大きくする 標準 小さくする

【特集】翻訳家から見る英語と日本語 第1回 - 江國 真美

2015/10/26

『翻訳家から見る英語と日本語』 
第1回
江國 真美 : 翻訳家


 翻訳とは「異なる言語を橋渡しする作業」です。でも単語ひとつひとつを逐語的に日本語に転換しても、決して「自然な日本語」にはなりません。なぜなら文法構造や言語体系が異なるからです。対象言語の相違点のきちんと理解して取り組まなければ、なかなか翻訳は上達しません。

 さて、英語と日本語も本質的に異なる言語です。文字、発音、文法構造、文化背景など相違点は多岐に渡りますが、その中で最も基本的で、なおかつ翻訳に大きな影響を与えるのが「コンテキスト度」です。本稿ではコンテキスト度の違いが両言語に与える影響を考察し、そこから導き出した、日本語ならではの翻訳テクニックを紹介したいと思います。
 
ハイコンテキストとローコンテキスト
 コンテキストとは「文脈」のことです。つまり、コンテキスト度が高い言語は文脈への依存度が高く暗示的表現を好み、低い言語は文脈依存度が低く明示的な表現を好みます。そして日本語はハイコンテキストの言語、英語はローコンテキストの言語と言われます。言い換えれば英語が逐一情報を明示するのに対し、日本語は情報を暗示的に提示する傾向が強い、ということです。
 
たとえば
「なんで、私が東大に!?  ○×塾」という学習塾の広告があります。
日本人なら理解できる広告ですが、外国人には(かなり日本語を話せる人でも)理解不能なようです。それも無理はありません。表面上、ほとんど情報がない――つまり、極めて多くの情報が省略され、行間に隠されているからです。
カッコで補うなら、「なんで、私(のように勉強ができなかった生徒)が東大に(入ることができたのでしょう)!?」ということですね。
さらにいうならば、広告が最もいいたいこと、「それは、○×塾に通ったおかげです」までもが省略されており、読者に推察させているのです。
 
 このように、ハイコンテキストの日本語では頻繁に情報が省略されます。そして暗示的な言語表現になれた私たち日本人は、省略部分を推察する力が極めて優れています。
 
レストランで
ウェートレス「何になさいますか」
A「僕はコーヒー」
B「私もコーヒー」
C「俺は紅茶」
 
 これは述語部分、つまり「~が飲みたい」、「~がほしい」、「~を注文します」などが省略された形ですね。何も自分自身がコーヒーや紅茶だ、といっているわけではありません。
 
 英語と日本語のコンテキスト度の違いは「主語」の扱いに顕著に表れます。次に紹介するのは名作、夏目漱石『吾輩は猫である』の冒頭部分です。主語に気を付けて読んでみてください(日本語学的には“主語”の定義づけは極めて難しいのですが、ここでは基本的に「は」「が」という格助詞で切り出される、述語動詞の動作主という意味で用います)。
 
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。
 
 どうですか? 実に自由自在に主語を省略していることに気づかれたのではないですか。そしてなによりも大切なのは、それを「私たちがきちんと誤解なく理解できている」ということです。
 
 一方、冒頭部の英訳をみてみます。ローコンテキストの英語で主語がどう扱われているかに注目してください。
I am a cat. As yet I have no name. I’ve no idea where I was born. All I remember is that I was miaowing in a dampish dark place when, for the first time, I saw a human being. This human being, I heard afterwards, was a member of the most ferocious human species; a shosei, one of those students who, in return for board and lodging, perform small chores about the house. I hear that, on occasion, this species catches, boils and eats us."(“I Am a Cat”  Aiko Ito、Graeme Wilson訳)
 
 情報の明示を好む英語は、能動文ではこのように原則として主語を必要とします。ですからこれを逐語訳すれば、
 
吾輩は猫である。吾輩の名前はまだない。吾輩がどこで生れたのか吾輩にはとんと見当がつかぬ。なんでも薄暗いじめじめしたところで吾輩がニャーニャー泣いていた事だけは吾輩は記憶している…
 
と極めて不自然な文章になってしまいます。
 
 英語と日本語では主語の扱いが違うのです。英語では能動態では必ず主語を必要としますが、行間を読む日本語では主語は頻繁に省略されます。基本的に一般人や直前の文と同じ主語、あるいは容易に想像できる主語は省略される傾向があります。
 
 ところが実際の翻訳では、逐一主語を訳してしまう学習者がとても多いように思います。例えば次のようなケースです。
Nathan Entingh said he was just goofing around with his friends during Science class. Then, his teacher suddenly took him out of the room and called his father informing him of the incident.
 
「ネーサン・エンティン君によると、彼は理科の授業中にただ彼の友達とふざけていただけだという。ところが彼の担任の教師はすぐに彼を教室の外へ連れ出し、この出来事を伝えるために彼の父親に電話した」
 
 でも、訳をしてきた本人に「不要な『彼』を省略して下さい」というとほぼ全員が下線部の「彼」を省くことができます。皆さん、原文通りに翻訳はしてみたののの、日本語としては不自然だと気づいているのですね。
 
 「省略表現はハイコンテキストの日本語の特徴であり、言語上自然な形である」――英語と日本語のこの根本的な違いを頭にいれておくことは、翻訳にとりくむ基本姿勢としてとても重要です。
 
 
次回は、この省略スタイルを翻訳に生かすテクニックについて具体的にみていきたいと思います。


 
江國 真美(エクニ マミ)
大阪大学文学部大学院卒業。
バベル通信科を経てバベル通信講座、スクーリング講師

その後、フリーランスとして独立。
出版翻訳、Forbes誌翻訳、CNN登録翻訳者などを経て、
現在は経済雑誌翻訳、ジャーナリズム翻訳を中心に活動をする一方で、
翻訳学校講師として「自然な翻訳表現」を追求。

翻訳書、共訳書に『いのちの始まり大研究』(青山出版社)、『魔法の糸』(実務教育出版)、『不沈 タイタニック』(実業之日本社)、『世界の危険・紛争地帯体験ガイド』(講談社)、『ホワイトハウスの赤裸々な人たち』(講談社)など。