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関連寄稿 - 大橋 佑美

2015/10/26

英語から見た日本語、日本語から見た英語 ― 翻訳の視点から
大橋 佑美

 今回の寄稿文は、翻訳学習、実務を行っている上で、気づいた日本語の特性、英語の特性について書くというテーマですが、今月、正式にバベル大学院に入学したばかりで、翻訳実務に携わったこともない私が偉そうに語れるものではありません。そこで、趣旨は少々ずれるかもしれませんが、私が日本語教師の資格取得の際に学んだことを踏まえ、日本語教師としての視点から書いてみることにします。
 
 さて、本題に入る前に、日本語教師という職業をご紹介したいと思います。日本語教師は読んで字のごとく、日本語を母語としない人に対して、日本語を教えます。この資格の勉強を始める前は、自分の母語を教えることなど簡単ではないかと考えていました。しかし、実際に勉強を始め、外国人相手の教育実習を通して、母語を教えることの難しさを痛感しました。私にとって日本語は自然に身についた言語であって、英語のように学習の結果、身についたものではありません。したがって外国人から、「なぜこうなるのか」と質問されても、理由をきちんと説明できないのです。そこで、日本語を教えるにあたっては、教授法を学び、学習者の視点から「外国語としての日本語」を分析することが重要になります。
 
 前置きが長くなりましたが、日本語の特性の一つとして、「語彙量が多いこと」が挙げられます。下表はカバー率(使用頻度の高い上位の語彙でその言語がどの程度理解できるかを示すもの)の比較です。
 
語数 1~1,000語 1~2,000語 1~3,000語 1~4,000語 1~5,000語
日本語 60.5% 70.0% 75.3% 77.3% 81.7%
英語 80.5% 86.6% 90.0% 92.2% 93.5%
玉村文郎編(1989・90)『日本語の語彙・意味』(上・下)明治書院、
占部匡美「日本語教育史における入門期教科書の基礎語彙I」福岡国際大学紀要No.252581~87(2011)
 
 日本語の語彙が多い理由としては、尊敬語・謙譲語・丁寧語などの待遇表現が発達していること、擬声語・擬態語が多いこと、外来語を取り入れやすいこと、複合語・派生語が作りやすいこと等があります。
指示代名詞一つとっても、英語はthisとthatの2種類ですが、日本語には、これ、それ、あれの3種類があります。英語と日本語が1:1で対応していないため、学習者からも「こ・そ・あ(・ど)言葉」については質問が多く出ます。そもそも日本語では「こ、そ、あ」をどのように使い分けているのか、今一度考えてみたいと思います。
 
 国語の教科書では、「こ:話し手に近い場合」、「そ:相手に近い場合」、「あ:話し手からも相手からも遠い場合」と説明されています。学習者に対しても、このように教えることが多いです。しかし、この説明では、「話し手と相手が1m離れて立っていて、お互いから50cmのところに落ちている鉛筆を指すときは、こ、そ、あのいずれを用いるのか」という屁理屈のような質問を受けることがあります。したがって、<距離認識>としての定義では不十分であるといえます。
では、どのように定義すべきでしょうか。以下のように<領域認識>として定義すると、より正確な使い分けができます。
指し示そうとするものが自分(話し手)の領域に属すると話し手がみなしたとき、話し手はそのものを「こ」を用いて示します。一方、相手(聞き手)の領域に属すると話し手がみなしたときには、話し手はそのものを「そ」を用いて示します。
<例> A(客): その時計を見せてください。 B(店員): この時計ですね。
 
 また、話し手が、指し示そうとするものが自分と相手の共有領域に属すると話し手がみなしたときも、話し手はそのものを「こ」を用いて示します。一方で、自分と相手の共有領域外に属すると話し手がみなしたときには、話し手はそのものを「あ」を用いて示します。
<例> A(客): あの時計はいくらですか。 B(店員): あれは3,000円です。
 
 少々ややこしいですが、この定義を用いれば、前述した「お互いから50cmのところにある鉛筆」についても、「こ、そ、あ」のどれを用いるのか、おのずと答えが出るはずです。
翻訳する際にも、話し手の領域認識を汲んだ上で、適切な指示代名詞を用いる必要があります。
 
 ここまでは、目に見えているものが指し示す対象である場合でした。目に見えていないものが対象となる場合も同様です。
<例1> A: さっき、図書館でマリアさんという人に会ったよ。

B: そうですか。その人は何歳ぐらいなんですか。 Really? How old is she?
<例2> A: さっき、山本さんに会ったよ。 I met Mr. Yamamoto just now.
B: あの人、いま日本にいるんですか。 Is he in Japan now?
 
 例1は話し手Bにとって、マリアさんは相手Aの領域に属する人(自分の知らない人)なので「その」を使っています。②の例では、話し手Bにとっても、相手Aにとっても、山本さんはよく知っている人なので、AとBの間には共有領域が存在し、その領域外に山本さんが存在しているので「その」を使っているわけです。
例1、例2ともsheやheを彼女、彼と訳しても、もちろん意味は通じますが、その人、あの人と訳すことで、一層こなれた訳文になる場合もあるかと思います。
 
 長々と書きましたが、外国語としての観点から、母語である日本語を分析すると、日本語と英語それぞれの特性がまた新たに見えてくることがあります。翻訳の際にもその特性を生かすことができれば、より生き生きとした訳文が完成することでしょう。たまには、外国人用の日本語教科書をパラパラとめくってみられては、いかがでしょうか。新たな発見があるかもしれません。


 

大橋 佑美(おおはし ゆみ)
金融・IR翻訳専攻。ロンドン在住。
大学卒業後、関西の鉄道会社にて経理を担当。
2013年、結婚を機に退職、渡英。

家事と育児に追われながらも、何か新しいことに挑戦したいと思い、
今月よりバベル大学院に入学し、翻訳の勉強を進めている。