大きくする 標準 小さくする

寄稿文 ― 中澤恭子

2016/04/25

寄稿文
「翻訳の視点から日本語表現技術を考える
 『第一回日本語のバリエーションとしてのPlain Japanese』」を読んで

中澤恭子

  筆者の猪塚先生によると、Plain Japaneseとは、翻訳を前提とした多言語に対応する背景を持つ日本語、ということである。つまり、機械翻訳にかけやすい日本語を書こうとする動きのようである。翻訳を仕事とするべく勉強をしている身としては、自分の仕事が機械にとって代わられてしまうようなお手伝いはできるだけ避けたい、というのが本音ではあるが、その気持ちはさておき、Plain Japaneseが必要である場面を考えてみたいと思う。

 私の勉強している法律分野の翻訳には、日本人でもわかりづらい難文だらけの判決文などが含まれる。だが法曹界の人に、翻訳を前提に訴状や判決文を書いて下さいと言っても、真面目には取り合ってもらえないのではないかと思われる。これはもう、翻訳する側が外国語になりやすい日本語に頭の中で変換しながら、二段階で翻訳するしかない。

 しかし、その他、もっと身近な法的場面で、Plain Japaneseが必要なときとは何か、考えてみた。
 折しも、外国から日本を訪れる人の数が、年々増加し、それに伴い、分かりやすい日本語の表記の必要性も高まってきていると昨今である。例えば、宿泊施設の決まりごと(宿泊約款など)や各種説明書などを理解することは、訪日外国人にとって必要なこともあるだろう。日本人であっても読まない人もいるとは思うが、Google翻訳などを使ってそれらの意味を知ろうとする外国人がいないとも限らない。

 日本人ならば、主語と述語がどこにあるか、当然わかるのであるが、日本語が外国語である人たちには、この文の根幹の要素がどれなのか、判定できないという文が、時々存在する。しかし、それをわかりやすくするのは、ちょっとした工夫、例えばほんの一つ読点を打つだけで済む場合もある。

 試しに、ある宿泊約款の「宿泊契約は、当ホテルが前条の申し込みを承諾したときに成立するものとします」という文を、そのままGoogle翻訳にかけてみると、意味のわからない英文になる。「は」と「が」の前にある名詞のどちらが文の主語なのか、機械にはわからないようなのである。そこで、「承諾したときに」の後に「、」を打ってみると、完全ではないものの大体意味の通じる文章になる。

 もう一つ別の文章の例を挙げてみたい。薬局で買う薬の説明書であるが、「1日数回、適量を患部に塗布してください」とある。「適量」というのはどれ位を言うのか? これは文化の違いかもしれないが、英語圏で買う塗り薬には、「適量」ではなく「たっぷり」とか「軽く」とか「薄く」とかいう量が書かれていて、商品の知識が全くない消費者に判断を委ねなくても良いようになっている。

 ここで、バベルの法律翻訳コースで学習したことを紹介したい。教材に、法律文の特徴として、以下のような説明がある。法律文書の役目は実行の規範を示すものであるから、「読み手」を意識して書かれたものでなければならない。契約書、その他の法律文書は、最終的には証拠として使われるのであるから、当事者以外の調停人や陪審員という第三者が読んで分かるように書かれていなければならない。さらに、できるだけ率直に、解釈の余地を少なくするよう書かれなくてはならない。また、当事者の権利義務を律するものであるから、厳密に書かれなければならない。

 つまり、用語や書き方にバリエーションは必要なく、漠然さや曖昧さのない文章を書く。「~など」、で終わるのではなく、「~、その他同様の機能を備えた装置」といったような言い換えの工夫も必要だということである。また、一文一思想とし、単文や複文を中心とした短い文章で書き、重文は使わない。そしてやさしさや柔らかさを排除して強い文章、断定的な言い方を心がけなければならない。

 また、Plain Japaneseのためには、文章そのものだけでなく、文章配列にも工夫が必要である。上述の教材を再び引用する。
「論述の場合、欧米の論述の論旨展開は理論的に積み上げられる。まず結論を冒頭に示し、その後に理由を列挙する。列挙の方法もA、B、Cから始まってX、Y、Zと論理的に配列する。論述の順序が論理的なのである。これに対し、日本人の論旨主張はさりげなくあちこちに布石を打つことから始まる。AからEへ飛び、B、Cへ戻ってまたFへ移るというように論旨があちこちに移動しながら全体を徐々に表していく。そして最後に結論に至る。これは交渉でも説得でも主張でもいたるところに現れる傾向である。日本人は論理的に積み上げて主張されると、押し付けがましく感じ息苦しくなるのか、さりげなくいろいろな論点を布石として張り巡らせたのちに、結論に誘導するような論旨展開を好むのである」

 突き詰めていけば、日本語は私たち日本人の物の捉え方、相手との距離の置き方など、私たちの本質的を表現している。だが、そこから一旦離れ、自分の文章を客観的に見る必要がある。Plain Japaneseを読む相手は、自分とは全く異なる思考を持つのだから、自分の表現を批判的に見直さなければならない。そうすれば、自ずと世界標準の日本語が出てくるのではないかと思う。
Plain Japaneseは、格調高い名文と対極にある、異文化コミュニケーションに特化した目的を持つ日本語と考えれば良いのかもしれない。

 
中澤恭子 
バベル翻訳大学院在学生。
IP・法律翻訳専攻。
オーストラリア、シドニー在住。