gewalt wird vom Kaiser mit Zustimmung des Reichstages ausgeübt. 
Art. 5.  Der Kaiser sanctionirt die Gesetze ordnet ihre Verkündigung und Vollziehung an. 


(渡辺廉吉和訳)
第2条 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラサル帝国ノ主権者ナリ
     天皇ハ一切ノ国権ヲ総攬シ此憲法ニ於テ欽定シタル規定ニ従ヒ之ヲ施行ス
第3条 天皇ノ凡テノ政務ニシテ其効力ヲ有スルニハ少クモ一大臣ノ対署ヲ要ス
          天皇ノ大臣ハ責任ヲ有ス
第4条 立法権ハ国会ノ承諾ヲ以テ天皇之ヲ施行ス
第5条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其発布及執行ヲ命ス

 夏島草案では、天皇が「主権者」から「元首」に、大臣(内閣)の「対署」(副署)が「輔弼」に代えられた。
(夏島草案)
第4条 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラサル帝国ノ元首ナリ
第5条 天皇ハ一切ノ国権ヲ総攬シ此憲法ノ主義ニ基キ大政ヲ施行ス
第6条 天皇ハ諸大臣ノ輔弼(ほひつ)ヲ以テ大政ヲ施行ス
第7条 天皇ハ上下両議院ノ賛襄(さんじょう)ヲ以テ立法権ヲ施行ス
第8条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其発布及執行ヲ命ス

 大日本帝国憲法では天皇と内閣の協力関係が第55条に移ったが、「副署」が加えられた。
(大日本帝国憲法)
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布執行ヲ命ス
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
            凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

 ロエスレル草案が、夏島草案を通して、大日本帝国憲法に採用されたことがわかる。天皇に実権を残しながら、立法には内閣の副署と国会の承認を必要としたので、大日本帝国も一応立憲君主制国家だったのである。

 ただし大日本帝国憲法には致命的な欠陥があった。陸海軍が超法規的な存在だったことである。参謀本部は大日本帝国憲法より早い
1878年に発足しており、第11条で陸海軍は天皇の統帥下に明記されたので、軍部は政府の権限が及ばなかった。軍部は天皇の統帥権を盾に独断専行を行い、満州事変、日中戦争、太平洋戦争を引き起こし、大日本帝国を敗戦に追い込んだのである。


川村 清夫(かわむら・すがお)
上智大学文学部卒業後、上智大学大学院にて文学修士号を取得。
さらに米国インディアナ大学大学院にてPh.D(歴史学)を取得 する。
専攻は近代東欧史。
チェコ・ドイツ民族問題、ハプスブルク帝国の連邦化運動、パン・スラヴ主義を研究する。

株式会社バベル勤務、常磐大学国際学部非 常勤講師、湘南工科大学総合文化教育センター非常勤講師を経て、現在バベル翻訳大学院アソシエイト・プロフェッサー。
著書は、「オーストリア・ボヘミア和協:幻のハプスブルク帝国改造構想」(中央公論事業出版、
2005年)、「プラハとモスクワのスラヴ会議」(中央公論 事業出版、2008年)、The Bohemian State-Law and the Bohemian Ausgleich(中央公論事業出版、2010年)、「ターフェとバデーニの言語令:ハプスブルク帝国とチェコ・ドイツ民族問題」(中央公論事業出版、 2012年)。