大きくする 標準 小さくする

第163号 巻頭言

虹は、翻訳者と同じ 役割=現象 を示している!

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 皆様こんにちは、先週、1118には、2016年度の秋季【修士学位授与式】をバベル翻訳大学院本部がある、ハワイ州 ホノルルにて、アラモアナホテルの式場で開催いたしました。 当日は、今回の修了生のZOOM参加とハワイ現地に出席の皆さんに加え、ハワイ在住の院生の皆さんも現地参加、アラムナイの先輩修了生の皆さんも、海外各地からZOOMで参加して、賑やかに開催されました。
 
 丁度ハワイも冬のシ-ズンは雨が多くて気温も低く肌寒いところでしたが、なんと学位授与式の日は午後から晴れ上がり、翌朝には大きな素晴らしい二重の虹がかかりました。ハワイでは毎年学位授与式の時に虹がかかるので、私はこのハワイの虹を、修士学位を取得された皆さんへの
【 祝福の虹 】と呼んでいます。皆様にも虹のお裾分けです!
 
rainbow.jpg
 虹は天と地を結ぶ空の架け橋ですね。
架け橋と言えば、者も異なる文化言葉をつなぐ架け橋です。虹と翻訳者が同じ架け橋としての役割を持っていたなんてご存知でしたか?なんと、
【虹は翻訳者と同じ意味、役割を示している】のです。素晴らしいですね。
 
 虹が出るためには、太陽の光と雨粒という、相反する?二つの自然現象が必要です。そういう意味では、晴れと雨をつないで起きるのが虹の現象だと言えます。まさに翻訳者のように通じ合わない二つの【現象=文化】が通じ合った結果が虹の架け橋なのですね。
 
 虹と翻訳者のつながりの考察はこれぐらいにして、学位授与式の話題に戻ります。
今回の修士学位の取得者は6名でした。ハワイの会場に出席されたのはお二人、米国のテキサス州からと日本の神戸からこられました。他にニューヨークからお二人がZOOMでの出席という形で、学位記の授与を受けられたのです。バベル翻訳大学院では、修士号という学位の取得は、修士論文か、または修了作品という形で200ページほどのオリジナル翻訳書を仕上げて評価を受けます。
 
 学位記授与の後は、ご自分の修士論文か、又は翻訳作品についてのプレゼンテーションを行い、晴れて【翻訳専門職修士 MST < Master of Science In Translation > 】の学位を取得されたのでした。
https://scontent.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/13263880_1723961081191426_3916355465271386760_n.jpg?oh=4b90c015f4ad3499039fa48961441cc9&oe=5886FE7E
 
 これは2016年春の東京会場の学位授与式。右手スクリーンにZOOM参加者も写っています。こうして、会場にて直接お会いしたり、ZOOMにてお話しすることで、大学院での学びの実感を再確認したり、大学院の全体像を実感したりすることができます。私にとっても世界各地の現役院生の皆さんや修了生の方達とお会いできることは、とても嬉しいひと時であり、楽しいイベントです。
 
 本学は、インターネットで学ぶ翻訳専門職大学院ですから、日頃はめったにお会いすることがありません。そのため、毎年、学位授与式を春と秋の2回開催しています。春は東京にて、秋が今回のハワイのホノルル、アラモアナホテルでの開催イベントになっています。
 
 このように、世界各地に在住する方々が入学されたインターネットの翻訳専門職大学院ですから、現地に出席した修了者のみに学位授与式を行うのでなく、希望すれば全員がZOOMでの参加も可能にしています。これは、自宅のPCを通じて学位授与式会場正面のスクリーンにて参加、自宅に居ながらにして学位授与式に出席するシステムです。
 
 勿論、ハワイの会場ではなく、東京の会場に出席したい!という希望もOKです。今回修了するけれども、式は半年後の現地会場に参加する!という離れ業もOKなのです。これは、バベルが当初より、通信教育つまり遠隔教育システムにより翻訳の学びの機会を提供することを目指して実現してきた【志と成果=ノウハウ】に立脚しているからなのです。
 
 このように、世界のどこからでも入学できること、学習はマイペースで出来ること、修了も自分の希望で都合の良い出席方法が選べることなど、遠隔教育の大学院としての斬新、且つ柔軟なシステムを備えています。そして、式の進行では、自分の名前が入った学位記が読み上げられますから、自分の名前が呼ばれたら、【はい】と答えます。さすがにZOOMでは手が出せません(笑い)から、学位記の現物は後で送られてくるのを待つことになります。
 
 いまや、翻訳業という職業は、電子情報通信が可能な場所なら、世界各地のどこからでもビジネスを行い、サービスを提供することができます。ほんの20年ほど前に登場したインターネットシステムは、翻訳ビジネスにとってまさに救世主と呼べるかのような、すごい変革を世界に引き起こしました。まだ記憶に残る1990年代の業態は全く様変わりしてしまいました。そのうえ翻訳業という業態が変わっただけでなく、新たな
「多言語翻訳市場」というニューマーケットも登場させたのです。
 
 今のところまだ、翻訳会社の居住地中心の言語市場となっていますが、少しずつ変わっています。グローバル社会の共通語としての英語を介さずに、日本語から直接多種の言語に翻訳されるニーズも出現しています。「電子出版マーケット」は、本格的な「多言語市場」を出現させるでしょう。
 
 その本格的な「多言語市場」を支える、多言語の翻訳ニーズに対応する翻訳者はどれだけいるのでしょうか?あなたは、その準備ができていますか?そして、曲がりなりにも翻訳のガイドラインともいうべき標準規格が、ISOの活動により実現しています。このように、多言語市場は、世界の多様性を乗り越えて統一水準に進もうという段階へと来ているのです。勿論、まだまだ世界の翻訳市場のサイズ、ニーズ、水準など、多様な環境にあることは確かです。
 
 視野を広く保ち世界という視点を持つと、従来の日本語、日本文化の範囲内だけで思考することは一つの固定的な見方に過ぎず、世界を多言語市場と見ることで、新たな新大陸=新市場が浮上してくることが分かります。視点を新たにし、自己の可能性広げるためには、
【現在の自分の限界や実情を柔軟に受け止めて、別の視点から見てみる】ということが大事です。
 
 そして、今取り組んでいるコミュニケーションサービス「翻訳ビジネス」は、今後どのように変化していくのでしょうか?もう既に新たな動きが登場しています。IT【インフォーメーションテクノロジー】は、AI(人工知能)を生み出しました。AIはITシステムなしには育てることはできないのです。つまり、世界の40億人もの人々がスマホやPCにつながることによって、そのアクセスそのものがAI(人工知能)を育てていると言えるのです。
 
 繰り返しますが、AIの登場により、様々なシステム、機能、ビジネスルール、社会規範などがどんどん変わっています。こんなすごいタイミングに居合わせるなんて、なんと幸運なのだろうか?と思いませんか。スマホやウインドウズ10では、既にAI人工知能が使われていますし、AIなしには結構面倒になってしまった生活をなさっている方も多いのではないでしょうか?
 
 私達人類は、言葉を使う存在です。言わば、言葉の身体つまり社会を構成し、生きて活動し、死にます。人類はまさに
「ことば」なのです!【思考とは言葉を操ること】です。今や、人類の社会生活基盤は「思考=コミュニケーション=ことば」です。これが、現代のわれわれに時間という概念を生み出し加速させている原因、つまり人類の思考様式=認識システム】となったのです。
 
 今回は、学位授与式の【祝福の虹】をテーマに考察してきました。すると、意外や意外、 虹は、翻訳者と同じ
役割=現象 を示している!」ということを発見し、虹と翻訳者は同じ働きをしていているということを述べました。既成概念にとらわれない思考様式へと視点を変えることで意外な発見につながることがお分かりいただけたのではないかと思います。
翻訳とは何か?を常に問いつつ、ITからAIを使いこなす方向へとあなたの意識=視点を動かしてみましょう。そこにオリジナルの発見ができたら、素晴らしいですね。そのような自由な視点で、【新・翻訳の世界】にチャレンジしていただければ嬉しいです。
 
最後までお読みいただき、有難うございます。 

編集部宛メールフォーム

お名前:必須

メールアドレス:必須

メールアドレス(確認用):必須
(確認の為、同じものをもう一度入力してください)

記事タイトル:必須


メッセージ:必須

ファイル添付:

削除

第162号 巻頭言

急加速する世界情勢を読み解き、
翻訳ビジネスで乗り切ろう!

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 皆様こんにちは、11月18日は、2016年度の秋季、ハワイホノルルにて開催の【学位授与式】となります。修了生の方々とお会いできる、楽しいイベントです。
本学は、インターネットで学ぶ翻訳専門職大学院ですから、日頃はめったにお会いすることがありません。そのため、毎年、学位授与式を春と秋の2回開催しています。春は東京にて、秋はハワイのホノルルにて行います。
 
 今春5月の東京開催は、とりわけ記念すべき開催となりました。と言いますのは、この2016年5月の春期学位授与式から、修了者の学位授与式に加えて、教授会の開催、アラムナイメンバーの交流会も行い、さらにご支援の団体、企業関係者の交流を深める懇親会など盛りだくさんのイベントとなりました。その場への出席者だけでなく、ZOOMを活用することで、日本の各地、海外各地からも参加されて、日頃お会いできないことで不足しがちな情報を補完して、リアルイメージを共有体験するイベントになったのです。
 
 このようにその場に実際に出席していなくても、世界各地に在住の現役生や先輩修了生、教授陣が、ZOOMを活用しての会議や意見の発表、情報の交換を行うことでリアルな時間と空間を共有する体験ができたのです。参加された皆さんから自分が学ぶバベル翻訳大学院の実像、リアルイメージが実感できました!という感想が多く寄せられました。
 
 翻訳業という職業は、今では電子情報通信が可能な場所なら、世界各地のどこからでもビジネスを行い、サービスを提供することができます。ほんの20年ほど前に登場したインターネットのシステムは、翻訳ビジネスにとって、まさに救世主というかのような、すごい変革を世界に引き起こしました。まだ記憶に残る1990年代の業態は全く様変わりしてしまいました。そして、それは、翻訳業という業態が変わっただけでなく、そこには新たな「多言語翻訳市場」というニーズが登場したのです。
 
 まさに、ニューマーケットの誕生です。勿論、今のところは英日、日英のマーケットが圧倒的に大きいのですが、英語を介さずに、日本語から直接多種の言語に翻訳されるニーズも徐々に出現しています。これからますます増加するでしょう。2020年の東京オリンピックの開催も多言語翻訳の市場を広げているようですし、これから第2、第3ラウンドを迎えようとしている「電子出版マーケット」は、本格的な「多言語市場」を出現させることが予想されます。
 
 その本格的な「多言語市場」を支える、多言語の翻訳ニーズに対応するサプライヤーである翻訳者はどれだけいるのでしょうか?このために、これまで、ISOが取り組んできた翻訳の水準に関する世界統一規格の検討、発行ということが実現しています。このように、多言語市場は、世界の多様性を乗り越えて統一水準に進もうという段階へと来ているのです。勿論、まだまだ世界の翻訳市場のサイズ、ニーズ、水準など、多様な環境にあることは確かです。
 
 旧約聖書の創世記バベルの塔が出てくる第11章によれば、当時一つの言葉を話していた人類は、神の思惑によって互いに通じ合わなくさせられ、多種多様な言語をわざわざ創り出させられた、と読めます。そして翻訳を通じて互いの意思を通じ合わせる試みというのは、互いに通じ合わない言語があることが前提です。もしも言語が一つであったなら、翻訳ビジネスは発生しなかったかもしれないのです!
 
 このように、世界という視点を持つと、従来の日本語、日本文化の範囲内だけで思考することは一つの固定的な見方に過ぎず、世界を多言語市場と見ることで、新たな新大陸=新市場が浮上してくることが分かります。視点を新たにし、自己の可能性広げるには、【現在の自分の限界や実情を柔軟に受け止めて、別の視点から見てみる】ということが大事です。
 
 今やインターネット(IT)によって、世界がくまなく、且つ緊密に結ばれる時代がやってきたのです。バベルの塔の時代の一つの言葉を互いに通じ合わなくさせた神は、現在のこの事態をどのように考えているのでしょうか?その時の神の意図に、翻訳という概念はあったのでしょうか?そして、今我々が取り組む、言葉を通じ合わせるサービスを生業とする「翻訳=翻訳ビジネス」は、どのように変化していくのでしょうか?
 
 このような中、既に新たな動きが登場しています。IT【インフォーメーションテクノロジー】は、AI(人工知能)を生み出しました。AIはITシステムなしには育てることはできないでしょう。AIの登場により、様々なシステム、機能、ビジネスルール、社会規範などがどんどん変わっています。それは、AIと同じ「人工・・・」です。人工とは、【TECHNOLOGY】です。従来のシステム、機能、サービス、情報・・・がみな、この【TECHNOLOGY】と結びついて、新技術となっているのです。
 
 中には購入された方もおいでかと思いますが、ビットコインなどの仮想通貨に代表される金融革命【フィンテック】が起きています。さらには、ついこの春、世界を揺るがしたタックスヘイヴンの「パナマ文書」と言われる金融資産情報流出、国際情勢では、英国のEU離脱投票や中国のバブル崩壊、ロシアの動き、トルコの政変などにくわえて、米国の大統領選挙の行方など、大きな影響力を持つ大変化がいつ起きるやもしれないという、目が離せない情勢です。
 
 こんなすごいタイミングに居合わせるなんて、私たちはなんと幸運なのだろうか?と思いませんか?前号まで数回にわたり「時間」についての考察をしてきましたが、その考察では「時間は思考である」ということになりました。なるほど、これだけの大きな変化が世界中至る所で起きているという認識は、時間の進行が速いと感じる認識とリンクしています。世界同時多発テロという言葉が、それを如実に物語っています。
 
 つまり、キーワードは、「世界」「同時」「多発」です。これはまさに時間の進捗を表現している言葉です。それは同時に、現代のわれわれの思考様式となっているのです。ここに埋め込まれた「タグ」この三つの単語が思考に影響を与え、時間の加速を促しているのです。
 
 私達人類は、言葉の存在、言葉の身体、言葉によって社会を構成し、生きて活動し死にます。人類はまさに「ことば」なのです!勿論、思考は言葉を操ることですね。昔々はお百姓さんが農産物という命の糧を生産されていたので、社会の基盤でしたが、いまや、人類の生活基盤は「コミュニケーション=ことば」となったのです。これが、現代のわれわれの時間を加速させている原因、つまり我々人類の思考様式=認識システムとなったのです。
 
 今や、生きることは「農産物などを生産して食べること」から、「ことばによるコミュニケーション活動」となっているということですから、コミュニケーションの担い手としての翻訳作業は翻訳者という職業だけのものではありません。人は誰もが「ことばによるコミュニケーションを行いつつ生活しています。そういう意味では、誰もが翻訳者なのですね!
 
 勿論、その中でも、翻訳のプロフェッショナルとして、「ことば」を巧みに使いこなして、あたかも「魔法使い」のように、「多種の言葉の使い手」を生業とする「翻訳者」は、従来の世界でいえば、「お百姓さん」なのですね?すごい結論が導かれました!!(笑い)
 
 ともあれ、世界各国の経済情勢の大きな変化が起きたりすることによって、従来、英語が基軸言語となってきた事態にも徐々に変化が起きることもあるかもしれません。世界は、このような大きな変革の時を迎えているのですね。先ほど触れた、フィンテック(FinTech) という言葉をご存知だと思います。FINANCE と TECHNOLOGY を組み合わせた造語だということですが、金融システムに大きな反響を引き起こしています。既にPayPal ( 
https://ja.wikipedia.org/wiki/PayPal  )はお使いの方も多いでしょう。
 
ところで、以下にみずほ総研の調査報告をリンクします。

http://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/research/r150401keyword.pdf

これを読むと、1998年頃から既にこの動きが登場していたのですね。勿論米国では。1994年に米国で始まった商用インターネットはその時すでに米国の一部の企業はその先に関する想定を終えており、市場環境が整うのを待つかのように、金融の新たな仕組みを研究、開発し、提供してきたようです。
 
 
 今回は、急加速する世界情勢を読み解き、翻訳ビジネスで乗り切ろうというテーマで、様変わりする社会情勢に対応するには、従来の翻訳ビジネスについての思考様式からいかに視点を変えることが必要か。そして、その変化のキーワード「IT=インフォーメーションテクノロジー」について考察してみました。ITを使いこなす方向へ向けて、あなたの視点が少しでも動いたら、それは素晴らしいことです。
 
 前号では、「ウォシャウスキー兄弟」がいつの間にか「ウォシャウスキー姉妹」になっていることを発見しましたが、思考を変えれば、新しい世界が登場するのですね!変化する社会のニーズにどのように対応するのか、それは、あなた次第です!(笑い)
そのような自由な視点で、【新・翻訳の世界】にチャレンジしていただければ嬉しいです。
 
最後までお読みいただき、有難うございます。

第161号 巻頭言

翻訳の生産性を高める方法 ― 時間とは思考である。

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 10月25日、早くも2016年の秋の気配が色濃くなりました。桜並木の紅葉は雨が多くて鮮やかではないものの、黄色に色づき、ハラハラと散っています。トンボを見かけたのは9月末頃、東京、御成門の交差点です。しばらく、道路のわきの縁石に止まっていました。蝶はよく見かけるのですが、トンボは久しぶり、珍しい発見です。皆様のお住まいでは、トンボや蝶はいかがですか?地域差が大きいかと思いますが。
 
 このところ、時間について考えさせられる出来事が多くあり、時間に関する考察を続けていますが、忘れていたことが思い出されました!それは、10年ほど前の体験なのですが、「時間が一瞬?止まった」という体験です。
今回の時間に関する考察はこれから始めます。
 
 皆様も時間にせかされ、時間に追われて過ごした体験がおありかと思います。そんな時は、「時間よとまれ!」と言いたくなりませんか?ということは、私たちは無意識のうちに、時間は止められるという考えを持っているということになりますね!この時間が止まるという感覚は体験したものにしかわからないのです。
 
 そこで皆様にイメージしていただくために疑似体験のご紹介です。映画がお好きな方なら「マトリックス」という作品をご存知かと思いますが、主人公ネオの戦闘シーンでは、銃弾が飛んできたのを時間がゆっくり流れるように見せて、優雅によけているシーンを見せます。そのほかに時間が止まったかのような見せ場が続きます。単に銃弾をよけるのを普通のスピードで描いても見せ場にならないから、ゆっくり見せた!のかもしれませんが!ユーチューブで「マトリックス」を検索し無料動画を見てください。なかなか面白いです。
 
 今や、時間に追われての毎日を送る現代人にとっては、いかに時間をコントロールするのかが必須要件のようになっています。勿論、現代人のみならず、人類は地球上の移動を繰り返しており、これまで、いかに早く移動するかとか、物事を成し遂げるかという、いわば時間との闘いを繰り返してきたとも言えると思います。
 
 余談ですが、この原稿を書くために「マトリックス」を検索したら、作品の監督「ウォシャウスキー
兄弟」がいつの間にか「ウォシャウスキー姉妹」になっていました!!驚きです。まさに時間の経過は、性別までも変化させてしまうのですね!(笑)      
話を元に戻しますが、私が体験した時間が止まった瞬間というのは、犬に引っ張られて走っていたときに起こりました。一瞬時間が止まったのです。見まわすと周りは止まっています。シーンという感じですごく静かです。その時、このまま走っていくと転ぶ!という声が頭の中でしたような気がしました!それで、次の瞬間、犬のひもを引っ張って止まったのです。止まったら周りは普通に動きいています。もしかすると、時間が止まったというより、一瞬先の出来事を見たのかもしれません。メカニズムはわかりません。お陰で、転ぶことなく、楽しくゆっくりと散歩をすることができました。
 
 このように、時間は柔軟なものではないか?というのが私の体験に基づく考察です。時計は確かにコチコチと時間を刻んでいます。今までずっと時間は止まらないし、逆転もしないし、誰でもどこでも同じ間隔で刻むものだと思い込んできたわけです。それを疑ってみることさえしなかったのです。しかし、その観念をうのみにしないで、時間を自分の意志でコントロールできたらいいな!という思考方法をしてはどうですか?という提案なのです。
 
 受験生にとっては、時間ほど無情なものはありません。遅刻しそうなとき、締め切りに間に合わないで焦っているとき、時間が止まったら!とか、もっと早く過ぎてくれたら!とか思いますね。見方を変えることで、時間についての概念を変えることによって、何か新しい創造性を発揮できるようになるのではないだろうか?
「翻訳の世界」とは、時間さえ翻訳してしまう「創造可能性の世界」なのではないだろうか?と思っているのです。
 
 翻訳とは想像=創造である。これは私の一つの認識です。原著がすでに翻訳され、評価やその表象が固定されたかに思える文章、情報であっても、また別人の思いによる新訳があってもいいわけです。時間は過去に戻れない、いったん過ぎた時間は変更ができない!という考えは、単に概念、観念であるとすれば、いくらでも修正できるし、変更が可能になります。
あの有名な物理概念、「パラレルワールド」は「翻訳の世界」だからこそ実現できるのではないかと思うのです。
 
 私たちが体験する時間という現実認識は、このような思考、概念、観念が先にあって、そのあとに時間というものが作り出されたのではないか?という仮説を考えてみましょう。時間を意識して使いこなしているのは私たち人類ですが、ほかの生命体、動物、植物、菌類、藻類などを考えると、それぞれに時間が異なっています。つまり、時間とは「宇宙の法則」とかいうレベルの不可知なものではなく、状況や生態、意識、つまり思考によって想像=創造されるものである!と定義してもいいのではないかと思います。
 
 いろんな視点から時間を考察していくと、時間という概念が何か柔らかなもの、親しみのあるものに変化したように思います。もっと時間に近づいて親しめば、
翻訳の時間生産性をいかに高めるか という、翻訳者の切なる問いかけに応えてくれるように思います。やはり、時間のことは、時間に聞くのが一番です。勿論時間さん?は、声を持っていませんし、文字も書けませんから、問いかけた人の脳裏に直感という電気的ヒラメキが走るのです。あなたも体験されたように、アイディアが湧く瞬間には、顕在=表面意識を眠らせ、潜在意識からくる直感を受け止める心のゆるみと平安が必要です。つまり思考をあれこれ巡らせているときには感知できません。私の、「時間が止まった瞬間の体験」のように、シーンとした静けさ、脳も心も何も考えていない静かな平安の状態でのみ直感を受け取れるようなのです。
 
 ビジネスのスピードがますます速くなっていく中で、翻訳の品質を保持したままでいかに早く翻訳を仕上げられるか?これこそがいま、グローバル市場が
翻訳(出版含)業界=翻訳者求めているビジネスニーズであり、私達翻訳業界=翻訳者のチャレンジ課題なのです。このまま、AIに仕事の場を明け渡しますか?それとも、AIに勝るとも劣らない付加価値レベルの翻訳生産性(システム)を編み出しますか?
 
 これは、古くて新しい命題です。1990年代に直面した命題です。あの時起こったことは従来の技法に胡坐をかいていた翻訳者は淘汰されました。しかし、全員が淘汰されたのではありません。いくつかの別々の方法で生き延び、新たなレベルの技能を獲得実現した人々が今活躍されています。しかし、今後登場するAIをどのように使いこなしていくのか、または対応していくのか、その対策が始まったばかりです。
 
 AIとの対応は、時間との対応とも言えます。
大量の文書を従来処理時間の半分で実現したい!もしも時間の壁を超えることができたら!さらに、大量翻訳をするのに、時間という概念を別の見方で捉えたら高速化できないだろうか?翻訳の作業も別の思考法=技法でやったら、時間を半減できるかもしれないのです。
 
 今回は、「翻訳の生産性を高めるための方法、時間とは思考である」というテーマで考察してみました。あなたの視点が少し動いたら、それは素晴らしいことです。「ウォシャウスキー兄弟」がいつの間にか「ウォシャウスキー姉妹」になっているように、人間の思考、価値観の自由度は保証されています。
そのような自由な視点で、「翻訳の世界」に臨んでいただければ嬉しいです。
 
最後までお読みいただき、有難うございます。

 

第160号 巻頭言

時間に思いをはせつつ、翻訳とは何かを考える

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 皆様こんにちは、相変わらず日本では、毎日が台風接近のニュースに彩られています。勿論、世界各地でも、気象現象の規模やその影響も大きいものが発生していますし、人災とその影響の規模も大きいですね。各地での被害の状況が報道されていますが、皆様お健やかにお過ごしでしょうか?お伺い申し上げます。
 
 ニュースは、事件や災害、ゴシップなどが多く、せいぜいスポーツの勝敗、有名人の近況などがニュースになりますから、あまり興味がわかないのではないかと思います。既成の著名なメディアの報道しかなかった時代は、それに大きな影響を受け、世界をメディアのいうところでしか認識することができなかったわけです。
 
 ところが、現代は、WEBサイトやSNSなどが、直接個人の情報コミュニケーションを実現できるようになり、いろんな情報の壁が取り払われています。現代は、ものすごい情報コミュニケーションの時代だと言えますね!メールを送れば瞬時に地球の裏側の人にでも届きますし、日本からハワイにメールを送信すると、時間の壁を越えて、昨日のハワイに届くのです!!すごいことなのですが、ただそういうものだとやり過ごしてしまいます。
 
 考えてみてください。昨日の人に送っているわけですが、逆にハワイの人から、東京の在住者を考えると、時差の分だけ、時間は進んでいますから、未来の人からメールが届いているということになりますね!このように、瞬時に送信ができるということは、時間が進んだと考えていいのでしょうか?
 
 過去に江戸から京都へ歩いて行っていたころは半月くらいかかったのでしょうか?それが、今では飛行機で1時間、その他の移動機関を考えても2,3時間で着きます。新幹線なら2時間ちょっとでしょうか?さらにリニアモーターカーになれば、どれだけ早まるのでしょう!現代は、時間がすごいスピードで短縮する時代だとも言えますし、逆に時間を逆流さえしているのです。
 
 時間とはいったい何なのでしょうか?つまり、時間の定義が現実に合わなくなってきている!!ともいえるのですね。ニュートン力学が提唱した、時間の矢は直線的に前にのみ進み可逆性はない!という定義が修正されることになってきたわけです。すると、この時間概念で構成されてきた思考、概念というものがだんだん崩壊してきているということが分かります。すると、いろんな可能性が生まれてきます。
 
 私たちの思考パターンはこのようなニュートン時間によって設定され、構築されてきたわけですが、時間が前に進むだけでなく、過去にもまた、さらに先の未来にも一足飛びに飛んでしまったら、一体どんなことが起きるのでしょうか?
 
 このような時間の定義の壁や、情報通信の壁が取り払われることに大いに貢献したツールにSNSはもとより、とりわけ「ユーチューブ」を上げることができます。ユーチューブの特徴は「無料」「誰でも」「いつでも」「何度でも」「何でも」ということで、私は大いに楽しませてもらっています。
 
 やはり、映像と音声が同時に送信されるメディアは人間の情報認識システムに効果的ですね!翻訳業はどちらかというと「文字情報」にこだわりがありますが、「映画の字幕翻訳」は、画像と連動する音声を文字に変換する翻訳技術です。通訳とは少し違いますが、文字で表示する部分は「翻訳」と言えるし、音声を手短に別の言語に表現する部分は「通訳」でもありますね。
 
 そして、音声と画像という現実条件に近い動画の翻訳となると「翻訳と通訳」の二つを使うことになります。つまり、「字幕」から「吹替」になると、「通訳的ニュアンス」がもっと強くなります。例えば「日本語を流暢に話すアメリカ人」なら変な感じもしないでしょうが、英語を流暢に話す異星人」というのは、どうでしょうか?
 
 映画ならこれもありですが、投稿された「ユーチューブの動画」には、金星人?が英語を話したりしています?そういう意味では、翻訳ビジネスは、地球上だけのビジネスではなく、宇宙でも翻訳ビジネス?は必要である!ということになりますでしょうか?コミュニケーションが地球上においても、宇宙においてもベーシックな活動となる!と言えるのでしょうか?
 
 宇宙を探査するために、光速を利用しているわけですが、その理由は、光によって現実体験が実現できるということがベースになっています。光のないところでは、私たちが認識する五感の体験の役割がずいぶん変わります。ヘレンケラーは見えないし聞こえないのに、目明きで耳が聞こえる人間と同じ認識システムを使いこなしたと言われていますが、興味深い知的進化のニュースはなかなか伝えられていないように思います。
 
 光速とは高速?または拘束?梗塞?校則?というわけで、光通信と時間の関係を考えてみます。次のユーチューブは光速についての情報です。ご興味があればどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=PYbdItvA8fY
 
 ところで、時間とは光の速度なのでしょうか?私達の時間はカイロス時間と、ニュートン時間=クロノス時間があると考えてきましたが、光、または、光の速度についての研究はどんどん進んでいます。宇宙という、広大な空間を想定して、何とかもっと色々体験したい!という人間の欲望は、とどまるところを知りません。この宇宙の広大さに、直進するという光の速度だけでは、とても生きている間に得られる情報は少ない!というわけで、空間を曲げる、空間を折りたたむ、という概念が語られています。
 
 このように、時間は、どんどん加速しています。つまり、光の速さをどんどん速めている!とも言えますし、直進という概念をみなおしている!とも言えます。最近の私の体験でのキーワードは「折りたたむ、折りたたまれている」ということです。宇宙は折りたたまれている!何のことやら良く分からないですね!空間を折りたたむということが今の先端物理学のアイディアのようです。
 
 翻訳も時間との闘いと言えば言えなくもないですね。大量の文書を従来処理時間の半分で出来たら!そう思われることはないでしょうか?時間の壁を超えることができたら、大量翻訳を従来3か月はかかっていたのを1か月で仕上げる、とか。1か月かかっていたのを1週間で仕上げる!などということができたら!ため息が出そうですね。時間という概念を別の見方で見たら高速になるのなら、翻訳の作業も別のやり方でやったら、時間を半減できるかもしれません。
 
 このような時間の壁に、人類は常にチャレンジしてきました。翻訳も同じですね。翻訳の生産性をいかに高めるのか!これが、今も、これまでもずっと、バベルが取り組んでいる課題です。時間が早ければいいというわけではなく、最適な品質、顧客が求める品質を最短の時間でいかに実現するか?ぜひチャレンジしてみてください。いろんなイディアを思いつくと思います。
 
 一人で全工程を行うという思考は、時間の矢、つまりニュートン時間に囚われています。複数の人々が同時に一斉に作業して、短時間に完成して、且つまるで一人の知性が行ったような完成度!そんな翻訳の生産性にチャレンジしてみませんか?それはどうすれば実現できるのでしょうか?これまでの考察のプロセスをヒントに、あなたも是非考えてみてください。そして、アイディアが浮かんだらこの記事に返信投稿いただいたら嬉しいです!
 
気軽な頭の体操です!皆様のアイディアをお待ちしています。
最後までお読みいただき、有難うございます。


 

第159号 巻頭言

時間の意味を知って時間を使いこなそう!

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 このところ日本列島は台風に見舞われ、毎日が大掃除のように雨が降り続きましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか?このような天候にもかかわらず、草花はしっかりそれぞれの時間を過ごしています。
 
 時間の移り変わりを示すように、お彼岸に咲く「彼岸花=曼珠沙華」をご存知でしょうか?私の散歩コースには、お彼岸の時を教えるように、赤やオレンジの見事な曼珠沙華が咲き誇っていました。それが、連日の雨に打たれて。花の重みに耐えかねてか、茎はほとんどが倒れてしまいました。それでも、花の部分はあの美しい華麗な立体構造を保っています。
倒れても、さすが彼岸花=曼珠沙華だなあ!と、意味のない感慨を覚えた次第です。(笑)
 
  時を示す草花が日本には多いように感じます。それは、やはり四季がはっきりしているからなのでしょう。勿論、四季の時間の巡りは、多少早くなったり遅くなったりしますが、ほとんど狂いがなく毎年毎年巡って来ます。日本では、その四季に咲く草花や渡り鳥、四季の折々の虫の鳴き声、風、雨や雪、雷などの天候が時を知らせてくれます。変化に満ちた自然との暮らしは、旧暦を見ることで思い出すことができます。
 
 また地球には、ハワイのように、多少の気温の差があっても一年中が夏のような寒暖の差の幅が狭い地域や、逆に年がら年中寒い冬の地域、極端に寒暖の差が厳しい地域、四季がはっきりしている地域など、地球上では多様な季節感、つまり時間感覚を体験することができます。私たちの日々の生活とは、この地球上の自然に育まれた生命の活動がベースにあり、その中で人類の社会活動が営まれている、ことが分かります。
 
 このような地球生活を考えると、時間という巡る輪の上で、または中で私たちは生きています。前号では、時間には二つの種類、クロノス時間とカイロス時間があることについて書きましたが、この二つの時間があるということが発見されて知識化されてからそんなに時間は経っていません。古代に遡れば、ギリシアのソクラテスやプラトンの時代にはどちらかというとクロノスという神が時間をつかさどるという考えが残っていたかと思われますので、この二つの時間は明瞭には別れてはいなかったのでしょう。

 西欧文明の世界でも、東西の様々な交流によって、中東の先進文明の影響を受け、時間概念は、少しずつ二つの方向へと分離、分化していったと考えられます。その分離の方向が一つの概念として極まっていく中で、ニュートン物理学は誕生したのです。地球上の東西の交流は現代の私達の移動・交流の物量と短時間ではないにしろ、長期にわたり、かなりの文化文明の交流がなされてきたことは歴史的事実です。
 
 地球上の人類の歴史はまさに、東西交流の歴史であり、相互に影響を与え合いながらも、また地域の独自性をさらに発展させながら、また相互に影響しあう・・・・ということを繰り返してきた時の流れであるとも言えます。
しかし、それは、私たちの歴史認識が、また時間認識がクロノス時間に支配されているからそうなったのだとも言えますね。時間を一つの方向へのみ流れる時間の矢、または、直線の流れとしか、認識しないために必然的に作られた歴史である、と言えます。
 
 このような歴史観では、古代は文化文明の程度は低く、野蛮であり、無知蒙昧である!などという概念を作り出してしまいます。昔はよかった!と懐かしむご年配の方もおいでかと思いますが、それは現代の進化や進歩に対する反動的な考えであり、あまり有益ではありません。感慨としてはわかりますが(笑い)。
 
 私たちはもっと冷静になり、現代のような「人間だけが地球を占有するのが当然である」という詭弁思考に立たずに、地球の全生命という自然に生かされている小さな生命としての人間が果たしてきた役割としての文明史を考えてもいいかと思います。それが、カイロス時間なのです。カイロス時間とは、例えるならば「シンクロニシティという時間概念」と言えます。
 
 皆様も体験されたことがおありだと思います。しかし、それは、シンクロニシティという概念だと知らなければ、「偶然でしょ!」という一言で終わってしまうでしょう。私たちは、必然か、偶然かとしか考えられないように、思考の枠組みが決めてしまっているからです。
 
 これは、ニュートン以前も、もちろんニュートン以降も天球と地球の観察によって時間が考案されてきたということを想定すると思考の枠組みが大きな限定要件である、つまり、人間の思考能力を限定している原因であるということが分かります。
 
 前号で、「人類は言葉を使い始めることによって大いに発展するのですが、同時に言葉は交流伝達の阻害要因にもなるのです」と述べましたが、このような二律背反的な構造が私たちの思考にはめ込まれている、と私は考えています。これは、陰陽論にてよく説明されます。一つの事象には陰の側面と陽の側面とが同時に存在しているという表現です。つまり、コインの表と裏といってもいいですね。
 
 ところで、私は大学院時代に「易」を学びましたが、皆様ご承知の通り「易」は、陰と陽の三本ずつの線、つまり六本の線を書き、これで占います。例えばコインを一回ふります。それが裏なら陰(線が真ん中で切れた図で示します)、コインの表なら陽(つながった直線で示します) これを6回行って、その陰陽の図の形で占うのです。
 
 さらに、対極図ということを考えますと、陰は極まって陽になり、陽は極まって陰になると言います。つまり循環しているのです。カイロス時間は、循環です。それは東洋文明が育んできた時間概念です。だから、日本では、四季は巡るものであり、自然の生命と共に生かされ、生きていこうとすることがその思想であり、精神なのですね。
 
 ここまで書いてきて、時間についての考察を次号も続けていこうと思いました。時間とは何か?まだまだ続きます!
最後までお読みいただき、有難うございます。

 

第158号 巻頭言

時間とは?時間の加速とは、何を意味しているのか!

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 皆様、お元気にてお過ごしのことと存じます。8月25日号はお休みをいただき、のんびり気分を満喫いたしました。皆様も、この夏休みは、ゆったり過ごされましたか?
 
 2000年以降はことさら毎年、日本列島では、地震や台風の洗礼を受けつつ、既成概念の崩壊と浄化が進んでいます。この現象は、日本ばかりでなく、世界各地で起きています。それらは、気象現象や火山の噴火、地震、洪水などの自然現象だけでなく、世界の経済システムや軍事態勢や対外情勢・政権、科学・知識情報の変化、民族移動や国境の移動などなど様々な分野で崩壊と創造が起きています。
 
 この2016年8月、オバマ大統領が、現職のアメリカ大統領として初めて広島の原爆慰霊祭に出席しました。多くの日本人の感慨は深いものがあったと思います。日本の呼称では「大東亜戦争」別名、第2次世界大戦の終結1945年8月15日以降の、戦勝国の連合である国連というシステムによる戦後体制が終焉を告げ、新しい世界システムが誕生する移行過程として一つの区切りとなったイベントです。
 
 つまり、新しい世界が誕生しようとしている!ということなのですね。この変化は、旧態システムの崩壊、既成概念の崩壊、自然現象としての噴火や地震による地形や気象現象の変化などとして認識できます。私たちは、日々の変化の中でその変化が日常化していると、それが普通であると感じ、それに慣れてしまい、ものすごい価値の転換や変化に気付かないでやり過ごしてしまいがちです。そのままだと、いわゆる、ゆでガエル現象!を体験することになります。これも、時間認識の一つであると言えるのです。
 
 このような大きな変化は、古代にも、世界各地でも起きていたのでしょう!浦島太郎の伝説やガリバー旅行記などは、既成概念が崩壊した世界の体験だとも言えますね!それらの異なる世界への遭遇体験の伝承が数多く存在していることは、世界の出版物を見るとよくわかります。世界の出版物をそのような目で見渡せば、どれだけ、不思議な、非常識の世界が記述されているのだろう!と驚嘆します!
 
 いかに自分が知りえた知識の範囲が狭いかが分かります。私たちは自分が体験した範囲で、且つ許容範囲で、且つ理解できた範囲でのみ世界を認識しているからですね。こう表現するととても狭い範囲だということが分かります。それらの原因の一つに言語障壁がありますね!ご存知の旧約聖書の【バベルの塔】のエピソードは、それを物語っています。
 
 人類は言葉を獲得すると同時に、「ことば」から疎外されています。【バベルの塔】はそれをシンボリックに表している、と考えています。それは、言葉が一つであったとき、同じ一つのことばを話していたとき、共同作業は完璧に働き、つまり神と同じ能力であったと想像できます。それが、互いの言葉が通じ合わなくさせられたので、人々は争い、バラバラになり、離散していくのです。
 
 この【バベルの塔】のシンボルは何を意味しているかと考えると、言語、つまり我々のことばの性質を表していると思えるのです。一つの価値観、概念の共有によってその言葉を固定することで、言葉は有効に働きますが、逆にそれはいつの間にか既成概念となってしまい、自己を縛り、創造性を奪っていくのです。しかし同時に、毎回話すたびに言葉の意味が変わったら、言葉としての働き、機能が果たされません。このように、言葉はそのような矛盾を抱えていると言えるのです。
 
 【ことば使い】として、あたかも「魔法使い」のごとく、新たな価値を創造していく働きとしての「翻訳技術」によってビジネスを創造していく翻訳業=翻訳者にとっては、この矛盾に気づきつつ、飽くなきチャレンジをし続けることが自己の存在の証でもある、と言えましょう。
 
 言葉は、辞書を引くことでその使われ方のパターンを知ることができますが、それだけのことなのです。言葉の意味というものを、辞書は的確に表現できません。また、私たちの理解システムもそう単純ではないのです。では、翻訳者は何をやっているのかというと、辞書を引き引き、鉛筆なめなめ、頭の中で試行錯誤を繰り返しているのです!
その言葉のリアルな体験=その言葉の意味を矯めつ眇めつイメージして、言葉の本質へと迫ろうとしているのです。ちょっと表現が古かったかもしれませんね!(笑)
 
 翻訳とは言葉の意味を深く問いつつ、不変の共通の意味へと至り、異言語(異世界)のシステムの中の等価の意味の表現へと変換するプロセスだとも定義できます。が、しかし、それを保証するものを唯一の正確性として表現することは困難です。
 
 「Traduttore, traditore 」という言葉(イタリア語の警句)が知られています。一見、ダジャレ、言葉遊びです。「トラドゥットーレ(翻訳者)はトラディトーレ(裏切り者)」である、つまり、「どんな翻訳者も翻訳すれば、原文を正確に伝えることはできなくて、必然的に原著者の意図を裏切ってしまう」ということを表しています。このような矛盾の上に「翻訳」があるのですから、「翻訳」とは、いかに根源的な作業であるかが分かります。
 
 私は、40年あまり前にこの「翻訳」にかかわり始め、すっかり魅せられ、翻訳にかかわる多様な事業を営み、翻訳専門職大学院を設立してなおも「翻訳とは何か、どうすれば誰もが的確な翻訳を実現できるか」を問い続けています。そして、なぜ、私はそれにこだわるのかと言えば、それが私の人生の理由、なぜ私は生まれたのか?であり=【志】なのです。
 
 それは、今、「時間とは何か、なぜ時間は加速していくのか?」という「問い」となって、現れてきました。時間とは何か、と考えることは、「翻訳とは何か?」と考えることと同義なのですね。すると、時間には二つの側面があることが想定されますね。その想定の通り、時間には二つの時間があると言われています。
 
 それは、ギリシャ神話に出てくる「クロノス」と「カイロス」です。
簡単に説明すると、「クロノス」とは私たちが普段使っている時間、地球の自転の長さを24時間と決め、一定の間隔で時と時の間をきめていき、後で誤差を調整する方法であり、それは英国のグリニッジを起点としているという原則であるということです。
地球は丸い(本当なのでしょうか?まだ見たことがないのでわかりませんが!)。このような、ニュートン物理学に基づいているということでいえば「ニュートン時間」でしょう。

 もう一つは「カイロス」ですが、これはいわばシンクロする時とでもいえると思います。瞬間に立ち現れる時、という感じでしょうか。ユングの言うシンクロニシティという時間観念です。つまりこちらがこうしたいと思っているとき、相手も同時にそう思っていて例えば電話をかけようと思っていたら、向こうからかかってきた!などと言える現象です。ユングは量子力学の研究者とよく交流しています。
 
 最近は、多くの方がシンクロニシティを実感する機会が増えています。この場合、加速しているどころではなく、時間が0になっているとも言えますね。
というわけで、とりあえず、どうやら時間が二つあるのだということを認識していただければと思います。
 
 次に、時間が年々加速している、という感覚については、インターネットシステムが大きく関係していることを言いたいと思います。皆様も実感されていると思います。また、最近話題のAIについても一時騒がれてニュースになると、多くの人々の既知の現象となり、大した問題意識もなくそのまま流されてしまいます。そうしたらいつの間にかAIに使われる立場になってしまっていた!などということが起きてしまいかねません。これらを促進する現象が、「時間の加速化」です。
 
 この「時間が加速している」という感覚は2010年頃から特に感じるようになりました。
年々加速していると感じます。また、別の表現をすれば、「時間が縮んでいる」という感覚でもあります。皆さんはいかがでしょうか?
 
 ある意味で、生まれたての赤ちゃんと70代へと突入しようとする私の時間は違うことが直感されますね。生まれたての赤ちゃんの体験、知識・情報量は私とはまるで違います。また、その情報処理能力もまるで違います。それなのに、時間を一定間隔で刻み、どこにいても、誰であっても同じ量、または数値で表すこと自体が、矛盾?しているのではないかとも思うのです。
 
 勿論、はじめから世界は単一の文明、システムではありませんでした。ですからいろんな暦、時間計測ルールがあったわけです。世界の歴(暦)史はそれを示しています。世界がいくつかの民族の征服や争いにより、統合され、だんだんと単一化されてきたのです。それでも日本は明治時代になるまでは独自の度量衡システムを持ち、優れた測量技術、天文学により、和暦や和算、日本独自の時間の取り決めを民族文化の多様性を容認する中で育んできたと言えます。
 
 それが大きく、文明開化と称してガラッと変えられてしまったのが、明治時代(1868年~)です。ここから日本はグローバリゼーションの世界へと入っていきますが、それは、2016年の今から、たった150年ほど前でしかないのです。何しろ日本の歴史は2000年以上の文化・国体の継承が続いていることが知られています。
 
 その歴史の中で江戸時代という、世界的に見ても稀有の上質文化と独自の科学技術を発達させてきたわけですが、江戸時代後期に日本を訪れたヨーロッパ人たちは、アジアの東方の野蛮人を征服して植民地にしようとしてやってきて、アヘン戦争を起こして、清国を疲弊させています。だから、日本では、西欧人を「南蛮人」といったのですね!お互い様ですか!
 
 ところで、東洋の島国で遅れた野蛮な国であろう日本を植民地化したいとやってきたのでしょうが、清(中国)とは違う進んだ文明国で、武士という強い軍隊組織で守られているところだとわかり、日本の印象を本国へ書き送った書簡が多数現存しているそうです。中でも浮世絵というすごい絵画が、新聞のように印刷されたものを庶民が見ていることや、清潔で、行き届いた幕府の経営システムにも驚きを隠せなかったと言われています。
 
 150年前には、世界の最高水準の文化文明国家であった日本が、その後野蛮な世界の仲間入りをして、2度の原爆の投下実験によって無条件降伏し、戦勝国連合(国連)により、世界の敵と烙印を押されて、歴史的資産や財産を奪われ、戦勝国側の軍事費や多額の拠出金を戦後賠償として支払ってきたのですが、1987年頃には賠償が完了したことをご存知でしょうか?ほとんどの方が知らないのではないかと思います。
 
 今や、日本は、戦後の教育や様々な洗脳から開放される時(=タイミング=カイロス)だと言えるのです。体制は変わっても、約束を果たし、平和と他者を意識して生きていくのが日本なのですね!だからこそ、世界で一番の翻訳の質と量を保持してきたと言えるのかもしれません。
 
 さて、時間はなぜ今のようなクロノス時間に統一されたのかということに話を戻すと、世界市場の支配、一元化という目的のために導入され、定着され、固定観念となってしまったと言えるのです。ただ、日本は今でも西暦年号と和暦年号の二つがありますね。今は、平成28年であり、同時に2016年でもあるのです!結構面倒なのですが、この二つある!ということがミソ(=味噌?) なのです。日本の常識は、世界の非常識!よく言われることです。
 
 一体、なぜ、時間を「クロノス」時間に取り決めたのでしょうか?時間を支配することは、人生を支配することになります。政治システムを支配するのは大変ですが、時間を支配されても、私たちにはわかりません。支配されていることさえ、今まで、大した気づきがなかったのですから!自分の人生において大事な資源である「時間 を、私たちはこのように粗末な扱いしかしてこなかったのです!
 
 以前見た映画で、生まれた時が老人でだんだん若返り、数十年たつと赤ん坊坊になってしまう!という作品があります。タイトルは「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」です。ご覧になった方もおいででしょう。これは、芥川龍之介の「河童Kappa」をイメージさせますね。これらの作品は既成の事実として概念化され、固定観念にとらわれてしまった私達に既成概念にとらわれない!ことを教えていると思いました。
 
 そして、2000年を過ぎてから時間が早くなったと感じることが増えてきたのはなぜでしょうか?世界各地で言語が違うように、時間感覚(=間隔)も違うはずですが、それを地球上どこも同じであり、人も皆同じに感じることを当然のように考えている自分がいます。

 前号では、26,000年周期のシリウスとの大接近のことを書きましたが、この研究者の発見も多くの人々が知るところではないようです。このように、私たちが知っていることはかなり限定されていることが分かります。そのような狭い知識とさらに狭い自己の体験による判断によって世界を、外界をとらえていることが分かれば、自分は何も知らないのだと思い、もっと謙虚になれるのではないでしょうか?

 光は、電磁波ですが情報でもあります。この宇宙の中心から、発信された宇宙情報は、銀河系宇宙に到達するまで、何千、何百と数え切れないほどの太陽の反射と増幅によって、宇宙の隅々にまで情報=光が届けられるのでしょう。

 それは、現代のインターネットにより結ばれた、現代地球世界の有様にそっくりです。
もっとも、宇宙のそのシステムを人間科学として応用具体化したのかもしれません。しかし、宇宙の仕組みの前に、もっと身近なものがあるのです。
 
 それこそが、あなたであり、私であり、人類の脳と身体です。勿論生命体が持つ脳という機能と身体システムであります。時間とは何か、まだまだ、考察を深めていきましょう。次号をお楽しみに。
 
最後までお読みいただき、有難うございます。
 


 
【ご参考】
http://www009.upp.so-net.ne.jp/makosgy/profile-1.html
菅谷 誠  (Sugaya Makoto)  ページ ■ ライター、フォトグラファー、イタリア語 翻訳者
http://www009.upp.so-net.ne.jp/makosgy/saggio-C02.html
小夜ふけて「裏切り」を思う

 
  •  

第156号 巻頭言

バベルの塔で神が乱した言葉【=光透波】とは、
光通信というフリーエネルギーか?


 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 皆様、お元気にてお過ごしのことと存じます。
日本は、今日は39度を記録したとかニュースになっています。かなり猛暑になっておりますが、日本ばかりでなく、世界各地でも豪雨や、強風、猛暑など天候の激しい変化が起きていて、地球全域が、まるでデトックスをしているように感じられます。もしかすると、もうすぐ26,000年周期で太陽系と近日地点に近づくという、シリウス星の接近により影響を受けて、地球ばかりか、太陽系全体の活動が高まっているのかもしれません。
 
 冬の星座も空が澄んできれいに見えていいのですが、夏の星座も七夕のイベントがあったりして、天の川を空に見上げる楽しさがありますね。皆様も夏休みを堪能されておいでのことと思います。それで、私も、この猛暑に便乗して、今号を8月10日号と25日号の連続掲載とさせていただき、しばし夏休みを楽しみたいと思います。
 
ところで、「光透波」という言葉や、書籍、セミナーについて、ご存知でしょうか?読み方は、「こうとうは、ことは、ことば」といろいろに読み分けられますが、これを「ことば」と読むと、気づかなかった新しい側面が見えてきます。
 
漢字を見れば、「光の透明な波」と書いてあります!ムムム。何かすごい、文科系ではない、理科系の概念とか理論を表しているのかしら?と思いますね!それで、タイトルを「光通信というフリーエネルギーか?」などという、物々しいタイトルにしてしまったのです。
 
 JTAとの共催セミナーで、何回かのセミナー開催がありましたから、参加された方もおいでのことでしょう。私たちが、普段何気なく使っている「文字や言葉」をいろいろな視点から解析して、その言葉の【真意=神意】を読み取るという技術やその思想的背景から学んでいくことができるようになり、文字や言葉を使いこなして、ビジネスにしている、翻訳者としては、まさに有り難い素晴らしいアィデアが満載です。
 
 旧約聖書の創世記には、初めにことばがあった。言葉は神とともにあった。とあり、ことばが、単に人間社会のコミュニケーションツールだということにとどまらない、ことばの真の姿を読み解く必要がある!ことを感じさせますね!ことばの真意(=神意)を、独自の文字と意味の解析技法ともいえる技術・理論体系にまとめ上げた方が、どんな方なのか?興味がわきませんか?既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、そのユニークで独創的、且つアインシュタインの相対性理論に啓発され、相対性理論があるなら絶対性理論があるはず!という、とても自由なのびやかな発想から生まれ、現代社会に大きな意識転換をも迫るような概念体系が、一人の日本人女性のたゆまぬ研究から産み出されたのです。
 
 その方の名は、小田野早秧(おだのさなえ)といい、八田光典氏のHP に写真やプロフィールがあったので引用します。
http://www.kotoha-a-f.org/12_site_profile/index.html 
このHPでは、『言葉に隠されている眞実』を解明された小田野早秧、並びにその研究内容の一端を紹介すること。となっており、次の写真がありました。
http://www.kotoha-a-f.org/01_profile/img/1_odano_p_pic_2.jpg
以下、サイトの目的が書かれています。

2)、光透波基礎講座......コトバのエネルギーがどのようなエネルギーなのか?エネルギー的角度から考察。光透波基礎講座の講義内容を載せました。

3)、コトハ光透波、エピソード.......様々なテーマを考察。参考資料

4)、Kotoha English.......光透波を学ばれているStephen Earle 氏の Character、Sound&Numberからの抜粋。

5)、Movie.......小田野早秧の名古屋での月例会の研究発表

6)、Shop.......命波に関する本、並びに小田野早秧命波講義DVD(全タイトル24)

7)、光透波基礎講座、研究会.......東京、神奈川、アメリカ、福岡

8)、小田野早秧啓示録.......この啓示録は小田野早秧がそれまで頂かれた啓示を、三重県的矢にてS58年6月21~23日の3日間話されました。その時の啓示をテープに収録された話をテープ起こししたものです。
 (引用ここまで。)

以上のようなサイト構成になっています。

 バベル翻訳大学院と、一般社団法人の日本翻訳協会(JTA)が共催しておりますセミナーにおいては、宿谷直晃(しゅくや なおあき)―
光透波を啓いた小田野秧苗先生の後継者の一人である磯部賢一先生に師事され、現在、「光透波学びの会」東京事務局を担当されており、著書に「光透波への誘い」「光透波、命の探求 新しい時代の言霊学入門」(磯部氏との共著)がある ―先生にその理論と技法について、ご説明をいただきました。

 以上、非常に簡略してご紹介しましたが、思いますに、「光透波kotoha」という命名は、素晴らしいですね!
言葉をビジネスの道具として使う、翻訳家の方も興味を持たれるテーマでもあり、「光透波」に関心をよせられる方も増えていくでしょう。そこで、ここからは、この「光透波」についての、私自身の思いを述べたいと思います。もう十年以上前、ある女性翻訳家の方から勉強会にお誘いいただき1度参加しておりましたが、その後そのままになっていました。次に、ヒカルランドから宿谷先生と磯部賢一先生の共著である【言霊<<光透波>>の世界 コトバは神なり!】を読みつつ、なるほど!とその解析技法の見事さに感動します。

 これらの研究がなされ、多くの人々がますます関心を持ち研究を深めるようになることは、偶然に起きているのではないと思います。つまり、先ほども述べましたが、26,000年周期のシリウスとの大接近です。私たちはものすごいスピードで自転する地球上にいますが、地球はさらに太陽の周りをまわります。太陽は自分の周りを巡る太陽系の星々を従えつつ、さらに大きなシリウスという太陽の周りを26,000年かけて回っているのです!

 光は、電磁波ですが情報でもあります。この宇宙の中心から、発信された宇宙情報は、銀河系宇宙に到達するまで、何千、何百と数え切れないほどの太陽の反射と増幅によって、宇宙の隅々にまで情報=光が届けられるのでしょう。この宇宙空間の営みにも似て、「コトハ=光透波」として発見され、独創された理論と技法は、宇宙の「情報の解読であり、暗号化であり、同時に暗号解読の技術でもある」と気づきました。
 
 繰り返しますが、太陽系が26,000年周期で、シリウスに最接近するのが今だと言われています。正確な年月はわかりませんが。そのため、太陽系全体が熱せられ、気温上昇やいろんな出来事がおきているとも言われます。あの「アポロ計画」もそのための布石だったのかもしれません。世界の人々の目が月へと宇宙へと注がれた一大プロジェクトであったはずですが、一度月に上陸したはずなのに、なぜかそれっきり月への着地を、人間はできていないのです。最近は、もうすでに、火星へといった人々がおり、イーロンマスク氏などの民間企業が火星への移住をプロジェクト化していると言われます。
 
 この26,000年周期は、地球の前文明、アトランティスや、ムー大陸などの海底沈没を起こしたなどとも言われます。そのあたりの真偽のほどは知る由もありませんが、太陽光線が日毎に強いエネルギーを反射していることは、何となくそう感じます。
 
 最近分かったことは、銀河系宇宙だけでなく、銀河系を飲み込もうとしているアンドロメダ銀河宇宙も光通信システムだということです。やはり、光あれ!と創造主が言って、光ができたのでしょうか?それとも、聖書の神、ヤハウェは創造主であっても、宇宙の創造主ではなく、宇宙人で、われわれ人類を遺伝子操作で作った!というプレアデス星からのチャネリングが事実を語っているのでしょうか?
 
 1994年から始まった、商用インターネットは、まさに現代の光通信システムの技術の進展により実現しましたが、今となっては、無尽蔵のフリーエネルギーである「光=電磁波=電気」は、言い換えると、「光の透ける波」として認識できますね。しかし、インターネットが盛んになる前に、小田野女史はアインシュタインの相対性理論に啓発されて、絶対性理論を直感して「光透波」として開発されたのです。
 
 光を電磁波であり、エネルギーであると看破されて、光通信としての働きとそのエネルギーとして働きを両方とも理解され、眼に見えるような漢字で命名された直観力は素晴らしいですね!
 
 もし、言葉が光であるなら、言葉はエネルギーであり、情報通信機能でもあり、私たちは、言葉によって生き、言葉によって死ぬと言えるのです。
そして、言葉はエネルギーであり、光という電磁波=電気である、として認識すると、あの「バベルの塔」に表現され、暗示された意味がよく理解できます。
初め、人々は一つの言葉を話していた。人々はチリヂリにならないよう、世界に名を上げて一つ所にとどまるために、天にも届く高い塔を建て始めた。
 
 その仕事はどんどんはかどり、見る間に天にも届く高い塔ができていきます。
すると天から見下ろしていた神は、このままでは、人はやがて天の神の場所へとやって来る。それが実現する前に手を打とう!となったわけです!
 
 そこで、神が打った手とは、一つのことばがこれを実現したので、言葉を通じ合わなくさせる、ということです。
言葉が通じ合わなくなったので、人々は争い、塔の建設は放棄され、世界各地に散り散りばらばらに別れていった、と言われています。
 
これが、世界に数千種と言われる言語種の発生起源の物語といわれます。
 
 言語は光エネルギーであるという側面から言語を見れば、言語は情報を乗せる船であり、バベルの塔の以前の一つの「ことば」だと言えます。
人類は、互いの違いを超えていくとき、一つの言葉を話している=よく意思の疎通ができる、という状態を実現することになるのです。
 
最後までお読みいただき、有難うございます。

 
 
 
【ご参考】;超☆わくわく   ヒカルランド 
言霊“光透波”の世界―宇宙高次元化のための超ツール 
コトバは神なり、文字は神の化身なり!

第155号 巻頭言

翻訳ビジネス起業!グローバルマーケットを知る

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 皆様いかがお過ごしでしたでしょうか?お元気でお過ごしのことと存じます。九州、関西、中部など西日本は、梅雨明けとなったようですが、関東以東は、まだのようです。
つい先日は、とても蒸し暑い日中を、犬の散歩を楽しみ、夕方から外のテラスでかき氷をいただいていました。犬も暑すぎる中、毛皮を着ていますから、かき氷の冷たいのが大好きです。
 
 人間も犬も共にかき氷をいただきつつ、ほっとしていたところ、空が急に暗くなり轟音がとどろきました!まるで、ヘリコプターが落ちてきたかのような轟音です!何事かと思って周りを見回すと、バケツをひっくり返したようなもの凄い激しい雨がふっています。とどろいた轟音は、雷鳴だったのです。
 
 しばらくすると、辺りがすっかり涼しくなりました。雷雨はそろそろ梅雨明けを示しています。この雷雨のおかげでかき氷のおいしさも増し、涼しい夕方になりました。実は外のテラスと言っても、かなり高い位置にガラス屋根があるので安心して雨を楽しみつつ、かき氷をいただけたというわけです。
 
 四季折々の気温や天候の変化を楽しめるのが日本列島ですが、気温の変化や天候は地形と深くつながっています。その地形は大気の流れや気圧の変化に影響を与え、それはまた気流となり、海流にも影響を与えたり、同時に影響を受けたりしています。地球はまるで生きている身体のように、一つの生命現象を起こしているのだとも言えます。
 
 人間社会がそれぞれの都合で決めた国境というものがあり、地域性に根差した文化、文明という性格様式を維持して各地の特有の言語に根差した社会・商習慣・法律などが形成され、国という単位がベースとなった世界を私あっちは生きています。つい最近は、英国のEU離脱が世界のニュースになりましたが、マーケットという視点で考えると、それは大きな影響を持ちません。
 
 勿論、英国のEU離脱は実物及び人々の移動や流動性は制限されたり、通貨の交換その他に大きな影響を与えたりするでしょうが、今や、インターネットマーケットと化したグローバルマーケットでは、影響を避けることが可能です。地域性に根差した市場環境とインターネットマーケットは既定の条件が全く違うのです。そういうことを知っているからこそ、英国の人々は、実物遮断という措置を選ぶ音ができたのでしょう。それは、主に難民の移動、多民族の流入遮断という措置のようです。
 
 これまで、EUという広域の流動性を保持した広域商圏から、離脱が実施されれば、実物の流入に関税障壁を設け、人の移動を許可制にして管理できます。しかし、インターネット市場は、これと関係がないのです。世界マーケットとの言うべき、インターネットにつながった人口は、前号でも触れましたが、2014年のデータですが、『国連機関の国際電気通信連合(ITU)は、世界のインターネット利用人口が30億人を突破したと発表した。』というニュースがあります。
http://japan.cnet.com/news/business/35057050/ 
 
 その記事に、『ITUは。。。主要年次報告書「
Measuring the Information Society Report」を公開した。ITUは、無線周波数帯の割り当て、技術標準の策定、情報および情報技術に対する世界的なアクセス向上を担当する国連機関だ。』 http://www.itu.int/en/ITU-D/Statistics/Pages/publications/mis2014.aspx
『同報告書に盛り込まれた最新のデータでは、インターネットの利用率が着実に増加しており、2014年の伸び率は世界全体で6.6%であることが分かった。このうち、先進国のインターネット使用率は8.7%増、途上国は3.3%増となっている。

 それでも、この調査では、途上国のインターネットユーザー数が2009~2014年までの5年間で倍増しており、その数は、現在途上国に住む全オンラインユーザーの3分の2に相当することを示している。

 ITUによると、世界中でインターネットに接続する人々の数が30億という大台を突破したにもかかわらず、依然として43億人以上がまだネットワークに接続しておらず、そのうちの90%が途上国に暮らす人々であるという。

 世界で最もインターネット接続率の低い42の国々では、25億人の人々が依然として情報および通信技術、並びにインフラにほぼアクセスできない状況にあり、そうした傾向は特に農村地域に住む多数の住民に当てはまると、ITUは述べている。

 携帯電話について、同報告書は、モバイルサブスクリプション数が2014年末までに70億近くに達する見通しで、これは世界の全人口にほぼ匹敵する数であるとしている。とはいえ、報告書は、世界中の人がネットに接続されていると結論付けないようくぎを刺している。インターネット利用率の世界的な増加は、複数のサービスを利用する人が多数存在するためであり、世界で最もインターネット接続率の低い地域で実際に接続レベルが向上したとはほとんど言えないとしている。』引用ここまで。
 
 もう少し新しいデータでは、日本の総務省『情報通信白書for Kids』の「インターネットの統計」が分かりやすいです。2015年度のITUの情報が分かります。ここでは2015年に317000万人となっていて、おそらく2016年は32億人を突破していくことでしょう。
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/kids/internet/statistics/internet_01.html
 
 インターネットは地域に根差した商圏ではありません。それは、まったく新しい市場システムなのです。そのインターネットの世界市場は、これから本格的にビジネスシステムが開発されていきます。市場参入者が従来のような、インターネットを活用できる一部の人々から世界中の購買力のある32億人もの人々が一つのマーケットを形成していくということなのです。
 
 もちろん、そこには言語障壁といういわゆる国境的な障壁が存在していますが、その障壁を超える手立てが『翻訳サービス、通訳サービス』であるというわけです。このような広い、且つ多層の言語交流、多言語間コミュニケーションはまさにこれからが本番です。これまでは、PC、ソフトウエア、通信環境など基本システムの整備がなされてきました。そこでは、PC用のITコミュニケーションツールが開発提供されてきましたが、それが、ここ数年の間に「iPhone」のビッグヒットにより「スマホ」の時代になり『個人間コミュニケーション』を実現する『LINE』が2016年の7月15日に株式を上場し、話題になっています。

http://www13.plala.or.jp/nabecom/yss/famous/line.html?id=b&g=jojo&dv=pc&ad=jj1
これに先立つ、ブルームバーグのニュースは下記をご覧ください。
 
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-06-06/O8BPYY6KLVR401
 
 フェイスブックが多くの参加者を抱えていることはご承知の通りです。フェイスブックは、公開性が特徴なので、ビジネスのブランディングには今や必須となっています。しかし、LINE はパーソナルメディアなのです。このパーソナル性が大いに受けているという事情があるのです。実は私もLINEの愛用者です。
 
 フェイスブックではパスワードを忘れてログイン拒否されてしまい、なんとそのたびに新しいアカウントを作る羽目になり、今4つのアカウントがあります。フェイスブックの使いにくさは友達申請かと思ったらそうではなく、システム側が勝手につなげようとしてくることです。最初はよくわからず、その方のご連絡かと思い、OKボタンを押していましたら、自分のフォロワーを集めるケースが多かった、つまり告知、発表的なアプローチが多く、西欧的な文化にへきえきして、それで、フェイスブックはちょっとご無沙汰気味で、LINEのパーソナルコミュニケーションを愛用しているこの頃です。
 
 翻訳ビジネスを進める上では、このフェイスブックはHPと同じく、大事なブランディングツールですし、顧客とのコミュニケーションツールです。ビジネス上ではとても役に立ちますから、まだフェイスブックをお持ちでない方は、すぐに作ることをお勧めします。同時にHPも立ち上げましょう。
 
 LINEはその中でもさらにグループを特定化し、よりパーソナルな、または目的テーマを特定化したグループや個人間のコミュニケーションツールとしてとても有効です。使い勝手がよく、メール機能、無料電話機能などよく使います。特に、院生が海外、遠隔地にいる方とのコミュニケーションはLINEに限ります。先日もマイアミに住む在学生と、LINEの無料電話を使って話しました!散歩中に、気軽に電話がつながり、楽しい話ができました!まだお使いでない方は、無料電話が特にお薦めです!
 
 グローバルマーケットで、翻訳ビジネスを起業することについて、次号も考えていきます。
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。


 

第154号 巻頭言

インターネットは 時間のトランスフォーマー?

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

 7月に入りました。7月7日の七夕はいかがお過ごしでしたでしょうか?お元気でお過ごしのことと存じます。東京では猛暑が続いたかと思うと、急に涼しくなったりして、変化に適応できないと体調を崩すタイミングでもあります。夏は暑いもの!というような慣れた思考パターンにどっぷりつかった感覚を大いに揺さぶられているのだな、と思う今日この頃です。皆様はいかがですか?
 
 本誌の読者の皆様は、世界各地にお住まいなので、私が居る処の気候だけを話題にしてもピンと来ないかもしれませんね。確かに、いま、真冬の地域の方や、常夏の地域にお住いの方には、日本のように四季がはっきりした感覚はちょっと馴染みにくいかもしれませんし、逆に日本にお住まいだったころの感覚を取り戻すきっかけになるかもしれません。
 
 ところで、七夕ですが、新暦では過ぎましたが、旧暦では今年は8月9日が七夕となっています。日本では、暦に、旧暦と新暦がありますが、エジプトや中国、インドなどのように、古来の文明発祥の地域では地域に根差した独特の暦もあることでしょう。日本は、これらの地域に並ぶ、地球上有数の古代文明の地域でもありますから、旧暦が存在しますが、この旧暦もいわば新しい方で、もっと前にも地域文化に根差した暦があったはずです。
 
 あの有名な5200年周期の「マヤ暦」では、2012年12月21日に、5200年の周期が満了したと言われますが、あの頃は、これで地球文明が終焉する!などと言われていましたね。また、その直前の2011年に、日本で起きた東北大震災は、地震と津波に加え、福島の原発事故まで起きるなどの幾重にも重なった複合災害となり、北海道から東北、関東地域までのかつてない広域災害となりました。
 
 TV報道やユーチューブで世界中に伝達された、すごい高さで押し寄せてはすべてを海へとさらっていった津波の前に、茫然と立ち尽くさざるを得なかった人類の物質文明の脆弱さを見せつけるとともに、また、その災害の渦中にあっても冷静と秩序、相互扶助の精神を保ち、悲劇の底から立ち上がる不屈の日本人魂の果敢なチャレンジや、やさしさ、したたかさを世界に見せました。
 
 丁度、2012年の直前の大災害ですから、世界中の人々の心に大きな影響を与えたのです。ところが、あの、2012年の地球の終焉を描いたハリウッド映画は、この2011年の東北大震災の津波と同じ情景が描かれていることに、後で気が付きました。ハリウッド映画は、未来予知をしたかのような印象を持ちました。
 
 その時には気が付かないことが多いのですが、社会の風俗や現象、小説やTVドラマ、映画などは、人間が作り出したもので、問題意識に基づくイメージ化という行為ですから、その作品を想像していく過程はまさに、現実の創造へとつながっていくのですね。現代は、世界の32億人余りの人々がインターネットでつながっていると言われます。このような巨大な集団が一つにつながっているということは、ものすごい伝達力を実現しているのです。
 
 皆様の中にも、2000年代になってからの時間の経過が早いと感じる方も多いと思います。1日の時間のスピードも速いのですが、それは気候の変動と同じで、時間という側面で感じる速さの感覚の変化だと言い換えることができます。好きなことに夢中になっていたら、数時間が経過していたとか、でも全然疲れてはいない!とか、ご経験がおありでしょう。これまで、時間はリニアな等間隔のもので、そのリズムは一定であり、逆行はできない、と考えてきたわけですが、これが早くも揺らいでいます。
 
 インターネットで人類の32億人がつながっているということのすごさを、私たちはもっともっと理解すべきです。例えば、あなたの脳の神経回路、ニューロネットワークが32000本しか活動していないときは、思考という情報処理に、かなり時間がかかるだろうということは容易に推定できますね!それが、十倍の32万本の神経回路になったらどうでしょうか?さらに、それが32億本になったら?実際は、32億人がつながっていますから、その情報伝達回路の数はとても計算できません!やれる方はやってみてください。
 
 ものすごいことになっているのです!このような、人間の32億人の意識活動の成果がビッグデータの中身です。お分かりですね!AI=人工知能とは、機械のシステムだというわけにはいかないのです!それは、32億人の人類の思考活動=意識活動が織りなす、知識活動の胎動でもあるのです。
 
 AI=人工知能は、人類の知識活動=意識活動の産物です!それは、世界の人口32億人がつながったことによって実現したものです。誰か、優れた科学者とか、企業とかという部分が実現できるものではないのです。32億人が一つにつながった、ということによって起きた幾何級数的な多面性の変化が起きているのです。だから時間はますます早くなるでしょう!これは、人類の認識システム、つまり情報処理システムに依存しているのですが、インターネットが、動画と音声をスムーズなスピードで送信できるようになったことに大いに関係があります。
 
 ご承知のように、私たちの脳の認識能力は、眼、耳、鼻、舌、身体(皮膚)のいわゆる五感で形成されていますが、眼つまり見ることによる情報収集が圧倒的に多いのです。五感の内で見ることによる情報処理が、90%を占めているくらいだともいわれます。あなたも、眼を閉じてしまうと、かなりの行動が制限され、情報収集が圧倒的にできなくなることが実感されると思います。
 
 2011年の東北大震災が、TV報道やユーチューブで、世界中にその自然のパワーの前に立ち尽くす人間の弱さを目に焼き付けたことは、人類にとってまことに大きなイベントだったということができます。既に、2011年には世界の22億人もの人々が、インターネットにつながっているのですから!
 
 そういう意味では、マヤ暦は地球の終焉ではなく、【人類の物質依存文明】の終焉であったということができます。確かに、あの2011年の大災害の後での意識調査では、「世界が何か変わり始めたのではないだろうか?」と感じる方が増えていました。あの未曾有の大災害の映像が世界の人類の22億人がつながったインターネットによって共有され、自然のパワーの前に佇むしかない人間の現実を共有したことは、とても謙虚な気持ちを共有したということです。
 
 ここで、少し飛躍しますが、暦とは、時間を等間隔で測るだけの目的があるのではなく、日と月の動きの交差によって、今自分がどんなところにいるのか、つまり、宇宙空間の座標軸を、文化、文明という思考パターンで表現したものだと言えます。あなたは、暦をどのように定義しますか?
 
 そして、この暦をどう決めたのかに思いをはせると、天文観測という宇宙空間が広がります。私たちの世界は3次元、縦、横、高さの世界だと言われますが、どうでしょうか?時間は入れないのでしょうか?時間軸を加えれば、4次元の世界となります。時間が前方にのみ等間隔で直進するだけだという観念が、いまや翻されつつあります!日本の昔話「浦島太郎」はその時間軸を操れる世界があることを表しています。
 
 現代は、先端物理学者が「タイムマシン」や、「テレポーテーション」の技術を開発しようとしています。
これが可能になったのも、背後に、32億人のインターネットにつながった人類の意識活動があるのです。
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

 

第153号 巻頭言

トランスフォームの時代、
自然の意図に人工知能はどこまで近づけるか?

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子


先日、6月21日の夏至も過ぎ、早くも真夏の到来が近いことを思わせる季節となりました。梅雨空のもとには、雨を待ち望むアジサイの群落があちこちに美しい花々を咲かせています。
 
 小さな一つ一つの花弁が集まり一つの花の塊のようになるアジサイは、紫、青、赤、ピンク、さらに白色の塊りとなり、それが一つの根から出ているようにみえます。一つの根から伸びた茎の群れの中で、いろいろな色がまじりあって咲いている様は見事です。ただ、今まで見たところでは、白色だけは単色です。赤やピンク、紫などはまじりあっているのに、どういう理由なのでしょうか?面白いですね。
 
 アジサイは梅雨時の花ですから、雨に濡れて水を一杯吸い込んだ後はとても生き生きとしていますが、雨が少ないとすっかりしおれた風情です。正直な花ですね!!
 
 アジサイのように、水の不足を激しく見せる草花は少ないのではないかと思います。
梅雨の季節に咲くというその性質が、水分量と深い関係を表しているのだと感じます。ちょっとしおれたように見えるアジサイにみずをたっぷりあたえると、ピンとなり、生き生きとなるのは、とてもはっきりした仕組みです。
 
 勿論、アジサイだけでなく、すべての植物や鉱物はその場所、環境の特徴・性質と必然的な相関を持って現れているのでしょう。中にはその環境の影響をあまり顕著に表現しないものもあるのですね。これは、感情や欲求をすぐに表す人と、そうでない人がいることと対応するように思えます。
 
 そこで、動物はどうかと考えるわけですが、確かに、感情や欲求をすぐに表す動物と、あまり表情を変えない、感情を表に出さない動物がいることが分かります。もっとも、感情表現があまり顕著ではない動物でも、一緒に暮らしたり、長く観察したりすれば、かすかな感情表現が読み取れるのかもしれません。
 
 人間も、動物も植物も生命の活動としての表現は同じだと言えます。しかし、人間の脳の諸活動、身体システムに似せて研究開発されてきた、AIシステム、ロボットなどは、このような、生命活動というものが見えませんから、そういう意味では、まさに生命とは異なるシステムであるということができます。
 
 そう考えると、「感情・欲求」というものが生命という現象の際立つ側面をイメージさせる!となります。そのために、その感情の表出、欲求の表出が生命としての人間を表す基本的な側面である、とも言えるのです。
 
 ところで、大分世の中が騒がしいようです。これまで信じられてきた歴史認識、社会常識、科学技術情報などの間違いが発見されることに始まり、学会、企業や個人、社会組織などあらゆる活動組織体が内部にため込んだ不純物、不要になった概念、腐敗、劣化した構築物などを表面化させています。そして、それらの不要になったもの、隠匿されたものの解消、解決が、多方面からの動きとなって働いています。
 
 今は、このように、社会・常識の枠組みが大きく変換していく、トランスフォームの時代であると言えます。その時に、感情や欲求の表出がうまく処理されている人と、逆に感情や欲求の表出を抑え込んできた人の間に、違いが出てきているのです。ため込んだもの、隠匿してきたものが多ければ多いほど、それらが表面に噴出してくる力が大きいと言わざるを得ません。
 
 社会現象から、個人に目を向ければ、今まで、抑え込まれてきた感情や・欲求が不満足の状態では、それが病気やケガ、社会的立場の変化、事故に見舞われるなどの現象に遭遇ことになります。「感情とは勘定である。」という意味はそのことに関係しています。
 
 感情や欲求を抑制したままにいると、誰でも苛立ち、怒りがため込まれますね。これらの感情=勘定の処理は、とても大切なのだとお分かりになるでしょう。この感情=勘定というものが、今開発中の人工知能(AI)では、難問なのです!ご承知の通り、AIに感情を持たせることは、今は不可能です。
 
 ところで、生命の活動現象としての感情、欲求のシステムがAIに搭載されたら、どうでしょうか?いや、それはお断りしたい!という面もありますし、共に気持ちを分かち合って、感情を豊かに表現してほしい!とも思います。どうも、AIに問題があるというよりは、人間の側に大きな矛盾を抱えているようです。そして、人間の集まりとしての、団体、組織という社会の枠組み、そこにも集合としての感情・欲求も存在しており、解明、理解する必要もあるようです。
 
 JTAの第6回ビッグデータセミナーで、感情と欲求を持たないAIと、もしも研究が進み、人間に似た感情と欲求をAIが持ったらどうなるのか?ということが話題になりました。AI研究の進歩、動きはどんどん加速しています。
 
 前号では、MSTホルダーの宮下さんから、AIに関する特許公報をリサーチされて、アマゾンが取得している特許について、2例の特許公報の翻訳と解説の記事を投稿していただきました。貴重な情報、判りやすい解説でしたから、興味深く読みました。これを読むと、アマゾンがいかに早くから特許申請をしているか、いかに早くから先を読んで行動していたかが分かります。すごい情報をご提供いただき有難うございました。
 
 2016年の1月から開始した「ビッグデータ」のセミナーは私も参加いたしましたが、講師の緒方先生から、素人にもわかりやすいご説明をいただき、とても興味深い内容でした。まさに。目からうろこが落ちる、とはこのことです。
 
 AIの基本となるビッグデータですが、このビッグデータに、いつもお世話になるのが翻訳作業、翻訳者ですね。そこで、AIが翻訳をし始めると、翻訳者はどうなるのかしら?という大きな疑問符が頭上に浮かんできます!!
 
 すでに、AIは教育者、つまり教師にとって代わるので、近いうちに教師という職業はいらなくなるのではないか?とか、記者もAIがレポート記事を書くからいらなくなるのではないかとか、事務職はほとんどAIにとってかわられるのではないかとか、いろいろ言われています。要するに、大量の情報を分析したり、解析したりしてそこから回答を出す、つまり、情報処理業務は、AIがかなりできるのではないかと、言うわけです。
 
 そこで、翻訳業の未来はどうなるのだろうか?とても気にかかる問題ですが、ここにはそれについては書かないことにします。皆様が、ご自身でリサーチして、お考えください。今までの考察をお読みいただければ、既に私の意見はお判りでしょう。
 
 もし、機会があれば、ご紹介したビッグデータのセミナーは、とても啓発される内容だったので、理科系の方も含めて、一人でも多くの文科系の方に、このセミナーを実際に受講していただきたいと思います。
 問題に直面してから対処するのは遅きに失することがあります。先を読んで、今から準備すれば、慌てないで済みます。いわば、安心保険、のようなものでしょうか?保険は好きではないのですが!
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第152号 巻頭言

翻訳とは、見方を変えること?

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子


前号にて、バベル翻訳大学院は、去る5月22日、東京の四谷で、春期の翻訳専門職修士号の学位授与式を行い、今期、晴れてMST翻訳専門職学位を取得された方々ばかりでなく、先輩MSTホルダー(=ALUMNI)の皆さんや、現役院生の皆さん、教授陣の諸先生方が世界各地から参加され、まさに一堂に会し、盛会裏に終了したことをご報告しました。
 
 ここに、晴れて、学位記を手にされた皆様に重ねてお祝いを申し上げたいと存じます。
おめでとうございました
 
 ただいま学習に励まれておいでの現役の院生の皆さま、日々の学習計画は順調に進まれていることと存じます。先輩が誇らかに巣立っていく瞬間を目にして、ご自身の姿をそこに重ねてみてくださいませ!また、やる気が湧いてきて、学習が進むことを実感されるでしょう。
 
 バベル翻訳大学院事務本部では、次期、ハワイホノルル本校での、秋期、学位授与式の準備に入りました。今度は、ハワイでお会いしましょう!世界各地からの皆さんのご参加を期待します。遠隔会議システムツールのZoomというアプリは、スマホでも使えますから、是非ダウンロードしてみてください!これは、なかなか優れものです。うまく活用するといいですね。
 
 このZoomを使ってカウンセラーやインストラクターとの面談をしたり、授業のフォローアップセミナーをZoomで参加してみたり!など、世界の各地に居ながらにして、学習コミュニケーションの質を深めることができます。本当に便利です。
 
 何しろ、インターネットを通じての学習とコミュニケーションを活用しての学習体験となりますから、日頃の学習管理、日程管理が特に問われます。しかし、これは、現代のスピード社会においては誰でも同様に必要とされているわけで、特に重要課題だと思うよりも、ビジネスマネジメントのトレーニングだと思えば、一石二鳥どころか、三鳥、四鳥の情報集積システムだと言えますね!
 
 このように、一見ネガティブに見える条件を、視点を変えることで凄くポジティブな価値観に変換することができます!これが、【翻訳】に内在された真の価値です。つまり、文化、習慣が異なる!ということは視点=見え方=観点=価値観が異なるということです。異なる文化、民族がその価値観を超えて、心が通じ合い、ビジネスコミュニケーションがスムーズに行われる!のです。
 
 それを実現するのが【翻訳】ですね!翻訳とは、<価値の個別性という違いを超えて、上位レベル(=抽象性)に内在共有する同一の意味へと変換し、話者の意図を実現する適語を選択することにより、価値・情報の伝達をすること>と言い換えることができます。そういう意味では【翻訳のマスターになる】ということは、単に「翻訳の技術をマスターする」というだけにとどまりません!
 
 翻訳をマスターすることとは、そういう高度情報処理、抽象レベルの見方=観方が、情報処理の思考回路としてできあがることだと言えますから、確かに「翻訳をマスターする」ことはかなり凄いことなのですね!だから、誰しも、「そう簡単に翻訳のマスターになれるわけではない!」と思ってしまうのです。
 
 言い換えれば、翻訳とは「見方=観点を変えること」だとも言えますね。【翻訳】だけを取り上げれば、本当に定義は難しく、多様性に満ちています。ですから、私が日頃「世界は翻訳である」ということもまた、ある意味で真実を示しているのです。
 
 ところで、ただいま連載中の河原先生の「翻訳論」も十数号分の記事がまとまって読めますから、ぜひお読みになってあなたの「翻訳とは」を考えてみてください。または、記事の最後にあるコメントに投稿してくださいませ!フェイスブックと似た機能がありますから、お気軽に投稿して楽しんでください!
 
 私は、「世界は翻訳である」と気づいたことで、この事業に42年の歳月をささげる原動力となったことを思い出します。勿論、まだまだ駆け出しの境地ですが、このWEBマガジンのタイトルのずっと前、印刷物としての雑誌のタイトルを「翻訳の世界」と名付けて創刊した頃から考えると、実に隔世の感があります。創刊から40年を経たとき、世界は一体どうなっているか?当時は全く想像がつきませんでした!
 
 今から40年後を、想像できにくいのと同じです!そこで、今後の変化がどうなるのかを推測するために、過去の体験を、現在にあてはめて考えてみます。これまでの40年に体験したことの最も大きなトピックは、年々時間が早まっている!という実感です。とりわけ、2000年代になってからの1年は早くなりましたし、それがますます早まっていると実感します。この実感は、私だけでなく多くの方が賛同されるでしょう。
 
 しかし、それは、誰がどういう観点で見ているのか?を考える必要があります。私はすでに42年のビジネスキャリアを持つ立場です。それでは、最近生まれた5歳の子供は同じように感じるでしょうか?勿論、「ノー」ですね!20代の若い女性はどうでしょうか?勿論、「ノー」です。年代、立場、置かれた状況によって、その感じ方は千差万別なのです!しかし、似たような境遇、年代などでは同じように感じる方が多いと思います。
 
 私たちは、文章のひとまとまり、景色の塊、色合いのひとまとまりなどを一つの視野、観点として認識するので、それが事実か、または、事実ではないか、などと評価、判断を形成していき、価値観という独自のリンクシステムを作り上げています。また、膨大な情報(=個人々々の体験的価値観の情報リンクの集積)に捉われて、発話する際にいろんな年代や、立場、指向性などを考慮したら、とても話ができません!
 
 それは、大変な分量になります!そのため、私たちの脳は、自分の立場を狭く限定し、対象読者も限定して文章をまとめようとするのです。人間の表面意識下の脳思考処理システムはこれがすごいわけですが、ここに、今、AI(人工知能) が直面している反面教師としての課題があるのです。つまり人間の処理能力が限定的なので、それに合わせなければならない!? ということなのです。
 
 このように考えると、私たちは如何に限定された状況、環境の中で「自分=自我」という「思考=価値観=見方」を形成しているかが分かりますね!自分という認識とは、限定に限定を重ねて、小さく切り出した一つの面に過ぎないとも感じます!そのような特殊性を大量の側面を持つインターネットデータから一つのまとまりとして高速で切り出し、ヒットさせるという計算機が現代のAIなのですね!
 
 このような自我=自分という認識が、時間をどのように感じるのかは、もう想定されますね。つまり、その人の価値観、置かれた状況、立場・・・などによって異なっているのです。現代は、その異なった時間をクオーツの振動数で無理やり同期させられている世界なのです。この時間の同期が示す値が場所によって違うということが空間、距離という仮想概念を生み出しています。そうです!この世界は空間(縦・横・高さ)という3次元軸に時間という4番目の軸を加えた世界なのです!それをなぜか現代科学の通説として3次元空間だというところに、脳の思考=指向性の秘密がありそうです。
 
 私たちは、この世界は3次元であるというように教えられ、3次元の世界だと信じ込んできましたが、インターネット技術の登場で、時間というリニアな概念が崩壊していきそうです。この辺で時間の探求は終わりにしますが、Zoomアプリで、世界の各地から一堂に会する体験を、是非お試しください。これって当然よね!だと思うと思考が深まりません。
 
 日頃の苦労が報われる瞬間という、感動の学位授与式での体験だからこそ、Zoomの価値が身に染みて判るのですね!

すっかりZoomの宣伝のようになりましたが、時間という概念を考察するためのツールとして例に挙げたことをご理解いただければ嬉しいです。
 
最後までお読みいただき有難うございます。
ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第151号 巻頭言

「インターネット と 翻訳の世界」

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子


風薫る5月、爽やかで郊外に出かけたくなる季節となりました。皆様、ますますお元気にてご活躍のことと存じます。
 
 さて、先日、5月22日は、バベル翻訳大学院にとって待ちに待った日、「翻訳専門職修士号の学位授与式」でした。バベル翻訳大学院では、春期と秋期の2回、学位授与式を行います。春期の今回は東京開催でした。
 
 本学はインターネットの大学院ですから、日頃は、直接出会ったり、顔を合わせたりすることはまずありません。何しろ、日本国内各地はもとより、世界各地に学生が在籍していますし、教授陣、教務運営スタッフも全員一か所にいるわけではありません。
学生の地域分布とまではとてもいきませんが、日本、ハワイ、北米の数か所に運営スタッフがいますし、教授陣はそれこそ各地に在住しています。
 
 今後は、翻訳専門職修士号( Master of Science in Translation = MST )の取得者が世界各地で誕生、開業していきますから、MSTホルダーのネットワークができることは、世界初、プロフェッショナルの翻訳者の組織体が誕生することになりますね!このすごさを実感できますか?
 
 よく、米国のアイビーリーグの卒業生は同窓意識が強く、就職、結婚、仕事の紹介やその他の便宜を図り合う密接なつながり=人脈を持ち有効活用している、と言われます。日本でも東大閥などの学閥があると言われます。それは自然な感情なのかもしれませんが、バベルのMSTホルダーのネットワークは、そのような漠然としたものではなく、
翻訳の専門職集団であるという明瞭な意図を持っています。
 
 それは、
翻訳についての社会認識は発展途上のためニーズはまだ十分に開花しておらず、翻訳業界も成長の段階で未成熟であり、翻訳ビジネスのシステムも過渡期であるので、翻訳者の社会的地位の向上を図り、翻訳水準の評価や翻訳技術の研究開発が、今後ますます世界規模で進められることが望ましい! と考えるからです。
 
 以上のような現状認識に立ち、1974年以来、情報処理システムとしてのコンピューティングシステムを使い、開発投資し、インターネットの登場と共にこの「インターネット翻訳専門職大学院を設立開校致しました。「バベル」というその名前から、何か感じられる方も多いでしょう。
 
 なぜいま、バベル なのか? 
旧約聖書に書かれている、「天上界へとつながるような高い塔を建てようとしている人間界を見て、そのあまりにすごい技と成果に脅威を感じた神が、雷を落としてその塔の建設を中止させ!」さらに、「 2度とそんなことができないように、互いの言葉を通じあわなくさせたことで、人々は混乱し、争い、世界中にチリジリになっていった! 」さらに、「それは人間の傲慢のなせる業である!」などと言われる元凶の名前、その地の名から「バベルの塔」と言われた【非常に微妙な名前=バベル】を会社の名前にしています。
 
 こんなに有名且つ微妙な名前はめったにないのですが、かれこれ三十年以上使い続けています。結構気にいっています。まあ、へそ曲がりと言えばへそ曲がりです!(笑)社名に「バベル」を採用したその理由は、まさにこのバベルの塔の神話が、翻訳が必要とされるようになった起源だからです。もしも、バベルの塔が建設され、神の関与がなければ、世界に数千種あると言われる言語の種類は発生しなかったかもしれないのです。
 
 イメージしてください。もしも世界が一つの言語を話していたら、世界はどうなっているでしょうか? イメージできますか? 現在とは全然違っているでしょうね。
現代では、英語がその役割を果たそうとしていますが、しかし、まだ一部の人々が話す言語であって、誰もが使っているわけではありません。
 
 しかし、多言語世界である現代は、
翻訳や通訳の利用によって、あたかも同じ言語を共有しているかの如く、コミュニケーションをすることができます。翻訳、通訳のプロセスを経なければ、人は皆自分でその言語を習得しなければなりません。
 
 ところが翻訳・通訳のプロフェッショナルが登場したことによって、地球という多様性の世界、それぞれが個性を持ち、それぞれの特徴、役割を生かし・果たすことが必要であるとする世界では、翻訳者、通訳者の働きはその多様性を保証する役割、使命があるとさえ言えます。まさにこの地球上に、翻訳・通訳の働きによって、多様な言語種のもとに文化の華が開いた特徴ある世界が形成されていると言えます。このような「バベルの塔以後の世界」は、まさに「翻訳の世界」となったのです。 
 
 そこで、インターネットの登場は、この「翻訳の世界」をどのように変えたのでしょうか?初め、インターネットは世界を単一言語化すると言われました。そのために、支配言語である英語の習得が叫ばれ、日本国内をはじめ、世界の各地においても英語教育が推進されてきたのはご承知の通りです。しかし言語というものは地域の文化習慣と深く結び付いていますから、急に英語化しようとしてもできません。
 
 インターネットに掲載されている言語情報としては、英語がグローバルコミュニケーション用の言語となっていますから、英語情報がかなり多いことは事実でしょう。しかし、それでも、普段の生活言語で通じる世界では、英語を使う頻度はかなり減ります。
やはり多様な言語種の存在は変えようがないのです。
 
 したがって、翻訳は、インターネットの世界=WEB情報空間での必要度が深まっているのです。多くのビジネスの広がりや、交流に伴って多くの人々の移動・交流が始まりました。それらの人々の移動を促進したのも、インターネットの世界が働いています。今や、インターネットのコミュニケーションなしに生活することをイメージできないくらいになっています。
 
 日頃は、あまり気にせず、現代のITシステム、つまりインフォーメーション・テクノロジーを使いこなしているわけですが、1994年に米国で商用インターネットが登場するまでの世界は、これをイメージしにくい状態でした。
 
 学校とは通学する事、海外なら留学することが相場でしたし、もちろん遠隔学習、通信教育制の学校もありましたが、印刷物と郵便のやり取り、そしてスクーリングという組み合わせでした。時間も手間もかかるし、電話を掛けるのにもお金がかなりかかったと思います。このようになかなかイメージしにくい教育システムの時代が長く続いていました。
 
 それが、1994年に登場した商用インターネットによって世界のシステムがガラッと変わり、同時に時間が加速し、空間が縮んで来たのです。勿論、インターネットだけがテクノロジーではありません。それを可能とした背景には、1970年代に登場してきたコンピューターがなくてはなりません。このようにテクノロジーの進化は単独の技術としてではなく、複合的なテクノロジーの進展という形で現れてきました。
 
 さらにIT関連のツールは今や「アプリ」となって、企業ユースだったものが、個人ユースへと様変わりしています。これらのアプリを使って、私たちは、いつでもどこでも異なる時間と異なる空間を共有し、あたかも出会っているようにコミュニケーションをすることができます。
 
 これは、思うに時間とは、私たちがこれまで認識してきたものと違うのではないか?ということが分かります。地球の裏側の時間とその反対側の時間が同一時間を共有しているからです。別の時間帯なのになぜ話が伝わり共有できるのでしょう?それは、時間が今まで教えられてきたように、直線で過去に戻ったり、先に未来へ飛んだりすることはできない!という概念が間違っている!ことを示しています。
 
 時間はその場所に張り付いています。ところがインターネット上のUEB情報空間には固定の時間と場所はないことから、時間と場所から離れた概念だと言えるのです。これが量子力学的時間と空間=情報空間という概念だと言えるのでしょう。
 
 時間は歪む時間は早く進んだり遅れたりする!これらは日頃皆さんが体験、体感している現象です。しかし、それを認めないので、【ないこと】になっているのです。
そして、あのアインシュタインが認められなかった「量子のふるまい=量子力学」がベースになってITテクノロジーが画期的に進んでいると言うことです。
 
 つい最近ニュースで知りましたが、「量子コンピューター」が既に開発されていて、それを研究者レベルの人なら、無償で利用できるように公開されている!ということです。最近のテクノロジーは進化のステップが早いですね!あなたもこのような変化の速い時代に生きていることを認識しておいでのことと思います。
 
  現代は、1960年~1970年代の SF(サイエンスフィクション)の世界が、現実化しようとしている時代です。これからますます素敵なテクノロジーが登場するでしょう。
世界は、互いのコミュニケーションをもっとリアルに深め合うことを目指すでしょう。
 
 その時あなたは、翻訳、通訳のプロフェッショナルとして、その時代の要求に十分応え得る翻訳水準を実現していくという意思を持っていただきたいと思います。それが、プロフェッショナルに課された使命であると思うからです。    素敵ですね!
 
 さらにまた、面白い展開が期待できる社会へと変化を遂げていきそうな予感がします。
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第150号 巻頭言

インターネットに潜む潜在意識を知る

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子


早いもので、2016年4月14日の熊本地震の発生からもう3週間が過ぎました。
このたびの熊本地震の被災者の皆さまの果敢のご活動と、支援、救助に駆け付けられた多くの方々の行動に感動するとともに感謝の気持ちが沸き上がります。
 
 重ねて、被災されお亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りすると共に、現地の皆さま並びに捜索、復旧作業に従事されます方々の安全と、一日もはやい復興をお祈り申し上げます。併せて、同時期に起きた、南米のエクアドルでの大地震によって被災され、お亡くなりになった皆さまにも心よりのご冥福をお祈りし、現地の一日も早い復興をお祈りする次第です。
 
 太平洋を挟んでかなり離れたエクアドルの沿岸部の地震と熊本、阿蘇の地震は、何か密接なつながりがあるのではないかと思うようになりました。それは、人間の身体に例えるなら、いわゆる「経絡」、「ツボ」というようなものなのかもしれません。
 
 情報が響きあうつながりというものが地球という身体にもあり、どこかの断層がストレスのひずみにより亀裂が走り、たまったエネルギーを開放したら、それが地球という身体の経絡にある関連場所も同じくエネルギーの開放が起きて、ひずみが解消される!!などということがあるのではないかと思いました。
 
 このように考えると、地球の大きな活動=地殻変化の現れと人間社会の変動とも何か関係があるのかもしれないと気づきました。
 
 現在はいろんな社会、経済変動が起きていますし、何より大変そうなのは、大恐慌が引き起こされるとか、サイバー戦争が起きていて、銀行のシステムや株式売買のシステムがダウンしてしまった。とか、政府のウエブサイト、企業のウエブサイト、果ては有名人のウエブサイトまで、サイバー攻撃なるものが引き起こされ「炎上」するなどと言われています。
 
 そして、大きな影響を与える動きが出てきました。「パナマ文書」です。まるで地震が起きるように、人知れずある地方の新聞社にその膨大な電子データが持ち込まれ、なんとそれは「タックスヘブン」の重要な機密データで、普通には漏れてはいけない情報だったのが、世界中の知るところなり大きな動揺と構造変化を起こし始めています。
 
 これらの社会、経済の変動を考えてみますと、ある種、情報の津波というか、大量の情報が行きかうコミュニケーションの爆発ともいえるような現象が起きているように思います。2011年の3.11はこのような社会意識の激変へと対応するものだったのでしょうか?紙の本や情報誌、手紙の郵便システムしかなかった時と、現代のインターネットでつながったものすごい個人通信量の爆発的増大の時とでは比べようがないほどの質と量の開きがあります。
 
 このような時間が加速するような感覚の中で、多くの方々が誰でも何か変化が起きる!というような感情を感じていると思います。それは確かに、1970年代以降少しずつ加速されて変化の波が大きくなっているように感じます。それらが一気に加速したのがインターネットの高速化が実現した2000年代と言えます。インターネットはまさに地球に張り巡らされた電磁情報の経絡であり、大量の情報連絡網と言えます。
 
 2015年からAIについてのリサーチと考察をしてきましたが、AIはまさにインターネットの申し子なのです。インターネットがなくしてAIシステムは稼働しません。ディープラーニングができないのです。ある意味で、AIは私達インターネットを活用する者達みんなで育て上げていると言えるでしょう。
 
 Google翻訳でもインターネットがなければ、単なる翻訳ソフトでしかないのです。しかし、それがフリーで提供され、多くの人々が使います。その使い方の結果がどんどん蓄積されているわけです。「2045年問題」いわゆるシンギュラリティ=技術の飛躍的発展の境目ともいうべき現象が起きるということですが、それは、私たちが自分自身でそれを引き起こしているのだと、自覚することが必要でしょう!
 
 2000年代初頭から、インターネット上のつぶやきから、様々な会話の分析、情報分析が行われてきました。それは何が現れていたのかと言うと、私たち人間の潜在意識ともいうべきものです。インターネットシステムを皆が利用することによって、それらが電子情報として情報空間に蓄積されてきたのです。これは、PCやスマホ、TVなどの音声・画像認識システムとして変換されることによって私たちが認識可能となりますが、もとは電子情報、つまり振動です。
 
 振動は周波数であらわされますが、これは無限の帯域となります。例えばドコモやソフトバンクなど、この周波数帯域のほんの一部を国が割り当てて、自社の通信帯域として設定して商品として販売されているわけです。もしかすると、国のレベルも各国と割り当て帯域を分け合っているのかもしれません。すると世界的規模でこの帯域の割当があるのかもしれませんね。今回の熊本地震やエクアドル地震もこれらの周波数帯域との関連はなかったのでしょうか?
 
 閑話休題、インターネットによって創出、蓄積されているものとは世界の多くの人々の大量な意識的情報通信データと、その背後に隠された潜在意識情報だと言えます。この表面の意識的情報通信データを解析することで、表面意識も潜在意識も読み取れるという仕組みなのです。これらは、「ビッグデータ」と呼ばれてきました。
 
 世界中の何十億もの人々がインターネットにアクセスし、例えばGoogle翻訳を使うと、あっという間に大量の翻訳のデータが蓄積されます。一人の人間の翻訳者が翻訳する量の何千倍、何万倍の翻訳処理量と多様情報になることでしょう。それらの大量、多種の情報を解析して一定の比較選択という思考プロセスを組み込むことで、さらに精度が上がるのだと考えられます。
 
 人間が、このAI翻訳システムと対抗してもそれは意味がないですね。この論争は、1990年代に体験してきました。みなさんご存知の「機械翻訳ソフト」です。機械翻訳ソフトは、自分しか使いませんから、参照データが少ないです。しかし、Google翻訳はそれこそ世界中でもの凄い使われ方をしているのですから、参照データがありすぎるほどたまるというわけです。ただし、プロは使いませんから、情報に偏りがあるのは仕方がないですね。
 
 人間の脳のシステムと機械翻訳のシステムとは似ているようで違います。それは何かというと、機械には決められた範囲の処理しかできないのに比べ、人間の脳のシステムはまだ十分に使われていない可能性が高いということです。つまり私たち人間は自分自身の脳の仕組みをよくわかっていません。分かったつもりにはなっていますが。
 
 たった一つの受精卵という細胞から、細胞分裂を繰り返し、一定の連携する器官というシステムを作り上げ、且つ多様性を有しつつ、あるサイクルで新しい細胞に作り替えていくという自己再生産システムであり、自己恒常性を保ち、場合によっては突然変異の可能性も残しつつ、外在の微生物=多細胞(単細胞)との通信共生システムをもつ・・・いや、なかなか定義ができません。この自立しつつ共生しあう多細胞生命系システムを誰が考案したのでしょうか???
 
 私達人間は、危険や災害によって、つまり窮地に置かれることによってそれを克服してきました。そのとき従来にない叡智、創造を行うことができる生命システムなのです!!自己という認識は、一つの価値の集合体系である、と言えますね。それは、ある意味でプログラムに相当します。そういう意味では、AIを作り出すことで、人間の自己とは何かという探求を外在化することができます。
 
 一つの細胞はそれ自体で生きていて、その集合体は人間というシステム単位となり、その人間の集合体は、人類という地球上の集合体となるし、地球上には人間以外の動植物の集合体も含めた地球集合体であるし、地球他の太陽系の兄弟星達の集合体があり・・・と考えていくと、すべてが宇宙の中の存在として有機的なつながりを持っている、ことが感じられてきます。
 
 地震は、地球という生命集合体(人間や植物、動物たちの集合体)の意識=振動の現れだと考えると、私たち人類の潜在意識に潜んでいた何かが動いて、地球生命体のひずみを開放したのかもしれません。今や、ビッグデータを解析することで、人間の潜在意識を探り、現代の変化の本質を読み解く研究が既になされています。
 
 さらにまた、面白い展開が期待できる社会へと変化を遂げていきそうな予感がします。
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第149号 巻頭言

地震に学ぶ、備えあれば憂いなし―地球は生きて動いている!

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

2016年4月14日は忘れられない日となりました。
このたびの熊本地震の被災者の皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
被災されお亡くなりになった皆様のご冥福をお祈りするとともに、現地の皆さま並びに捜索、復旧作業に従事されます方々の安全と、一日もはやい復興をお祈り申し上げます。
 
 また4月17日には南米のエクアドルでも大きな地震が起きています。太平洋を挟んでかなり離れたエクアドルの沿岸部の地震と熊本、阿蘇の地震とどのようなつながりがあるかわかりませんが、地球は一つの地殻天体であり、地殻運動をしていることからも密接なつながりがあるのでしょう。
 
 確か、南米のチリ地震の時はかなりの津波が太平洋沿岸部に押し寄せた記憶があります。さらに記憶に新しい、3.11の地震の時の津波で海にさらわれた東北沿岸部の漁船がアメリカの海岸に漂着したというニュースも最近ありました。様々な魚介類の住みかとなり、漂着したわけですが、放射能のレベルやそこに住み着いた生物の分析が行われるそうですから、どのような経路で到着したのかが分かるのではないかと思います。
 
 陸地は国境があり、山岳地帯、氷河地帯、砂漠地帯などがあり、移動はなかなかままなりませんが、海洋航路だと陸地の移動よりかなり早いです。勿論現代はジェット機がありますから空路が一番早いのですが、空港までの移動に時間がかかったり、座席に縛り付けられた状態であったりすればちょっと辛いものがあります。
 
 今回の被災者の方々が避難所でエコノミークラス症候群と呼ばれる症状でお亡くなりになっています。地震のストレスに加え、長時間の座りっきりの過密な避難所生活が引き起こしたことなのでしょう。日本人は周りへの配慮を大事にしますから、ストレスを発散、解消することを健康管理の第一に考えることが必要かもしれません。
 
 また、未病と言いますか、まだ病気の症状が出ていない状態だと、地震の避難所のような場所ではつい我慢をしてしまい発病してしまう、とも言えるのかもしれません。日頃から、自己の健康管理には十分配慮することが大事ですね。また、やみくもに運動するというのでもなく、やはり、身体の臓器がどういう役割を持ち、身体機能としてどのようにつながっているのかということにも日頃から注意を払い、新しい情報をリサーチしておくといいと思います。
 
 私たちは、「病気になったら病院にいけばなんとかなる!」「病気は病院で治すもの」「健康保険を払っているのだから、病院に行かなきゃ元が取れない!」などと考えています。
つまり、何でも金銭価値に置き換えてしまう習慣に完璧に冒されています。お金は、それでお腹がいっぱいになるわけではないし、病気を治すわけではありません。お金それ自体には価値がなく、何かと交換するという「交換可能性」という価値があるだけです。
 
 ですから、ある物が不足して買いたい人が増えると、物の値段が上がるし、逆に誰も買わなくなれば物の値段も下がり、場合によってはものそのものがなくなっていきます。商品価値がなくなるとその商品は生産されなくなるのです。このようにお金の価値を客観的にとらえておかないと、いろんな意味で社会現象に翻弄されることになります。
 
 自分の身体が病気になったら、きっと高い医療費がかかる、その期間は働けなると収入が必要だからなるべくしっかりと保険をかけておき、保険で対応するようにしておけば安心だ!と考えるのが現代の常識でしょう!しかし、これは、保険業界が政界を動かし社会保険という仕組みを作ったのだという理解は持っておきましょう。ただし日本の場合は、1990年代まで国の事業として行ってきましたから掛け金はまだ安全で国の事業に役に立ったかもしれませんが、2000年代になると保険事業は民営化されました。それに、地震の被害は免責になっているのではないでしょうか?
 
 さてここで、振り返ってみると、ちょっと古いですが、江戸時代はどうだったかと言えば地震も、津波も、噴火も起きています。
その時の原則は、危険なところにはなるべく近寄らない!でしょう。しかし、今は、阿蘇山のふもと近くまで住宅地が広がっていることでしょうし、鎮守の森も少なくなっていることでしょう。関東、関西圏を考えれば、地震が起きたら大変な被害が起きるだろうということは自明の理です。そんな危険度の高い日本に住んでいるのだという自覚が足りていなかったかと思い、自分自身を振り返ってみますと、やはり日本人はもう一度自覚しなおすことが必要だと思います。何をどう備えればいいのだろうか?ということです。
 
 この20年くらいで私が直接体験した大震災は、まず、1995年の阪神淡路大震災でした。大阪事務所の社員、関西地域の受講生や講師の方々その他取引先など多くの関係者が被災されたのでした。1月17日から20日まで新幹線は動かず、ようやく動き出した新幹線に乗り、大阪へ向かった記憶があります。神戸在住の人は家が傾き、あちこちで火事が起き、近所の人も一緒に乗れるだけ乗って逃げたと言っていました。
 
 阪神淡路大震災はその大きな災害規模からも世界中の関心を集めました。そしてそこから15年後には2011年の3月11日のあの東日本大震災が起きたのです。福島原発の破壊などもあり放射能漏れが叫ばれ、広い地域にわたって怒涛のような津波が押し寄せ、すべてを海へと持ち去っていく映像が、繰り返されていました。
私も、なすすべもなくただ津波の映像に見入った覚えがあります。おそらく、あの映像は世界中のインターネットにつながった人々は息をのんで見つめたことでしょう。
 
 皮肉なことに、あの厳しい地震と津波の災害が世界を一つにした瞬間でした。オリンピックや世界大会競技以上に、地球人の心を鎮め一つにしたと思います。だからこそ、十代の子供たちから様々階層の人々迄、世界中の人々から義援金が送られてきました。

困ったときはお互いさま、互いに助け合おう!という精神が、世界規模で起きています。
これこそ、保険に代わる、一番大事なものだと言えますね。
 
 実は、欧米式の保険システムが来る前の日本には、
互助の仕組みが出きていたのです。誰かに言われたからとか、お金をもらえるからというわけではなく、相互に助け合うことが基本精神だったのです。私の出身はこの熊本地震の海を挟んだ向かい側、長崎県の島原半島ですが、小学校の頃までそこに住んでいました。昭和20年代です。
 
私の家は父が船乗りで年に2回くらいしか返ってきませんので、母が一人で農作業をしておりました。勿論近所の皆さんと共同作業です。今日はどこの家の畑の草取り、明日はどこの家の田んぼの田植えというように十数人のグループだったと思います。一家に3~4人の働き手がいれば、五つの家族ぐらいで十数人のグループになり、会社勤めの傍らの人もあれば、専業の人もありという感じで親戚づきあいがあったと思います。必ずしも親戚ばかりでなく、近所の友人だからという関係もありました。
 
当時は、この地縁、血縁をベースにしたご近所さんの絆というのが相互補助の根本原理でした。おそらく30年代を最後に、敗戦後の復興政策の下に、日本式から米国式へと変わっていき、人間相互の絆より、お金を大事にする社会へと変化してきたのです。
お金には罪はないのですから、お金を悪く言う必要はありません。ここでは、頼りになるのはお金だけしかない!という考えを変えてはどうでしょうか?という新しい選択可能性の提案なのです。
 
 AIが人手に代わってあれこれ仕事をしてくれる社会が訪れようとしています。だからと言って、何もその社会のみが選択肢としてあるのではないとも言えます。自分自身がどんな社会を望むか、このような観点を持つことが大事です。私たちは一人一人が意思を持つ、意思決定者です。人間相互の絆をより大事に考えていく社会を皆が共有していくことで、変わっていきます。これからは、さらに
一人の個人としての意識が拡大共有されることが考えられます。なぜなら、インターネットという目、耳、口を持ったからです。
 
 インターネットはますます多くの人々がつながっていきます。それと同時に世界各地の災害や自然の変化が共有されていくでしょう。そして、インターネットを通じてのコミュニケーションはもっと広がりますから、世界中の言語からの翻訳が必要とされます。世界のどこにいても、インターネットにアクセスすることで、望む相手と話ができます。つまり、地震の危険からも回避できるようになるでしょう。
 
 今回は最後に、この熊本地震と南米エクアドルの地震を調べていて発見したサイトをご紹介します。日本の千数百年間にわたる地震の記録をまとめた素晴らしい情報です。私はこれを見て、考えを変えました。
地球は生きて動いている!自分の都合ばかりでどこかに定住すると決めることはやめよう!ということです。
 
http://bushoojapan.com/walker/2014/03/11/15825
 
 なるべく、ありのままに見てください。次回の地震の可能性が近い地域に住んでいたら家族とも話し合って、対処の方法を共有しておくといいですね。前もって練習しておくと、それが起きなくなる可能性があります。
来てほしくない!と思うと、来るものです。いつ来てもOKだよ!という感じでいると、準備ができていますから、意外と来ないかもしれませんし、大きな被害を受けなくなる可能性があります。
 
 この現象をなるべくありのままに見つめる、ありのままに受け入れていく習慣を持つことによって、自身が発する意識が変化していきます。すると、
意識は振動であり、エネルギーでもあると言えるので、ほんの少しの周波数でも異なればその現象を避けることになります。つまり、私達が体験する現象とは、原子や電子などの振動だと想定すれば、振動つまりその周波数が変わるとその現象にずれが生じますから、出会わなくなる可能性が高いということなのです。おそらく、これが、望む現実の創造としての翻訳の世界を表出することになるのです。あなたも試してみませんか?

最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第148号 巻頭言

世界は翻訳である―それは、私の考えが紡ぎだした創造物なのだから

 バベル翻訳大学院 学長 湯浅 美代子

今年は、桜がずいぶん長持ちしています。10日頃には、散ってしまうかもしれませんが、風が吹くと花びらが舞い踊る花吹雪の様子はなかなかの美しさです。その後には、花びらが降り積もってピンクの絨毯ができています。
日本列島が少しずつの時間差でピンクに染まる春は、やはりこころがウキウキしますね。
 
 日本人ばかりか、多くの海外からの観光客も、スマホで、またはカメラで満開の桜の写真を撮っています。おそらく、その写真は数多くのユーチューブ動画や、フェイスブックに掲載されることでしょう。そういう意味では、世界中で、桜列島の日本をご覧になっていると思います。ローカルなイベントも、今や世界のあちこちで共有できるグローバルイベントになりつつあります。
 
 ユーチューブや、フェイスブック、スカイプ、ライン・・・と、数多くのソーシャルメディアが登場し、多くの人々がコミュニケーションを楽しむ時代になりましたが、このソーシャルメディアの果たした役割はとても大きなものがあります。
 
 皆さんもビジネスツールとして、友人たちとのコミュニケーションツーㇽとして活用していらっしゃるのではないかと思います。たまには、うるさいくらいにメッセージが送られてきて、辟易して辞めてしまった方もおいでかもしれませんね。
 
 かくいう私もフェイスブックとラインの愛用者ですが、最近は、ある方にメールを書いていると、その方から電話がかかってきたり、約束していないのに出会ったりすることが多くなりました。お陰で、とても便利な思いをしています。
 
 これは、いわゆるシンクロニシティ現象だと言えると思いますが、私の周りの方たちも似たような体験をされる方が多くなったように思います。それで、昨年ちょっといたずら心ができまして、実験をしてみました。
 
 犬を連れての散歩のときに、ある方とお話ししたい用件があったのですが、電話をせずに、心の中で「これからあなたにお会いしたいです」と念じて、そのまま犬と共に散歩を楽しみ、近くのカフェでお茶をいただいておりました。
 
そうしたら、「●●ちゃん待って!」と、その方の声が聞こえてきました。すると、カフェでお茶を飲んでいる私の前に、その方が犬に引かれて現れたのです!
「まあ!お久しぶり!丁度お会いしたかったのです!」ということで、実験は成功しました。
 
 そこで、実験のことをお話しして、どうしてここまで来られたかをお聞きすると、たまたま遊びに来られた方が、犬をお連れになり、そのワンちゃんが、トイレに行きたいそぶりをしたのでお友達とご一緒に外に出たら、そのワンちゃんがどんどん走り出したので、犬に引っ張られてとうとう私がいるカフェまで来てしまったとい
うことなのです。まったくびっくりです!
 
 これは、どう考えたらよいのか迷いましたが、まずは、私の意志がお会いしたいと決めたことが始まりです。そのとき、心で念じた=思ったわけですが、そこには、飼い犬が一緒におりましたから、もしかすると、犬は飼い主の心が読めるというか、伝わるのかもしれません。さらに、犬同士は心が通じ合うのかもしれません。
 
つまり、犬は、個別意識と集合意識の両方が機能しているのかもしれない、と思った次第です。
 
 この実験によって、思いが実現可能であることを自分自身で確認することができました。しかし、そのプロセス、仕組みはまだ十分実証できたわけではありませんが、私の意識を伝えた媒介物に関して何かの示唆を得たという実感を持っています。
 
私は、小学校の頃から長い間、犬を飼い続ける環境で育ったので、犬や猫などの動物が大好きです。犬の集合意識か、人間の集合意識なのかは、分かりませんが、思いは伝達される現実化するのです。
 
 小さなとりとめのない実験ですが、このような小さな実験だからこそ、誰にでもできます。他人の話を聞いて「へえ、そうなんだ!」と思うことよりも、自分自身の体験が納得度は高いです。まして、単なる体験ではなく、実験、つまり、こう
しようという明確な意思、意図をもって、実験することは何にもまして実感と自信を持つことができます。自己への信頼さえも湧いてくるのです。
 
 科学書もスピリチュアル書も、歴史書も、料理の本も、健康、ビジネスノウハウ書も、読んだだけでは身につきません。必ずやってみなければ理解し、活用できないのです。それは、小さな実験でいいのです。歴史のエピソードが真実か?そこに実際に行き、確かめる人が必ずいます。鵯越は本当か?と思い、行ってみて降りてみて初めて実感ができます。誰もが同じことをやる必要はないのですが、自分が興味を持ち、ここに価値があると思ったことがあれば、まず、実験をしてみることです。
 
 実体験には、行動力が必要です。それは、思いを行動によって現実の認識へと、変換していくことです。そこに、自らの意志、意図を明確に持っているか、いないかが分岐点となります。
 
 現実とは、私たちの意識の活動の産物です。ここまではご了解いただけるでしょうか?もしかすると、「いや、現実とは私の関与できない外側に厳然としてあるものだから、私はただそれの影響を受けるしかないのだ」という、古くからの固定観念にとらわれておいでの方もあるでしょう。
 
 しかし、そこで考えてみてください。同じ現象を見て、なぜ人によって受け取り方が違うのでしょうか?同じ文章を翻訳すると、なぜ、一人ひとり違う表現になるのでしょうか?同じものを見ても受け取り方=解釈が違うのですね。だからその結果、対応が異なってきます。つまり翻訳表現が一人一人違う、という現象が起きているのです。
 
 これを別の視点から考えると、人は皆、人それぞれの世界を見ている、つまり、自分の価値観によって翻訳された世界を見ているということになります。従って、私たちは自己の価値観という偏見を持たずに、それをありのままに、ニュートラルに見ることができていない!ということです。
 
 この見解は、とても大事です。自分の外界認識の姿勢を謙虚にしてくれます。さらにまた、いつも新鮮にしてくれます。なぜなら、決まりきった見方ができなくなるからです。今の状態は、歪んだレンズで見ていることに気づかず、一度体験した映像を後生大事に記憶し続けて、その記憶に翻弄されている状態だと言えるでしょう。
 
少しでも、この世界の見え方が人と違うことに疑問を持ち、それはなぜかと考え始めると、謙虚さが働き始めます。そこから、初めて真実への認識、つまり、自分が真実だと信じてきた現実、体験は自分の価値観によって翻訳された世界なのだと気づくでしょう。
 
 謙虚になって世界を見るとは、どういうことでしょうか?結論から先に言うと、それは、「世界を判断しない」ということになります。もっと言えば「判断、評価を停止させる」ということです。そんなことができるはずはないでしょう!という
反論が来そうですが、それが、「ニュートラルに見る」または、「ありのままに見る」という心の在り方なのです。
 
 どうでしょうか?なかなか難しそうですね。今私が書いた「難しそう」という形容詞が価値観、判断です。私たちの言語活動はどうなっていますか?かなりの部分、ほとんどが、この価値判断で埋め尽くされていると気づきませんか?
 
「ありのままに見る」ということは、ことほど左様に、難しいのです。しかし、これは、翻訳者にとっては、このことを理解してそのうえで翻訳に従事する決意をした方と、そうでない方との翻訳の質的掘り下げのレベルはかなり違ってきます。
おそらく、そこにこそ、創造としての翻訳の世界が現れるのではないかと思います。

最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第147号 巻頭言

私が見ているもの― それは、自分の考えである!

 バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

皆さま如何お過ごしでしょうか? 
春分の日を過ぎて、桜のソメイヨシノの開花が始まりました。東京では、もうあちこちで開花しています。樹によっては五分咲きくらいだったり、まだつぼみが固いものもありますが。桜が咲くと、何となく気分がウキウキしませんか?
散歩の季節、心の緊張を解いて、何も考えずに周りを眺めてみましょう。そんな時に、普段見ていながらも見えてこなかったものが見えるかもしれません。
 
  それと、今味わっている気分も大事ですね。実はこの気分がとてもパワーがあるのです。何のためのパワーかというと、自分が体験する現実です。これまでも書いてきましたが、同じ場面に遭遇していても、人によって受ける印象、つまり体験する現実が違います。
私がよく例えるのは、翻訳の例です。
 
  同じ文章を翻訳しても、翻訳する人が10人いたら、10通りの翻訳文ができます。翻訳だけでなく、何かに対する意見を出すことになった時も、人によって意見が少しずつでも違います。かなり大きな違いを体験することさえあります。これはなぜなのか?と考えてみますと、人によって、それぞれ価値観が違うからなのですね。
人は誰でも、見えた現象を、自分の価値観で判断評価しています。それは皆同じですが、価値観が人によって違うのです。そのため、判断の結果、体験する現実が異なってくるのです。
 
  私たちは、「常識」という言葉も正しく理解していません。人によって常識が違うことが分からないと、あの人は常識がない!とか、常識外れだ!とか言って怒ったりしますが、常識そのものの内容が違うのですね!この人とはかなり近い考えだと思っていても、いざ常識となると結構違うことが多いのです。こんな状態では、そもそも常識だといえるのでしょうか?
 
  この、常識という概念が、争いのもとになりやすいのです。家族は同じ環境で長いこと一緒に暮らしているのに、結構争うことがあります。遺産相続などという
損得勘定() が働くときは勿論大変なことになりますが、そうでなくても日常の生活スタイルでも、人の好みでも違うことが分かります。これが、いろいろな問題を生じさせる原因の原点とも言えるのです。
 
  大きなテーマの違いなら、まだ、許容することはできるのですが、小さな身近なこと、意識せずに、長い付き合いなのだから分かっているはずだろう!と、思うようなことが、一番感情的な食い違いを発生させるのです。なぜなら、長いこと一緒にいるわけだから、分かっていて当然だろうという思いがあるからです。そんな時は、裏切られたように感じ、激しい怒りが湧き上がります。
 
  これはなぜ、起きるのかということを冷静に考えることが必要です。これは、ただ感情問題の話をしているのではなく、翻訳文が十通りできるのはなぜか?ということを考えてもいるのです。前号から引き続き、視点を変える、というテーマで考えています。これが、かなり
根本的な認識の要だと感じているからです。
 
  これを理解するために、翻訳という作業は根本的な方法を提示してくれます。翻訳とは何か?と考えてきて42年が経とうとしていますが、考えれば考えるほど、新たな視点、視野というものが現れます。本当に、翻訳とは奥が深い行為、作業、事象だと言えます。
 
 それは、音楽家が音楽とは何か?と考えたり、画家が絵画とは何か?と考えたりするのと同じです。つまり、それ自体とは何か?と問いかけることがその本質へと至る鍵なのですね。しかし、それは問えば問うほど遠のいてしまいます。遠のくとは、いろいろな考え方がたくさん出てきて、どれが本質か解らなくなってしまう!または、どれも本質だと言えなくもない!ということに出くわしてしまうのです。
 
  なぜ、そういうことが起きるのかと言うと、それが本質を表していたのです。つまり、考えによって、その意味が決まるという性質、構造、システムとなっているからだということなのです。考えに対応してその意味、価値が決まるのです。つまり、見えたものは、自分の価値観、考え方、評価基準が決めたものなのです。そのため、人によって価値観、考え方、評価基準が違いますから、同じものを見ているようで、実は違うように見えている!ということになるのです。
 
 ちょっとややこしいかもしれませんが、これが現実認識の違い、評価の違いとなって、感じ方が異なってしまうということなのです。ですから、この現象をもっと端的に表現すれば、私が見ているものは、私の考え、私の価値観を見ている!ということになるのです。それが、見れども見えず、聞けども聞こえず・・・という言い方の本質なのです。
 
  このポイントに気づいて翻訳するかどうかが、とても大事なことが分かりますね。誤訳をしやすいという原因はここにもあるのです。そのことを知らないから、または間違った知識があったから誤訳をしてしまった!と考えるのはちょっと早計かもしれません。そのことについて知らなかったということも、間違った知識があったということも、そのことが現れる原因は、自分の価値観、考え方にある、と考えていくと、誤訳に対する見方が変わることになります。つまり、それは誤訳なのか?ということにもなります。
 
  ここでは、「人は、自分自身の考えを、価値観を見ている」ということで考察を重ねていますから、誤訳があったという現象は、「自分は言葉の意味が解らない時、間違ってしまう」という観念、考え、価値観を見ている、ことになります。その価値観とは、「誤訳への恐れ、または、誤訳はしてはならない」という観念、価値観、考えだと言えます。従って、誤訳をしたという現実を見るということは、「誤訳はしてはならないという観念」、とか、「自分は知らない言葉があり、知らない言葉は誤訳となる」という「恐れの観念」を見ているということになるのです。
 
 これが、私たち人間の情報処理システムだと言えるのです。人工知能の研究をリサーチしていくことは、人工知能の情報処理システムを理解していくプロセスです。そして、とりもなおさず、人工知能は、人間の知能つまり、情報処理システムを研究することによって、それを人工知能として外在化して見せた!ということになります。つまり、人工知能研究者が、人間の知能とは何かと考えたとき、彼らはどういう観念、考え、価値観を抱いているかを見せていることになります。
 
 一方、人工知能の発展、研究成果に対してどのような反応を示すか?ということは、人工知能に対してどういう価値観を、観念、考えを持っているかということを見せていますから、人工知能を楽観的に考える観念を見るか、または「恐れ」という評価、観念を見るか?ということになってきます。「恐れ」という観念を見るとき、人工知能は人間に牙をむくかもしれませんね!
 
  そうではなく、人工知能を人間に役立つ良いものだという観念を見るとき、人工知能を使いこなせる喜びが湧いてくるかもしれません。「恐れ」を持って見るか?「喜び」を持って見るかで、それぞれ体験する現実が変わってくる!!という考察でした。
 「世界は翻訳である」という言葉はこのような考察から生まれました。皆様も、自分の視野、視点、つまりものの見方を冷静に観察してみてください。
 
 「汝自身を知れ」というアポロン神殿に掲げられた言葉は、私たち「人間の本質への誘い」 なのです。
私たちは、自分とは何か?という本質的な問いに答える唯一の解答を持っていないのです。それは、いくつもの多視点、多視野からの多くの解答となって現れています。おそらく、人間の数だけ!翻訳者の数だけあるのです。なぜなら、その価値観によって現象を読み解き、自分だけの価値観を通してしか情報処理ができないからなのです。
これって、プログラムされた神工知能?一体誰が、DNAを作ったのでしょうか?

最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第146号 巻頭言

視点を変える―自分は何をどう見ているかを知る。

 バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

もう3月10日春の兆しが色濃くなって来ました。今日は寒い、今日は暖かい!と日々の環境の変化に反応しているうちに、樹木や草花などは着々と春の訪れに準備の余念がありません。桜の堅いつぼみが少し膨らみ、ピンク色に染まってきています。遠くから見ると、桜の木の周りがうっすらとピンク色に煙っています。
 
 次号、3月25日号の配信のころには、きっと桜が開花しているでしょう。外出が楽しくなる季節が到来しています。
うきうきする気分を大切にして、楽しい毎日を過ごす習慣をつけると、楽しい現実に遭遇します。同じ季節にいても、何も感じず、過去の延長線でしか現実を見ることができないと、過去の繰り返しを体験することでしょう。
 
 あなたは、ご自分がどちらを習慣としているか、自覚していますか?その自覚がなく、ただ漫然と生きているのは、どうでしょうか?そういう状態で生きて死ぬことも可能でしょうが、それで面白いのだろうか?と思ってしまいます。
人それぞれですから、自分がどんな生き方をしようと、自己責任、自分の自由選択です。それは、決して他人のせい、社会のせい、国のせい、親のせいなどにはできないものです。同じ環境にいても、人はそれぞれ異なる現実を体験しています。
 
 視点を変える、というテーマでしばらく続けていきたいと思います。
私が、翻訳者養成事業に携わるようになったのは、1974年からですが、私にとって大きな発見の一つは、同じ課題文を翻訳するのですが、学習者が10人いたら、10通りの訳文ができるということでした。テニヲハから語順、もちろん訳語、ニュアンスが10通りの文ができるのです。
 
 ただ単に誤訳かというと、そうではないのです。もちろん、意味の取り違えがある場合もありますが、それだけではなく、その結果の訳文がどうやってできたのかを考える必要があるのです。翻訳のプロセスは言うまでもなく、原文がまずあるわけですが、この原文を読み取るとき、既に読み方が違っているのです。また、同じ人でも、何年か経ってから同じ原文を翻訳するとき、前と同じではなくなっていることが多いのです。
 
 これは、何に起因するかといえば、原文をどう読んだかに深いかかわりがあることに気が付きます。もちろん、表現力が豊富になったから、以前の翻訳文よりこなれてきた!という点もあるかもしれませんが、それは、結果論なのです。私たちの思考システムが、そのように誘導していきますが、それは、これまでに使い慣れてきた思考パターンなのだといえます。
 
 この点を考えようとしているのが、昨年からテーマにしてきた「人工知能をリサーチして、その反映としての人間の思考システムを理解しよう」という試みなのです。なぜ、そういう回りくどい方法をとるのかというと、私たちは、自分の顔を自分自身ではそのまま見ることはできないからです。自分の目は前や周りは見えますが、手や足や身体の前面の大部分は見えますが、後ろや、背中などもかなりの部分が見えません。つまり、鏡に写すか、人に見てもらうしかないのです。
普段はこんなことを考えずに、漫然と当然のように生きていますが、自分を自分だと特定する、アイデンティティを表す自分の顔は、直接見ることができません。これは、人間の存在という現象にとってとてもユニークな仕組みだと思います。
 
 ましてや、あなたは自分の脳の働き、仕組みを説明できますか?どういうシステムになっているかを説明できません。私たちは、自分自身についてでさえも、ほんの少ししか知らないのです。もちろん、そんなことを知らなくても普通に生きていけますし、ビジネスで成功することも、社会で名声を得ることもできするでしょう。平和で幸せな暮らしも可能でしょう。
しかし、そういう疑問を持つものもいるんですね!かなり変わった人間ですが。それらは科学という学術分野で、身体という物をあれこれ分解分析して研究されてきたのが、脳科学やその周辺科学だといえます。
 
 目に見える身体を、目に見えない微小な物質の機序としてとらえる研究だけでなく、量子力学の登場によって、意識という側面からの研究も盛んになり、多様なアプローチがなされています。そんな研究の一つの成果が、「人工知能」なのです。人工知能は、人間の身体と脳の働き、意識と学習システムなどを統合的に研究されてきた過程の成果物です。したがって、人間が自分を知るためには、この「人工知能」の研究が役に立つ!と考えているわけです。
 
 そんなわけで、翻訳文が十人十色になることの原因は、自分の視点、つまり原文をどう読んだかにかかわるのか、それとも表現の多様性があるから以前訳文とは変わっていくのかという疑問を、「人工知能」の開発プロセスから読み解けると考えているわけです。
なぜなら、人間の知識システムはまだよくわかっていないからです。あなたは、自分の知識がどれだけあって、何が不足しているから、それを習得するのにどうすればいいのか、適格、正確に答えられますか?人工知能研究では、どんな知識を入れるのか、初めから準備できます。機械システムだからです。
 
 ところが人間はどうでしょうか?あなたは、いつか今まで見たこともない、体験したこともないことでも、尋ねられた時、思わず答えが浮かんだことはありませんか?または、初めて行ったのに、なぜか懐かしくこの先に何があるかが想像できた、という体験はありませんか?これらは、【デジャヴュ】とか【既視感】とか言いますが、多くの方が体験されていると思います。
 
 また、例えばお風呂に入ってのんびりしていたら、ふとひらめいた!とかありませんか?「アルキメデスの原理」は有名ですね。つまり、私たちは自分自身の思考システムや、外界認識システムがどうなっているのかがよくわかっていません。一応、眼、耳、鼻、舌、身体感触という五感があるといわれています。これで情報を得て、脳で処理していることになっています。さらに、先ほど例に挙げた体験が示すものは、第六感に相当するのでしょうか?
 
 この頃は、第六感にとどまらず、第七感、第八感まで登場しています。ここで私のテーマにもどると、原文を読むということは情報のソースのとらえ方になるので、ソース、つまり原因をとらえるところが間違ってしまうと、そのあとの加工によって修復されるためには高い処理能力が必要となるので、まず、「情報をどのように読むかが大事である」と言いたいわけです。つまり、見方=視点によって、原文情報が影響を受けるということなのですね。
 
 その時点で、情報が歪んでいますから、後でいろいろ工夫をするのは誤訳をしているようなことになります。従って、原文情報をどう見るか?または、どう読むかが、原因となってそれに伴う結果が出てくる!と言えるのではないでしょうか?あなたは、いつも自分が体験している現実をどのように見ていますか?自分は運が悪いとか、考えていませんか?自分が見るものは、自分自身の見方、つまり自分の価値判断なのですね。
私たちは、自分の価値判断を通して現実を体験しています。自分にとって、良い、悪い、あの人にとって、良い、悪い、その結果が現実となってまた体験します。このような仕組みを仮説と立てて、私は実験を繰り返しています。自分の言葉は自分の思い、価値観を反映していますから、それを観察することは、自分の体験の仕組みを観察して実験することができます。
 
 「世界は翻訳である」という言葉はこのような考察から生まれました。そして、1974年に翻訳者養成事業を開始して2年目の1976年には、本誌の前身である、「月刊 翻訳の世界」を創刊しています。私と「翻訳」とのご縁は尽きることがなく、今もまた、これからもずっと続いていきそうな予感がします。一体、翻訳とは何なのでしょうか?これほどまでに、翻訳に惹かれる理由が知りたい!と思うこの頃です。
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第145号 巻頭言

視点を変える-これからの翻訳市場をどう見るか?

 バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

寒暖の差が激しい中でも、だいぶ暖かい日が多く巡ってくるようになりました。春の訪れがもうすぐだと感じるこの頃です。今年の日進月歩のスピード感は、いかが感じられますか?いろんなことがスピーディに進んでいます。しかも、いろんなことがギリギリのところで、好転して来ていると感じます。

ところで、シンクロニシティという言葉をご存じでしょうか?スピリチュアルに興味がおありの方や、心理学に関心がおありの方はご存知だと思います。そこで、シンクロニシティについて引用しようとして検索したところ、かなり良くまとまった情報ページを見つけました。次のアドレスからご覧ください。

http://kjsei.net/

 

このシンクロニシティは、意味のある偶然の一致、または共時性とも言われますが、どなたも一回や2回は経験されたことがおありになると思います。例えば、ちょうど友人に電話を掛けようと思っていたら、偶然その友人から電話がかかってきた。というようなこともシンクロニシティだと言えますが、それを、ただの偶然でしょ!と言ってしまうことが多いものです。そこで、今回のテーマは、この現象、つまり、【ちょうど友人に電話を掛けようと思っていたら、偶然その友人から電話がかかってきた】というようなことを、あなたはどう受け止めるか?考えるか?どういう視点で見るか?ということについて考察してみたいと思います。題して、「視点を変える―これからの翻訳市場をどう見るか?」です。

 

ところが、この「視点を変える」ということが、意外と難しいのです。翻訳は情報処理である、ということは皆さまご承知の通りですが、これを二つに分けて考えると、「情報」と「処理」に分かれます。「情報」は名詞としての表現ですから、ここではまず、「処理」の行為について考えてみます。この処理という行為には、そのための価値観がおのずと内在されています。例えば、(有益な)情報だから、十分に吟味する、とか、(既によく知っている)情報だから、既定の処理でよい、などです。つまり、情報に対する価値観によって、処理の仕方が異なるということになります。

 

情報とはおのずと価値観によって判断されているのです。そこで本題ですが、この情報が仮に翻訳市場についての情報だとします。そこで、この情報を処理するわけですが、その処理の仕方が自己の目的に沿うように処理できるかどうかが、ポイントだと言いたいのです。自己の目的に沿うようにとは、翻訳を志す皆さんにとって有利なように、これからますます翻訳ニーズが増えるだろう、とかいうようなことを意味します。

そこで、情報をどう処理するか?つまり、得られた情報を処理するとは、自分がどう判断するか?ということなのですが、その時に、すでに、情報の中に価値観が紛れ込んでいますよ!と言いたいのです。つまり、私たちは、「情報」に価値観、先入観を持たずに見ることが困難である、ということなのです。それは、過去の体験や記憶により自分が構築した判断の体系となっていて、情報をデータとしてフラットにみることがなかなかできないようになっています。

つまり、いわゆる色眼鏡をかけて物事を見ています、ということなのですね。そういう視点が自分の基本認識なのだと理解ができるということは、色眼鏡の補正ができてきた、色の度合いが薄くなってきた!と言えるでしょう。視点とは、価値の体系であるということですね!
 

そこで私が提案したいことは、見るもの、つまり、「情報」を自分にとって都合よく見よう!ということなのです。今までの価値観では、事態を厳しく見ることが大事で、情報を甘く見ると失敗するのではないかという恐れが支配的だったと思います。私自身もマネジメントの立場から考えれば、自分に不利な点を考えて、いかにそれに対処できるかが大事だと考えてきましたし、それが、「リスクマネジメント」だと言われてきたと思います。リスクを数え上げれば、やる気がなくなりますね!誰でもローリスク、ロウリターンではなく、自分にお得なように、ノーリスク、ハイリターンを期待したいですものね。

しかし、悲しいかなそんなうまい話はあるわけないでしょう!と考える習性、価値観が身に沁みついています。私たちは、失敗を恐れるあまり、貧しい、失敗だらけの価値観に人生を支配され、人生の豊かさ、運の良さ、都合のよいお得な人生を送ることは難しい!という思いで固まっています。だから、シンクロニシティとも言える体験をしても、そう都合がいいはずはないでしょう!と考えてしまうのです。シンクロニシティを信じられるかどうかが、一つの分かれ目なのです!

  長い前置きでしたが、ご理解いただけたでしょうか?現実(という情報)をどういう目で見るか?がポイントなのですね。「どういう目」ということは価値観ですから、暗い悲観的な価値観で見るのと、明るい黄色の色眼鏡で見るのではちがってきます。したがって、見ている現実(という情報)に意味があるのではなく、その見方、視点に意味があるという考え方を提案しているのです。ユング流にいえば、見たいという心の動きがまずあって、見たいものをイメージしてしまうのです。するとみたいものが予期せぬところに、予期せぬ形で現れる!というわけです。

 

自分を取り巻く社会環境をどう考えるか?これがとても大きな意味を持っています。つまり、自分が世界をどう見るかによって、世界が変化する!とさえ言えるのです。社会を見る目が自分を取り巻く環境に変化を与えている!のですね。この考え方は、量子力学的な視点を持つ、ということになります。

漁師?ではない、量子力学です。1930年代に新たに登場した物理学ですが、​2016年を迎えた100年足らずの間に、急速な進化、発展を遂げてきました。現代物理学の根幹となっている理論体系です。

ウィキペディアから引用してみましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6

 

量子力学(りょうしりきがく、: Quantum mechanics)は、一般相対性理論と同じく現代物理学の根幹を成す理論として知られ主として分子原子、あるいはそれを構成する電子など、微視的物理現象を記述する。

量子力学自身は前述のミクロなにおける力学を記述する理論だが、取り扱う系をそうしたミクロな系の集まりとして解析することによって、ニュートン力学に代表される古典論では説明が困難であった巨視的な現象についても記述することができる。たとえば量子統計力学はそのような応用例の一つである。従って、生物宇宙のようなあらゆる自然現象もその記述の対象となり得る。

代表的な量子力学の理論として、エルヴィン・シュレーディンガーによって創始された、シュレーディンガー方程式を基礎に置く波動力学と、ヴェルナー・ハイゼンベルクマックス・ボルンパスクアル・ヨルダンらによって構成された、ハイゼンベルクの運動方程式を基礎に置く行列力学がある。

基礎科学として重要で、現代の様々な科学や技術に必須な分野である。たとえば科学分野について、太陽表面の黒点磁石になっている現象は、量子力学によって初めて解明された。

技術分野について、半導体を利用する電子機器の設計など、微細な領域に関するテクノロジーのほとんどは量子力学を基礎として成り立っているそのため量子力学の適用範囲の広さと現代生活への影響の大きさは非常に大きなものとなっている一例としてパソコン携帯電話レーザーの発振器などは量子力学の応用で開発されている。工学において、電子工学超伝導は量子力学を基礎として展開している。

古典力学との相違点

相対性理論ニュートン力学のような古典力学、また古典的な電磁気学と量子力学との大きな違いとして、不確定性原理相補性原理に代表される、観測行為とそれによって記述される物体状態の取り扱いや、それによって要求される確率的な現象の記述が挙げられる。事象が確率的にのみ記述されるということは、ニュートン力学などで成り立っていたような強い意味での因果律が成り立たないことを意味する。より詳細に言えば、量子力学において成り立つ因果律とは、シュレーディンガー方程式によって記述される波動関数の時間的変化が因果的であることをいう。また、コッヘン・シュペッカー定理英語版)から導かれるように量子力学は、すべての物理量の値を同時に定まった値を持っているという素朴な実在論としては記述できず、非実在論的である

他にも量子力学によって示される自然の際立った特徴として、原子や電子が粒子としての特徴を示す一方で波としての特徴も示す(物質波の概念)ことが知られている一方、電波のような電磁波もまた、波としての性質を示す一方で粒子としての特徴も示す(光量子仮説)ことが知られている。これらの粒子性と波動性は同時には現れず、粒子的な振る舞いをする場合には波動的な性格を失い、逆に波動的な振る舞いをする場合には粒子的な性格を失う。

 

上記の赤く色を乗せた個所は、私が特に重視している点ですが、現代のインターネット時代の立役者は、この量子力学だと言えますね。バベルが、インターネットの翻訳専門職大学院を開校できたのは、まさに、インターネットのおかげですから、量子力学の恩恵に浴していることになります。勿論、バベルだけでなく、現代世界はインターネットやPC、スマホなどがなくてはいろいろと手間がかかることになりますから、まさに現代社会の根幹をなす科学技術であると言われる所以です。

 

ところで、上記に紫色でマーキングした個所は、この量子力学の大事なポイントだと思うのですが、これが、「量子力学は、すべての物理量の値を同時に定まった値を持っていると素朴な実在論ではなく、非実在論的である」とか、電波のような電磁波もまた、波としての性質を示す一方で粒子としての特徴も示す(光量子仮説)ことが知られている。これらの粒子性と波動性は同時には現れず、粒子的な振る舞いをする場合には波動的な性格を失い、逆に波動的な振る舞いをする場合には粒子的な性格を失う。」という、極めて難解な内容になっています。

それを私流に解説すると、私たち人間が観察していないときは、波としてふるまうのに、観察、つまり人間の意識という視線を向けると、その影響により粒子となる、つまり物質化する!と解釈できるのです。ところで、私は、おそらく小学校の高学年の時か、中学校の理科の教科書だったと記憶しているのですが、光は粒子であると同時に、波でもある!というような記述に、へえっ!と思うと同時に、イメージできずに悩んでしまったのです。波であると同時に粒子でもある!ということがとても気になり、どういう状態かとイメージするのですが、なかなかイメージできませんでした。 

ようやく、大学生になって関連書を探して読み、それが量子力学であることを知りましたが、コンピューターが市販されるのは、それから15年後ぐらいになってからです。その当時、コンピューターは大変高額でしたが子供がおもちゃに夢中になるかの如く、購入していました。このコンピューターが量子力学の研究成果だとは知りませんでしたが、なぜか、コンピューターが大好きで、小さな企業であったにもかかわらず、1980年代半ばにIBMのマシンを購入してビジネスに活用し始めました。

その後は事務処理用だけでなく、字幕制作や、翻訳機としてのコンピューターを購入し、コンピューターシステムへの開発投資額はかなりな金額となっていました。おかしいのですが、自分ではコンピューターを操作しないにもかかわらず、システムの設計、開発は私自身も参加し、SEの方にいろいろ聞きながら学ぶことが楽しかったのです。

  それが、現在のインターネットによる翻訳専門職大学院の設立という形に結実しました。翻訳作業や翻訳情報のやり取り、ビジネスコミュニケーションが現代のように実現することに100%見通しがあったわけではありませんが、コンピューターシステムとインターネット通信システムはとても魅力的に感じていたのです。世界中のどこにいても情報のやり取り、つまりコミュニケーションができる!これによって現代文明は大きな変貌をとげてきました。

さらに、情報処理という概念が定着し、世界の多様な言語とその叡智の情報が誰にでも、いつでもアクセスできる時代がやってこようとしています。翻訳者がこの世界の言語障壁を取り払い、人々が互いの思いをいつでもどこででも、誰とでもコミュニケートしあうことができる時代を創造しています。1974年の創業時には想像もつかなかったことです。なんと、1974年のころの日本はオイルショックの最中で、中小企業の倒産が相次ぎ、悲惨な経営者の様子が報道されたり、トイレットペーパーの獲得に狂奔したり、買いだめしたりなどという時代でしたから、あまり良い未来を想像できる時代ではなかったと思います。

創業からの41年間、時代の変化に対応せざるを得ず、自ずと様々な変化を遂げながら、今の状態へとたどり着いていることを実感します。しかし、この変化の波はまだ続いています。変化はさらに多岐にわたり、深みを増し、Deep Learning によって開発研究されている「人工知能」へとつながっているのです。

この「人工知能」は、新しい時代の訪れだと言わざるを得ません。その夜明けが近いということを感じ取っているのだと思います。昨年来、「人工知能」についてリサーチしながら考察を重ねてきましたが、それは「情報処理能力」の飛躍的な向上、発展ということを表しています。私が、波であると同時に粒子であるという、相反する形質についての理解がなかなかできなかったように、現代技術進化の方向として私たちが理解できる段階から、イメージができなくなるポイント、シンギュラリティ(=特異点)が何時になるのか?また、何に影響を与えるのか?どうなっていくのか?推論の域でしかないのですが、私たち人類が、前人未踏の世界に踏み出して行くことは確実です。

 

そのとき自分はどういう人生を送りたいのか、決めておくことが大事ですね!やはり、意志=意図というものを明確にしておくことが、より一層大事になってきます。

 今回も最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第144号 巻頭言

汝自身を知れ!?

 バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

皆様こんにちは、立春ともなると、すっかり春の陽気に包まれた感じがします。日に当たっている場所はとても暖かいです。最近の節分は、豆撒きから恵方巻に変わったようで、鬼も一緒に受け入れる鷹揚さがいいですね。今年ももう2月となりました。今年のスピード感は、昨年より早い感じがします。いろんなことがスピーディに進んでいます。
 
 先日は、台湾で地震が起き、ビルの倒壊など大きな被害が出たようです。被災地の皆様に、1日も早い復旧を祈り、お見舞いを申し上げます。日本を含め、世界各地で様々な気象現象、地殻変動、陥没、火山の噴火、洪水、竜巻などが起きています。一方で、金融経済の崩壊が喧伝され、国家経営の資金繰りが悪化し、各地でデフォルト危機が叫ばれています。さらには、北朝鮮の水爆実験、ミサイルの発射による極東地域の緊張など、天変地異、経済破綻、第3次世界大戦への誘因などが報道され、既存のシステムが崩壊している時が来たと感じます。
 
 これらの変化が何をもたらすのか、それには、各自が冷静に自覚することが必要でしょう。いたずらに恐れたり、慌てたりするのでなく、変化がもたらす方向に目を向けると、とても良い方向へと変化していく可能性があることを強く感じます。今や、2016年の春であると同時に、人類2000年の歴史の春の訪れではないのかしら?などと思ったりします。何かはっきりしないのだけれども、心が弾んでいます。
 
 それは、やはり、新しい時代が訪れようとしており、その夜明けが近いということを感じ取っているのだと思います。
西暦2000年頃から始まった既成システムの崩壊、転換の波はもはや過去に戻れないところまで来ているのですね。昨年、2015年は「人工知能」についてリサーチしながら考察を重ねてきましたが、人工知能にシンボライズされる「情報処理能力」の飛躍的な向上、発展というものがかなり大きなインパクトを与えていくように思います。
 

 シンギュラリティ(=特異点)が何時になるのか?また、何に影響を与えるのか?どうなっていくのか?推論の域でしかないのですが、人類が未踏の世界に踏み出して行くであろうことが予想されます。そのとき自分はどういう人生を送りたいのか、決めておくことが大事ですね!やはり、意志=意図というものを明確にしておくことが、これまでより一層大事になってきます。
 
 これまでは、先人の歩いた道をお手本にすればよかったし、既成の価値観が共有されていたので、あえて自己表現、自己実現ということへのこだわりがない方が生きやすかった世の中だったと思います。しかし、
シンギュラリティを超えた時からそれは通用しなくなります。他人の、または先人の歩き方をまねて、または後に続けばいい!というような解決法はあてにならなくなるでしょう。自分自身で、自己の意思=意図というものを明確に持つことがその世界の歩き方であると言えます。

 「どうすれば、この変化、革新の時代を生き抜くことができるのだろうか?」このように、ご自身で自分に問いかけてください。
答えは、自分自身が持っています。外に尋ねることは必要ないのです。古代のギリシャにおいて、デルフォイのアポロン神殿にある門の上に掲げられた「汝自身を知れ」という言葉はそれを表しています。別の言い方で考えれば、内観ということでもあります。それとも、量子力学的観察?
 
私たちは、常に外側の世界に翻弄される存在のように感じていますから、自分の内側に問いかけるより、外側の人物や事象に回答を見出そうとします。しかし、アポロン神殿に掲げられた
「汝自身を知れ」という言葉は、その方法は間違っている、と教えています。自分の内側を深く観察し、自分自身を深く知ることで、自分は今どうしたらよいのか、その回答が得られる、と教えているのです。
 
  インターネットの普及がIT(インフォーメーション・テクノロジー)革命としてコミュニケーションシステムを変えたことで、世界の産業、ビジネス、ひいては国家、軍事、経済、司法などの政治システムを変え、さらに個人の宗教、ライフスタイルなどまでをも変えてきたわけですが、これがなぜ起きてきたのかについての考察が表面的だったことに気づきました。それは、HP、ブログやフェイスブック、ツイッターなどの個人の情報の開示です。
 
これまでは、個人の日記は公開されたとしても有名な小説家や政治家など一部の人のものでした。ところが、ブログやフェイスブック、ツイッターなどは、普通の誰でもが無料で参加できるコミュニケーションツールですから、それこそ、潜在意識の底にしまい込まれてきたはずの個人の体験や、感情(勘定)が一斉に開放されていたのだと気づいたのです。その事実を知って、株式の予想や、マーケットの推移など、膨大な情報となるビッグデータが様々な視点から分析、解析され、ビジネスに、調査研究に活用されています。
 
瞬時とまではいかないのですが、検索することによって、多様な情報を得て、分析したり、他者の考え方を比較考察したりすることができるようになったので、インターネットがなかった時代と比べれば、知識量と思考レベルは格段の差がついています。それは、まるで、
インターネットは一つの頭脳であるとさえ言えます。ある意味で、インターネットは人工知能の表れとして、既に存在しているのです。インターネットにつながった知識と感情(=勘定)とは、まさに現代人類の集合意識を形成していたのですね。そうだったんだ!と思わずうなってしまいました。
 
考えてみてください。インターネットにアクセスできる人と、図書館や自分の書籍のみでしか情報を得られない人
の違いを。30代以上の方は、ご自身の体験でそれが実感できるはずです。もし、実感できないとすれば、インター
ネットを使いこなしていないだけです。同じ時代を生きていても、インターネットを使いこなすか、そうでないかでは、雲泥の差が付きます。実は、私自身、まだ使いこなしているとは言えないのです。それは、過去の習慣、記憶に依存してきた生活習慣、つまり、既成概念の世界にどっぷりとはまっているからなのです。
 
  考えてみてください。PCかスマートフォンを使えば、直ぐにHPや誰かのブログ、ユーチューブなどのWEBサイトにアクセスでき、文字情報、動画情報を直接閲覧できますし、本やいろんな製品をすぐに購入手続きをすることができます。WEB情報なら、すぐにダウンロードして読む、見ることさえできます。しかも、国境もなく、言語障壁も無料の翻訳サービス(意味が取れないこともまだ多いが)で越えられます。さらには、フェイスブック、LINE、ツイッター、スカイプなどという多くのアプリによって、世界中のどこにいる人とでもチャットやメール、電話ができてしまうのです。未だかつてこのようなことができたのは、超能力者ぐらいしかいなかったのではないでしょうか。(笑)
 
 私たちは、日々様々な技術革新ともいえるサービスシステムと情報の提供によって、それが当然のように思い込み、いつの間にかゆであがったカエルのように、その仕組みの中にはまり込んでしまいます。そしてそれがどんなことを実現した凄いテクノロジーだということも当たり前のように感じ、慣れてしまいます。すると、情報の大事さやその比較考察などということもだんだんしなくなっていくのです。なぜなら、なんでも当たり前の便利さに、特別の関心、感情というものがわかなくなっていく、つまり、当たり前の世界となるのです。
 
 ところが、それが失われた時には、かなり困ってしまいます。機械の故障はもとより、停電や電源が消失して電気が復旧しないとき、全く役に立ちません。現代のインターネットシステムは、電気エネルギーに依存しているシステムだからです。そして、便利な道具ばかり使っていると、当然その道具が使えないと何もできなくなってしまいます。
 
 これが、人工知能にこき使われないようになるための突破口を開いてくれるかもしれません。何といっても、私たち人間は、電気エネルギーをコンセントからとらなくなくても、自然の放射線というエネルギーをじかに取り込み、または植物や動物などで命を与えてくれる食物からエネルギーを加工して間接的に取り入れることが可能だからです。この人工知能ではない生体システムが生命体であり、意識体であると言えます。
 
 意識体としての人間システムをどのように考察、観察していけばいいのでしょうか?私は、これこそが、人工知能の研究であると言いたいのです。デルフォイのアポロン神殿の門に掲げられた
「汝自身を知れ」は、自分自身を知ることができないからこそ、神殿に掲げられたといえるでしょう。私たちは、「自分自身を直接知ることはできない!」と知るべきです。自分を見るためには鏡が必要ですね!水に写してもいいです。しかし、直接顔を見ることはできません。あなたは自分が顔だと思いますか?それとも足や手は見えるから、自分を見ているのでしょうか?
 
 私たちの自己認識はこのようにかなりあやふやなものです。顔のない身体を自分だと認識するのはかなり勇気がいるでしょう。顔が自己認識の原因となっているからなのですね。目が見えないとき、どんな世界にいるのでしょうか?五感のうち、目で見ることがかなり大きいウエートを占めているといえます。つまり目で見えるものしか信じない認識システムとなっているのです。目で見えるものしか信じないシステムの中で、自分の顔を直接見ることができないということは、大きな矛盾です。何か怪しい気がしますね!どこかにトリックがあるような感じです。だから
「汝自身を知れ!」という言葉が掲げられているのですね。
 
 今回も最後までお読みいただき有難うございます。ご意見ご感想をいただければ幸いです。

第143号 巻頭言

巻頭言 :2016年1月25日号

変化を受け入れよう-ゆでガエルにならない!

 バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

2016年という新しい年が明け、これからますます、世の中の動きが慌ただしくなっていきます。
これまでの科学、技術、商習慣や制度、政治、経済、金融など、20世紀末頃から起き始めた崩壊と新生への変化は、これからもっと大きな崩壊と変動となっていくでしょう。
 
昨今の天候の異変、地球のマグマの活動や大気の汚染とその浄化への動きなども社会の変動と動きを同じくしています。私たちは、毎日が同じように変わらず続いていくと考えていますが、これまでの歴史を振り返れば、決してそんなことはなく、日に日に、夜ごと夜ごとに変化しているのですね。
 
日々の変化は小さなレベルの変化で、また、天候のように、暑くなったり、寒くなったりを少しずつ繰り返しながら変化していくので、かなり大きな変化になってからしか、私たちは気づかないのです。よく言う「ゆでガエル」症候群に陥りがちです。「ゆでガエル」症候群とは、「カエルを、いきなり熱湯に入れれば逃げ出そうとするが、はじめは水に入れておいてだんだん温めていくと、しまいにはかなり熱くなっても飛び出さずそのまま茹で上がってしまう」というものです。ただし、これは実際のカエルの生態ではなく熱くなると逃げるそうですが、人間のよくある傾向についての譬えです。環境の変化に鈍感な組織や個人への警句として、例えば企業や自治体の危機管理の話などによく使われているようです。
 
私たちが今、直面している現代、現実とは、いったいどういう局面なのかを率直にとらえる感性が必要です。
「ゆでガエル」にならないためにも。
 
ちょっとおさらいしてみましょう。1990年ころから始まった日本のバブル崩壊は、日本経済を発展成長という観点から遠のかせてきました。はじめは「失われた十年」と言われたのが、今や、「失われた20年」を超えています。この二十数年の日本経済収縮の余波は大きなうねりとなって世界のあちこちに波及し、経済成長をほしいままにし、世界の製造工場と言われた大国中国の経済は、張子の虎であったことが暴露され、昨年は中国バブルの崩壊のニュースが世界の金融経済に大きな打撃を与えています。もちろん米国もいつ国家経済の破たんが起きてもいい状態といわれますし、金融経済というシステムはいわば風前の灯火のような状態ともいえます。
 
これがどんなどんでん返しを世界経済に引き起こしていくのか注視していく必要があるでしょう。そして一方で、従来の貨幣・金融経済のみによらない、実物経済、共有経済、贈与経済など、個人・地域の自立的成長への可能性を探る、新しい試みが実践されています。それらは、日本の都会ではなく、地方のあちこちで起こされており、それぞれに特徴があり、まさに実験場のような動きです。おそらく、そのうちのどれかに収束するというのではなく、各地の地方色豊かな展開と動機を持っています。それらはまた、土と森、水、微生物というような、私たち生命の生存にかかわる大事な資源にかかわっています。現代の埋蔵資源と石油に依存した科学が見失ってきた自然の生態系を復活させていきながら、ともに人類も共存、共栄していこうとする思想が感じられます。人類の役割を「自然を守り育てる」ことと考えているわけですが、それは、とりもなおさず「森を守り育てる」ことだと言えます。森林は、植物の生態系であり、動物の生態系でもあります。それは水の循環システムであり、微生物の生態系でもあり、同時に海ともつながった地球生態系となっていきます。
 
中国やアフリカ、中東地域、北米などの砂漠化はかなり進行していますが、南米のアマゾンでさえ森林が減少し、砂漠化が懸念される始末です。もしも、バブル崩壊が起きずに、経済の過熱が進行していたら、それこそ、世界の森林は消えていき、砂漠が広がって気候変動は現在のような状態では済まなかったでしょう。森林の崩壊は人類の生態系の崩壊と同じだと知ることです。昨今の気候変動は日本ではまだ穏やかですが、欧米をはじめ海外の気候変動はかなり激しくなっています。単に温暖化というより、森林の崩壊による気候変動、温暖化と寒冷化がもっと激しくなることが予想されます。惑星地球「ガイア」の危機管理能力が活発化するということなのでしょうか?
 
これらの動きと呼応するように、一方ではコンピュータ技術とインターネットによる「IT革命」がおき、それは「ビッグデータ」から「人工知能」へとたどり着いています。これは何を意味しているのでしょうか?18世紀から20世紀までの科学技術は地球の海洋・森林資産や地下資源=埋蔵資産、動植物の生態系を、開発と称して人工代用物に置き換えていき、先住種族である動植物や、微生物の住環境を破壊してきた歴史です。それは地球上を人類がくまなく歩きまわり道路を作り建築物によって占拠してきたともいえるのです。ところが、インターネットやコンピューターシステムは、実際に人が移動しなくても通信、連絡が可能です。
 
皆様が学ばれている、バベル翻訳大学院はインターネットの翻訳大学院として、ハワイのオアフ島に本社オフィスがありますが、皆さんはわざわざハワイに通う必要はありません。自宅にいたままで、世界のどこであっても学ぶことが可能です。そして、翻訳ビジネスはまさに、インターネットとPCシステムが使えるところであれば、場所は問わないで、仕事ができるのです。「IT革命」とは、ある意味で、人類の過剰な移動による森林破壊、地球埋蔵資源の過剰な発掘と自然生態系の破壊を食い止めていく効果を果たしているのです。
 
 観光収入はハワイの重要な収入源ですが、同時に様々な環境破壊も引き起こしています。難民の方たちの大移動ばかりでなく、いまや人類の移動は地球の森林資源を破壊しない方法を実現することが必要でしょう。もしも中東地域が緑豊かな森林に恵まれていたら、決して難民は発生しなかったことでしょう。森林があれば人は生きていけるのですから。現代の人類が直面する課題がこの「森林を守り育てる」ことなのです。そしてそれへの有効な回答の一つが、インターネットシステム=IT=インフォーメーションテクノロジーの活用だといえるのです。
 
 様々なニューテクノロジーが開発されていく中で、その方向性を見極めていくことが必要です。今の世界の異常気象、砂漠化、放射線汚染などの問題はひとえに、森林資源の喪失が大きな原因となっています。放射線障害が喧伝されますが、放射線と微生物の関係などは十分に研究されていません。放射線の線量がどのくらいになるとどういう障害が起きるのかということはまだ十分にわかっていません。微生物の中には放射線を食べて無害化する種類があるそうです。太古の昔、地球に大気がなかったころは宇宙から直接放射線が届いていて、それを食べていたバクテリア(微生物)がいたことは既に分かっています。それらの情報は一般化されていません。つまり、情報には恣意性、選択性があるということです。これらの情報に一般の人々が誰でもアクセスして、知ることができるようになれば、地球の森林を育てようという人々の行動がより活発化していくでしょうし、意味のない恐れとヒステリックな行動がなくなっていくことでしょう。
 
インターネットの普及はほとんどの産業のビジネスのスタイルを変えてきています。郵便の量はかなり減ったはずです。さらに出版物も紙から、電子ブックへと移行しています。文字情報だけでなく、ユーチューブなどにより、画像音声データが世界の通信可能な地域であれば見ることができ、バベル翻訳大学院でも利用している「ZOOM」やスカイプシステムを使えば、対面した会話やイベントに参加できます。
 
これらのIT技術によるビジネスへの影響、変化の足取りは急速ですが、目に見える変化ではないために、一般の私たちは真に新しい科学技術としての「人工知能」と「ビッグデータ」が引き起こす社会への影響、その発生の意味をよく理解できていないと思われます。つまり、私たち多くの一般人がそれに気が付いた時には、「ゆでガエル」状態になってしまう可能性がある!というわけです。
 
先日、JTAとバベル翻訳大学院の共催の「ビッグデータセミナー」の第1回目が、「社会を変えるビッグデータ、舞台裏から花道へ」というタイトルで開催されました。講師は、緒方惟文先生で、長年にわたり統計、マーケティングリサーチ、社会調査など調査分析従事され、データベース・マーケティング分析受託、データマイニングング受託などを経て、現在ビッグデータ分析&サポートを主体に活動をしておいでです。まさに「ビッグデータ」のセミナー講師にぴったりの方です。第2回目以降はこちらをご確認ください。

http://www.jta-net.or.jp/seminar_bigdata.html
 
私は、直接会場参加をいたしましたが、「ZOOM」参加の方も多かったです。翻訳業はインターネットなしでは今や成立しません。ところが、「ビッグデータ」の充実により、「人工知能」の研究開発に大いに貢献するとともに、「人工知能」システムの性能、可能性に大きな影響を与えるという、いわば、「ビッグデータ」と「人工知能」は、車の両輪のような関係にあるのです。
 
皆さんは、「翻訳ソフト」を使用した体験がおありだと思いますが、今ではGoogle翻訳や、Yahoo翻訳などネット上で手軽に使えます。その翻訳性能をみて、翻訳ソフトはまだまだ使えない、だから翻訳ビジネスはまだまだ安泰だ!などとお考えになるかもしれません。しかし、それでのんびりしていたら、「ゆでガエル」になる危険性があります。
日頃から、「ビッグデータ」「人工知能」についての情報に目と耳を使っていく必要があるでしょう。
 
  早くから準備すれば、人工知能を使いこなして翻訳サービスをする可能性があります。または、人工知能に匹敵する以上のパフォーマンスを実現する、MSTホルダー同士の連携による新しいビジネスシステムに参加することもできます。それにはまず、CATツールというインターネット上で共有できるソフトウエアを使いこなせる翻訳技能が前提になります。電子ブックなども新しいアプリ、ソフトウエアが次々と登場してきます。コンテンツを表示する電子ツール=デバイスの種類も多様化しています。すると、それらに対応したソフトウエアが必要になり新たな仕事の可能性も生まれるのです。
 
  振り返ると、ワープロ通信が盛んだったころ、機械翻訳ソフトが登場したとき、ほとんどの翻訳者たちは、機械翻訳を相手にしませんでした。確かにそのままでは使えない代物でした。しかし、それから10年後には翻訳支援ツールやインターネットシステムに対応できないと仕事が来なくなり、ワープロ通信は今や別物となりました。機械翻訳ソフトはGoogle翻訳となり、ビッグデータを使われるたび集めていて、成長し続けています。
 
十年二十年先を読みながら、今の自分の専門分野や翻訳支援ツールの使用法を習得し、ビッグデータを活用した翻訳技術の研究を行うなど、今からやるべきことはたくさんあります。過去の翻訳ビジネスの歴史を学ぶことで、新たな世界の翻訳サービスの在り方を探求できるでしょう。これが、
温故知新であり、変化を受け入れることから、すべては始まるのです。 
今回も最後までお読みいただき有難うございます。

第142号 巻頭言

巻頭言 :2016年1月12日号

温故知新 ― 変化を受け入れる
バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子


2016年 新年あけましておめでとうございます。今年はどんなお正月を迎えられたでしょうか?

 

エルニーニョのおかげで、日本だけでなく、世界各地が暖冬ということで、今年のお正月、とりわけ三ガ日は晴天にも恵まれ、とても穏やかで、かつ暖かい日々を堪能しました。犬の散歩が日課なので、お正月といえども、欠かすわけにはいかないのですが、暖かい日の光を浴びて日向ぼっこしながらの読書ができて、心もすごく静かなのです。

とてものびのびしたお正月でした。

 

現代の私たちは、一方では国と国の国交断絶のニュースを聞き、一方で、梅の花が開き、うららかな春の訪れのような陽気のニュースが届き、排気ガスデータねつ造のニュース、株価は下落して始まったが、その日のうちに乱高下した、というような雑多で多様な情報が飛び交う現実を体験しています。国交断絶のニュースと梅の開花と排気ガス、株価のニュースは同じレベルで語ることはできませんが、ニュースとしての扱いは同じです。それこそ、ネット上では個人の出来事、社会のイベント、自然現象など、時々刻々ニュースが流されています。そこで言えば、いや、株価はみな織り込み済みだ! となるのでしょう!

 

この情報が膨大にふくれ上がっていく現代は、まさに【ビッグデータ】の時代ですね!翻訳に従事する者としては、この【ビッグデータ】を知らずして通り過ぎるわけにはいきませんね!当然、これからの時代を画す技術「人工知能」は、この【ビッグデータ】なしでは語ることができません。そこで、翻訳者のための「ビッグデータ入門」のセミナーが、1月14日からスタートします。JTAとバベル翻訳大学院の共催ですZOOM参加が可能ですから、興味のある方は必見です!私も参加することにしています。 内容はこちらhttp://www.jta-net.or.jp/seminar_bigdata.html

 

 昨年修了されたMSTホルダーの方は、ビッグデータ「統計解析」 技術を使いこなすお仕事に従事されていました。とても面白かったそうですが、きっかけとなることが起きたタイミングでそのお仕事をやめられ、翻訳者を志し、昨年、見事修了されて、翻訳修士号を取得され、MSTホルダーとなられたのです。ここにも、ビッグデータ統計解析翻訳専門職という三つのキーワードがつながっていました!!

 

ビッグデータを使いこなす手法が「統計解析」「データ解析」ですが、すでにビジネス分野でいろいろ活用されています。身近なところでは、「お天気ニュース」、「株取引」はこのデータ解析なくしては成り立ちません。ビッグデータを集めても、そのデータをどう読むのか、解析するのかで現象の把握がまるで違ってきます。いわば、統計解析とは、【人工知能の肝】となる部分でもあります。人間の「統計解析手法」をベースに、様々な研究が重ねられているということですね。

 

さて、このビッグデータとなった世界事情ですが、一方の危険をはらむニュースを聞くと緊張し、もう一方のうららかな春の訪れのニュースには心を和ませます。一体どれが現実なのか?と疑いたくなりますが、どちらもニュースとしては事実を語っているように思えます。いわば多様性の現実認識が必要になった時代が、現在の世界であるといえます。すると、何をもって唯一の現実だと決められるのか?という問いが起きてきます。このような個人の認識側で現実とは何かを考えるとき、現実とは、その時の認識によって決まる!と言うことができるようになったのが現代であると言えます。

 

このようなアプローチが、「人工知能」と異なるところです。もしも、人工知能がこんな認識システムを内蔵したら、「うつ」な人工知能になるかもしれませんし、多重人格の人工知能になるかもしれません!!それも面白いかもしれませんが!

 

話を人間の認識システムに戻しましょう。

若しかすると昔から現実とは、個人の認識以外の何物でもなかったのかもしれません。その理由は、世界史であるとか、国の歴史、個人のストーリーなどなど様々な歴史という叙述は、記憶であり、過去は確認できないからです。考古学研究や、過去の記述文献をもって、それが唯一の確実な過去の事実である、とは、誰も言えないのです。現在の出来事でさえ、多様であり、多彩であり、それをどう感じたかは人によって異なるのですから、唯一の真実、これが事実である!などとは、現在の出来事でも言えない!のですね。

 

例えば私たちは、今日のニュースを知り、様々な既知の経験情報に基づいて判断し、現実を理解します。ところがそれは、人間の数だけ無数にあるのですね。ところが、同一のニュースを読んだ人は、それが共有の記憶となり、個人の認識の外側に、個人のかかわりを超越した共通認識としての現実の出来事を作り上げていきます。そうすることで、共通認識に基づく現実概念をつくり、記憶として概念を強化し、更新していくという構造となっています。

 

直接体験していないにもかかわらず、世界、歴史、国家、システム、制度などという共有概念は、このようなステップを経て、何年、何十年、何百年、何千年もの歴史、時間という記憶が出来上がったのではないでしょうか?

ここまできて、嫌な予感がした方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

それはさておき、個人の環境も人間関係の変化はかなり長期の期間を継続するものと、短期間のものがありますが、自然環境もほとんど変わっていない地形や風景もあれば、四季の移り変わりは日本には特有ですし、毎月の気温や湿度の変化もあり、さらに毎日微妙に変わっているのですが、それは年単位で繰り返されることという捉え方で、記憶に照らせば何の変化もない、とも言えるのですね。

 

 ところが、いま世界で起きている事象、現象は、地殻変動、気象変動、特異な天体現象、地球磁場の変動、科学技術のシンギュラリティ(特異点) などと言われるものです。変化が目に見えています。つまり、個人の認識の記憶レベルにあるもので形成された日常がまるで変ってしまう!というような変化の「特異点」が近づいているといえますね。

中には、地球自体だけでなく、太陽系などにおいても変化が起きている、と言われてもいます。どうも変化は、確実に進行しているようですね!

 

 ところで、論語に、 温故知新  (ふる)きを温(たず)ね新しきを知る という言葉があります。

ここに、つまりこのような論理によって「歴史の大事な意味」があるように思います。今、人類が、世界のシステムが、または我々翻訳に従事する者が、未来の出来事に備えるにあたり、今起きようとしている大きな変化に類する事象、事件が起きた時の事例をよく研究することによって、対処のアイデアがわいてくるに違いありません。変化は起きないというかたくなな態度というだけでなく、「変化を受け入れない」という認識の在り方が、過去の歴史から読み取れるのではないか?すると、「変化を受け入れる」ということは、常に、「温故知新」である と言い換えることができます。

毎瞬、毎瞬、時事刻々変化してやまない世界の事象、現象は、私たちの「心象」と響きあっていると思います。

 

世界を、世界の情勢をどうとらえるのか?自ずと一人一人の生き方に表れていきます。古い記憶に捕まって変化を拒むのも一つの在り方ですが、記憶を「温故知新」の対象物であるビッグデータとして、最新の「統計解析」手法で、時代の変化を先取りするのも、楽しいものです。旧知のシステムが崩壊の特異点へと近づきつつある現在、長期のスパンでの「温故知新」 が今こそ役に立つのではないかと思います。そのためには、まず「変化を受け入れることから始める」ことです。変化が起きようとしている、という認識がなくては「温故知新」は役に立たないか、間違った過去の事例にとらわれてしまうかもしれないからです。

 

 世界という自己の認識の対象物が先か、それとも、自己が認識することで初めてそれは存在可能になるのか?という、人類の永遠の命題を「自己の認識と表象としての世界」と言い換えて、今年のテーマにしていきたいと思います。この疑問は、卵が先か、鶏が先かという疑問と同じなのですが、いよいよ人類は、これの答えを出すときに遭遇しているのでしょうか。あなたは、これの答えを出せますか?意外な回答があったりするかも知れませんね?

 

 最後までお読みいただきありがとうございます。

今年もよろしくお付き合いくださいますよう、お願いします。

 

ご参考:

 

●1月14日 JTA 「ビッグデータセミナー」
 http://www.jta-net.or.jp/seminar_bigdata.html
 
●ウイキペデイア
<エルニーニョ>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%83%BB%E5%8D%97%E6%96%B9%E6%8C%AF%E5%8B%95
 

 ●   <エルニーニョ>

http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/elnino/kanshi_joho/kanshi_joho1.html

第141号 巻頭言

巻頭言 :2015年12月25日号

翻訳は情報処理である― その㉑

―  翻訳とビッグデータ  ―


                                                                   バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

 

皆様、今年も1年間お読みいただきありがとうございました!世によく言う「平年、または例年」の感覚からすると、まだ半年くらいしかたっていない実感がありますが、皆様にとって、今年はどんな年であったでしょうか?
 私の実感では、例年の倍のスピードで過ぎた一年であったように感じています。


 今年は、年初に「人工知能」についての情報が飛び込み、この1年は、人工知能についてのリサーチと考察に終始いたしました。2000年代に入り、この間は、ビッグデータについてのトピックが広まったことや、通信機器の小型化、多機能化が劇的に進み、そこに人工知能の開発研究が寄与していたことについて、実は意外とのんびりとしか感じていなかったのです。それには訳があったのです。つまり当初のスマホやアイパッド、アイフォンは小さい上、まだアプリの開発が十分でなく、これではビジネスの膨大な情報を処理するのには適していない!などと思い込んでいた節があるのです。


 昨今の劇的変化が、急速に起こっている時代にあっては、そのような思い込みは、かなりの情報感度の停滞を起こしてしまいます。やはり、人は自分が慣れたところの居心地がいいので、なかなか新しい変化を受け入れにくい構造を持っているようです。この点は、私の体験したこの40年にわたる翻訳業界、翻訳ビジネスの変化に如実に表れています。今は、それらの変化が、さらに急速になり、技術の革新がどんどん進み、まさに今の科学技術の延長線上に未来の技術の方向を推測し得ない状況、シンギュラリティと言われる大きな課題が横たわっています。


そこで、今回は「シンギュラリティ=技術的な特異点」 について、考察してみます。まず、「シンギュラリティ」とは何か、以下のページから引用します。
http://matome.naver.jp/odai/2129964977043486801

 

シンギュラリティとは何か?-その基本的な概念-

技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、Technological Singularity)とは、未来研究において、人類の技術開発の歴史から推測して得られる未来のモデルの正確かつ信頼できる限界(「事象の地平面」)を指す。「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときが技術的特異点になると考えられている。フューチャリストらは、特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは人類ではなく強い人工知能やポストヒューマンとなり、従って人類の過去の傾向に基づいた変化の予測モデルは通用しなくなると考えている


この概念は、最初に数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でありフューチャリストであるレイ・カーツワイルより提示された。彼らは科学技術の進展の速度が人類の生物学的限界を超えて意識を解放することで加速されると予言した。この意識の解放は人間の脳を直接コンピュータネットワークに接続することで計算能力を高めることだけで実現するのではない。それ以上にポストヒューマンAI(人工知能)の形成する文化が現在の人類には理解できないものへと加速して変貌していくのである。(引用ここまで)

 

ここに、レイ・カーツワイル博士の「シンギュラリティ大学」というテーマで、「TED」でのプレゼンテーションがありました。ご覧ください。下のご参考にも引用してあります。

http://www.ted.com/talks/ray_kurzweil_announces_singularity_university?language=ja#

さらに知りたい方は、次のリンクからも探索してください。

http://singularityhub.com/

ちょっと目を離しているうちに、とてもすごいことになっています。確かに、2000年代に入ってからすでに15年が経過しています。日進月歩の15年はかなり大きな技術革新がどんどん進んだ時代なのですね。さらにこれからも、もっと加速していくことでしょう!その加速をどうとらえるかで、自分のライフスタイルが変わってきます

 

私は、小、中学生頃は、日本の昔話や神話・民話が大好きでしたが、その後はギリシャ神話・悲劇、ロシア文学に移り、高校生から大学生以降はサイエンスフィクション、つまりSFに大変興味を持ち、宇宙人との遭遇や、宇宙の星々を想像することが好きでした。その後、出版事業に携わるようになり、興味深い「Xファイルの科学」という本を出版しました。世に言う「超常現象」も科学で解明することができ、今やそれらは既知のこととなっています。

 

人間の知的好奇心は止まることなく、さまざま方向から新しい発見、開発が相次いでいます。これまでは、スーパーコンピューターを何十台もつなげて、それでも長時間の計算が必要だったものが、日本の若いベンチャー企業が開発した小さく省エネのスーパーコンピューターは、これまではスーパーコンピューターの連結使用のために原子力発電所が1基必要なくらい電気を使っていたものが、何十分の1の電気量で動く水冷高性能のマシンとなり、世界の省エネコンピューターの1位になるなど、上位を独占したそうです。

 

これらのスーパーコンピューターに搭載された人工知能によって、どのくらい翻訳ニーズが処理されることになるのでしょうか?スーパーコンピューターの価格はまだまだ大変高価ですから、商業ニーズに応えるようになるのは、まだ時間がかかるかもしれませんが、翻訳者にとって、まさにスピード翻訳生産技術を蓄積することは喫緊の課題だと言えるでしょう。

 

これらは、単に翻訳者だけの問題ではなく、翻訳会社にとっても同様の課題です。機械翻訳を提供するGoogleをはじめYahooGMO翻訳など多くの翻訳サービスがありますが、残念ながらまだ商品レベルの翻訳にすぐ使えるというわけにはいきません。このように、人工知能の翻訳水準が、完成に遠い今こそ、翻訳者が翻訳支援ツールを使いこなして、自己の翻訳の生産性を高め、品質の向上を図るという計画を持つべきでしょう!

 

幸い人工知能の登場による「シンギュラリティ」までは30年ほどかかるようですから、今から翻訳支援ツール=CATツールを使いこなすことで、翻訳の専門分野データベースを構築して、商品としての翻訳サービスの水準をかなり高めるとともに、時間の短縮化を図ることができます。また、翻訳支援ツールを共通使用するチーム翻訳体制をとることで、品質の向上だけでなく、時間生産性も大いに高めることが可能です。人工知能は、単独のシステムで休息や睡眠がいらないわけですから、これに対応して考えると、人間の共同システムは、人口知能にかなり対応できるのではないでしょうか?

 

人間は、共同作業がうまくいくと充実感も大きくなりますし、またそれによって、個人では成し得ない大きな成果を上げることができることを体験すれば、そのための技術がもっと進むことでしょう。

旧約聖書にある通り、「バベルの塔」の神話は、人々が同じ言葉を話し、一致協力したからこそ天にも届く高い塔をスムーズに建設することができ、まさに神々が住む天上界へとやってくるのではないかと恐れられたすごいパワーを発揮することができるというわけです。

 

 現在の人間の一人ひとりにとっては、スーパーコンピューターに搭載された人工知能は、いわば「神のパワー」にも等しいものです。それに対応できるとしたら、「バベルの塔」の神話が示すように、「人々が同じ言葉で心を一つにして取り組む能力」だといえるでしょう。まさか、人工知能に対応するのに、一人一人は非力であっても、多くの人々が心を一つにしてつながり、共同作業を可能にすることで可能になるなどと、誰が考えるでしょうか?まさに、これこそが「シンギュラリティ」ですね!

 

 そうでなければ、「バベルの塔」の神話は、そこにある理由がないのです。言葉が地球上に数千以上に分かれた起源の話である!というのもいいですが、それだけでは面白くありません。

人間は、集団になることですごいパワーを発揮するのだと、その神話は教えています。

 

 2015年は「人工知能」についてのリサーチと考察をしてきましたが、1年の最終章は、「バベルの塔の神話から学ぶ」ことになりました。そこには、「神に匹敵する人間の本性」が描かれていたのです。私たちは、失われたこの本性を取り戻すことで、共同する志のもとに人工知能に勝るとも劣らない「翻訳力」を実現することができるのです。バベル翻訳大学院の皆さんは、このテーマの実現という人類の課題に挑戦する機会を得たのです。さあ、皆でこころと技術を一つにして、取り組んでいこうではありませんか!

 

このように提案して、今年のテーマを完結したいと思います。

最後までお読みいただき、有難うございます。

2016年、新年が、皆様にとって素晴らしい、良き年となりますように。

 

ご参考:

お気に入り詳細を見る

シンギュラリティについて語るレイ・カーツワイル(日本語字幕付)

レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(技術的特異点)を学ぶ大学 | Video on TED.com

TED Talks レイ・カーツワイルの分析によると、最新の情報技術は好景気・不景気にかかわらず進化しつづけます。彼は彼の新しいプロジェクトを紹介しています。シンギュラリティ大学、最新の情報技術を学んで人類に貢献する手助けをする大学です

http://images.ted.com/images/ted/193_132x99.jpg

お気に入り詳細を見る

シンギュラリティを学ぶためのニュースメディア

Singularity Blog Covering Robots, Genetics, Stem Cells, Transhumanism, The Brain, The Future

http://singularityhub.com/

Singularity Hub is your place to keep informed about the daily advances mankind is making in nanotechnology, genetics, biology, artificial intelligence, aging, robotics, and various other fields as w…

http://a.collective-media.net/ad/idgt.singularityhub/home_above_3;sec=home;fold=above;tile=3;sz=160x600;ord=123456789?

お気に入り詳細を見る

Kurzweil Accelerating Intelligence

http://www.kurzweilai.net/

Launched in 2001, KurzweilAI explores the forecasts and insights on accelerating change articulated in Ray Kurzweil’s landmark books — notably The Age of Spiritual Machines and The Singularity Is Nea…

お気に入り詳細を見る

Humanity+ | Technology & the Future

http://humanityplus.org/

Humanity+ Technology & the Future Home Learn Transhumanist Declaration Philosophy Transhumanist FAQ Self Evaluation Projects Goals H+ Magazine Gada Prize Humanity+ Talks Humanity+ Press Humanity+…

お気に入り詳細を見る

WIRED VISION - “アカルイ未来を考えるニュースサイト

http://wiredvision.jp/

ホーム 経済・ビジネス 環境 サイエンス・テクノロジー IT 社会 国際情勢 カルチャー メディア ワークスタイル ハッキング デザイン ブログ ニュースアーカイブ 「地球外生命体の化石発見」をめぐる議論 20113 9 6割速い『iOS 4.3』:ブラウザ高速化を検証 20113 9 低空飛行で街を俯瞰、3次元動画マップ 20113 9 58カ国からの仮想合唱、TED会議で大

お気に入り詳細を見る

シンギュラリティを肯定的に考える人々(シンギュラリタリアン)

レイ・カーツワイル/Ray Kurzweil

シンギュラリティ推進の第一人者。『ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を超えるとき』などシンギュラリティについての著書がある。

お気に入り詳細を見る

ピーター・ティール/Peter Thiel

Paypalの創業者でありシリコンバレーの中心的な起業家の一人。シンギュラリティ推進のために関連団体へ多額の寄付をしている。

お気に入り詳細を見る

ラリー・ペイジ/Larry Page

Googleの創業者。シンギュラリティ研究所やシンギュラリティ大学へ寄付している。

お気に入り詳細を見る

ジャスティン・ラトナー/Justin Rattner

インテルCTO。トランスヒューマニストでありAIと人間の融合・共生に言及している。

お気に入り詳細を見る

孫正義/Masayoshi Son

ソフトバンク創業者。新30年ビジョンでシンギュラリティについて語っている。http://webcast.softbank.co.jp/ja/press/20100625/index.html

お気に入り詳細を見る

シンギュラリティに関わる研究所・財団

Singularity Institute for Artificial Intelligence

http://singinst.org/

Singularity Institute for Artificial Intelligence Douglas R. Hofstadter at SSS Updates & Press | Discussion | Email Sign Up | Contact Us | Skip to content About Us Overview Research Program Resea…

http://singinst.org/sites/all/themes/siai/images/photos/home/header_home-photo5.jpg

お気に入り詳細を見る

Nanotechnology - Foresight Institute

http://www.foresight.org/

preparing for nanotechnology

http://www.foresight.org/images/logo-foresight.gif

お気に入り詳細を見る

Singularity University

http://singularityu.org/

Singularity University aims to assemble, educate and inspire a cadre of leaders who strive to understand and facilitate the development of exponentially advancing technologies and apply, focus and gu…

http://singularityu.org/images/alumni/76x76/sherine-el-gazzar.jpg

お気に入り細を見る

SENS Foundation | Advancing Rejuvenation Biotechnologies

http://www.sens.org/

Return to SENS Foundation home page   Donate Take Action Forums Contact Log In/Register   Search this site: The SENS Foundation Research Center is our internal facility for proof-of-concept…

http://www.sens.org/files/pictures/picture-3683.jpg

お気に入り詳細を見る

シンギュラリティやAIをテーマにした作品

Transcendent Man

http://transcendentman.com/

第140号 巻頭言

巻頭言 :2015年12月10日号

翻訳は情報処理である― その⑳
― 翻訳とビッグデータ―

バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

yuasashachou.jpg

 はやいもので、もう12月10日号の発行となりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか?
先月の11月27日は2015年度秋期の【学位授与式】を挙行いたしました。そのため、1週間ほどハワイに出張いたしました。ところが、東京は11月も末だというのに例年に比べ暖かかったのですが、ハワイは冬の気候に入っており、スコールが多く、夏服では肌寒く感じました。おまけに、クーラーは真夏同様につけられていますから、上着を羽織る人もあちこちに見られました。ところがこの雨のお蔭で、素晴らしい虹の橋が架かり、とても印象深い学位授与式のイベントツアーとなりました。どうぞハワイの虹をご覧ください。
 

 学位授与式の開催をお祝いしているような、二重の大きな虹です。この翌日も、朝の7時と8時の2回も虹が出現し、毎日虹を見られるという、幸福なハワイツアーとなりました。さらに、この次の写真は、帰国のためにホノルル空港に向かう車中で、前方に現れた虹です。今回は虹三昧という素晴らしい体験でした。もちろん、スコールで、雨が多く、そこへ日が差してくるから、空中の水分がプリズムとなり、虹が発生するという科学的な説明はさておき、もしかすると、これから世の中が平和で、創造的な世界になるという予兆では!などとロマンチックな想像をしてしまいました!
そうであれば、素晴らしいですね。


帰国の日、ホノルル空港へと向かう車中で、前方に現れた虹。
 
 さて、皆様は、2015年を振り返り、既に、来年2016年の計画をお立てになっているかもしれません。そのような時に、この虹のニュースは、これから良くなるぞ!という気分にさせてくれます。このように、単なる自然現象だから、、、と考えるのではなく、幸運に恵まれた!というように自分自身にとって良い方へ考えていく、つまり良い方へと翻訳することが大事ですね!
 
 自然現象をどのように判断、解釈、解析していくかが、問われています。自然現象だけでなく、人間の諸活動、つまり社会現象も、最近は中国のバブル崩壊やら、ギリシャの金融危機、アメリカのデフォルト危機など、金融・経済関連の危機のニュースが世界を駆け巡っていますし、突然の大陥没、日本の3.11のような地震、津波、原発事故という自然現象と社会現象が複雑に絡まり合っている危機的現象が頻発しています。
 
 東京は、首都圏直下型地震が近々に起きる可能性が高いので、天皇陛下は平安の都にお移りなるとかならないとか、なぜか、あのビルゲイツ氏が軽井沢に広大な敷地を購入し、そこに要塞のような建物を建築しその周囲に植林をして、外からは建物もあまりよく見えないという作りになっているそうです。何か大きな天変地異が起きそうな気配が濃厚でありますが、かといってどこかへ逃げればいいというものでもないでしょうし、何とか、自然現象や人災の危機を乗り越えるための冷静かつ懸命な【情報処理能力】を身に着けたいものです。
 
 
  この年の初めに、【人工知能】というテーマができまして、以来、人工知能=AIをネタにいろいろリサーチして考察してきましたが、もう年末、本当に早いものです。それでも、AIの核心にはまだまだたどり着けていません。その大きな影響力について、おぼろげながらわかってきたというところでしょうか?
 
 【電子計算機】が登場した時、既に、この人工知能へのステップは内蔵されていたのでしょう。そこが気づきのポイントです。従来の眼に見えて手で触って使えるという五感に根差したものから、プログラムという、眼に見えず触って確かめられない概念を【情報】として位置づけられ、それを電子計算システムという新技術、新概念で処理していくというように、どんどん変化、進化してきました。電子計算機の出現は、それ自体に、電子処理と電子伝達ということを、既にその時に含有していたと言えるのでしょう。
 
 そこで、大事な違いは、何回か指摘してきましたが、
かんじょう (=感情=勘定) を離れた思考パターン、つまり、極めて人間的だと言われている反応と思考様式を離れた方法であるということに気が付くことが必要です。
 
 それは、合理性、理性的であるという態度です。なぜかというと、情報として現象や事物をとらえる方法は、感情(=勘定) を含めての計算処理は極めて難しく、ルール化しにくく、個人差があり、普遍性、必然的なパターンにならないからです。ご承知の通り、コンピューターは、【電子計算機】です。計算は数字で行いますね。従ってコンピューターが理解、つまり処理できるのは計算なのです。計算とは一定のルールがあり、且合理的であり、無駄がなく、無理がなく、いつもそうなるというものでなければなりません。そのため、機械翻訳はいまだに翻訳が下手なのです。
 
 そこで、人間の持つ、個人的な偏見に満ちた、いや、個性的な体験に満ちた、感情=勘定つまり価値観というものを計算システムにどのように処理させるか?という問いに答えたのが、【ディープラーニング】という学習システム装置だと言えるでしょう。それは、人間を観察することで考えられたシステムです。人間は記憶を単に並列データとして持っているのでなく、よく使う神経伝達回路は、太くなり通りやすくなっています。そのため、思考パターンに個的な偏りができます。同じ文章を翻訳するとき、10人いたら10通りの翻訳できます。これは、人それぞれ神経伝達回路において伝達の経路が違うのです。従って翻訳文も違ってくるというわけです。
 
 この人間の記憶情報処理に似せた学習システムのためには、膨大な記憶、つまりビッグデータが必要とされるのです。人間は五感プラス六感や七感、果ては八感までもあると言われてもいます。従って、人間が五感を通じて処理する情報量はかなり大きなビッグデータであり、それを、六感、七感、八感などと次元が異なる処理システムが有機的に結ばれ、処理されているということなので、この情報処理システムをまねているというわけです。
 
 機械翻訳で体験されたように、同じ文章であれば、翻訳ソフトは毎回同じ回答を出してきます。しかし、前もって情報を追加し、処理方法を分解してやると変わった翻訳を出すこともできます。このように、記憶データの計算処理を高速で行う電子計算機のために、人間の体験した、または生産した事柄の大量なデータをあらかじめ人口知能に覚えさせ、処理の回路を形成させておけば、その組み合わせの計算を行い、人間の考える正解に近い計算結果を出させようという試みであると言えます。
 
 そこで、大量の多種の情報 (=データ) を集める必要があるのですが、それは多大なコストや、期間、設備など大変ですね。そこで、低コストでこれを収集し、同時に対象としての人間集団がどのような記憶データ、つまり感情(=勘定) 処理を行うのかという分析、解析の手法の発見へと進めることができるのかというと、インターネット上のサービスを無料にし、多くの人が参加しやすくして使ってもらい、その多くのデータパターンを集めることですね。それが、Google翻訳などの無料翻訳サービスだというわけです。やはり、ただより高いものはない!のですね!!
 
 しかし、そうはいってもここまで普及したのは、インターネットシステムの利便性にあるのは言うまでもありません。このインターネットシステムも人工知能も人間の脳思考や脳や身体の神経伝達ネットワークなどをモデルにして、考案されたものですから、技術進化の方向としては妥当性があります。つまり全くの無から、生まれるものはなく、何か類似の下敷きとなるアイデア、情報があるのでしょう。
 
 使わなければ乗り遅れる。世界から取り残される。そんな危機を感じつつ、同時に全てのデータが一部の人々によって集められ、それが悪用されたら?そんな不安を先取りしたのが、2045年問題です。【人工知能によって、人類は滅ぼされる危険性がある!】というわけです。これは【シンギュラリティ】を理解した人が持つ不安なのでしょうし、これらの技術の進化が、どんな真価を発揮するのかを予測できなければ何とも言えないのです。

 しかし、現時点で、私は楽観的です。なぜなら、恐れを持つと、それが実現していく!という体験から、楽観的であることが、危機を乗り越える最善の方法だと信じているからです。まさに【虎穴に入らずんば、虎児を得ず】ですね。

 そうそう、【毒を食らわば皿まで】などという過激なプログラムもあります。商用インターネットの解禁が1994年、現在は2015年ですから、21年目ということになります。この21年は、激動の世界でした。この激動はさらに早くなっていくことでしょう。しかし、その波に乗りつつ楽しい自由なサーフィンを楽しめるはずです。
 
  翻訳は、この1994年の商用インターネットの解禁により、大きく飛躍するチャンスをつかんだのです。なぜなら、そこにグローバルマーケットが誕生し、企業が世界の多様な言語で取引し、契約を交わし、商品を流通させ、そこで発生する多種多様なコミュニケーションの翻訳、通訳というものが必要になったからです。
 
 今回は、翻訳とビッグデータと人工知能との関係を考察してみました。皆様からのご質問、ご意見、情報などをいただけましたら幸いです。
最後までお読みいただき有難うございます。

第139号 巻頭言

巻頭言 :2015年11月25日号

翻訳は情報処理である― その⑲
― 翻訳とビッグデータ―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg  どこまでも青く澄んだ空が広がり、白い綿雲がポカリ、ポカリと浮かぶ様は、気持ちもさわやかになり、落ち着きますね!桜並木の紅葉が道路に落ちて、朝の道は色とりどりの模様の絨毯が敷かれたようです。
秋晴れの季節、行楽の季節、皆様も郊外でリクリエーションを楽しまれていることと存じます。
翻訳者は自分の身体と脳の働きをいかに若く保つかがキーポイントですから、脳と身体のストレスを取るのに、天気の良い日は戸外での散歩や運動などもいいですね!
 
 先日、TV番組「相棒」というタイトルの刑事映画シリーズで、なんと「ジェームス」と名付けられた人工知能が登場していました。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。この「ジェームスという人工知能」が犯人を確定していくのですが、途中でおかしくなってしまいます。そこで、相棒コンビのお出ましになるのですが、なんと「ジェームス」とチェスの手合わせをし、接戦の末、刑事が最後は勝つのですね。その理由は、犯人のためにビッグデータの並列処理を作業しながらの対戦であったため、十分な読みができなかったという設定でした。
 
 ここには「ディープラーニング」という言葉も出るし、人工知能についての良い説明番組となっていました。この番組の主張は「人口知能は過ちを犯さないが、これを設計しプログラミングする人間側に問題があるので、結果、人工知能が過ちを犯すことがある!」というものです。人間は、自分自身がいかに不完全かを売り物にしています!まあ、これもよくある想定の範囲で、「研究に没頭し、狂った博士の愛情!」といった扱いでしょうか。人工知能云々の前に、人間の<勘定=感情>の情報処理が的確になされないことに問題がありそうです。
 
 今年、2015年は人工知能についてのリサーチをしながら、翻訳に与える影響などの考察をお届けしています。前号では、「eラーニングフェア」というセミナーに出席し、eラーニングという教育ジャンルにおけるAI研究の実情と今後の研究はどうなっていくのか?という観点からのエピソードをお伝えしました。
 
 そこで今回は、翻訳や、翻訳ビジネス、その関連事項について見ていきます。現代のAI研究は、多様な面を持っています。まず、皆さん既にご承知の方も多いかと思いますが、「ビッグデータ」という言葉をお聞きになっていると思います。前号でも述べましたが、AIは「ビッグデータ」の存在がなくては語れません。
 
 そこで思い出すのは、1990年代にPCを買って使おうとしたとき、自分でプログラミングするか、ソフトウエアを購入して自分でデータを入れなければ使い物にならなかったことです。ご承知の通り、コンピューターは、ソフトウエア=目的のための情報処理システム・ツールがなければ動きませんし、処理する対象の情報=データがなければ動きませんでした。
 
 ところが2000年以降は、インターネットが世界的に普及し、通信回線がナローバンド/narrowbandからブロードバンド/broadband 広帯域、高速回線に代わることで、動画の送信もスムーズになり、 ネットサーフィンするだけで、情報が閲覧できます。今や世界の何十億にもなる個人や企業・団体がインターネット上にブログや文字・動画他の多様なWEBサイト、HPを開設して多種、多様、多言語の大量の情報にアクセスすることが可能になっています。しかも、無料で多くの情報が開示され、確かに玉石混交なので注意は必要ですが、ものすごいことになったなあ!と感慨しきりです。
 
 これは、ある意味で、現実の物的世界が仮想のサイバー空間内に、その世界を作り出しているかのようです。ここ数年で、紙の印刷物としての書籍の一部は電子ブックに代わりましたし、ビジネスシェアも印刷物にはかないませんが、電子ブックが拡大しつつあります。これらすべての電子化された情報が「ビッグデータ」です。もしかすると、メール情報もビッグデータになって、解析されているかもしれません!?
 
 私たち人間は、言語の壁に隔てられて外国語の情報や専門の情報を読むのに苦労しますから、ここに翻訳のサービスの存在価値があります。ところが、AIは翻訳システム・翻訳ツールを搭載していますから、その翻訳ツールの水準での翻訳作業をすることができます。これは既に、Google翻訳などのフリーの翻訳ツールで皆様が体験されています。すると、「翻訳がひどい、これでは使い物にならない!」という状態だということで、まだまだ、人間の翻訳がなくならないから大丈夫!だと安心されているかもしれません。でも本当にいつまでもこの状態が続くのでしょうか?
 
 ところで、Googleはなぜフリーの翻訳ツールを提供しているのでしょうか?勿論、外国語情報が読めるようにサービスすることで、ネット検索が盛んになり、広告収入が上がる!ことも大きなウエートがありますが、別の役割もあります。その一つは「ビッグデータ」の収集です。翻訳ソフトは、皆様ご承知のように、まだまだ汎用性が低いです。皆様が体験された通り、翻訳をAIができるようになるのはまだかなり時間がかかるでしょう。しかし、限定された分野で、使い込めば精度はかなり高まります。というわけで翻訳ソフトは汎用性のある翻訳研究と、データの収集=ビッグデータの収集を行っています。
 
 人間の記憶の再現率はコンピューターにはかないませんね!なぜならコンピューターシステムは記憶装置=データベースとしての機能がありますが、一つのシステムに保存するのは大容量が必要になります。今では分散した個々のPCの持つデータをインターネットでつなぎ、検索できるようになったのです。つながったコンピューターシステムはまるで一つのスーパーコンピューターシステムだともいえるのではないでしょうか?
 
 しかし、これまでのソフトやシステムでは、その処理は膨大な作業時間がかかるし、データを集めるのが大変です。そこで、「クラウド」というまるで雲の中の情報空間を作り出して、そこに「ビッグデータ」を集めれば、処理ソフトもやりやすいことになりますが、この情報処理ソフトがAIだともいえるのです。
 
 私見ですが、「ビッグデータ」はAIのために必要ですが、ビッグデータを読み解くのもAIが必要です。このAIもビッグデータも双方向から研究されています。AIの進化のきっかけは「ディープラーニング」の研究でした。かなり前の号で取り上げましたが、この「ディープラーニング」が人間の学習を研究して出てきたのですが、逆にこの研究成果を人間の学習のためにも応用できないのかしら?などとも思ってしまいます。
 
 かなり大まかな推論ですが、翻訳者の頭の働きで考えてみましょう。一つの言語しか理解しないときの脳情報を1とすれば、2つの言語を理解するときの脳情報は単純に2倍とは言えないかもしれませんが、少なくとも1言語情報よりは多いはずですね。専門分野を持ち、バイリンガル状態になり、翻訳作業に何年か従事していくと経験した翻訳事例はかなり早く翻訳できると思います。それは、翻訳だけに限りません。
 
 その状態は知識量が増えるとともに、脳の処理回路が増加し、記憶領域が大幅に増えていく、または関連言語情報との神経回路=想起網=インナーネットが増加していると考えられます。このような人間の脳の研究が、PCやソフトウエア、インターネットを生み出してきたのでしょう。つまり、いよいよ人間の脳の情報処理システムの研究が成果物を生み出せるように本格化してきたと言えるのですね。
 
 私の人工知能=AIの研究のスタンスは、人間の知能を観察研究して出てきた成果物としての人工知能を研究することで、逆にまだまだ未知の部分がある人間の知能の発達、もっと言えば、翻訳生産性の向上の研究に役立てられないか?ということなのです。翻訳者の頭脳を見ることはできませんが、人間の脳の研究、知能を研究した成果物としての人工知能を研究することで、人間自身を知ることができます。これが、「ディープラーニング」の目指すものではないかとも思うのです。ということで、次回は「ディープラーニング」もう少し迫ってみたいと思います。
 
 人工知能の研究を深めると、自己の持つ既成概念の壁、人間の弱さがよくわかります。次号も引き続き、翻訳ビジネスとIT技術の変化を追いつつ、翻訳と人工知能の本質へと問いを深めていきます。 ご参考までに、「ビッグデータ」に関するサイト情報を下に拾ってみました。ご活用ください。
 
 最後までお読みいただき有難うございました。ご感想、ご質問、アドバイスなどいただけましたら幸いです。

 
-------------------------------------------------------------------------------------
<ご参考> 
ビッグデータの説明について集めてみました。
 
総務省/ビッグデータとは何か
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc121410.html
 
知恵蔵2015の解説
https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF-189502
ビッグデータ
インターネットの普及や、コンピューター処理速度の向上などに伴い生成される、大容量のデジタルデータを指す。
近年のブログや動画サイト、または、FacebookTwitterといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の利用者の増加により、パソコンやスマートフォンなどのコンピューターから、文字だけでなく、音声や写真、動画などのデジタルデータが、インターネット上の様々なサーバーコンピューターに蓄積されている。更に、それらのコンピューターには、利用状況や通信記録などのログと呼ばれるデータが日々生成されている。これら、インターネットにつながる様々なコンピューターから生み出されるビッグデータは、合計すると数百テラ(1テラは約1兆)バイト以上とされており、米国のIT専門調査会社IDCによれば、2020年には40ゼタ(1ゼタは1兆の10億倍)バイトになると予測されている。
ビッグデータは、単に大容量であるだけでなく、非定型でかつリアルタイム性が高い。従来のデータベース管理システムでは、データを定型化して蓄積し、その後で処理分析するため、相反する性質を持つビッグデータを扱うことは困難とされていた。しかし、近年、ビッグデータを高速かつ簡単に分析できる技術が登場し、ビッグデータを活用すれば、これまで予想できなかった新たなパターンルールを発見できることが明らかとなった。
例えば、アマゾンや楽天などのオンラインショップでは、購買履歴やサイト内のアクセス情報などのビッグデータを基に、商品を購入する際に、他のおすすめ商品を表示している。ソフトバンクでも、同社が関わる検索サイトヤフー」から得られるビッグデータを積極的に利用して、他社から乗り換える可能性の高そうなユーザーを絞り込み、該当するユーザーにのみ乗換案内キャンペーンバナー広告を表示させている。
その他、ビッグデータには、健康情報や位置情報気象情報など、様々な分野で活用できるデータが含まれているため、新たな市場の創出が期待される。
 
 
IT用語辞典 e-Words
http://e-words.jp/w/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF.html
ビッグデータ 【 big data 】
ビッグデータとは、従来のデータベース管理システムなどでは記録や保管、解析が難しいような巨大なデータ群。明確な定義があるわけではなく、企業向け情報システムメーカーのマーケティング用語として多用されている。
多くの場合、ビッグデータとは単に量が多いだけでなく、様々な種類・形式が含まれる非構造化データ・非定型的データであり、さらに、日々膨大に生成・記録される時系列性・リアルタイム性のあるようなものを指すことが多い。今までは管理しきれないため見過ごされてきたそのようなデータ群を記録・保管して即座に解析することで、ビジネスや社会に有用な知見を得たり、これまでにないような新たな仕組みやシステムを産み出す可能性が高まるとされている。
 
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF
ビッグデータ [1][2]: big data)とは、市販されているデータベース管理ツールや従来のデータ処理アプリケーションで処理することが困難なほど巨大で複雑なデータ集合の集積物を表す用語である。その技術的な課題には収集、取捨選択、保管[3]、検索、共有、転送、解析[4]、可視化が含まれる。大規模データ集合の傾向をつかむことは、関連データの1集合の分析から得られる付加的情報を、別の同じデータ量を持つ小規模データ集合と比較することにより行われ、「ビジネスの傾向の発見、研究の品質決定、疾病予防、 法的引用のリンク 、犯罪防止、リアルタイムの道路交通状況判断」との相関の発見が可能になる[5][6][7]
"big data"という語自体は2010年の英国エコノミスト誌が初出である。[要出典]

IBMによるWikipediaの可視化イメージ 大きさはテラバイトで、ウィキペディアのテキストおよび画像は、ビッグデータの典型的な例である。
2012年現在[update]妥当な時間内に処理することが可能なデータ集合のサイズの制限は、エクサバイトのオーダーのデータである[8]。科学者が大規模なデータ集合による制限に遭遇することは、しばしば発生し、その分野にはゲノミクス気象学[9]、コネクトミクス、複雑な物理シミュレーション[10]、生物調査および環境調査が含まれる[11]。同様の制限は インターネット検索金融、ビジネスインフォマティクスにも影響を与える。 データ集合が増加するのは、情報収集モバイル装置、空間センサー技術(リモートセンシング)、ソフトウェアログ、カメラ、マイクロフォン、無線ID読取機、ワイヤレス・センサー・ネットワークの普及も1つの原因である[12][13]。全世界での1人当たりの情報容量は1980年代以降40か月ごとに倍増し[14]、2012年現在[update]1日あたり毎日250(2.5×1018)バイトのデータが作成された[15]。大企業にとっての課題は、組織全体にまたがるビッグデータの主導権を誰が握るかということである[16]
ビッグデータは、大部分のリレーショナルデータベース管理システム、デスクトップ統計可視化パッケージでは処理が困難であり、その代わり、「数十台、数百台、ときには数千台ものサーバ上で動く大規模並列化ソフトウェア」が必要になる[17]。何を「ビッグデータ」と考えるかは、データ集合を管理する組織の能力と、扱うデータの領域において従来分析に用いられてきたアプリケーションの能力に依存する。数百ギガバイトのデータに初めて直面してデータ管理の選択肢について再検討を始めた組織もある。また数十、数百テラバイトのデータになって初めて真剣に検討が必要になった組織もある[18]
定義
ビッグデータは、通常、収集 取捨選択、管理、および許容される時間内にデータを処理するために一般的に使用されるソフトウェアツールの能力を超えたサイズのデータ集合を含んでいる[19]。ビッグデータのサイズは、常に動いている目標値であり、単一のデータ集合内では、2012年現在[update]数十テラバイトから数ペタバイトの範囲である。目標値は、従来のDBMS技術だけでなく、NoSQLのような新設計のデータベースとその高速データ処理により動いている[20]。この困難性により、「ビッグデータ」の新しいツールプラットフォームが、大量のデータの様々な側面を処理するために開発されている。
2001年の研究報告書[21]と関連する講義では、METAグループ(現ガートナー )のアナリスト、ダグ・レイニーはデータ成長の課題とチャンスは3次元、すなわち、ボリューム(volume、データ量)、速度(velocity、入出力データの速度)、バラエティ(variety、データタイプとデータ源の範囲)であると定義した。ガートナーは、現在業界の主役であるが、この「3V」モデルをビッグデータを述べるときに現在も使用している[22]。2012年、ガートナーは、次のように、その定義を更新した:「ビッグデータは、高ボリューム、高速度、高バラエティの情報資産のいずれか(あるいは全て)であり、新しい形の処理を必要とし、意思決定の高度化、見識の発見、プロセスの最適化に寄与する」[23] さらに新しいV、正確さ(veracity)がある組織により追加された。[24]
ガートナーの定義(3V)はまだ広く使用されているが、概念が成熟するにつれ、ビッグデータとビジネス・インテリジェンスの、データと利用について、確固とした違いが明らかになった。

  • ビジネスインテリジェンスは、高密度データに要約統計を使用し、物事の計測や傾向を捉える。
  • ビッグデータは、低密度データに誘導統計を使用し[25]、巨大なボリュームにより(回帰性等の)法則を推論し、(推論による限界はあるが)予測可能性を生み出す[26]

第138号 巻頭言

巻頭言 :2015年11月10日号

翻訳は情報処理である― その⑱
― AIとの付き合い方は、既に体験している!―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 紅葉が進み、秋もたけなわとなりました。しのぎやすい季節、皆様、お元気でご活躍のことと存じます。
今年はトンボを見かけたのが1,2回で、少なかったように思います。もっとも、東京の六本木でトンボが見られる方が珍しいのかもしれませんが。
 
 先日は、朝の散歩で、芝生に座り日向ぼっこをしていましたら、パピヨン犬のリリが何かを見つめています。何を見つけたのかと思い、視線の先を見ると、大きなアゲハチョウが芝生にとまって羽を広げたり、閉じたりしています。珍しい動きなのでじっと見ていると、リリがやおら前足を上げて蝶をつかもうとしましたが、素早く逃げられてしまいました。さすがのリリのパンチも、蝶の素早さにはかないませんでした。アゲハ蝶はしばらく回りを飛び回り、どこかへ飛んで行ってしまいました。
蝶という名の犬と、アゲハチョウの戯れ、のどかな朝の散歩のヒトコマでした。
 
 今年は人工知能についてのリサーチをお届けしていますが、先日、eラーニングフェアというイベントが行われ、興味深いテーマがありましたので、参加しました。私以外にも参加された方がいますので、今号以降でレポートがあると思われますが、今回はこのセミナーに参加してのレポート風にまとめます。
まず、第一の印象は、今号のテーマにあるように、既に歩いてきた道だ!という感想を持ちました。と言いますのは、翻訳業界が体験してきたことが、今やというべきか、ようやくというべきか、教育業界でも大きな波紋を投げかけている!ということなのです。
 
 私が出席したのは「
教育ビッグデータ ラーニングアナリティクストラック」というセミナーです。テーマは、eラーニングのシステムの中で、教育プロセスから得られる様々な個人データを活用したり、分析したりすることで、教育活動の成果をいかに高めるか?という肯定的な面もさることながら、個人情報が野放しになる危険性があるため、その取扱いのガイドラインを研究し確立していこうということや、せっかく得られた情報も分析の目的や、方法によってかなり効果が異なってくるので、分析研究においては、統計の専門家や教育の専門家、心理学の専門家・・・など多分野の専門家が共同していくことが求められるという提案がなされていました。
 
 数人の大学や民間企業の教育従事者から、各社の事例が発表され、人工知能へと結びつくビッグデータの効果的な収集と解析の現状が報告されていました。さらに、そのデータの収集と分析結果の運用に当り、適正なガイドラインの確立が求められている、という報告がなされていました。この教育ビッグデータの分析は、事実上はまだ緒に就いたばかりであるように見受けられました(米国での研究はグーグル検索を考えれば、既に十年以上前から行われてきたのでしょうが)。
 
 いまや、政治的にはサイバー攻撃が米・中の間で取りざたされ、サイバー戦争の時代だともいわれます。
戦争までもがコンピュータによるサイバー戦争だと言われるのは、コンピューターチップが武器はもとより、飛行機、自動車、船舶、その他全ての交通機関や、病院などの医療器具、携帯電話のほかあらゆる家電製品から、エレベータ―、自動ドアその他に埋め込まれており、家庭に1台以上のPCは当たり前の時代です。ですから、電気の消費量は増加する一方だと言われてきました。もちろん、世界水準で、ほとんどの企業のビジネス活動は、PCとインターネット回線を利用して行われており、学校教育システムもその例に漏れることはないというわけです。
 
 そのセミナーの中で、ある大学教授からの質問があり、講師である教育ビッグデータ分析研究者からの回答のやり取りが現代の人々の気分をよく表していて面白かったので、ご紹介します。
 
 大学教師の「人口知能が進んでいけば、教師はいらなくなってしまうのではないかと言われます(笑い)・・・」という質問に対し、講師は「私は大学では、時々誰かに狙われているかもしれないという気分に襲われます(笑い) ・・・・」と回答されていました。つまり、人工知能によって、教師の職が奪われてしまうのではないか?という不安が教師の間に広がっているということなのです。それに対し、講師である人工知能関連の研究者は、自分の研究が、同僚の教師から、職を奪うのではないかという恨みを買っている!というジョークで応じたわけです。いやはや、すごい時代になりました!
 
 これを聞いて、思い出したのが、翻訳業界における、人工知能の登場、つまり機械翻訳システムが登場した頃、当時の業界人の世論、気分が拒絶反応と期待過剰という概ね二つのグループに分かれて、大いに揺れたことを思い出します。つまり、機械翻訳の水準はひどく、機械では満足な翻訳はできない!かえって手間がかかる、という拒絶派と、これで、翻訳者はいらなくなるのではないか?高い費用と時間をかけて人に翻訳してもらわなくても機械翻訳で済む!低コストで翻訳ビジネスができる!という期待過剰のグループがあったのです。
 
 この二つの対応は、翻訳というもの対する基本認識の違いが根底にあることを示唆しています。翻訳とは何か?という問いと同時に、翻訳サービスという商品とは何か?翻訳業とはどういうビジネスか?誰が翻訳を必要としているのか?などという、冷静、且つ多様な観点からの分析、考察がそこに必要になるのです。この冷静かつ多様な視点からの対応こそが、唯一人工知能に対応できる方法だと言えるように思います。
 
 そして、必ずしも機械翻訳というその問題の影響だけではないのですが、翻訳者の淘汰が実際に起きたのです。当時の人工知能=機械翻訳システムはまだまだ初歩レベルでしたから、熟練翻訳者は、馬鹿にしていたわけですが、実際に起きたことは機械翻訳システムではなく、その周辺の処理対応が翻訳ビジネスに大きな影響を与え、結局、翻訳者の淘汰が起きたと言えます。ここにも、多様な視点で冷静な思考が求められていることがわかります。
 
 そこで、やってきた道をたどりつつ、今何が起きているのかを的確につかみ、それに対処する方法を考えるために、この40年余りを振り返ってみたいと思います。
 
 私どもは開業以来、既に41年目に入りましたので、1970年代以降のビジネスや通信環境の激変をかなり長きにわたって体験してきたと言えます。1980年代のPCの登場と進化、1994年の商用インターネットの登場とIT革命が、急激に世界のビジネス環境、慣習、システム、ライフスタイルを変えてしまいました。
 
 その激変の影響が押し寄せたのは、ビジネス界です。もちろん、翻訳業界も同時に波をかぶりました。その波というのは、まず、PCの洗礼です。それまでは、紙に鉛筆で翻訳原稿を書いていたのです。なぜ鉛筆かというと間違えたら消しゴムで消せるからです。ボールペンは修正ができませんから、紙と鉛筆が使いやすかったのです。もちろん英文はタイプが中心でしたし、和文のタイプもありました。しかし、イメージとしては、やはり、紙と鉛筆というのがふさわしいように思います。
 
 ところで、ビジネス翻訳の原稿はまだしも、文芸作品の翻訳原稿はたくさんの文字量ですから、書くのも疲れますし誤字脱字があったら修正が必要ですね。翻訳家も作家と同じで、ペン字の原稿、ボールペン字の原稿がたくさんありました。紙と鉛筆ばかりではありませんから、文字の修正ルールがあり、それが校正ルール、編集ルールとなって共有されていたわけです。黒いペンやボールペン字を修正するのは赤いボールペンです。これが「赤ペンの添削」となっていたわけです。懐かしい思い出です。
 
 その後、ワードプロセッサ=ワープロが登場します。文章の作成に的を絞った情報処理機能を持つ機械の登場です。英文はタイプライターでも十分機能的ですが、日本語となるとそうはいきません。日本語の表記は、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、数字、記号などが必要であり、和文タイプライターのキーの数はすごい数になります。この日本語ワープロの登場のお蔭で、日本語の情報処理がぐんと進んだと言えます。
 
 翻訳者や作家は文字を書いてなんぼの世界ですから、文字を書くことへのこだわりは相当あったと思います。著名作家の生原稿(本人自筆原稿)は、コレクターにとっては垂涎の的で、高値で取引されたと聞いております。今ではさらに貴重になっていることでしょう。流麗な文字で手紙をいただけば、ワープロ印刷の手紙とは比べ物にはなりませんものね。ことほど左様に、個々の表現形式が失われ、統一化されてきたかがわかります。この変化を要求したのは、ビジネス環境における競争という【時間の省略化】です。
 
 時間をいかに短時間に切り上げていくか?これは全世界に大きな影響を与えました。鉛筆なめなめ、消しゴムで消していた時代はとうに過ぎ去り、文字変換もコンピュータに内蔵されたワープロソフトが代行してくれ、変換ミスが書き損じに変わって登場、思わず笑ってしまう変換ミスに新しい日本語の可能性を発見したりします。日本語は同音異義語が多いので、ワープロには頭が痛い問題ですが、創造する人間にとっては、自由と可能性を孕んだ素晴らしい言語だと思います。私は、よくこの同音異義語を使うことで、面白い発見をすることが多いです。これでは、初歩レベルの人工知能は処理しかねたことでしょう。
 
 ワープロの登場まではそれまでの熟練翻訳者の方々も変化に追いついてこられました。しかし、この後、あの【機械翻訳システム】と【インターネット】が登場し、ここで、翻訳者のあり方を2分してしまったのです。機械翻訳とは人工知能の初歩レベルから少し進んだところだと言えるでしょうか?丁度翻訳業界で起きた、機械翻訳システムの登場が、先に述べた、大学教師の職が奪われるかどうかという危惧を生み出したと同じことがおきていたのです。その時、感情的に反応をすることは、大きな失敗につながるということがわかります。
 
 それは、過剰な期待であれ、逆に頑なな拒絶反応であれ、どちらも感情的な対応です。このような時は、まさにあの「孫氏の兵法」が導いてくれます。孫子は「彼を知り、己を知らば、百戦して危うからず」と言っています。つまり、情報をよくつかみ、しかも自分自身を客観的に判断することが大事だと言っているわけです。相手の情報は比較的分かりやすいですが、自分の兵力、自分のパワーを冷静に評価するのは難しいですね。さらにこれから世の中がどう変わっていくのかということに対して、自分の読みが甘くなるとき、判断を過つということになるのです。
 
 人工知能という、ちょっと古くて新しいテーマは、このようにいつの間にか、私たちの生活の中に浸透してきています。既に、膨大な人間の思考分析、嗜好分析が研究され、タイムリーな広告が検索するたびに立ち上がってきます。個人の思考=嗜好パターンが、ビッグデータとして収集解析されているのです。もしかすると、プライバシーなどないのかもしれませんね。
 
 先に上げた大学教師の職を奪われる!という危惧ばかりでなく、既に、いろいろな知的作業が取って代わられるというレポートが出されています。翻訳もグーグル翻訳など自動翻訳サービスが無料で提供されていますから、翻訳文の精度を高めるビッグデータはかなり収集蓄積され、解析されてきたと言えるのかもしれません。これらのことから考えれば、やはり、感情から離れた冷静な視点で、人工知能をよく知ることが必要でしょう。
 
  IT革命という画期的な技術革新は、その科学のベースに量子論というアインシュタインも戸惑った概念を据えて、さらにそれが発展、多様化した情報処理科学だと言えます。今や研究されているのは、【量子コンピュータ】という、途方もなく早い演算能力を持った新概念のコンピュータだと言われます。それ自身がどのような認識を持つものかを知ることで、人工知能を使いこなすことが可能になります。逆に使われるかもしれませんが。とは言え、科学理論を知らなくても、その科学の成果と応用が理解で来たら使いこなせます。紙と鉛筆からワープロ通信、はたまたインターネット、スマホの世界へと進化している途上の科学ですから、まだまだ大きな変化が起きることでしょう。
 
 しかしそんなときでも、今までに体験したことを抽象化し、分析し、基本概念を形成していきながら変容させていくことで、新しい事実に対処することが可能です。それこそが、今のところ人工知能にできない、人類の叡智と言えるものでしょう。但し、叡智も磨かなければ働きません。自ら飛び込んで、悪戦苦闘することが、目下の一番いい戦略でしょう。まずは使ってみることですね!
 
 人工知能の研究を深めると、自己の持つ既成概念の壁がよくわかります。次号も引き続き、翻訳ビジネスとIT技術の変化を追いつつ、翻訳と人工知能の本質へと問いを深めていきます。
最後までお読みいただき有難うございました。ご感想、ご質問、アドバイスなどいただけましたら幸いです。
 

第137号 巻頭言

巻頭言 :2015年10月25日号

翻訳は情報処理である― その⑰
― AIを使いこなせば何かが見えてくる!―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 10月21,22日は、オリオン座流星群がピークとなり観察できるということで、自宅から夜空を眺めましたが、如何せん、見える空の範囲は狭く、雲がかかっていて、東京タワーの明かりが24時頃まで輝いています。タワーの照明が消えた後も雲が覆っていて見えませんでしたので、ユーチューブで楽しみました。
 
 皆様の中には、流星群を眺められた方もきっとおいででしょうね。幸運を楽しまれたことでしょう!
 
 今年はとりわけいろいろな天体の接近などのイベントが目白押しなのだそうです。
目の前のパソコン画面ばかり見ていないで、顔を上げて大空を見てごらん!銀河へと思いを広げてごらん!と言われているのかもしれません。宇宙からの招待状なのかもしれませんね!
 
 兎角、眼前のことに追われて、視野狭窄に陥りがちな私たち人類ですが、時には遠くオリオン座へと思いをはせたり、近くは月の不思議のなぞ解きを楽しんだり、火星にあるという基地から生還した方のニュースの真偽を探求したり、40億年後には融合してしまうという、今近づきつつあるアンドロメダ銀河に想いを馳せてみる!ということができそうな秋の夜空のイベントです。確かに、宇宙は、私たち人類を宇宙へと誘っているのかもしれません。
 
 少女の頃のSFの世界が懐かしく蘇ります。ところで私は、翻訳出版業も長いこと営んでおりますから、この40年は、SFとは付かず離れずでやってきました。そういう意味では、大好きなことを探求しながら生計を立てて、社会の一つの役割を果たしてこれたことは、なんという幸福であったかと感じます。
皆さんも、それは全く同じでしょう!好きな分野の翻訳を仕事にしながら世に貢献しつつ日々暮らしていけるとは何て素敵だろう!そんな無上の喜びを感じておいででしょう。
 
 「いいえ私は苦手な分野も好きでなくてもお仕事だからやっているのです!」と言う方は、視野狭窄を疑ってみてください。翻訳者になれたらいいな!から始まって、翻訳でもやるか!ということもおありでしょう。でも、どちらもご自分が意思決定したことですね。自分が決めたことをまるで、他人にやらされたかの如く、いやいややっていたら、プロになれるでしょうか?プロフェッショナルって、そんなものでしょうか?それは、実は、自分自身の心の働き、その心の裏側を単に見たくないから見えていないのかもしれません。
 
 それで思い出しますが、
ダニエル・キイス著 『24人のビリー・ミリガン』 The Minds of Billy Milligan (ウィキペディアより) を翻訳したバベルの修了生の翻訳家は、すごいヒット作を得ることができました。下世話な話ですが、「ビリー・ミリガン御殿?!」などといって喜び笑ったことが懐かしいです。翻訳出版は、確かに面白いのです。このように大ヒット作にもなれば、その多くは初版のままで終わります。でも、自分の作品が残せるし少数とは言え読者を創造したのです。それは、自己の生きた証が形となって残ることであり、何物にも代えがたく、喜びもひとしおなのではないでしょうか?つまり、部数や印税の多寡にのみ心を奪われるのか、自分を磨き作品創造、読者創造の喜びに価値を置くのか、という二つの側面があるのです。そして、あなたは、そのどちらの側面の価値を選択して、自己の真の意義=志とみなしますか?と問われているのです。
 
 翻訳者になりたい!または、翻訳でもやるか!のいずれであれ、自分はなぜ、翻訳に心惹かれるのか?翻訳に没頭することができるのか?ここが大事なポイントです。初めのきっかけや動機は何であれ、それに没頭できる、長く続けて苦しくない!それはとても大事なメッセージです。私たちは、自己の表面意識(脳思考)だけが自分の意識活動であり、言語処理領域だと決め込んでいますが、それは間違いです。
 
 間違いとは、脳はそれ自体で話すこともできなければ、何もできません。つまり、入力装置と出力装置がないと情報処理という仕組みは発動しないということです。脳は、般若心経で言う、眼・耳・鼻・舌・身までの5感を入力装置として情報を伝達され、それを脳神経回路という記憶媒体にある価値体系により変換、翻訳して、再度出力システムとしての眼・耳・鼻・舌・身体で表現しているというわけです。
 
 ところで、般若心経には第6番目に意がありますが、この意が5感と脳のコミュニケーション回路であり意識という情報構造であると考えられます。この意だけが意識活動をするのでなく、眼・耳・鼻・舌・身の5感と密接につながっています。5感の機能そのものにもそれ自体の情報処理機能があるのだということです。これは仮説ですが、逆に5感が脳思考を働かせていることも考えられます。
 
 空を説いた般若心経は、つまり、私たちの認識の範囲では普段の意識活動は身体の機能に依拠しているわけですが、それは端末としての入出力装置であり、実際は空間にこそその情報のデータベースがあるよ、と言っていたのです。これって、気付かれた方もおいでかと思いますが、現代のクラウドシステムですね?! 般若心経の作者はどこからこんな素晴らしい叡智を得たのでしょうか?
  
 逆に言えば、クラウドシステム、コンピューティングシステムやインターネットシステムという現代の情報・伝達処理システムは、どこからその叡智を得たのでしょうか?もしかすると、それらは既に、現代のわれわれの言語様式とは異なる別の言語体系で語られて来たために、私たちは発見できなかったという可能性もあります。この推論によれば、宇宙構造を含め、世界とは翻訳の世界だとも言えますね!
 
 この謎解きは、また別の機会に譲るとして、先ほど引用したダニエル・キイスの「24人のビリー・ミリガン」に戻ります。これは、「解離性同一性障害(多重人格障害)」と呼ばれる精神疾患であるとされます。先ほどの5感による入・出力装置としての身体は一つであるにもかかわらず、脳の中にいくつかの人格発生のスポット、または切り替え装置があり、それぞれ別の人格、価値体系と記憶システムとつながっており、それが驚くことに瞬時に人格の24バージョンが切り替えられ、24人の別人格=身体の特徴・活動様式・思考様式などが現れるというものです。一応、治療によって、統合的な人格の形成も可能なようでありますが、治療は結局、正常と言われる側 (=精神病院従事者や行政、一般市民)の偏見と虐待によって成功したとは言えない状態のようです。
 
 これでは、何が正常であり、何が異常であるかの区別はつきにくいですね。ここで、私が言いたいことは、普段私たちが自分であるという認識とはこのように統合されている結果の状態を同一人格であると認識しているのに過ぎないということです。このビリー・ミリガンのケース程の過激さはないまでも、自分自身の体験として、また、日頃はおとなしい家族や友人の突然の変容体験やら、急に手に負えなくなる子供たちや、犬、猫、動物たちの反応なども含めて考えると、一筋縄ではいかない何かが、人格、個性というものの中にあるのではないかと思います。
 
 ビリー・ミリガンが発症した原因に父からの虐待があげられていますから、この父親も普段はおとなしいが、何かのきっかけで暴虐な人格に変貌したのではともいえるわけです。読者の皆様もそれに類した体験がおありだと思います。
 
 すると、自分は古典的な理解、認識では、人間という身体固有の存在であるという認識がもろくなっていく感じがします。先に上げた、般若心経では、千年以上前から空の理論が理解され、まさにクラウドシステムであることが表現されていたのに、社会認識という集合概念・支配観念により、制限され、規制されてきたために、自由な発想ができなくなってしまったのが現在の人類であるとも言えそうです。
 
 オリオン座流星群は、そんな思いを抱かせてくれました。やはり、今は、【啐啄の機=そったくのき】ともいうべき新人類の誕生の時が来ているのかもしれない!などと思わせてくれます。
この【啐啄の機=そったくのき】というのは、雛が卵から誕生するときの母親鳥との絶妙な呼応状態を表した言葉です。どういうことかというと、雛のくちばしが固くなり、そのくちばしで卵の内側からコツコツとつつくと同時に、母鳥が外側からくちばしで、つついて殻を割り中から雛がでてくるのだそうです。このように、雛鳥と母鳥の絶妙な共同作業の関係、有様を「啐啄の機(啐啄同時)」というのですが、そこから転じて、禅の思想では、禅僧の修行のとき、師と弟子の呼吸がぴったりと合い、まさに弟子が悟りを得ようとするときのことを言うのだそうです。
 
 AIはいわば新人類への糸口のような気がします。AIの出現と宇宙のイベントが合い呼応して、私達人類の新たな局面が開かれるのではないか?などと思ったりします。その時、多重人格とは何かもはっきりと理解されるようにも思います。脳機能の研究、心理学、量子物理学、電磁波=光の研究などの研究成果が人工知能=AIです。AIとは、母鳥である現在の人類が生み出す子供でもあるのです。その時、AI脅威論に恐れをなし、2045年のシンギュラリティ問題の前にすくんでしまうのか?又は、それを超越できるのか?私達人類は、その時を迎えようとしているのではないでしょうか?
 
 このような、いわばすごいタイミングに、自己の役割を自ら発見、創造していくことが、本格的なグローバルマーケットの形成に役立つことができるでしょう。皆様がMSTホルダーとして、翻訳という一つの世界で独自の志を持ち、共に学び協働するプロフェッショナル集団へと成長していくことを願ってやみません。
 
 人工知能の研究を深めると、越えることが必要な様々な壁が立ちはだかっていることがわかります。今号は宇宙の視野から、また般若心経とクラウド、多重人格の事例などから、人格という既成概念について考察してみました。次号は、さらに翻訳と人工知能の登場の本質へと問いを深めていきます。
 
最後までお読みいただき有難うございました。ご感想、ご質問、アドバイスなどいただけましたら幸いです。

第136号 巻頭言

巻頭言 :2015年10月10日号

翻訳は情報処理である― その⑯
― AIを翻訳作業に役立てよう―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 今日は、10月10日、体育の日という祝日ですが、土曜日ということで休日が重ならないようになっており、12日月曜日が休日になっています。9月はゴールデンウィークならぬシルバーウィークという連休があり、皆さん行楽に、帰省にということで交通渋滞のニュースがありました。9月のシルバーウィークも束の間、とうに過ぎ去り、早、10月の体育の日の連休です。
すっかり秋の気配も深まり、朝晩は寒いところもあるようですね。季節の変わり目はどうぞ、ストレスをためないようにして、気楽にお過ごしくださいませ。
 
 気楽に過ごそう!と言いつつも、本誌の「東アジアニュースレター」の連載でもお伝えしていますが、中国のバブル崩壊現象は、ついに世界株安現象を引き起こしているようです。株価が下げ止まらないなかで、中国の一般投資家たちが投資したお金が失われ、証券会社に押し寄せ、必ず儲かる!と言ったから買ったのに!と、泣き出す女性の様子や、経営に行き詰った外資系企業の社長が夜逃げしたために朝出社したら会社がもぬけの殻になっていたとか、中国各地でゴーストタウン化した様子、あちこちで起きる爆発事故、、、さながら、バブル崩壊の深い傷跡が映し出された画像を、ユーチューブで見ることができます。
 
 新聞や放送局などの企業のメディアでなく、ユーチューブやフェイスブック、ツイッター、ブログなどはその現場にいる人々の生の様子や多様な視点の解説者の意見などなど、リアルな感覚で情報を見ることができます。もちろん、それが真実かどうかは現場に居合わせたわけではないのでわかりませんが、それでも信頼できそうな方々の多様な見解が、自宅に居ながらにして見聞きすることができる、しかも、繰り返し何度でも!このようなすごい世界に、私たちは生きているのであって、現実という瞬間、瞬間がときめいている!と感じます。
 時間は、通常「時間の矢」の進む方向に流れていて、決して逆転はしない!というのが、私たちの共通認識となっていますが、それは本当にそうなのでしょうか?まず、時間の矢とは何でしょうか?ウィキペディアから引用します。

時間の矢(じかんのや、Arrow of time)は、時間の非対称性(不可逆性)を表す言葉。
空間は前後左右上下とどの方向についても対称的に移動できるのに、時間は過去から未来にむけての一方向にしか(非対称的にしか)進行することがない。これを、一度放ってしまえば戻ってくることはないで例えたもの。なぜ時間は過去の方向には進まないのかという謎であり、イギリスの物理学者、サー・アーサー・エディントンが提唱した。

とあります。
つまり現代の科学では、過去への旅行はできないとなっています。これはあくまで、現代科学の世界のお話ですが、この世界の時間といえば、【アインシュタイン】を思い出します。この連載の何号か前に「アインシュタインとタゴールの対話」の記事をネットで見つけてご紹介しました。アインシュタインは、時間は一様ではなく、空間のひずみとともに遅れたりすすんだりする!という、すごい時空概念を創造したにもかかわらず、量子論が導いた「不確定性原理」をめぐる有名な議論で、図らずもこれがまさにアインシュタインの思考の限界、つまりシンギュラリティを理解するよき事例となっていると感じたのです。

 ここでもう一度、アインシュタインの論争について、ウィキペディアから引用します。

不確定性原理をめぐる議論 不確定性原理は1927年にハイゼンベルクによって提唱された。量子力学の基礎原理の一つとされ、その発展に大いに寄与し、現在は量子の物理量において成立する不確定性関係として定着した。
粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができない、という、この原理による結果に対し、それは“元々決まっていないからだ”と考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈である。これに対しアルベルト・アインシュタインは反対し、“決まってはいるが人間にはわからないだけ”という「隠れた変数理論」を唱えた。この際にアインシュタインの言葉として有名な「サイコロを振らない(: Der Alte würfelt nicht.)」が、1926年12月にマックス・ボルンに送られた手紙の中で使われている。

  量子論の研究者達よりアインシュタインは既に輝かしい実績を持つ存在でした、しかし、自身が築き上げた理論と相いれない現象にはやはり既成観念から離れられなくなるのですね!あの、アインシュタインでさえ、「神はサイコロを振らない」と手紙に書き綴っているのです。つまり、量子の振舞として観測された<粒子の運動量と位置を同時に正確に図ることはできない>という原理を認めることができなかったということになると思います。これは、アインシュタインほどの大科学者でさえ陥ることがあるのです。私たちは、それ以上にめちゃくちゃ陥ってしまっていることでしょう。
  まさか、あの世界の工場となり、奇跡的な高度経済成長を実現しお金持ちが数多く誕生して、日本にも大挙して押し寄せ、銀座や秋葉原などで「爆買」という言葉まで作ってしまったあの大国が、一夜のうちにバブル崩壊の惨状がどんどん報道されるようになろうとは!こんな思いは、まさに思考の限界を示しています。このように私たちは既成概念を友として、なるべく新しい変化には目を向けず、それは例外か、または観測の間違いでしょう!というような対応をしがちです。これが、人工知能を理解できなくなる一つの方向性だとも言えます。

 勿論、人工知能ばかりでなく、今までなじんできた考え、価値観、知識、権限、権益、人間関係、ライフスタイルなど、様々な慣れ親しんだ世界を身にまとい、これが常識!これが限界!これ以上は無理!などと決めてすっかり型にはまり込んでいます。そのような対応しかできなくなっていたとしたら、これから起きてくる様々な変化にどうやって適応できるのでしょうか?そうですね、そういう人は変化しないと思っていますから、もし、あの中国人一般投資家のように、一夜にして投資額が消えたりしたら、正気でいられるでしょうか?
 そういう意味では、翻訳の世界、翻訳ビジネスの業界でも様々変化が起きていますが、最近特に感じるのは【時間】です。翻訳の依頼から納品まで、このタイムスパンがかなり短くなっています。見積もりもすぐに欲しい、というような感じです。いろんな仕事が急に舞い込みます。1日に数多くのお客様の様々な要求に応える柔軟性というか、適応力が必要な時代になりました。翻訳ビジネスの業界でも、見積もり算出、翻訳生産工程と生産力を短時間に把握して、納期を伝えなければならないのです。それが同時に複数の工程を管理していくことになりますから、ここで人工知能のパフォーマンスが上がれば、本当にうれしいですね!
 これらが翻訳支援ツール、CATツールとも言われるソフトウエア群です。これらは、明確に人工知能を生かしたツールだと考えられますから、今後の益々の改良、発展を期待したいものです。翻訳者が使うのが効果的なのか、それとも翻訳プロジェクトマネージャーが使うのが効果的なのか、と考えられますが、両者がそれらを効果的に使いこなすことで、相乗効果が得られます。

 現代のビジネス上の課題は量子力学やアインシュタインの相対性理論を持ち出すまでもなく、時間と空間そして単位時間当たりの価値の生産性の効率化となっています。その時、自分がいる場所(空間)と自分だけが働く(時間)の生産性をどうやって高めていけばいいのか?ということであり、それが人工知能アイテムつまりソフトウエアが開発されて役立ってきたわけです。これは今のところ一人の生産性です。しかし、私たちは共同=協同=協働といった協力体制による成果も同時に発揮できる存在です。これが大事なテーマです。
バベルでは、41年にわたる翻訳教育の歴史を育んできました。そこでの課題が、みんなで協力することでどれだけのすごい翻訳生産性があげられるだろうか?ということです。既に数多くのワークショップという翻訳方式を体験した方も多くなりましたし、みんなで一つの作品を翻訳する共同作業に新たな翻訳の喜び、翻訳学習の楽しさ、相互協力することで実現する高い成長性など多くの成果を実感しています。
 この共同翻訳システムを、CATツールの活用で実現できると、まるで一人の高い生産能力を持った超人的な翻訳者を誕生させることができるのではないかとひそかに願っています。時間と空間の密度の濃い結びつきから、時空の重なり合いというような同時多発性の翻訳生産能力という感じをいかにして実現するか?これが今後の研究課題となります。
翻訳を必要とされるお客様の様々な要求にどこまでも応え続けていくことが、とても楽しみな時代になりました。それは、顧客から創造される生産者でもあり、生産者側のマネジメント能力が、顧客を創造していくという双方向からの創造だと言えます。
 
 既成の価値、概念が使い物にならなくなる時が、もしかすると訪れるのかもしれない!そんな瀬戸際に私たちは立たされているのかもしれないのです。中国のバブル崩壊が教えてくれるものは今の私たちにとっても大事なことです。今うまくいっている、過去にはうまくいっていたからと言って、これから先もずっと同じやり方では行けなくなるかもしれません。そのようなショックに適応していくことは、日々の小さなショックを体験し続けるということでしょう。すると、いつの間にか大きく高いハードルを越えていってしまっていた!ということになるかもしれないのです。
 
 人工知能の研究を深めると日々越えていくことが必要な壁がそこに立ちはだかっていることがわかりました。それは人によって、仕事によって、立場によって、場所によっても違います。既成概念という壁を自ら発見して、それに捉われないやり方、生き方を導いてくれるのが、本格的なグローバルマーケットの本質を見極めて、同時に共に学び翻訳という一つの世界で高い理想に燃えて協働する同士の集まりへと、MSTホルダーたちがなっていくことを願ってやみません。
 
次号は情報処理の原点に回帰しつつ、さらに言語とは何か、プログラムとは何かという問いかけを深めていきます。それにより、翻訳と人工知能の本質へと問いを深めていきましょう。
 
最後までお読みいただき有難うございました。ご感想、ご質問、アドバイスなどいただけましたら幸いです。

第135号 巻頭言

巻頭言 :2015年9月25日号

翻訳は情報処理である― その⑮
―AIを使うその前に―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg  草むらからは、鈴虫らしいリーリーという虫の声が聞こえてきます。虫の区別がよくわからず、何の虫の声か不明ですが、頭にシーンと響きます。宵の風はすっかり涼しく、肌寒くさえ感じるこの頃です。

すっかり秋の気配になりました。皆様お元気でお過ごしのこととお喜びいたします。

 

先日917日、チリでM8.3の地震が起き、津波が遠く太平洋を越えて日本の海岸に押し寄せるのではないかということで、津波警報が出るなど、かなり緊張した場面でした。チリの皆様にはお見舞いを申し上げます。南米のチリと日本が地震と津波で影響を与え合う、もちろん途中にあるハワイも津波が押し寄せる可能性があります。地球は、陸路は国境がありますが、海路や空路は物理的な国境がなく津波が押し寄せます。

地球は一つにつながっているということを実感する瞬間です。

 

翌日、東京も津波警報が出ていたそうなのですが、それも知らずにお台場に行き、人がいないのに大喜びで、犬を散歩させながら砲台跡へと向かおうとしていたその時、「只今、津波警報が解除されました」というアナウンスです。ビックリしましたが、まあ、なんて有難いタイミングなのでしょう!と思い、浜辺を散歩しながらふと見上げると、雲で途切れてはいるものの虹が出ています。災難の後の久々の虹の写真をご覧くださいませ!

201509240714_1.jpg

 

 ところで、現代の1週間は、平安時代の1年に相当する!と、あるセミナーで講師が話されていました。

確かに科学の発見や、新技術は相次ぎ、経済の変化も足早に起き、世界各地で天変地異が起きていますし、いろんな事件事故が次から次へとニュースとなって報道されています。このようなせわしなさを指して、現代の1週間は平安時代の1年に相当すると言われているのだと分かります。世界中から様々な情報、新しい知見や、新ビジネスの誕生、世界の政治体制の変化、金融システムの危険水域情報など・・・ニュースを見るだけで日が暮れます。

 

 まさに現代は情報社会、もっと言えば、過・情報社会です。このような時代にあって、翻訳というビジネスに従事する翻訳者、翻訳事業者の皆さんは普段の翻訳活動にも世界的に大きな変化が進んでいると感じておられると思います。それこそ、一昔前に比べて、翻訳手法は翻訳ソフトや翻訳ツールを使って翻訳作業をする方法が一般的になってきたのではないでしょうか?

 

今や、翻訳原稿のやり取り、翻訳データの管理、企業別の翻訳用語の管理、翻訳作業に必要なシステムの調達・・・これらをいかに安全に、顧客の要望する納期に合わせていかにスピーディに仕上げるか?しかも、いつも安定した品質で。さらには、大量の翻訳案件の場合グループでの翻訳作業が必要なこともあります。それらをどのように行うのか、翻訳会社の翻訳プロジェクトマネージャーの腕の見せ所となるでしょうが、しかし、翻訳会社としての基本的な生産管理のガイドラインがなければ、プロジェクトマネージャーが単独で行うことはできません。

 

翻訳を依頼する顧客側にとっても、グローバルに市場展開される今、翻訳ニーズが急に発生することもあり、そのしわ寄せが翻訳会社、翻訳者に跳ね返っています。そのような市場環境にあって、自分がどのような翻訳サービスを行うのか、基本ポリシーが最も大事になります。

 

翻訳ビジネスもビジネスですから、ドラッカーのビジネスマネジメントの鉄則は変わりません。私自身がビジネスに従事し始めたのが19744月ですから、もう41年が過ぎました。私は、哲学を専攻する大学院を2年間で退学し就職したのが、当社の前身で翻訳の通信教育を行う、大学翻訳センターという会社です。

その後、1977年に社長となり現在もこの企業を継続しているのです。前置きが長くなりましたが、社長になった頃、会社経営とは何かについて学びたく思い、このドラッカーの「マネジメント」という本を見つけ、読んだ記憶があります。しかし、全部を終わりまできちんと読んだのではなく、読んでいるうちにある言葉に遭遇します。それは、「経営とは顧客の創造である」という言葉です。人はそれぞれの問題意識がありますから、ビビッとくる言葉、内容は違いますが、ビジネスを初めて体験するに等しい三十才そこそこの私にとっては、どうすればお客様を得られるのかが一番大事なポイントでした。

 

その時、ビビッと来た言葉「経営とは顧客の創造である」という言葉をそれ以来ずっと信じて実行してきたのです。経営というのはお金の勘定に関係することで、組織運営やら業界やらいろんな決まり事に従いやらなければならない、というような感じを薄々抱いていましたが「顧客の創造」という言葉は、そのような私の規制(制限された思い概念を吹き飛ばし、【経営とはきわめてクリエイティブな創造活動なのだ!】と思えたのです。

 

そうか!お客様は「創造」するものなのだ!!そう思ってワクワクし、とても嬉しくなったのです。

「創造」ならわたしにもやれそうだ!!事務的なことが苦手な私は、作業が遅いのです。当時、「そろばん」がありましたが、私のそろばんは、自分でもおかしいのですが、まるで、碁を打つように一つ一つゆっくりとしかできないのです。身体能力というか、手作業、足さばきなどのろまなのです。ところが、身体のスピード感はなくても、考えることは大好きで、哲学を専攻したくらいですから、凡そビジネスには不向き、世間の常識がない、ニュースを知らない素人(?)社長でした。

 

そんな私が、翻訳一筋に41年もの間倒産することなく、小さいながらも何とか順調に成長してこれた要因の一つが、この「経営とは顧客の創造である」というワンフレーズなのです。翻訳ビジネスに従事されている、またはこれから従事しようという方に贈りたい言葉がこの「顧客の創造」という言葉です。

それは、【自分の自由な考え・思いに従って、顧客=ビジネスそのものを創造する】ということを意味しています。何も、他の人がやっていることをやらなければならないことはないのです。

 

その後、ある時「経営コンサルタントの先生に、経営理念は何ですか?と問われ、その時答えたのが、「既成概念にとらわれない」という言葉でした。これもワンフレーズなのです。社会に尽くそうとか、従業員の幸福とかそんなことは経営理念にないのですから、社会の非常識です。要するに、「既成の概念にとらわれず、顧客を創造する」ということになるのですが、かなり変わった経営理念だと思われるでしょう。

 

 しかし、そんな自由な精神が41年を支えましたし、何より、義務感がないのです。好きな顧客の創造活動を行う!ということですから、今でも変わらず、ワクワクです。そんな気持ちで、このシリーズ、情報処理をテーマにし、人工知能とは何かを問いつつ、人工知能をいかに使いこなせばいいのか?逆に人工知能を研究することによって、人間とは何かを探りたいと思っています。

 

 この人工知能のもたらす世界的影響!つまり科学技術・認識のシンギュラリティが訪れることに、ビルゲイツや一部の先端科学者警告を発していることがわかりました。それは、今、私たちが認識している人間というシステム、社会というシステム、許容可能な科学体系などを超えるものだという警告でした。感情と勘定を超えるものだからでしょうか?

 

 このような、既成の価値、概念が使い物にならなくなる時が、もしかすると訪れるのかもしれない!そんな瀬戸際に私たちは立たされているのかもしれないのです。それらの未体験ゾーンから恐れを持って逃げるか?それとも、未知との遭遇に心湧き上がらせてチャレンジするか?それを選ぶ時が2045年迄だとしたら、あなたはどうしますか?人工知能のリサーチは、それほどのインパクトを持っているのですね!

 

 人工知能の研究を深める前に、越えていくことが必要な壁がそこにはいくつか立ちはだかっています。それはどんな壁なのか?皆さんとご一緒に探求していきましょう。これから始まる、本格的なグローバルマーケットの本質を眺めつつ、自分自身がどのように顧客を創造していくのか?何が自分自身を勇気づけ、ワクワクしながら、人事を尽くして天命を待つ!という認識へと導いてくれるのか!久しぶりに熱い感情が湧き上がるのを禁じえません!面白そう!!そう思いませんか!?

 

 という興奮の中で、今号をお届けしました。次号もさらに人工知能の本質へと問いを深めていきましょう。

 

最後までお読みいただき有難うございました。ご感想、ご質問、アドバイスなどいただけましたら幸いです。

 

第134号 巻頭言

巻頭言 :2015年9月10日号

翻訳は情報処理である― その⑭
―人工知能に対する反応―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg

 皆様いかがお過ごしですか?猛暑の夏から虫の音の涼やかな秋へと、自然の移り変わりは全く鮮やかですね!

年間降雨量が最も多い9月の到来です。8月半ばを過ぎると、台風の雨がよく振ったりやんだりを体験させてくれました。今年も余すところあと4か月、光陰矢の如しという言葉がぴったりのご時世です。
 

前号は「翻訳は情報処理である-その13」として、 人工知能に対する反応という視点から考察をいたしました。人工知能研究が進むことで、推論と学習により生み出される『技術的特異点(シンギュラリティ)』という特異点が2045年ごろではないかと言われており、その時、コンピューターに搭載された人工知能が、その知能、知性の能力の発展の結果、もはや人間に使われるのではなく、逆に人間を支配していくのではないか?という予測が出されたというニュース情報でした。

さて、AIに関しては、二つの方向、積極開発派と慎重派の二つに分かれて議論がなされているようです。しかし、その真意はまだもう少し調べていくことが必要に思います。今号でも、このテーマを引き続き考えていきたいと思います。

ここで、2045年問題で検索し、ウィキペディアから、以下に引用します。

技術的特異点は、「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったとき出現する。フューチャリストらによれば、特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは人類ではなく強い人工知能やポストヒューマンであり、従ってこれまでの人類の傾向に基づいた人類技術の進歩予測は通用しなくなると考えられている。

この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストのレイ・カーツワイルにより初めて提示された。彼らは、意識を解放することで人類の科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速すると予言した。意識の解放を実現する方法は、人間の脳を直接コンピュータネットワークに接続し計算能力を高めることだけに限らない。それ以前に、ポストヒューマンやAI人工知能)の形成する文化が現生人類には理解できないものへと加速度的に変貌していくのである。カーツワイルはこの加速度的変貌がムーアの法則に代表される技術革新の指数関数的傾向に従うと考え、収穫加速の法則(Law of Accelerating Returns)と呼んだ。


特異点を肯定的に捉えその実現のために活動する人々がいる一方、特異点は危険で好ましくなくあってはならないと考える人々もいる。実際に特異点を発生させる方法や、特異点の影響、人類を危険な方向へ導くような特異点をどう避けるかなどが議論されている。



 なんだかすごいことになっています!特異点の後では、科
技術の進歩を支配するのは、私達現生人類を超えた【ポストヒュマン】なるものが誕生しています!!ではここでやはりになる【ポストヒュマン】
について、同じくウィキペディアから引用します。

ポストヒューマン: Posthuman)は、トランスヒューマニズムによる概念。仮説上の未来の種であり、「その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて、現代の感覚ではもはや人間とは呼べない」[1]ものとされる。

ポストヒューマンは、過激な人間強化と自然な人類の進化の組合せによって生み出されると説明されることもある。この場合、ポストヒューマンと他の仮説上の(人間ではない)新たな種との違いは、ポストヒューマン自身かその先祖が人間であったという事実だけである。従って、ポストヒューマンの前提条件としてトランスヒューマンがある。トランスヒューマンは人間の限界を超える強化をしたものであるが、同時に人間と認識されるものである[1]

ポストヒューマンの形態として、人間と人工知能の共生、意識のアップロードサイボーグなども考えられる。例えば、分子ナノテクノロジーによって人間の器官を再設計したり、遺伝子工学精神薬理学延命技術、ブレイン・マシン・インターフェース、進化した情報管理ツール向知性薬ウェアラブルコンピューティングなどの技術を適用することも考えられる。[1]

ポストヒューマンは、現在の人間の尺度から見て「神」のような存在になるとする考え方もある。これは別に一部のサイエンス・フィクションにあるような存在形態のレベルが上がるといった話ではなく、ポストヒューマンの知性や技術があまりにも高度で洗練されているため、人間が見たらその意味を理解できないだろうということである。

どこまで変化(進化)したら人間はポストヒューマンになるのか? 『心の仕組み』を書いたスティーブン・ピンカーは、テセウスの船のパラドックスの例でもある次のような仮説を提唱した:

外科手術であなたのニューロンの1つを同等の入出力機能を持つマイクロチップと置き換えたとする。あなたは以前とまったく変わらないだろう。そしてもう1つ、さらにもう1つと置換を続けていけば、あなたの脳はどんどんシリコンの塊りになっていく。各マイクロチップが正確にニューロンの機能を模倣するので、あなたの行動や記憶は以前と全く変わらない。違いに気づくだろうか? 死んでいるように感じるだろうか? あなたのものではない意識が入り込んだように感じるだろうか?[2]

この記事では、地球上に人類が存在しなくなった未来に生まれるであろう支配的な種をポストヒューマンとは定義していない。


 すごいですね!皆さんついてきていますか!? これは、仮説ですから、今のところ安心していてくださいね!


 さて、ポストヒューマンになる前に、中間的な変容体ともいうべきトランスヒューマンが誕生するとなっています。これらの思想トランスヒューマニズム と言い、超人間主義 と訳されています。新しい科学技術によって人間の身体能力や認知能力を進化させ、あたかもスーパーマンのような人間を作り出そうという思想だとなっています。

この辺りになると、なんとなく昔懐かしいSF小説の時代が想起されますが、SFではなく、現実的な研究となっている!という点がミソですね!! すでにチップが埋め込まれたとか、義足や義手などが開発されて見た目にはそれと分からないものになり、前より能力は飛躍的に高度化されている!もしかすると、そのようなトランスヒューマンがすでに誕生している可能性もあります。


 

 言わば中間的なトランスヒューマンのステップを経て、ポストヒューマンとなっていくのでしょうが、ポストヒューマンには、現在の私たちのような炭素系の肉体と脳機能と形式を超えて、ケイ素系の新しい身体や強いAIレベルの情報処理能力システムを搭載したヒューマノイドとなっていくのかもしれませんね!

 SFマニアであったので、昔読んだSFストーリーが楽しく思い出されますが、まだ目の黒いうちにこのような可能性の話が聞けるとは思いませんでした!!もっとも、2045年では、まだ30年も先ですから、生きているかどうかわかりませんが。

現在の生命システムの情報源であるDNAがこれから変化しないとも限りません。もちろん現在の地球生命系は炭素系なので、それらが変化するにはDNAが変わらなければならないでしょう!既に、遺伝子組み換え、遺伝子操作の技術はかなりの水準にあるのかもしれませんから、古代の神話に出てきた「キメラ」のような実験段階の生物が登場したら、もうこれらを確信すべきでしょう。

まあ、ここらで、「そんなに急いでどこへ行く!?」と疑問を呈したくもなりますが、これらの科学の前提は、物質科学です。物質という見えるものの世界では通用するかもしれませんが、見えない世界の科学の研究はこれからが本番になるのではないかと思います。
トランスヒューマニズムにおいて、DNAの操作はできても、心、意識というものがあくまで物質的な操作性能があるのか?ここが最も疑われます。それによって、現代科学の延長上にある【ポストヒューマン】はあり得ないだろうと推測します。なぜなら、このような物質科学は重力の制御システムが重要です。ここに「シンギュラリティ=技術的特異点」
があるように思います。この特異点を超えることができるのでしょうか?

そこで、【夢研究者と神】の著者、ベリー西村氏によれば、重力は【重力子】と言い、これを制御できるのは反重力、つまり、この宇宙の根源、サムシンググレートともいうべき意識そのものしかないとなっており、その反重力とは「無条件の愛・自由・公開性・無限・創造・・・」そのものであると言っているからです。重力は、この反重力に支配され、重力が個別の魂ともいうべき【意識子】を支配し、さらにそのあとに続く【時間子】、【光子】、、、というより大きなもの支配するということになっていますが、物質はずっと後に生まれます。

重力子のすぐ後に生まれた人の魂意識子は後に続く、【時間子】、【光子】、、、、【素粒子】を支配できるポジションだというのです。となれば、物質体のAIや組成が未知のポストヒューマンはかなり異なったものと考えられますね。従来の西欧学術体系の物質科学と東洋思想との融合により「量子論」が誕生して、コンピューテイングシステムやインターネットシステムが開発され、今や情報処理の高度化の要請、つまりAIの研究がなされている現代は、まさに従来の物質科学が特異点を迎え、新たな量子論的世界の技術の時代であるといえます。

例えいつかこの技術の特異点が来ようといわれても、徒に不安がり、心配したり、希望を失ってしまうのは禁物です。どうか覚えていただきたいのは、このことです。繰り返しますが、根源意識(=宇宙そのもの)がまず初めに作ったのが「重力子」であり、その次に「魂=意識子」であり、そのあとに「時間子」、「光子」、、素粒子・・・の順であり、より小さなものが高貴であり、自分より大きなものを支配できるというルールです。初めが一番小さく、その次から順にお菊なっていくということです。

目からうろこの「夢研究者と神」は現代科学では何とも言えない世界ですが、とても夢を与えてもらいました。唯物論の世界から、唯脳論の世界が登場したりしていますが、従来の科学の研究法になじまない科学の探求法もあっていいはずです。夢を見ることが根源意識の世界へと戻り、反重力の無条件の愛・自由・創造・無限・・・という情報を超えた情報にアクセスできたら素晴らしいですね。ご興味がある方にお勧めします。電子ブックもありますからどこからでも買えますよ!

今号はポストヒューマンの前駆体である、トランスヒューマンをイメージするにとどまりましたが、なんとなく、AIの世界の手触りが感じられてきたのではないでしょうか?まだまだ、知識情報としてはほんの入り口に過ぎませんが、新たなシステムへの糸口が見えてきたようにも思います。AIへのアプローチは、まだまだ続きます。


最後までお読みいただき有難うございました。ご感想、アドバイスなどいただけましたら幸いです。

 

第133号 巻頭言

巻頭言 :2015年8月25日号

翻訳は情報処理である― その⑬
―人工知能に対する反応―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg

皆様お元気でご活躍のことと存じます。

8月も終わりに近づき、朝夕の風は秋の気配を感じさせてくれます。一陣の風に思わず「涼しい!」と感じる今日この頃です。

この夏は特に実感したのですが、翻訳ビジネスはインターネット回線がつながるところであれば、どこにいても仕事をすることができますから、世界各地の環境を選んで旅をしながら仕事もできるという、素晴らしい職業です!
まさに知能の働きが活かされる、極めて現代科学にフィットした職業です。ところが、それが逆に、翻訳ビジネスの基盤の脆弱性も備えているのですね!物事には、陰陽の2面性があるということを実感します。

 
そこで、翻訳ビジネスの将来性と今後の方向について考察を重ねようというのがこの記事のテーマですが、WEBという目に見えない、確率論的世界の中で、これからの社会はどう変わっていくのか?それに伴って、翻訳技術、翻訳ビジネスはどんな方向をとるのかを考えていこうとしています。

 前号では、人工知能研究の
人工知能学会 注1)のサイトを概観しながら、人工知能の研究の実態にささやかながら迫ってみました。いかがだったでしょうか?人工知能研究の実態のイメージがつかめましたでしょうか?

今回は、この人工知能に対して、人々がどのような反応をしているのかを考えていきましょう。人工知能の脅威!と聞くと、すぐに<感情=勘定>価値的な反応をしてしまいがちですが、情報処理という観点で言えば、この<感情=勘定>価値的な反応はご法度ですね。

さてそこで、まず、「人工知能」と入れて検索してみますと、【 ITガジェット:人工知能 人工知能に関するまとめが集約されているページ】というページを見つけました。

http://matome.naver.jp/topic/1M1mD 

かなり多方面からの情報が網羅されているかの印象を受けました。中をいくつか見て、まず、次のトピックをみてみたいと思います。

    2045年問題 『人工知能』が支配する未来。 シンギュラリティ(技術的特異点) 後の脅威 

<シンギュラリティとなる2045年・・人工知能が人類の知性を超えてしまった場合、どうなるのか? 人類は滅亡? 核兵器以上の『脅威』との懸念も>とあり、その詳細は、2014421日の東京新聞の記事 

 http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/2045-00f0.html

に説明がありましたので、以下、引用です。

 

2045年問題とは何か?
端的に言えば、
「人工知能の能力が人類の能力を超える時点」のことである。
良く知られているように、集積回路の性能を示す「ムーアの法則」と呼ばれるものがある。世界最大の半導体メーカーIntel社の創設者の一人であるGordon Moore博士が1965年に経験則として提唱した、「半導体の集積密度は1824ヶ月で倍増する」という法則。

となっており、ウィキペデイアでムーアの法則を引いてみましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87


以下引用
【ムーアの法則(ムーアのほうそく、: Moore's law)とは、大規模集積回路LSI IC)の製造・生産における長期傾向について論じた1つの指標であり、経験則に類する将来予測である。米インテル社の創業者のひとりであるゴードン・ムーア1965年に自らの論文上に示したのが最初であり、その後、関連産業界を中心に広まった。ムーアの元々の文章は以下である。

「部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、毎年およそ2倍の割合で増大してきた。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、現状を維持することは確実である。より長期的には、増加率はやや不確実であるとはいえ、少なくとも今後10年間ほぼ一定の率を保てないと信ずべき理由は無い。すなわち、1975年までには、最小コストで得られる集積回路の部品数は65,000に達するであろう。私は、それほどにも大規模な回路が1個のウェハー上に構築できるようになると信じている。」 "Cramming more components onto integrated circuits", Electronics Magazine 19 April 1965[1]
 

チップの複雑さはトランジスタの個数に比例すると仮定し、それらが何に使われているかを無視するならば、この法則は今日まで充分時の試練に耐えてきたと言える。しかし、トランジスタ当たりの複雑さは、RAMキャッシュにおいては実行ユニットほど高くないという議論もあり得る(そもそもインテルが4004を作ったのは1970年のことである)。この観点からすれば、ムーアの法則の妥当性は、その定式化のしかたによっては疑問符がつくものとなるが、その成長が指数的であるという点に異論は無いであろう。

なお、1枚のチップ(a chip)に集積される部品数は、プロセスの微細化とチップ面積の拡大の2つの要素の掛け合わせで増加する。

ゴードン・ムーアのこの将来予測は彼自身によって「法則」と名づけられたわけではなく、カリフォルニア工科大学教授で、LSI開発などで著名な計算機科学者のカーバー・ミードによるものである[1]

ムーアは今日の機械式マウスの共同発明者であるダグラス・エンゲルバートから、1960年の講義において集積回路のサイズ縮小の見通しについて議論したのを聞いたのかもしれない[2]1975年には、ムーアは今後2年毎に2倍のペースにしかならないだろうという見通しを立てた。彼は自分が「18か月ごと」と言ったことは一度もないのに、そう引用されたのだと主張している。SEMATECHロードマップには、24か月ごとのサイクルを辿っている。】  引用ここまで

 
ここにあるように、人工知能の知能とは、チップの複雑さつまりトランジスタの個数に比例すると仮定すれば、1枚のチップに集積される部品数は、プロセスの微細化とチップ面積の拡大の二つの要素の掛け合わせで増加すると言われています。プロセスの微細化と面積の拡大が何を表しているかというと、いわば素粒子ともいうべき、より微細な物質の動きが表わすものは、すなわちチップ面積の拡大を同時に意味することになりますね。二つの視点は別でありながら目指す方向、目的は足し算でなく、掛け算となっている】ということになるのでしょうか?

  そして、その超高度な集積回路が『自意識』を持っているかのように人間に錯覚させ、自動的なシステムとして限りなく知能を開発発展させていくとき、未来研究における【技術的特異点】がいつ訪れるのか、という研究報告となっていきます。この、技術的特異点(シンギュラリティ)という考え方が面白いですね。それが、2045年問題であり、その意味するところは、2045年には人工知能が人間の知能を超える!という予測研究なのです。

では技術的特異点(シンギュラリティ)は、何を意味しているのかというと、『未来研究において、正確信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測されうる未来モデルの限界点を指す。』とありますが、簡単に言えば-「シンギュラリティ」とはコンピューターの知能が人間を超える現象、またはその瞬間を意味する言葉-であると書いてあります。

そこで、前号で引用した、アインシュタインと量子論のボーアとの有名な量子力学論争を思い出しました。量子力学(タゴールとの対話)

http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity1034.html

アインシュタインと量子論の提唱派がどのように論争していったのかがまとめられています。

これが、アインシュタインの理論的発展の技術的特異点の事例ではないかとも思えます。つまり、アインシュタインの思考の延長線上から推測される未来モデルの限界点が、このタゴールとの対話に示唆されていると考えると、このタゴールとの会話は、とても意味深いです。

 

そういう意味では、天才アインシュタインも、『意識』と『素粒子』についての思考の限界があったと分かります。あの有名な言葉「神はサイコロを振らない」の意味したことが良く理解できます。新しく登場した『観察する意識と確率論的素粒子』という思考のパラダイム=量子論が新しい未来モデルを作り上げてきたのです。量子論には、インド哲学、道教、禅、瞑想、ヨガ、易、神道といった東洋思想が影響を与えています。

 

物心2元論から、逆に東洋的な物心一元論へとシフトする過程で、ミクロの量子の振舞を把握したことで現代のコンピューター、情報電子機器の開発へとつながってきたわけです。この過程で、脳科学や心理学が発展してきたのはご承知の通りです。そして、「認識」というテーマ、これが現代の量子論から量子情報科学 へと発展してきたのです。

そして、その研究によって発展の方向性がさらに導かれ、人工知能の研究成果となって技術の特異点が推測されてきたというわけです。具体的に考えると、人工知能学会のサイトでは、人工知能のいろいろな分野があるとなっていますが、仮に、それらの研究分野の中から「推論」と「学習」を取り上げて考えます。

【推論知識をもとに,新しい結論を得ること―。

【学習】-情報から将来使えそうな知識を見つけること

の二つの側面から、多様なテーマ項目の研究の成果機能を統合して作業できるシステムの開発を目指しているわけです。そして既にご紹介したディープラーニングDeep Learning注2)は、深層学習とも言い、その二つの機能の統合をより迅速かつ多重に深めていこうとする研究ですが、人間の脳科学研究の成果を活用して、より人間の脳の構造と学習システムに近づこうとしていると言われます。

 

そこから推論と学習により生み出される『技術的特異点(シンギュラリティ)』は、遅くともか、早くともか不明ですが、2045年ごろではないかと言われているということです。その時、コンピューターに搭載された人工知能が、その知能、知性の能力の発展の結果、もはや人間に使われるのではなく、逆に人間を支配していくのではないか?という予測が出されたわけです。

 

2045年が速いのか、遅いのかわかりませんが、AIに関する二つの方向、積極開発派と慎重派の二つに分かれて議論がなされているようです。しかし、その真意はまだもう少し調べていくことが必要に思います。次号でも、このテーマを引き続き考えていきたいと思います。

 

最後迄お読みいただき有難うございます。「翻訳は情報処理である-その13」として、 人工知能に対する反応という視点から考察をいたしました。ご意見、ご感想などお寄せいただけると幸いです。

 

参考データ

1) 人工知能学会

http://www.ai-gakkai.or.jp/whatsai/

 

2ウィキペディア ディープラーニング

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

ディープラーニング Deep Learning、ディープニューラルネットワーク(Deep Neural Network)、深層学習ともいう)とは、ニューラルネットワークの一種であり多層構造のニューラルネットワークに、脳科学分野の研究を応用したものである。汎用的なAI、いわゆる強いAIの実現が期待されている。

 

第132号 巻頭言

巻頭言 :2015年8月10日号

翻訳は情報処理である― その
―人工知能の研究の実態―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg残暑お見舞い申し上げます。皆様お元気でご活躍のことと存じます。
 
今、日本列島は連日の猛暑で蒸しあがっています。熱波という文字がとても実感をもって感じられます。以前台湾に行った時も同じように蒸し風呂の中にいるように感じました。
先月末、仕事でハワイオフイスに行きましたが、流石ハワイは涼しいです!湿気が少なくカラリとしているので、気温は30度を超えても日陰は涼しいですね。ただ、直射日光の日差しは強いです。じりじりと焼けるような感じがしました。しばしハワイの涼やかさをお楽しみください。
201508090809_3.png  201508090809_4.png

 湿気の強弱、風の強弱、大地の様相、周囲の海洋の様相などの環境条件によって同じ太陽光線の感じ方もずいぶん変わるものだと実感します。地軸の傾きで、北半球は夏ですが、南半球の冬はどうでしょうか?猛暑から逃れて冬の南半球への旅もよさそうですね!
 
 翻訳ビジネスはインターネット回線がつながるところであれば、どこにいても仕事をすることができますから、世界各地の環境を選んで旅をしながら仕事もできるという、素晴らしい職業です。そういう意味では、極めて現代的な情報をキャッチしていける感性と行動力が求められている職業だとも言えます。
 
 前号では、人工知能に関する最新刊の書籍「人工知能は人間を超えるか」-ディープラーニングの先にあるもの―という本を概観しながら、人工知能の研究事情の糸口を見つけました。人工知能の脅威!と聞くと、すぐに
<感情=勘定>価値的な反応をしてしまいがちですが、情報処理という観点で言えば、この<感情=勘定>価値的な反応はご法度ですね。
 
 熱波と一口に言っても、自分の衣服の条件、建物の設備条件、温度、風力、地理的条件、大気・海洋などの環境条件、太陽系における地球の周回条件・・・などで変わってきますし、そして何よりも、人によって感じ方は違うということです。この最後に上げた「人によって感じ方は違う」ということが、
<感情=勘定>価値的な反応に対する有り様ということになります。
 
 「心頭滅却すれば火もまた涼し」という格言がありますが、まさにこのことを言っています。
心と頭とは<感情(フィーリング)と勘定(脳の思考)>ですね。感情は好き嫌いに準拠し、恐れを一番強くキャッチします。また、脳思考は勘定、つまり損得計算、価値比較計算、善悪計算などを行います。この好悪の感情と価値損得の計算で心と頭がぐるぐると動き回り対応をしていくので、その計算結果によって捉われてしまうことになります。ここでは、「火」とは「熱い」ものだという感じ方の概念を、「涼しい」という感じ方の概念に変えることができる、と言っているわけですが、そのためには「心」と「頭」を滅却、つまり煩悩と言われる想いや思考の働きを止め、超越することで可能となると言っているわけです。
 
 これが従来の解釈ですが、
情報処理 という思考のパラダイムでは、このような煩悩滅却などという大変な修行をしないで、ロジカルに思考パターンの変換を可能にしようということです。つまり、人間とは何か、存在とは何か、環境とは何か、意識とは何か。。。というような抽象概念を情報という別の言語体系へと置き換えていくということなのです。そこでの大きなパラダイムシフトの観点とは「認識」ということです。
 
 例えば「我思う、故に我有」
注1)という言葉をご存知かと思いますが、ここでは「自分が外界、表象を認識するから、自分は存在する」といっています。つまり、外界=表象物と自分を分けて(物心2元論)、自分自身が存在するのは「思うこと=認識」によって存在するのだと言っているわけです。これは、近代の新しい認識のパラダイムシフトへのきっかけだと言えますが、キリスト教会からの自立の始まりでもあります。このパラダイムシフトへの動きは、さらに外界表象物は自分が認識したことによって発生するというところまで行き着き、今はそこからの更なるパラダイムシフトがおきているのです。
 
アインシュタインと量子論のボーアとの有名な量子力学論争がありますが、それに関する記事を見つけました。
量子力学(タゴールとの対話)
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity1034.html
です。アインシュタインと量子論の提唱派がどのように論争していったのかがまとめられています。
ここでのタゴールとの会話は、意味深いです。
 
この意識と素粒子の関係から、量子論が新しいパラダイムを作り上げていきます。量子論には、インド哲学、道教、禅、瞑想、ヨガ、易といった東洋思想が影響を与えています。物心2言論から、逆に東洋的な物心一元論へとシフトする過程で、ミクロの量子の振舞を把握して現代のコンピュータ、電子機器の開発へとつながってきたわけです。この過程で、脳科学や心理学が発展してきたのはご承知の通りです。そして、「認識」というテーマ、これが現代の量子論から量子情報科学
注2)へと発展していくのです。
 
 これまでの学術情報はほとんどが西欧科学としての研究です。しかし、東洋、特に日本には独自のアプローチとしての文化・数学・測量・建設・農業などの技術が古代から伝えられていますが、口伝となっていて文字表現がなされなかったり、秘文書となっていたりというわけで、西欧科学的なアプローチと異なっていたために、明治以降の近代化で西欧システムが整備されるにつれ抹殺され、太平洋戦争の敗戦後は焚書、没収されてきたと言えます。そういう意味では、東洋思想、とりわけ神道と科学の本格的な解明はこれからではないでしょうか。東洋と西欧は現在人類の文明の始まりと言われるころから、相互に交流、影響し合っており、情報・技術の伝達、融合が行われてきたことは明らかになっています。
 
現代の西欧科学思考、英語中心の学術一辺倒のシステムは明らかにバランスが崩れており、多言語化、東洋思考、東洋思想の影響が色濃くなっていきます。さらに経済の側面では、ギリシアのデフォルトにつながるユーロ危機、米国のデフォルト危機、中国バブル崩壊などに見られる金融経済破たんの状況からも、今が多様化・多次元化というパラダイムシフトの最中、真っ盛りであることが明らかです。
 
ここでは、情報処理というメインテーマがありますので、情報処理にとって大事な観点であるドグマ(固定された堅固な信条)からの自由ともいうべき、いろんな思考法があるのだということをご理解いただければ幸いです。なぜなら、翻訳者が予断をもって翻訳にあたるとき、自分の価値観に左右されてしまうと誤読、誤訳をする可能性が高まるからです。
 
ここで、脳に少し休養を与えましょう。そこで、翻訳者向けの新しい格言を考えてみました。
「心頭滅却すれば予断を排す」、または、「予断を排するは心頭滅却なり」などともいえるかもしれません!笑ってくださいませ!
では、気持ちを一新して、人工知能に関する情報をさらに集めてみました。人工知能学会
注3)のサイトを見てみましょう。
 

引用:「人工知能」とは何だと思うでしょうか?まるで人間のようにふるまう機械を想像するのではないでしょうか?これは正しいとも,間違っているともいえます.なぜなら,人工知能の研究には二つの立場があるからです.一つは,人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場,もう一つは,人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です.そして,実際の研究のほとんどは後者の立場にたっています.ですので,人工知能の研究といっても,人間のような機械を作っているわけではありません.
それでは,実際の研究ではどのようなことをしているのでしょうか?人工知能の研究には,
人工知能研究で紹介しますようにいろいろな分野があります.ここでは,この中から「推論」と「学習」を取り上げます.
「推論」とは「知識をもとに,新しい結論を得ること」です.
「学習」は何か機械が勉強をする感じがしますが,ここでは「情報から将来使えそうな知識を見つけること」です.
:引用終

となっていて、推論ゲームの対戦②学習買い物の調査の基本的な二つの側面の事例で解説されています。つまり現在の人工知能とは、
【推論】-知識をもとに,新しい結論を得ること―。
【学習】-情報から将来使えそうな知識を見つけること
の二つの側面をもとに多様なテーマ項目の研究の成果機能を統合して作業できるシステムの開発を目指していると言えます。
 
 ところが、前号で紹介したディープラーニング( Deep Learning)注4は、深層学習とも言い、その二つの機能の統合をより迅速かつ多重に深めていこうとする研究テーマですが、脳科学研究の成果を活用して、より人間の脳の構造と学習システムに近づこうとしていると言えます。そして、それが目指すところは、汎用的なAI、いわゆる
強いAIの実現が期待されているというわけです。
 
そこで現時点の
人工知能(AI)の研究のページを見てみると、次のように説明されています。
 

引用:「人工知能(AI)とは知能のある機械のことです.しかし,実際のAIの研究ではこのような機械を作る研究は行われていません.AIは,本当に知能のある機械である強いAIと,知能があるようにも見える機械,つまり,人間の知的な活動の一部と同じようなことをする弱いAIとがあります.AI研究のほとんどはこの弱いAIで,図のような研究分野があります.」
201508090924_1.png 
:引用終
 
 いかがでしょうか?眠くなっていませんか?このAI研究では、これまでに言われてきた課題があります。それは、人間の脳思考を研究していくとどうしても「好悪の感情」「価値の勘定」の働きにぶつかることが予想されます。AIではこれをどのように対処していくのか興味深いです。
 
尤も、AIはあくまで論理計算システムであれば、好悪の感情や価値の勘定を参照しない回路で行けるかもしれません。しかし、ディープラーニングというアプローチの観点から考えると、人間社会に溶け込ませるために、この二つの「
かんじょうシステム」が必要になるのか、それとも別の論理回路が開発されるのか、という課題があります。これは逆に人間の脳思考に対処する方法の解決にもなるかもしれませんから、とても面白いテーマですね。
 
 見られた方も多いと思いますが、ハリウッド映画で「AI」2001年6月公開。監督:スティーブン・スピルバーグ、を思い出します。あのころはSF映画でしたが、今や現実にイメージできる時代になりました。あと何年か経つと、人と一緒にロボットやペットと暮らす時代になるのかもしれません。既にロボットのペットは登場していますから、時間の問題ですね。お互いに平和に共存できることを望みたいと思います。この映画も今こそ見てみる価値がありそうです。
 
最後迄お読みいただき有難うございます。「翻訳は情報処理である-その12」として、 人工知能研究の実態という視点から考察をいたしました。ご意見、ご感想などお寄せいただけると幸いです。
 

 

参考データ
注1)ウィキペディア「我思う、ゆえに我ありhttps://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88
 
注2)ウィキペディア 量子情報科学
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E6%83%85%E5%A0%B1%E7%A7%91%E5%AD%A6
 
注3) 人工知能学会
http://www.ai-gakkai.or.jp/whatsai/
 
注4)ウィキペディア ディープラーニング
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0
ディープラーニング( Deep Learning、ディープニューラルネットワーク(Deep Neural Network)、深層学習ともいう)とは、ニューラルネットワークの一種であり多層構造のニューラルネットワークに、脳科学分野の研究を応用したものである。汎用的なAI、いわゆる強いAIの実現が期待されている。
 

第131号 巻頭言

巻頭言 :2015年7月25日号

翻訳は情報処理である― その⑪
―人工知能に学ぶ―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 東京はようやく梅雨明けとなり、新しい時代の夜明けを告げるような、素晴らしい虹が出ました。どうぞご覧ください。
所によっては、この18日、19日と二日にわたり虹を見た方もいらっしゃいます。最近は、自然現象が人知を超えたレベルで起きているように感じますが、日常に埋没していると、自然現象ばかりでなく、情報技術、情報工学、量子科学、新しい宇宙論など知らない間にすごいことが起きています。今回も、前号に引き続き、人工知能について考察しながら、今後の翻訳技術の向上に向けて、逆に人工知能に学んでいこうと思います。

201507241221_1.png

そんなわけで、人工知能に関する手頃な本を見つけました。「人工知能は人間を超えるか」というタイトルで「ディープラーニングの先にあるもの」というサブタイトルがついています。
著者は「
松尾 豊」氏で、角川EPUB選書となっており、【グーグルやフェイスブックが開発にしのぎを削る人工知能。日本トップクラスの研究者の一人である著者が、最新技術「ディープラーニング」とこれまでの知的格闘を解きほぐし、知能とは何か、人間とは何かを問い直す。】という説明がついています。ちなみに、価格は1400円+消費税で、264ページですから、人工知能を知るのに手ごろな読み物と言えそうです。
 
2015年3月発行となっていますから、まだお読みになった方は少ないかもしれませんので、内容を探っていきましょう。そこで、まず、手掛かりになるのが最新技術「ディープラーニング」という言葉です。この最新技術「ディープラーニング」とは一体何かということになりますが、この言葉をご存知でしたでしょうか?そして、ディープラーニングと、その探求の過程としての知的格闘は、【
知能とは何か?という探求であり、且つ人間とは何か?を問い直す試みであった】というわけです。なかなか興味深い説明ですね。ここで一応、ウィキペデイアで確認しておきましょう。
 
ディープラーニング( Deep Learning、ディープニューラルネットワーク(Deep Neural Network)、深層学習ともいう)とは、
ニューラルネットワークの一種であり多層構造のニューラルネットワークに、脳科学分野の研究を応用したものである。汎用的なAI、いわゆる強いAIの実現が期待されている。詳細は下記リンクをご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0

 
多層構造のニューラルネットワークに、脳科学の分野の研究を応用したものだということまでわかりました。ここでは、さらにディープラーニングについて知るために、著者と目次、編集者からのおすすめ記事がありますので、これを見ていきたいと思います。
 
-著者のプロフィール-
松尾 豊(まつお ゆたか)  東京大学大学院工学系研究科 准教授
1997年、東京大学工学部電子情報工学科卒業。
2002年、同大学院博士課程修了。博士(工学)。同年より産業技術総合研究所研究員。
2005年よりスタンフォード大学客員研究員。
2007年より現職。シンガポール国立大学客員准教授。
専門分野は、人工知能、ウェブマイニング、ビッグデータ分析
人工知能学会からは論文賞(2002年)、創立20周年記念事業賞(2006年)、現場イノベーション賞(2011年)、功労賞(2013年)の各賞を受賞。人工知能学会 学生編集委員、編集委員を経て、2010年から副編集委員長、2012年から編集委員長・理事。2014年より倫理委員長。日本トップクラスの人工知能研究者の一人。
共著書に『東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』(KADOKAWA)がある。

 

という紹介です。1997年の大学卒業、1975年生まれということですから、今年で40歳になるところですね。1974年にバベルは創業しましたので、その翌年に生まれて、人工知能、ウェブ工学、ソーシャルメディア分析、電子情報工学の学者となっています。ところで、名前で検索しましたら、面白い検索サイトを見つけました。

サイトは、あの人検索、スパイシー  201507241221_2.png

 http://spysee.jp/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%B1%8A/1010667/profile#navbar_top

となっています。その説明書きに、

スパイシーは人物情報検索サービスです。 人物に関する情報を、名前をもとにロボットがウェブ上から集め、独自のアルゴリズムで整理しています。 】 

つまり、これも人工知能のステップのいくつかの機能を生かした検索サービスとなっています。研究者の交流関係、誰の弟子か、情報・技術の交流は誰とつながっているかなどの人のつながりがわかるようになっています。

 
上記のアドレスをクリックして、実際に体験してみてください。なかなか面白い作りです。例えば、私たちの脳のニューラルネットワークはこんな感じなのか?と思わせる興味深さがあります。
 
このスパイシー上のプロフィールには交友関係があるのですが、その方々は主に1960年代後半から1970年代の生まれが多いのです。ワンチップ・コンピューターが秋葉原で販売されたのが、1975年頃だと記憶していますが、やはり、コンピューターの登場とともに、それを次世代へと進化発展させる人材が同時期に生まれているのだなあ、と感慨を深めました。人間が成長し、働くことができるようになるまでは、二十数年はかかりますから、40年という年月は2世代以上の頭脳の交代が行われてきたことがわかります。
 
ところで、松尾氏本人のHP 
http://www.ymatsuo.com/japanese/index.html をみつけましたので、プロフィールを見ましたら、ここで不思議な県名を見つけました。これはジョークでしょうか?はたまた、丸亀高校のPR作戦でしょうか?香川県をうどん県と書かれています。面白い方ですね!! 人工知能の研究者が、こんなユニークな冗談をプロフィールに書けるというのは、いいですね。人工知能の未来が明るく見えます。
 
1993年3月

うどん県立丸亀高校 卒業
1997年3月
東京大学 工学部電子情報工学科 卒業
2002年3月

東京大学大学院 工学系研究科電子情報工学 博士課程修了。博士(工学)
 
著者のプロフィールはわかりました。うどん県立丸亀高校卒業で、なかなかの個性とユーモアのセンスのある方とお見受けできました。やはり、一味も二味も進化した感性になっていると言えます。1940年代から50年代生まれの時代環境では、スパイシーもなかったし、うどん県をHPに公開できる余裕はなかったように思います。そういう意味では、十年一昔と言いますが、年代が十年下ることは脳の使い方、つまり情報処理のシステム機能がずいぶんとグレードアップされるのだということを実感します。
 
つぎに目次を見ていきましょう。

序 章 広がる人工知能――人工知能は人類を滅ぼすか
第1章 人工知能とは何か――専門家と世間の認識のズレ
第2章 「推論」と「探索」の時代――第1次AIブーム
第3章 「知識」を入れると賢くなる――第2次AIブーム
第4章 「機械学習」の静かな広がり――第3次AIブーム(1)
第5章 静寂を破る「ディープラーニング」――第3次AIブーム(2)
第6章 人工知能は人間を超えるか――ディープラーニングの先にあるもの
終 章 変わりゆく世界――産業・社会への影響と戦略

 
この目次から見て取れることは、第1次AIブーム「推論」と「検索」の時代であったこと、次に、第2次AIブームは「知識」をいれると賢くなるという時代であったこと、第3次AIブームその①としては「機械学習」という概念が静かに広がった時代であること、さらに、その②として、今静寂を破る「ディープラーニング」がおきている時代であること、そして、このディープラーニングが人工知能を飛躍的に発展させる可能性があること、つまり、人工知能がいつか、それともいつ?人間を超えていくのか?が目前に見えていく時代が来ることを伝えようとしており、この人工知能の発展と活用によって、世界はさらなる変化を遂げつつあり、産業・社会へ与えるインパクトの大きさとそこで起きてくるであろう戦略を提示しようとしている。ということになります。
 
ここで、ようやく、「ディープラーニング」が人工知能を画期的に飛躍させる重要ポイントであるということ、そして、それが人間とは何かを問い直すところまで差し迫ってくるテーマなのだ、ということがわかりました。では一体、「ディープラーニング」とは何なのか?これを次の記事から読み解いていきましょう。
 

編集者からのおすすめコメントメント
いま、将棋やクイズ番組など「人工知能vs人間」の戦いがあちこちで起こっている。
2014年の英オックスフォード大学の研究報告では、
今後10年から20年ほどで、人工知能を含むITの進化の影響によって、米国の702の職業のうち約半分が失われる可能性があると述べている。

最先端の人工知能技術「ディープラーニング」をめぐっては、グーグルやフェイスブックなどが数百億円規模の激しい投資・人材獲得合戦を展開。
一方で、宇宙物理学者のスティーブン・ホーキング博士や、実業家のイーロン・マスク、ビル・ゲイツなどが、「人工知能は人類を滅ぼすのではないか」との懸念を相次いで表明した。


そのテクノロジーは、ヒトを超える存在を生み出すのか。
人間の仕事を、人類の価値を奪うのか。

 
トップクラスの研究者が解きほぐす、「人工知能」の過去・現在・未来

ディープラーニングの特徴をひと言で言えば、コンピューターが人間のように「気づき」を得るしくみのこと。これまで「人工知能」と呼ばれていたものは、たとえ同じ計算を10万回やっても、1回目と10万回目のやり方は基本的に同じで、「もっと早く計算できる方法」に自ら気づけない
コンピューターの計算能力は飛躍的に上がったが、それは根本解決ではないのだ。しかし、その状況が
ディープラーニングによって革命的に変わる

本書では、人工知能学会で編集委員長・倫理委員長なども歴任、日本トップクラスの研究者の著者が、これまで人工知能研究が経てきた歴史的な試行錯誤を丁寧にたどり、その未来像や起きうる問題までを指摘。
情報工学・電子工学や脳科学はもちろん、ウェブや哲学などの知見も盛り込み、「いま人工知能ができること、できないこと、これからできるようになること」をわかりやすく解説する。

なお、本書カバーには、ロボットと人間の共生を描いたアニメーション『イヴの時間』より、ヒロインのアンドロイド「サミィ」のイラストを特別にお借りして掲載している。

 
以上の記事の説明から、今までは、人工知能といっても【高速の計算機】だった。ところが、『ディープラーニング』という技術は、人工知能を【計算機としての機能】から【自ら気づき能力アップする人間の知能】へと変わることを実現するということ、だということがわかります。そして、そのテクノロジーは、ヒトを超える存在を生み出す恐れがあり、人間の仕事を、人類の価値を奪うかもしれない!そうなれば、人類は人工知能によって滅ぼされるのではないか?との懸念が表明されているということです。
いやはやこれはすごい時代になったものですね!!
あまりアイデアも出さず、問題解決能力が低い人間よりは、人工知能のほうが優れてしまうだろうという見通しはかなり可能性が高いと思われているのです。
 
人工知能の研究は、人間の脳の情報処理システムを研究することにより、情報処理能力の一部を機械的に代替させつつ研究開発されてきたわけですが、それが、記憶と計算という情報処理レベルを超えて
「気づき」という【人間特有の叡智としての情報処理システム】のプロセスを解明、再現させる技術(=デイープラーニング)を人工知能として使うことができるようになれば、記憶と計算能力でさえとてもかなわないのに、人間は太刀打ちできなくなるのではないか?という懸念が出てきたというのは、皮肉な話です。
 
この本の最終章にあるように、情報処理技術が衰退することは考えられないわけですから、人間の知能の研究=情報処理技術の探求はますます深化していくことでしょう。それに対応して、社会はかなり変わっていくことが考えられます。その高度情報処理社会の中で、どのような生き方をして行けばいいのかが問われることになるというのは大いに考えうることですね。いつまでも現状維持でいたいという人間の気持ちは、その変化の中で必然的に変わらざるを得ないでしょう。それがどういう方向に進むのか、これから何が起こってくるのか?最先端の人工知能研究から目を離さずに観察とリサーチを進めていきたいと思います。
 
今回は、人工知能の現状と行く末、見通しというものを、1冊の解説書をたどりつつ考察してきました。後は、この本をお読みいただいて、じっくり考えて見られることを進めいたします。2015年1月10日号から始めたこの情報処理についての考察は、いよいよ人工知能にたどり着きました。人工知能の研究成果から、逆にどうすれば人間の知能を飛躍的に高められるのか?を探っていきたいと思います。
 
最後迄お読みいただき有難うございます。「翻訳は情報処理である-その⑩」として、 人工知能に学ぶという視点からの考察をいたしました。ご意見、ご感想などお寄せいただけると幸いです。
 
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

参考データ:
人工知能は人間を超えるか  ディープラーニングの先にあるもの
http://www.chukei.co.jp/business/detail.php?id=9784040800202
 
ディープラーニング 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0
 
検索サイト  スパイシーhttp://spysee.jp/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%B1%8A/1010667/profile#navbar_top
 

第130号 巻頭言

巻頭言 :2015年7月10日号

翻訳は情報処理である― その⑩
―人工知能の進展―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg  皆様お元気でお過ごしのことと存じます。世の中、知らない間にすごいことが起きています。
ご存知の方もおありでしょうが、最近のニュースに、人工知能に関する驚きの記事があります。
URLはこちら、
http://mainichi.jp/select/news/20150620k0000e040262000c.html
記事を以下に引用します。

人工知能:記事書き、資料整理も 米、雇用喪失の懸念
毎日新聞 2015年06月20日 11時38分
 米国で
人工知能(AI)が活躍の場を広げている。記者に代わってスポーツや経済関連の記事を書いたり、法律事務所で膨大な訴訟資料の整理を任されたりしている。人の手に取って代わる機械化の波は工場などの生産現場から、より知識や技術が求められる専門職に及び始めた。
【ダーラム(米南部ノースカロライナ州)で清水憲司】
 
 「第1四半期は100万ドルの赤字を計上。同業他社との合併関連費用が重荷になった」。6月2日、米有力メディアAP通信が報じた米医療機器会社の決算記事だ。会社の近況や事前の市場予想を交えた達者な英文だが、筆者は米ベンチャー企業の「オートメーテッド・インサイツ」が開発したAIだ。
 
 ダーラムの本社を訪ねると、約40人の社員がリラックスした雰囲気の中、AIソフト開発に当たっていた。昨年1年間で同社のAIが自動作成した記事やリポートは10億本。「スポーツでも企業決算でも、どんな文体の記事でも書けます。まだニーズはないけど、シェークスピアのような文体も可能でしょう」。広報担当者ジェームズ・コテキさん(29)は自信を見せる。
 
 仕組みはこうだ。膨大な英文データをAIに取り込み、通信社なら新聞記事の、金融機関なら顧客向けのリポートで使われる文章の構成や言葉遣いを覚えさせる。あとは、いつ、どんな内容の文章を書くかを設定すれば、AIがネット上のデータベースから必要な要素を拾って文章化する。AP通信はこれまで人手を割けなかった中小企業の決算が配信可能になったほか、同社の記者はより独自性の高い特集記事などに注力できるようになった。
 
 米南部テキサス州を拠点に同様のサービスを提供する「イージオップ」は日本進出を計画中だ。現在は英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語に対応するが、リンジー・プラウズ部長は「どの言語でも30~50日あればAIに覚えさせられる」と話す。
 ワシントンのシェパード・モレン法律事務所は2年前から、顧客企業が訴訟用に持ち込む膨大な電子データの整理に活用。資料に目を通すのに何カ月もかかることがあったが、「どんな文書を探すか」を指示すれば、関係するものだけを見つけだしてくれる。単純な法律相談ならAIでも対応できるようになり、同事務所のクリストファー・ラブランド弁護士は「将来は弁護士の数が減るかもしれない」と明かす。
 
 将来は膨大な医療データを蓄積して医師の代わりに診断することや、車の運転や列車の運行も可能になるなど活用が広がる見通しだ。一方で、米国では「AIは雇用を失わせる」との懸念も語られ始めている。
 数十年のうちにAIが人間の能力を超えるとの予想もある。英天文学者のホーキング博士は「
人工知能に取って代わられ、それは人類の終わりを意味するかもしれない」と警告する。先端技術の動向に詳しいアナリストのスコット・ストロウン氏は「核兵器に似ているという人もいる。ただ、核兵器は特定の物質を管理することで規制できるが、AIはそうはいかない。AIの制御はSFではなく、リアルな課題になろうとしている」と指摘する。
 
 日本でも日本郵政傘下のかんぽ生命保険やみずほ銀行、三井住友銀行が、米IBMが開発したAI搭載のコンピューター「ワトソン」を導入。保険金の支払い業務やコールセンターでの顧客対応に活用している。
 
 【ことば】
人工知能
 従来の技術では不可能だった高度な情報処理を通じ、人間の頭脳に近い認識や判断ができるコンピューターやソフトウエアを指すAIはArtificial Intelligence(
人工知能)の頭文字。近年はよく似たイヌの種類を見分ける高度な認識能力を持ったAIが登場。試行錯誤して自ら学ぶAIの開発も進む。自動的に文章を作成するAIは、読者の年齢や性別、好みに合わせた言葉遣いや文体が書けるが疑問を持ったり感情のこもった文章を書いたりすることはまだできない引用ここまで(赤文字は筆者)
 
以上のように、日本郵政傘下のかんぽ生命や、大手の銀行は、かの有名なAI搭載の【ワトソン】を導入しており、既に実際に業務に従事しているようですから、今後の大手企業への普及は、早く進むかもしれません。既に、いろんなところで導入されており、気が付かない間に、人工知能と対話していた!ということになってしまいかねませんね。
 
また、軍隊にも変化が出ているとの指摘もあります。アメリカなどは、人間の軍隊ではなく、人工知能を搭載したロボットの軍隊を編成しているとか、いないとか?お聞きになった方もあるでしょう。ロボットは、寝ない、食べない、病気がない、負傷しない、不満を言わないなどとして、人間に比べ能力が高いというのです。命令には疑問を呈すことなく服従するし、人間のような感情の起伏がなく、保障、家族への配慮もいらないということになるわけです。
 
昔読んでいたSFの世界、十年ほど前に見たSF映画のようなことが、もはや現実になっていようとは、驚きですね!これらの研究の進展が実現したのは、まさに、情報処理とITの技術レベルが飛躍的な進展を見せたからだと言えましょう。身近なところで言えば、iPhone などのスマホは人工知能に似た対応をしてくれます。音声で検索してくれたり、音声で応答して、電話をかけてくれたりします。時々、指示してもいない電話を掛けていることもあります。既にいろんなところで、人工知能もどき?が使われていたのですね。
 
この7月1日から4日まで、東京国際ブックフェアが開催されていました。私も参加しましたが、そこに人工知能のロボットがいました。下の写真と同じ機種です。


201507101338_1.png
出典www.youtube.com  物理的にはソフトバンクにいるペッパー君

そこでは、ロボットがお店の方に指示されて、何か言いながら近寄ってきたのです。私はそれに対応せず「握手できるの?」と尋ねてみましたが、無反応でした。良く聞こえなかったのでしょうか?上の写真のように差し出した手を握ったら、指は曲がるのですが、固い感じで違和感がありました。現状では、まだ、人間のようなしなやかな対応は無理のようです。


201507101338_2.png
この写真は自動掃除機です。お掃除ロボットの【ルンバ】も人口知能搭載なのだそうです。これはお使いの方も多いのではないかと思います。これらを考えれば、人間にとっての代理の仕事をやってくれるように開発されているわけですから、当然、人間の仕事がなくなる、つまり、ロボットにとって代わられるようになるのは、自明の理ですね。
以前、機械翻訳システムが登場した時も、まだ使い物にならないと言われながらも特定のジャンルに限るか、翻訳者の支援ツールとしての活用などがなされるなか、PCやその他のIT技術の性能向上が飛躍的な進展を見せることで、今では、多くの方が使用しておられますし、品質は別としてもGoogle翻訳などは結構利用されています。

弁護士や医療従事者、学術研究者その他の知的作業にも、一定のシステムを組み上げ、学習能力を組み込んだ人工知能を導入すれば、かなりの範囲で人間の仕事を奪いそうですね。先端技術の研究者が【2045年問題】とやらで、人工知能が人間の知的作業能力を超える日が近づいている!との警告を発しているそうです。

 また、記事の作成と翻訳サービスの代行ができるというのも面白いですね。これは、ある意味で翻訳従事者がより高い専門性を持つことが求められるということでもあります。翻訳の仕事は、専門家の仕事であるという認識を持つことの必要性を、図らずも人工知能が示してくれています。

 最近、ISO17100において、これまで検討されてきた「翻訳サービスの認証規格のガイドライン」が発行されました。翻訳会社が直ちにISOの認証を取得することになるかどうかは別としても、翻訳におけるISO基準が発行されたことは、画期的なステップが進んだと言えるでしょう。これも、今や一つのグローバルマーケットと化したWEB世界市場に、それこそ世界のほとんどすべての知的情報が埋め込まれていく時代になったことを表しています。

 この数年は、電子ブック市場が大いに進展し、新たな出版マーケットを形成しつつありますし、出版という形態そのものや、読書の習慣、方法までもが大きな変換期に差し掛かっていると言えるのです。図書館もデジタル図書館が多く誕生しつつありますし、インターネットシステムによる便宜性が、様々な分野で活用されていくことは今後ますます増加することでしょう。地球規模で活用できるデジタル図書館を構築することは、あのバベルの塔をほうふつさせますし、夢の宇宙図書館ならぬ地球図書館、バベルの図書館が開設、活用されていくのも時間の問題かと思います。いや、インターネットによってつながったWEBサイトを考えれば、既にバベルの図書館はできているとも言えそうですね。

 こんな時代の翻訳者は、翻訳としての情報処理のレベルを再度検討し、いったい情報処理とは何なのか、これまでの自分の思考は十分対応できるかを冷静に考える必要があるように思います。とは言え、大学院で学ぶ皆さんは、その意味では、ISOの翻訳サービスの認証基準のガイドラインをかなり高いレベルでクリアしていることは事実です。これまでのように実績だけがものをいう世界から、翻訳学位という視点が機能することが目に見えています。益々、情報処理としての翻訳技術、翻訳研究が進むことでしょう。それは、翻訳の専門学位の取得を実現されてきた、これまでの皆さんの志向性が高い評価を受ける時代となったと言えると思います。

 翻訳者の養成事業を開始して、早41年が過ぎました。この41年経ったところで、世界が翻訳者の学位という資格を一つの基準にして行くことになったのですから、41に掛けて「よいことがおきた!!」などといいたい気分でもあります。皆さんの活躍が、世界の翻訳ビジネス、翻訳サービスの向上につながることを心から願ってやみません。


今回は、「翻訳は情報処理である-その⑩ 」 -人工知能の進展-について考えてみました。
ご意見、ご感想などいただければ幸いです。最後までお読みいただき有難うございました。
 
 
 
注)ISO17100は過去の記事及び下記を参照ください。

① JTA【 翻訳サービス規格 ISO17100発行に寄せて]
http://www.jta-net.or.jp/tpm_and_iso17100.html
② 翻訳プロジェクト・マネージャー資格試験(基礎・上級)
http://www.jta-net.or.jp/about_pro_exam_tpm_2.html
③ 日本規格協会、翻訳サービスの「ISO17100」適合認証サービスを開始へ
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1120150525aban.html
④ 翻訳プロジェクト・マネージャー(TPM)のすすめ 第1回~第4回
http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail99/id=2421
http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail99/id=2434
http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail99/id=2447
http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail99/id=2471

 

第129号 巻頭言

巻頭言 :2015年6月25日号

翻訳は情報処理である― その⑨
―既成概念に捉われない―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 
 梅雨空のもと、曇間から時々覗く太陽の光を浴びつつ、日々の散歩にいそしむ季節となりました。つい、雨が降らなければいいのに!などと思いがちになりますが、そのたびに、この時の集中した降雨が空気を浄化し、植物を育て、豊かな土壌を生み出していることに想いが至ります。人間は、ついその時の自分の都合だけで、価値判断をしてしまいがちだと、思い返すことが多くなりました。
 
 自分自身の思考のありさまを黙って見つめる習慣をつけると、いかに、過去の体験の時の損得、善悪、快不快の「感情」にとらわれているかに気づかされます。この感情が行動の価値基準となっていて、この価値判断としてのシステムがオートマチックに立ち上がってくるシステムとなっているかがわかりますね。私たちの脳の思考システムは、まさにコンピュータシステムだと言えるかもしれません。
 
 普通、これらの感情や考えは、自分自身の脳の思考、つまり自分の意識活動であるから、自分自身の責任であると考えがちですが、そのような考えではこのシステムから離れるのは難しいのです。先に述べていますように、オートマチックシステムですから、気付いたり、制御したりするのは困難です。こういう時は、ただ思考の流れに任せてやり過ごすのが賢い方法です。自我と戦ってまず勝ち目はありません。
 
 情報処理を考える時に、なぜこうも感情にこだわるのか?不思議に思われる方もおいでかと思いますが、これが、情報処理を淡々とできない原因だと感じているからです。私たちは感情というものを特別扱いし、これにとらわれているために、多くの悲劇、苦難、苦痛を引き起こしているのです。この感情システムの主体が顕在意識だと定義してお話を続けます。
 
 通常の私たちの意識活動は、顕在意識という領域で行われると言われます。この顕在意識の他に潜在意識、超意識の領域があり、それぞれ区分された働きとなっているように思えます、この3つの領域の連携はそう簡単ではないようです。このうちのどれかが優勢になるとその領域の意識活動となると思われます。ただ、普段は顕在意識が完璧に優勢ですから、私たちは、自分は子の身体であり、顕在意識であり、脳の思考であると考えています。
 
 そこで、この顕在意識の特性に気づき、この顕在意識だけが自分であるという自我意識(=エゴ)に対する観察視点(=もう一つの自分)という意識を持ち始めると、この自我(=エゴ)の特徴がわかり、自我のコントロールから離れることができるようになります。それは、よく例に挙げられる、自分の中の天使と悪魔の声のようなものでもあります。自分の中に考え方の違いがあり、自分の中で論争しているのです。漫画などに表現されたりしますが、これが自我の葛藤です。
 
 しかし、葛藤に気づかず、「このような判断は当然でしょ!自分の利害が一番大事なのだから。誰が他人を助けようなどと考えるものですか!!」などと思いますし、こういう事例でなくとも、「急がないと時間に遅れる!遅れたら皆さんに迷惑をかけるし、面目が立たない!!」とか、「なぜ私ばかりにきつい仕事が回ってくるのかしら!他に暇そうな人はいるじゃないの!!」とか、「また、ヘマをやってしまった!それに比べて、あの人は要領がいいこと!」とか。挙げればきりがないほどあれこれの思いが湧き上がっています。
 
 このような内なる声の働きによって、私たちは行動しているのですね。これらの声に任せてしまうと、かなりエネルギーロスになりますし、同じ体験を繰り返すことになり、脳の思考回路がますます固定化し太くなっていきますから、他のアイデア・考えというものにつながらなくなるのです。年齢を重ねれば重ねるほど、思考回路は固定化していきます。
ちょっと怖くなりませんか!←このフレーズはエゴ的です。
 
 でも確実にこの思考回路の固定化は進んでいきます。人間の脳思考は無駄を省き、既に体験していることであれば、目を閉じていてもできるぐらいの熟練のルートを選ぶように優先順位がついているシステムのようです。従って、これから離れるには、あえて、自分自身が自我のオートマチック選択システムに対抗するか、脳思考が推奨する回路を選ばないという選択、意思決定をすることが必要です。
 
 すると、疑問がわきませんか?「なんでそんな無駄な時間をかけて、普段やりなれていないこと、未体験のことを選択しなければならないのか?」と。これが、
一番大きな自我(=エゴ)の罠なのです。「やり慣れていることしかできないようになっている!」と聞いたらちょっと気味が悪くなりませんか?「まさか?いつでも自分が決めているわけだし、自分は便利だから、そう決めているだけで、いつでも自由に決められるはずだ!」そう思っていませんか?しかし、これがすでに、エゴの術中にはまっているのです。
 
 その意思決定の回路は、価値判断、つまり「便利、楽ができる、やりなれているから失敗がない。。。」などと、自分の顕在意識下における判断がすでに組み込まれているので、この
価値判断を変えない限り、新しい判断、選択肢が選ばれることはないのです。
 
 それらの価値は、どの方法がいいのか、きちんとした条件下で比較検討した評価ではありません。自分が体験したことをそのまま価値判断のシステムに取り入れているだけで、本当にそれがいいのかどうかは、わからないのですが、自分自身はそれが一番自分にあっている、自分はやりやすいとかいう理由で決めているだけなのです。単純に
思考パターンが固定化されているのです。
 
 何度も繰り返しますが、大事なポイントなので、情報処理としての情報の定義、意味をもう一度確認したいと思います。

「情報処理としての情報とは、価値判断を除いて量的な存在としてとらえたそれ」であるということです。そして、損得勘定や、善悪、好悪の感情などの、自己の体験に基づく価値判断から離れて、それ自体の抽象度を高めていくことで単に量的存在としてとらえることが情報処理の工学的本質であるということになるのです。
 
 情報処理の場合の情報とは、人による価値観を通さず、具体的な事物そのものに迫ろうとすることであり、人間側のそれに対する価値観、それがどう見えたか、またはどう役に立つのか、という評価が対象ではないのです。情報をこのように捉えることがここでのポイントです。ここに重要な転換点があります。
 
 私たちは、事象、現象、事件をそのまま体験することができているでしょうか?実は、直接そのものを体験していないのです。お分かりでしょうか?つまり、事物や現象、事件などをそのまま体験するのではなく、今までに蓄積された価値観、評価判断という「感情」=損得勘定、好悪の感情、善悪、高低・・・などといった自分の判断基準、世間的価値基準を通して見ている、体験しているのです。
 
 従って、これまで、知りえたと思っていることは誰にとっても同じ真実でしょうか?私たちは、実在の体験というものはしていない!それをどう評価したか?という評価のガイドラインを見につけるだけであって、体験とは自己の価値基準に他ならない!と言えるのです。
 
 『出来立ての料理を前にして実際に味わうのではなく、脳思考の辞書に書かれた判断を読んで、そう感じていると、言っているのです。その辞書に書かれた判断とは、あたかも次のように書かれています。「それはこういう味わいで、前に体験した●●に似ている、この味わいは好きな味である』つまり、実際に舌で味わい温度を体感し、香りを嗅ぎ目で見ていたとしても、それらを言葉(=処理用の言語ツール)に変換し、似た体験のものに関連付ける、埋まりタグ付けしているわけです。したがって、そのタグ付けは、多少個人で違うことになります。体験はある程度固有になります。しかし、言葉は表現するのに限界がありますから、大まかなレベルのグループ表現に区分され、共感、共有されるわけです。このように、言葉には限界があります。
 
 そこで、体験とは何かを考えてみましょう。私たちの体験(=外界認識)のシステムは、いわゆる五感がベースです。このほかに第六感(=直観)、第七感、第八感・・があるともいわれます。五感とは、見る(眼)、聞く(耳)、嗅ぐ(鼻)、味わう(舌)、触る(皮膚)となりますが、これらのセンサーの作業によって外界の事物、事象を認識、つまり情報処理して、対応行動をとっている、ということになります。
 
 では、五感で認識した体験とその事象そのものを体験することとは違うのでしょうか?という疑問がわきます。私自身のことで考えれば、既知の体験は、言語表現に翻訳され、他者と共有できる伝達形式が中心ですから、事物、事象をそのまま体験しているとは言えません。何か既知のものとは違う感じが湧くときもありますが、それはいわゆる暗黙の感覚としか言えないのです。
 
 例えば、光が見えたり、音が聞こえたり、いきなりその感情そのものが共感できたり、解った!というような知のひらめきの実感が飛び込んでくることもあります。それらは、脳思考の体験というよりは、暗黙知、直接的な体験と言えます。顕在意識以外の領域の処理ではないかと思えます。皆さんもこのような体験がおありでしょう。
 
 これらは、通常の因果関係で立証したり、論理立てて説明したりすることは不可能です。なぜなら自分自身にも何が起きたのかよくわからないことが多いからです。これらの体験は、顕在意識下における脳思考の体験とはかけ離れています。
 
 一例をあげると、ある時、社内で新入社員の面接を行っていました。面接者を見ているわけですが、そのうち何かボーットした感じになりました。その時急に、面接者の顔、頭の周りにきれいな光、色が見えたのです。黄色の光に淡いブルー、眼の周りは紫色の光が漂っています。そこで、ハッと気が付いて何が起きたのか?と目をこすりましたが、その時色は消えます。しかし、また、ボーットすると色が浮かび上がるのです。目が変になったのではないかと、心配になりました。これはただそう見えた?感じた?だけで、過去に体験はないので何とも判断のしようがなかったのですが、眼がおかしくなったのではないかと思ったのが事実です。
 
 その後この現象は何だろうかと人に聞いたり、本を読んだりしましたが、なかなかぴったりくる体験の話は聞けませんでした。おそらく、オーラと言われるものが見えたのかと思っています。または、残像です。太陽を見るとまぶしいのですが、光の残像が残ります。しかし、それが、いつまでも消えないし、まぶしくはありません。今では鏡を見て、自分のカラーの状態を時々点検します。感情や思考によってその光のカラーは変わるのかを実験したりしてみました。
 
 本を読むとカラーによって意味合いが書いてあるものもありますが、よくわかりません。その時の雰囲気というか、なんとも言い難い感覚、感情を感じることがありますが、普通はとても気持ちのいい感覚ばかりです。このような体験は言語表現が難しく、かなり個人的な体験であり、人に説明したり、共感したりはできにくいのです。しかし、気分は概ねいい感じです。顔かたちは遠のき、美しい光に見とれてしまいます。この体験が何なのか、分りません。
 
 本人の体験としては、生の感覚の体験であり、実感があるのです。したがって、ここでのテーマのように情報処理を行う上で、過去の価値観、他人の価値観による判断を通さない体験と、過去の価値観を通した体験や、他者の価値観に基づく体験を区分けして理解していただくために書きました。しかし、自分自身の実感としては、何が起きているのか、見える光の色は何を意味しているのか分かりません。おそらく意味を、つまり価値をつけない方がいいのではないかと思っているのです。
 
 このような体験の対比から、価値勘定から離れた情報処理の方法について考えます。通常の体験では、頭の周りに光が見えるということはあまりないでしょう。そうなると、その現象を既知の論理、理屈、科学知識によって判断しようとします。それは、まず自分自身がそうするのです。顕在意識下で、常識、共有知となっていること以外のことが起きたり、それを体験したりした時、まず誰でも、これは何か異常事態が起きたのではないかと思います。私たちの価値観、判断は通常の共有された価値、知識体系、つまり既成概念によって判断する仕組みとなっていますから、その既成概念と異なることが起きたとき、それに遭遇した時、ほとんどの人が心中ではうろたえることでしょう。
 
 子供の頃の体験は大人ほど既成概念の囚われがありませんから、それこそいろんな体験が報告されていますが、親によって、大人によって、体験を共有しない友人たちによって、その体験は否定され、封じ込められていきます。こうして、ほとんどの人が無難な共有価値による表現体系を共有していき、直接の事象の体験をしないようになっていくのです。これが思考パターン化ということなのです。
 
 情報処理は翻訳である-と捉えることで、情報と、それに対する認識というものがなんとやわらかい、捉えどころのない、よくわからないものだと理解されたのではないでしょうか?このように考えると、日頃の情報処理において、私達はいかに既成概念に捉われているか、ワンパターンの思考になっているかということを感じられると思います。
 
 既成概念に捉われないこと―これは現実を生に実感して体験していくためには、とても大事なポイントなのです。
 
 今回は、その⑨ -既成概念に捉われない-について考えてみました。ご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。
 

第128号 巻頭言

巻頭言 :2015年6月10日号

翻訳は情報処理である― その⑧
―【好悪・損得】カンジョウに捉われない―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg
 早いもので、6月も10日、アジサイの花が美しく咲き誇っています。白いアジサイ、青、ピンク、赤紫色と、いろいろな顔つきを見せてくれます。種類も多様で花が一面に盛り上がり豪華なものもあれば、可憐な花びらのものもあります。アジサイはその土地の成分により色が変化すると言います。これぞ土地柄という、各地の特徴を表す多種多様性の表れに感心します。
 
 アジサイはその土地・土壌の情報を花色やサイズに変換して、われわれに見せてくれているとも言えます。もちろん、ほかの植物、樹木や草花もそうですし、野菜も穀類もそうですね。ただアジサイは同種の花でも色が一様ではなく、変わっていきますので、その土壌の成分に反応している様子が分かりやすいと言えるのですね。
 
 このように、自然の生物の変化を意識して眺めるようになると、生物相への関心が高まり、その変化が何を意味しているのか、そんなこともわかるようになるでしょう。それは、生物だけにとどまらず、生物を育んでいる環境、大地や河川、大気などへと関心が高まり、雷、雨、雪、風、台風、竜巻・・・などの現象への関心にもつながります。
 
 先日は小笠原諸島地域を震源とする、マグニチュード8.5という、かなり大きな地震が発生し、全国的に揺れましたが、なんとこの地震の震源の深さが590kmということで、かなり深いところで発生した地震であったお蔭で、大事に至らないで済んだのだと感じました。地震の発生や火山の噴火など日本の大地となっている地殻、プレートのせめぎあいがバランスされないとき、大きなひずみが起き、そのひずみを解消するために地震や火山の噴火が起きると言われます。
 
富士山の噴火がうわさされている昨今では、このところ起きているこれらの地震や各地の噴火活動が、富士山に溜まったひずみのエネルギーを拡散、解消してくれているように思いたいものです。東京直下型地震もさることながら、富士山の噴火は日本列島に与える影響がかなり甚大でありますから、このぐらいのサイズの地震が頻繁に起きることで、ひずみエネルギーが拡散解消されていくことが望まれますね。
 
歴史的に見れば、地震も火山の噴火も結構頻繁に起きています。日本列島は、火山列島であり、地震列島でもあります。このような地殻の変動が活発なことは、情報処理という視点から見ると、かなりすごい状態だと言えると思います。いわば、情報処理レベルが高い活性にあると言えます。地震が多いことで、建築基準や建技術の高度化が怠ることなく続けられていますし、また、地震等の災害時にも落ち着いた行動、助け合う行動が実践され、2次災害や3次災害を防いでいることがわかります。
 
 あの3.11にも、その精神性、心構え、対応の有り様がいかんなく発揮されたと言えます。人間の能力を最大限に引き出すのに「火事場の馬鹿力」の例がありますが、ある意味で、頻繁に火事場を体験させられ、その際の馬鹿力が発揮されやすいように日ごろの訓練をさせていただいているのだともいえるのではないでしょうか?
 
 起きた出来事をどうとらえるかが、まさに情報処理の大事なポイントです。私たち人間にとって事態をどう判断し捉えるかということが、現実、現象の認識作用であると言えます。好き嫌いの感情や損か得かという勘定の側面からだけで捉えるのではなく、この二つの「好悪と損得の価値」の違いを超越した統合的な視点で見ると、情報処理の適切な方法に近づいていけます。
 
 しかし、なかなか、これが「一筋縄ではいかない!」というのが前号の内容でしたが、まさに大地が揺れ、大気が火山灰で汚染されたら、「一筋縄ではいかない!」などといってはいられないかもしれません。地震はともかく、火山の噴火は列島全体で頻繁に体験しているわけではないからです。鹿児島の桜島は結構頻繁ですから、周辺地域の皆さんはそれらの情報処理に卓越しておいでだと思いますが、、、。
 
 このような自然界の脅威=驚異は、人知にのみ頼るわけにはいかないところが多々あります。それで、冒頭のアジサイさんの知恵に目を向けてみたのですが、人間を除いた、植物だけではなく動物も含めた生物全体は、それらの地殻の変化や、海洋、大気の諸現象を察知していると言われています。おそらく微生物はもっと深く知っているのかもしれません。3.11でも、野生の動物たちは被害が少なかったそうです。しかし、人間に飼われていた猫や犬の中には逃げ切れないケースもあったようです。自然のままの感性を持っていれば、助かったかもしれません。
 
 それは、人間も同じでしょう。人間は、好悪、損得という自我を中心の社会共通の価値基準【感情=勘定】という価値観に対する執着、囚われからなかなか離れられないので、その分バイアスがかかってしまうことが、自然から離れてしまった大きな原因だと思われます。
 
 しかし、それを情報処理という観点から考え直すことで、これらのバイアスを取り除き、的確な判断、対応をしていける可能性があります。
ところで、その時、翻訳の作業としての対応に問題はないでしょうか?
 
何度も繰り返していますが、大事なポイントなのでお付き合い願います。ここで、情報処理としての情報の定義、意味をもう一度確認したいと思います。

「情報処理としての情報とは、価値判断を除いて量的な存在としてとらえたそれ」であるということです。そして、この価値判断を除き、抽象度を高めていくことで単に量的存在としてとらえることが情報処理の工学的本質であるということになるのです。
 
くどいようですが、情報処理の場合の情報とは、具象の事物そのものに迫ろうとすることであり、それに対する価値観、それがどう見えたか、またはどう役に立つのか、が対象ではないのです。ここに重要な転換点があります。これまで、知りえたと言っていることは真実でしょうか?万人が一様に理解し何時でも同じように再現しうるものでしょうか?もっと言えば、私たちは、どうやってその事象の普遍的真実をとらえられるのでしょうか?ということです。実際、私たちは事象をありのままに捉えてはいません。
 
私たちの捉える情報には、【好悪・損得】という感情・勘定の価値が介在しており、ありのままに理解、解釈、捉えることはある意味不可能な状態です。それなのに、自分は正しく理解し、解釈し、把握している!と思いこんでいる、、、のです。
ここに、私たちが言葉を何気なく使っているけれども、真にその事態を理解していないことを知るきっかけが隠されている、となりませんでしょうか?
 
具象の事物に対する価値判断を除くと、思考はかなり抽象化されていきます。つまり、この思考の抽象化のプロセスというのは、【価値判断を除く】というプロセスにかなり近くなります。さらに特徴的な共通項を拾い、大まかな分類へとまとめ上げていくということになるでしょうか。具体化された詳細な内容というのは個々人の判断、評価、固有のものだとみると、抽象化がやりやすくなります。ただし、抽象化したものだけでは、個人的な関心を呼ばないので、個人的な関心を高めるためにはそれをまた、具体的な表現、価値観に翻訳しなおすことが必要になります。
 
このように、具象化の階段と抽象化の会談を自在に上り下りすること、これは翻訳作業にとって、大切な作業です。
 その翻訳の作業において最初にして最終結果にも影響を与える大事な作業は、【読み・解釈】です。この時に、「個人の体験の範囲内でしかその書かれた内容を理解することはない!」と言われたらいかがでしょうか?ちょっとショックではありませんか?「そんなこと言われたら、翻訳なんかできっこないでしょう!」とさえ言いたくなりますね。
 
 これは、翻訳だけでなく、私たちの知識・学術活動、コミュニケーションなどすべてに当てはまるのです。これが機械翻訳システムの基本概念だと言えると思います。もちろん具体化されたプログラムがそうであるかどうかは別です。個々人がピタッとくる翻訳語の選択、翻訳文は機械翻訳ではまだまだ難しい段階です。それは、ここまで述べてきた、情報処理のプロセスとまだ述べていない、意味と価値判断の世界への情報処理化、つまり具体化のプロセスの両者がまだ適切な連携処理ができないためです。
 
このように考えると機械翻訳が難しいのは、人間の情報処理システムには、どうも一筋縄ではいかない何かがあるからなのだとわかるのです。機械翻訳システムとは、その一筋縄でいかない原因を乗り越えて、いつでも、だれでも、どんな情報でも、安定して同様の処理をして行くことができないものか?おそらくこんな問いかけによって、情報の意味づけが変遷し、それを処理しやすい媒体に変換することで、その処理をいつでも、どこでも、誰でも一定の処理ができるようにすることができるのではないかというアイデアが実現してきたのだと思います。
 
ここで言えることは、人は同じ情報を聞いてもそれを理解するとき自分の価値で聞き分けている、と言えるのです。そのため、次の人に伝える時、自分の価値判断により解釈が生じ、翻訳、変容してしまうのです。今のところこれが、機械翻訳では難しいのです。このように、私たちは、価値つまり勘定という損得や好悪という感情によって判断解釈していることが、翻訳の多様な表現を可能にしている、とも言えることになります。
私たち人類にとって、なぜ翻訳が必要になったのか?その原因、つまり世界に言葉が多数あり、言葉が互いに通じ合えない理由は、旧約聖書のバベルの塔の神話に物語られています。人々はノアの洪水の後、ある肥沃な土地を見つけそこにとどまろうとします。当時人々は一つの言葉を話していました。そこで、天変地異などで2度と散りぢりにならないように、また世界各地に流された仲間たちが見つけられるように高い塔を立て、そこに集まってみんなで住もうと考えるのです。言葉は一つですからコミュニケーションはスムーズです。仕事はどんどんはかどり、塔の建設は進んでいきます。
しかし、それを見ていた神は人々がひとところに集まって住むのでは良くないと思われたか、または、このままでは天空、神々のいるところへ来てしまうと思われたか、わかりませんが、それを完成させないことに決めるのです。そこで、このように高い塔を建設できるなどの能力の源は、皆が同じ一つの言葉を話しているためであると考えて、互いの言葉が通じ合わないようにしたので、人々は混乱に陥り、塔の建設を放棄し世界各地に分かれ住んだので、世界各地に多様な言語ができたのだというのです。
人間の言葉は通じ合わないようにされました、そこから互いの意思の疎通のためには相手の言語を学び、それを翻訳して理解する必要が生まれたのです。これが世界に数千の言語種があるといわれる多言語起源神話であり、翻訳が必要となった原因だとなるのです。神の意志は人間が神々の住まいに入ってくるのを嫌がったのか、はたまた、人間の多様性を花開かせようという創造的配慮なのかは、バベルの塔の崩壊(=多言語の発生)から数千年?が経過した歴史からは、まだわかりません。
しかし、世界は確実に翻訳によって結ばれた世界となっており、それは、同一言語内であっても言葉は通じにくく、翻訳しなければよく理解しあえない状態となっています。その原因は、言葉の違い、つまり私たちは自己の体験や常識、伝承などに基づく好悪の感情、損得の勘定という価値観、つまり自我という顕在意識で思考し判断するシステムにとらわれているからである、と言えることになります。
バベルの塔の神話は、多様な言語の発生の起源ではなく、その真意は、人間に自我が発生したことの起源の神話であると言うのが私の考えです。この巻頭言にて「
2013年、バベルの塔の意味を問い直す試み」として連載いたしました。お時間がる方はお読みいただけると幸いです。
今回は、その⑧ -【好悪・損得】カンジョウに捉われない-について考えてみました。ご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。

第127号 巻頭言

巻頭言 :2015年5月25日号

翻訳は情報処理である― その⑦
― 情報の意味の変遷が意味するもの ―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg
 皆様こんにちは、風薫る5月と言いますが、そのさわやかさは毎日というわけにはいきません。ところが、東京では、去る21日のまだ明けやらぬ空に突然の稲妻が走り、ものすごい轟音がとどろきました。そして、どっと雨が降り、雨が上がった後に広がったとてもさわやか青空、久しぶりに、風薫る5月の空の一日を堪能いたしました。
 
そして、翌22日には日輪がきれいに輝いたのが見られたということでWEBに写真が公開されていました。私が空を見上げた時は、4時過ぎで、雲間に虹が2か所にかかっており、とても大きな二重の虹の輪ではないかと思った次第です。空のイベントは楽しいですね。
 
次は数字のイベントです!今回は、2015年5月25日号ということで、5が3個も並んでいます。加えて、この2015年5月25日号で、本誌の前身である「翻訳世界創刊第1号」から数えて、通巻555号と重なっておりました!ちょうど情報処理を考えるテーマの時に現れた、空のイベントと号数・月日のイベントが重なり、なんとまあ面白いのでしょう!意味深なイベントです!!

これは、
GO、GO、GOという、【GOサイン】だと強引に読み替えて、意気軒昂にこれからも続けて参ります。どうぞ末永くご愛読下さいませ!
 
前号の考察に続き、同じテーマですが、別の視野からも見ていきましょう。前号では、次のように述べています。
情報処理としての情報とは、価値判断を除いて量的な存在としてとらえたそれ、であるということになりました。そして、この価値判断を除き、抽象度を高めていくことで単に量的存在としてとらえることが情報処理の工学的本質であるということになりました。具象に対する価値判断を除くと、思考はかなり抽象化されていきます。つまり、この抽象化のプロセスというのは、【価値判断を除く】というプロセスと同じなのです。私たちの体験は、自己の価値判断を形成していきます。価値判断が洋服を着ている!とさえ、言ってもいいくらいです。その洋服も価値判断の結果なのですね!そのくらい価値判断にどっぷりとはまっている、浸かっているというわけです。ここまで。
 
 さて、暗闇にバリバリとジグザグに走る稲光、雷はすごいパワーだと感じます。この空間にある電気を集めて、フリーエネルギー的な装置を発明していたといわれるニコラ・テスラ(
1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、空中放電実験を行い、電気の無線送電システム(世界システム)を提唱したということが知られていますが、残念ながらその素晴らしいアイデアは、実現していません。
 
 雷の放電現象を見ると、原発に頼る日本の発電システムがどうにかならないものかと、つい思ってしまいます。空中から電気を集めて充電し、各家庭で使える装置ができて、電信柱も送電塔も送電線もいらなくなるのであれば、素晴らしいですね。そこでは、発電ではなく、終電ならぬ、集電というわけです。空中から集める?!だけでいいのなら、まさにフリーエネルギーですね。
 
電気が空間に満ちているという情報は、ご存知でしたか?現代において、このような情報はどのように捉えられているのでしょうか?エネルギーの危機が叫ばれ、原発の危険性が叫ばれたり、逆に安全性が叫ばれたりということで、現代社会におけるエネルギーに関する情報処理システムは単純な構造になってはいないようです。それでは、昔、さらにさかのぼって古代なら、情報は単純に処理されてきたかと考えてみると、どうもそうはいかないようです。
 
それは、自分の身近な生活の中の体験でも、情報とその処理結果は、一筋縄ではいかないと感じます。例えば、「玉ねぎは体にいい食べ物だ」と分かっていても、その独特のにおいや、辛み、調理するのに涙が出るなどのいくつかの処理しにくさがあることで、好き嫌いがでてきます。事例が唐突ですか?
 
人間の情報処理システムには、どうも一筋縄ではいかない何かがあるのです。その一筋縄でいかない原因を乗り越えて、いつでも、だれでも、どんな情報でも、安定して同様の処理をして行くことができないものか?おそらくこんな問いかけによって、情報の意味づけが変遷し、それを処理しやすい何かに変換することで、その処理をいつでも、どこでも、誰でも一定の処理ができるようにすることができる!という発見、アイデアが実現してきたのではないかと、考察します。
 
なぜ、そう考えるのか?それは、バベルも同じことをやってきたからです。いつでも、だれがやっても安定した品質の翻訳ができないものか?どうすればそれができるのだろうか?こう考えて努力した結果が【翻訳文法】として結実しています。しかし、それでもやらない、学ばない、マスターしない人は大勢います。話がそれました。
 
つまり、その一筋縄でいかない原因を乗り越えて、いつでも、だれでも、どんな情報でも、安定して同様の処理をして行くことができないものか?と、考えて、情報というものの意味づけを変え、好き嫌いなどの感情を交えず、いつでも誰でも、どこでも同じ状態に安定させていくということを目指したということが分ります。そのために、情報から、好悪の感情という価値をそぎ落としていきます。それをさらに損得という勘定の価値もそぎ落としていきます。それで、量的つまり数値的な表現に変換していくことで、計算がしやすくなり、普遍性という視野までも囲い込もうとしてきたのだと思います。
 
ところで、暗闇にピカピカ、バリバリ光って消える稲光、雷が電気であると気づくまでの山野の火災事件、動物や人の傷害・死亡体験、さらに科学的実験などが繰り返されて、それが知識となり、情報の集積となり、延いては情報の構造ともいえるものができるのでしょう。その結果、まさにニコラ・テスラが発見・発明できる情報集積レベルまでに高まることになるのでしょう。しかし、それらの情報の集積は、誰でもが同じレベルでそれらを理解・認知・感得するのではなく、一人一人の必要度、おかれた環境、脳の情報処理能力・・・などにより、発見・発明に差がでてくることになりますし、求める側のニーズ、理解も異なってくるのです。これが曲者ですね。
 
翻訳にしても、この状態は明らかです。先にあげた、【翻訳文法】の例だけでなく、同じ文章を翻訳したとしても、10人いれば、10通りの翻訳文章ができます。それぞれどこか違います。皆さんも体験されたことがあると思いますが、「伝言ゲーム」というのをご存知でしょうか?
 
このゲームは、初めに伝達すべき文章があるのですが、それを次の人に、他の人には聞こえないように伝達していくというものです。いくつかの列がそれぞれ同じ人数のグループを構成して同時に伝達を行い、最後の人がどういう内容であるかを発表するわけですが、同じ内容を伝えたはずなのに、それぞれの列によって、話が異なってしまうのです。
 
つまりここで言えることは、人は同じ情報を聞いてもそれを理解するとき自分の価値で聞き分けている、と言えるのです。そのため、次の人に伝える時、自分の価値判断により解釈が生じ、翻訳、変容してしまうのです。このように、私たちは、価値つまり勘定という損得や好悪という感情によって判断解釈していることが、翻訳の多様な表現を可能にしている、とも言えることになります。
 
そして、その価値観(好悪の感情、損得の勘定)というものにより、多様性と個性が表現されると思いこんでいます。もし、その損得価値や、好悪の感情価値が誰しも同じならば、かなり似たような翻訳、つまり解釈になっていく可能性があるということです。ところが、翻訳は、必ずしも解釈だけで構成されていませんね!
 
解釈した内容、理解を、今度は伝える相手に向けて、相手がどんな価値を持ち、何を理解できるかという観点から、自分の言葉で表現していくプロセスがあるからです。この意味において、翻訳と先ほどの「伝言ゲーム」との違いがでてきます。
 
この意味において、翻訳とは創造的な行為となるのです。伝言ゲームでは創造はできません。ルールではしてはいけないのです。ところが、人は自ずと自己の解釈を優先し、翻訳してしまうようです。しかし、逆に翻訳は、自己の解釈をそのまま表現せずに、相手がより良い理解を得るために最大の努力を払うと共に、最初の文の意味の等価の価値を表現するという、かなり複雑・高度な等価交換システム活動が要求される作業であるということになります。
難しいですね!!

翻訳者は、言葉は時代とともに価値・意味が変化しているということを常に意識することが必要です。作家、ジャーナリストなども同じでしょう。それは新しい知見・事件・体験・現象などがでてくることによって、新しい用法が現れ、それがまた一般化していくというプロセスが幾重にも生じていることを示しています。辞書にでてくる意味は、一つの端的な事例・用例でしかないのですね。

逆説的ですが、そのような意味で、翻訳者は、一つの言語内でも時代や環境などによって言葉の内容・意味・用法が変わっているということを、喜ぶべきではないでしょうか?そこにこそ、翻訳者一人一人の個性的表現の創造の源があるのではないかと思うのです。

情報という言葉が、まず近代では、主に【知らせ】の意味で使われ、その後、【価値】が伴った【知らせ】となり、20世紀後半、つまりコンピュータシステムの研究開発による情報理論に付随する形で、より広い意味で使われるようになり、工学的な意味の用法として、情報とはシンボルを並べた列であるということを追加し、複雑性、多様性をいやがうえにも増してきたかのようです。
 
今号では、価値判断という意味の変換、つまり、表現者の価値観から、伝達先の聞き手の価値観を掴むことが創造的表現という価値感を生み出す。という逆説的考察へと至りました。しかし、情報の量的把握という側面、また、具象から抽象へという観点にはまだまだ考察の糸口がありそうです。ニコラ・テスラがなぜ、その事業的成功をおさめられなかったのかにも、解きほぐす糸口(=意図口)が空いているように思います。
 
今回は、翻訳は情報処理である、その⑦ ― 情報の意味の変遷が意味するものについて お届けしました。
ご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。


第126号 巻頭言

巻頭言 :2015年5月10日号
 
翻訳とは情報処理である-その⑥
― 情報とは? ―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg  皆様こんにちは、この連休はいかがお過ごしだったでしょうか?
4月25日にネパールで起きたマグニチュード7.9の大地震は、大きな被害をもたらしています。
ここに、このたび被災されたネパール及び周辺地域の皆様にお見舞いを申し上げるとともに、犠牲となられた皆様方のご冥福をお祈りいたします。
 
 ネパールには、日本の自衛隊を含めて世界各地から救援の部隊が駆け付けて救護活動に従事されていますが、がれきの下に閉じ込められて五日後に無事救出された奇跡を体験された方もおられる反面、6300人を超える方々が亡くなっておられます。被災者数は620万人をも超えるといわれています。
この数字はまだ日がたつにつれて拡大するものと思われます。今は、救援活動が中心で、報告や統計などはままならないのが実情でしょう。
 
 このような大きな震災がありますと、やはり2011年の3.11の東北大震災を思い出します。あの時は2万人もの方々がお亡くなりになり、かなり広範な地域に及ぶ大震災でした。東京も地下鉄などの交通機関はストップし、ビルのガラスが落下したり、古い施設が倒壊したりということもあり、さらには、多くの方々が数時間を掛けて徒歩で帰宅された様子が報道されたりしていました。
当社も帰宅できない社員は会社に泊まりました。その当時のビルの救急支援体制が行き届いており、毛布や飲み水、暖房の手配など大変感謝したことを覚えております。
 
 そして、繰り返し放映された津波のすごさ、大自然の驚異になすすべもなく立ち尽くす、という体験を日本中の方がTVやユーチューブなどによって共有したのでした。あの時の津波の映像は、今も深い印象を持って思い出します。
すべての人工物、自然の地形や樹木、岩石などもあの押し寄せて、その後に引いていく波の力はものすごいものでした。
 
 その時、さわやかさというか、全てを流し去ることが可能なのだ!というような特異な感情が湧いたことを覚えています。そして、その後、何かが変わったと感じたのは私だけではなかったと思います。
世界中が驚きとともに見つめる中で、東北の被災地の方々のマナーの良さ、暴動などが起きるどころか困っている外国人をいたわり、なけなしのガソリンを惜しみなく分けた方、動物たち、とくに飼い犬や猫は大きなショックを受けたようでしたが、これらの動物たちを救助された方たちなど、皆さんの礼節をわきまえた愛と勇気にあふれたやさしい行動に、世界中から賛辞と励ましの声、多くの義捐金が寄せられました。
それらは、今も、自信を無くした戦後の日本人を励ましてくれています。
 
 ネパールのように、海外では日本ほど地震は多くないことがあげられます。日本のように列島全体では毎日地震が起きている、地震が来るのはあたりまえだからそれに備えているというところは少ないようですから、建築基準も巨大地震を想定していなかったことでしょう。
とは言え、マグニチュード7.9などという巨大地震が東京を直撃するなどということが起きたら、それこそ、大変な惨事になるかと思われますから、いつ何が起きていいようにしておくというのは必要なことです。
 
 まさに、このような時こそ、情報処理という視点の必要性、大事さが分るのではないでしょうか?そこで、今回から、情報処理を二つの言葉、
情報と、処理 に分けて考察してみようと思います。まず情報について考察します。前号でも引用しましたが、再度ウイキペディアから定義を引用しましょう。
情報(じょうほう、英語: information、ラテン語: informatioインフォルマーティオー)とは、
  1. あるものごとの内容や事情についての知らせのこと。
  2. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもののこと。
  3. 生体が働くために用いられている指令や信号のこと。
  4. (情報科学での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ
以上のように記述されていますが、最後の4.(情報科学での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ、とありますが、これが今回の情報に関する主要な側面です。
つまりここでは、価値判断を除くことが重要な作業であるということになります。
 
 私たちは、価値判断をしないで何かをする、考えるという習慣がありません。意識が目覚めた朝から、晩の意識が眠る直前まで、価値判断というプログラムに従って、全てを処理しています。
ここでは、まだ、処理についての言及はしません。ここに書かれている、【価値判断を除く】という言葉が大変厄介なのです。この価値判断とは、ある種、「脳思考」そのものと言えるわけですから、「価値判断を除く」という言葉の意味が示す内容は、なんとすごいことを言っているのだろう!となるのです。
 
 ところがそのあとに、救済の手が差し伸べられています。それは、「量的な存在としてとらえたそれ」となっています。
つまり価値判断としてとらえずに、単に量として捉えましょう、ということですね。ここまで来たら、何とかやれそうだな!となってきませんか?
 
 しかし、量に対してもいろんな価値がこびりついています。量に対しても価値判断をしないのか、するのか?ここが問題のキーポイントです。
二つのケースが考えられますね。量の多寡によって判断する。量の多寡に関与しない。この二つの側面は真っ向から拮抗しているように思いますが、どうなるのでしょうか?この点について考察していきましょう。

 そこで、3つの定義を見てみると、

定義の1.ある物事の内容や事情についての知らせのこと
定義の2.文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり適切な判断を助けたりするもののこと。
定義の3.生体が働くために用いられている指令や信号のこと。

となっていますから、これらは量的概念ではないことがわかります。
つまり、量では表さないものを、あえて量に変換して処理していこうとする考え方ということになりますね。

 次に、概説となっている個所から説明を引用してみます。

情報とは何かという問いに、ただひとつの答えを与えることは困難である
対応する英語の "information" は、informの名詞形であり、(心において)form(形)を与える、といった意味があり、語源としてはラテン語のinformationem(=・精神に形を与える)、さらに語源を遡れば、ギリシャ語のeidosという語にも遡り、プラトンによるideaイデア論における用法にも遡ることができる。
情報という用語は、informationは歴史的に見ると哲学的な意味を継承している。が、
近代では、1の意味の、事象、事物、過程、事実などの対象について知りえたこと、つまり「知らせ」の意味で広く使われてきた。20世紀、1940年代までの日常言語では、情報が諜報と近い意味と見なされ、なんらかの価値あることを知ったとき「情報を得た」といったように用いていた。《価値》と結びつけられたものを《情報》としていたわけである。

20世紀後半における情報理論の発展に伴った意味・概念が加わる形で、より広い意味で使われるようになってきた。
1の意味での情報は「情報を交換する」「情報を流す」「情報が漏れる」「極秘情報」などのように用いられている。
2の意味の情報は、「情報時代」「情報社会」のように用いられている。
3の意味での情報は、生体の神経系のそれや、内分泌系のホルモン情報などの生体シグナルの他にも、遺伝子に保持されているそれ、あるいは生命が生きる過程で遺伝子や細胞内に新たに書き加えられたり書きかえられたりするそれである。他にも環境中の光や音、生命に影響を与えうるあらゆるものを「情報」とみなすことができる。
 
上述のごとく、情報ないしinformationという用語は様々な意味を持っているが、
最も工学的な意味での用法としては、シンボルを並べた列である。工学的な意味での情報というのは比較的新しい用法で、ちょうど原動機の開発などによって(現代流の)《エネルギー》という概念が生み出され、さかんに用いられるようになったのと同じように、通信技術、コンピュータ、自動制御装置等々が開発されたことによって、この意味での《情報》という概念が新たに形成されたのである。情報という概念は、生命、心、知識、意味、パターン、知覚、知識表現、教育、通信、コミュニケーション、制御、等々の概念と密接に関連しているのである。 
(引用ここまで文字の色、下線は筆者)

まず、重要な点は、時代とともに情報の意味が変化しているということです。それは新しい知見がでてくることによって、新しい用法が現れ、それがまた一般化していくというプロセスがあることを示しています。
翻訳者は、このような言葉の内容の変遷、または時代的な変遷ということにも敏感になるべきでしょう。

 まず近代では、主に【知らせ】の意味で使われ、その後、【価値】が伴った【知らせ】となり、20世紀後半、つまりコンピュータシステムの研究開発による情報理論に付随する形で、より広い意味で使われるようになり、工学的な意味の用法として、情報とはシンボルを並べた列であるということになったわけです。
 
 この情報という言葉の変遷のプロセスは、具象から抽象へと変化していく、つまり広い包摂的な意味へと変化してきたことがわかります。
具象から抽象化されていく過程が良くわかりますね。まさに情報処理というある種無機的なニュアンス、価値判断を除く、量的処理、と言える段階になったということでしょうか。
 
 具象に対する価値判断を除くと、思考はかなり抽象化されていきます。つまり、この抽象化のプロセスというのは、【価値判断を除く】というプロセスと同じなのです。
私たちの体験は、自己の価値判断を形成していきます。価値判断が洋服を着ている!とさえ、言ってもいいくらいです。その洋服も価値判断の結果なのですね!そのくらい価値判断にどっぷりとはまっている、浸かっているというわけです。
 
 今回の考察では、情報処理としての情報とは、価値判断を除いて量的な存在としてとらえたそれ、であるということになりました。そして、この価値判断を除き、抽象度を高めていくことで単に量的存在としてとらえることが情報処理の工学的本質であるということになりました。
次回は、なぜ、情報を処理するのに、価値判断を除くということになっていったのかに注目しながら別の視点からも考えてみたいと思います。

 今回は、翻訳は情報処理である、その⑥ ― 情報とは?― をお届けしました。
ご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。
 

第125号 巻頭言

巻頭言 :2015年4月25日号

翻訳とは情報処理である-その⑤
― 今なぜ、情報処理なのか ―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 皆様こんにちは、四月もあと少しです。1日の過ぎるのが速いと感じるどころか、ひと月の過ぎるのがとても速いと感じます。この間の世界各国の政治、経済活動の動きは様々です。しかし、中国が提唱したAIIB、アジアインフラ投資銀行に57か国が参加表明をするなど、新たなパワーバランスの動きが起きています。まさに世界が新しい時代に向けて、既成のシステムの流動化が起きている!と言えるような出来事ですね。
 
 科学の世界もSTAP細胞の騒ぎは静まったようですが、そのうちぶり返しがあるかもしれませんね。毎日書店に並ぶ新しい出版物の動向も変化の幅がかなり大きいと感じます。古代史の探求マニア、歴史研究愛好者には、新しい発見が出てきたり、近、現代史においても機密扱いの期間が過ぎ公開されていく文書が増えたり、今まで秘密情報とされたものが明らかになったりで、なかなか楽しい時代になりました。私は読むのが追い付かないくらい買い込んで、読書に勤しんでおります。
 
 そういう意味では、翻訳書の出版にとっては、面白い時代になったと言えるのかもしれません。それは、世界の出来事を初めに体験した時に見聞きした情報のままでいることができなくなった時代だとも言えます。なぜなら、初めに得られた情報は表面的なデータ、表面情報の把握によって得られており、その後、関係者の見解が追加され、さらに専門家の知識の裏付けや、調査が深化していくことなどにより、初めに得られた見解・情報が180度変わってしまう、ということは頻繁に起きています。
 
 ある意味で、それは当然のことだとも言えるのです。ニュースを報道する現場の作業プロセスを考えれば当然ですね。あらゆる出来事は、当事者がいるわけですが、当事者は単一ではなく、立場が拮抗する関係にあることが多いものです、利害関係者によってその事実データはそれぞれの見方に有利なように価値づけられ、言葉が選択され、情報形成されて伝達されることになります。
 
 それこそ、自分の身の周りの出来事であれば、まだ類推が可能ですが、多様な価値観、利害の衝突する関係者間の発言、データに対する評価は、時によっては真っ向から対立さえしています。現代の情報伝達であると言っても、当事者と情報を受信する一般視聴者の間には、取材する記者、記事を仕上げる記者、時には校閲者、発表者、コメンテーターなどなど、
多くの翻訳処理工程が組み込まれており、報道者の価値に合わせた情報処理がなされて伝達されるということになります。
 
また、今は写真やビデオによって生の情報がみられることが多いのですが、この画像というものも、一筋縄ではいかないのです。必ず情報処理の過程があり、それらを生のままで受け取る、また伝達されるということは不可能です。現代では、インターネットの普及と、スマートフォンの高性能化、カメラの高機能化などによって、世界の各地で起きた生情報、画像といわれるものが当事者に近い方から直接WEBに公開されています。
 
これは、確かに画期的であり、かつてない情報時代を出現させました。地球上におそらく1億人規模のカメラマンが出現したのではないでしょうか?すべての方がWEBに記事をアップするかどうかは別としても、ユーチューブ、フェイスブックやLINE、ツイッター、ブログ、メールなどでものすごい量の相互情報伝達がなされており、そのコミュニケーション量はまさに量子的活動レベルだと言えるのではないかと思います。
 
これらの情報は、その伝達システムが限定され、均一のステムとなっているので、情報伝達の多様な質感や、リアリティはかなり減殺されてしまいますが、それでも、何かコミュニケーションできた!という実感を伴い、人々の生活上の感性の共有に大いに役立っているとも言えましょう。
 
 いわば、このインターネット時代の一つのシステムに統一された世界という創造空間で現代は息づいている、と言えるのです。唐突ですが、例えば江戸時代の情報発生と情報処理、つまり情報伝達のシステムとは私たちの世界システムとずいぶん違います。
彼らの世界には、見えないもの、知らないもの、見たことがないものなどが存在しており、それらのリアルさは、私たちの実感をかなり超えていることでしょう。
 
ここで、ウィキペディアによる情報の定義を見てみましょう。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1 

情報(じょうほう、英語: information、ラテン語: informatioインフォルマーティオー)とは
  1. あるものごとの内容や事情についての知らせ[1]のこと。
  2. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもの[1]のこと。
  3. 生体が働くために用いられている指令や信号[1]のこと。
  4. (情報科学での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ
とあり、次の概説の欄に説明があるので引用します。

概説
情報とは何かという問いに、ただひとつの答えを与えることは困難である[2]。対応する英語の "information" は、informの名詞形であり、(心において)form(形)を与える、といった意味があり、語源としてはラテン語のinformationem(=心・精神に形を与える)、さらに語源を遡れば、ギリシャ語のeidosという語にも遡り、プラトンによるideaイデア論における用法にも遡ることができる。)
情報という用語は、informationは歴史的に見ると哲学的な意味を継承している。
が、近代では、1の意味の、事象、事物、過程、事実などの対象について知りえたこと、つまり「知らせ」の意味で広く使われてきた。20世紀、1940年代までの日常言語では、情報が諜報と近い意味と見なされ、なんらかの価値あることを知ったとき「情報を得た」といったように用いていた[2]。《価値》と結びつけられたものを《情報》としていたわけである。(下線筆者)
20世紀後半における情報理論の発展に伴った意味・概念が加わる形で、より広い意味で使われるようになってきた。
(下線筆者)

1の意味での情報は「情報を交換する[1]」「情報を流す[1]」「情報が漏れる[1]」「極秘情報[1]」などのように用いられている[1]

2の意味の情報は、「情報時代[1]」「情報社会」のように用いられている。

3の意味での情報は、生体の神経系のそれ[1]や、内分泌系のホルモン情報[1]などの生体シグナルの他にも、遺伝子に保持されているそれ、あるいは生命が生きる過程で遺伝子や細胞内に新たに書き加えられたり書きかえられたりするそれ[3]である。他にも環境中の、生命に影響を与えうるあらゆるものを「情報」とみなすことができる。(下線筆者)
 
上述のごとく、情報ないしinformationという用語は様々な意味を持っているが、最も工学的な意味での用法としては、シンボルを並べたである[4]。工学的な意味での情報というのは比較的新しい用法で、ちょうど原動機の開発などによって(現代流の)《エネルギー》という概念が生み出され、さかんに用いられるようになったのと同じように[5]、通信技術、コンピュータ、自動制御装置等々が開発されたことによって、この意味での《情報》という概念が新たに形成されたのである[5]
情報という概念は、生命知識意味、パターン、知覚知識表現教育通信コミュニケーション制御、等々の概念と密接に関連しているのである。

(下線筆者)
 
となっており、情報という言葉は、人間を含む生命活動そのもの、いわば宇宙までも拡張できる概念ともなりうるのです。次に、日本語のケースがあるのでこれも引用します。

日本語の単語の「情報」
日本語の「情報」は1876年に出版された『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』において、仏語 renseignement (案内、情報)の訳語として「敵情を報知する」意味で用いられたのが最初である[6]。情報(英語: intelligence)の語義は、外務省国際情報統括官組織や防衛省情報本部などの情報機関で、現在でも用いられている[7]
informationの訳としては、19世紀にはまだ情報という語をあてることはされていない。たとえば、1879年刊『民情一新』で、福澤諭吉はinformationの社会的影響について論じたが、当時、日本語に対応する訳語が存在せず「インフォルメーション」(59ページ最終行)と仮名書きしている。(下線筆者)
ただしこの間ずっと、intelligenceの意味でしか使われていなかった、とする主張は事実誤認とみてよい。実際により広い意味で「情報」の語が使われている例もあり、たとえば1940年発足の組織の名前「情報局」(いわゆる内閣情報局)がある。また、戦前に現在とほぼ同様の感覚で「情報」の語が使われているのを、たとえば海野十三の作品中などに見ることができる。

情報を "information" の訳語として採用したのは、関英男による1954年のこととされている。直前にあたる時期の例としては、たとえば、クロード・シャノン情報理論も当初はそのように呼ばれておらず、"information" は「インフォーメーション」とされていたことが挙げられている[8](下線筆者)
 
引用は以上ですが、「情報」という言葉をかなり曖昧にしか理解していなかったのではないかと思います。このように、翻訳作業においては、いつも使い慣れている言葉であっても、語源をたどり、用例、用法を調べるなど普段使わない辞書なども引いてみることが大事ですね。やはり情報は、その情報の出し手や、伝達者側にのみ情報処理がなされているのでなく、受け手の側の理解力、理解の意図という情報処理能力が大きく関わっていくことでもある、とお気づきになるのではないでしょうか。
 
 この点でも情報処理のプロセスは、翻訳の作業そのものでもあると言えるのです。これは、私たち人間の認識システムにその原因があります。つまり、認識するということは何かということになりますが、私たちの知覚システムは、見る(視覚)、聞く(聴覚)、嗅ぐ(嗅覚)、触る(触覚)、味わう(味覚)という五感と直観と言われる第六感によって行っているといわれます。
このように、私たちの認識システムが、ものそれ自体を直接知るのでなく、いわば五感という5つのセンサーによって認識することが可能となっている、という仕組みによっているのです。私たちが存在し、活動しているこの三次元の物理空間に時間という次元が加わり、実際は四次元時空となっているわけですが、この時空に対する感覚、視点、視野が現代は大幅に拡大、拡張されています。
 
このような視野と視点の大幅な拡大、拡張は私たちの認識、情報処理能力に大きな影響を与えています。それは、毎日が速く過ぎるように感じることや、変化の情報が次々と連鎖反応的に起こっていったりするような実感を伴っています。
 
 WEB翻訳という翻訳のカテゴリーが登場したように、インターネット空間に提供されるアプリケーションの視野によって、例えばグーグルマップを見ると、3D画像や、写真画像などのバージョンで地球の各地をリアルに感じることができますし、電子ブックであれば、買ってすぐダウンロードされ、五分以内に読むことができます。地球の反対側の友人と話をするのもスムーズです。これらは、全て情報処理された結果であり、例えば、自分の声が電子情報に翻訳(変換)され、それがまた似た音声データに翻訳(変換)されて聞こえているわけなのです。
 
 このような、情報処理としての翻訳が活用されていく現代の情報通信技術社会にあって、これからの翻訳ビジネス、翻訳作業というものはどのように変化していくのか、また、現実の社会システムに適応していけばいいのかを考えていこう、というのが本稿のテーマなのです。
 
インターネット上では、機械翻訳と言っていた翻訳ツールがいくつかの検索サイトでも提供され、簡単に翻訳成果を使える場面も出てきていますが、日本語の翻訳である限り、その品質はかなり不満な状態です。しかし、ヨーロッパ語間とかいうように、言語が近く、文化の共有度が近い言語間の翻訳は、比較的成果が上がっています。
 
世界の文書、画像、音声情報が素早く翻訳されることが望まれるような翻訳分野は、WEB上の翻訳分野となりましょうが、今ではかなりの情報がWEBに公開、掲載されています。その翻訳ニーズはかなりのものなるでしょう。大きな翻訳マーケットが登場したのですね。
その翻訳市場にどのように対応していけばいいのか、これを探っていきましょう。
 
今回は、「翻訳は情報処理である、その⑤ ― 今なぜ情報処理なのか ―」をお届けしました。みなさんのご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。

第124号 巻頭言

巻頭言 :2015年4月10日号

翻訳とは情報処理である-その④
―情報処理の定義と翻訳の定義―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 皆様こんにちは、お花見はいかがでしたでしょうか?東京では、今年の桜は結構長持ちしていると感じます。
3月25日ころから開花し始め、4月7日ころまで花吹雪を楽しめました。桜の季節になると、日本人でよかったということを実感します。このような感慨は、もう古いのかもしれませんが。。。
 桜が咲くころは、お天気も雨やら風やら、さらに暑くなったり寒くなったりと、毎日めまぐるしい変化があります。
 
 桜の季節のこのような変化は、人々が桜の開花を思い、桜に心を投影するので、このようなめまぐるしい変化が起きるのではないか?というのは、私の仮説です。
人は皆それぞれの生活感の中で、それぞれの経験、それぞれの信念に基づいて生きていますから、桜に対する思い入れは千差万別と言えるのです。
これらの見る人の心の状態をお天気は反映して、桜の状態を変えていくのでしょう。これはかなり大胆な仮説ですが、人間の意識が天候にも影響を与えるというのは無きにしも非ず、ですね。
 
 「明日は大事な日なので、晴れてほしい!」と期待するとき、期待通りに晴れるという体験をする時と、期待外れになってしまう時もあります。これはなぜ、そうなってしまうのか。
また、毎回期待通りを体験する人と、なかなか期待通りにいかないという体験をする人もいます。良く言う、運、不運です。
運がいいから期待通りになるのか、運が悪いので期待通りにいかないのか、ここが解明できたら、楽しいと思いませんか?
 
 つまり、原因となる法則を発見すれば、運、不運というようなわけのわからないことに任せないで、必ずそうなる!と言えるのではないかと思います。
こんな感じで普通、自分の意思ではどうにもならないものを、どうすればコントロールできるのか?人類の歴史は、それらを探求してきた歴史だとも言えるのではないでしょうか。
 
 神頼みに依存してきた時代から、その事柄の背後の理由、つまり法則があるのであれば、その法則を発見し、あてずっぽうにならずに、いつも安定したやり方、またはかなり高い確率で期待を実現したいと思い続けたことが、科学の発見や身体のコントロール、意識のコントロールという情報の加工処理技術を発明、発見し、様々な文明の進展を推進してきたのです。
 
 人間の持つこのような探求心は、現在の地球文明を形作っているわけですが、従来の思考の方向性が壁に突き当たっていたり、常識を覆す以外にその可能性は考えられなかったり、ということが今多く起きているのではないかと思います。
歴史を振り返れば、常識に対する反常識、または非常識によって、多くの科学の発見や、社会の変化が起きてきたことがわかります。私たちは、もっと自由に、あらゆる可能性を感じることが大事だと言えます。それにより、新たな方向へ多くの可能性が生まれることでしょう。
 
 テーマは、【翻訳は情報処理である】ということですが、このように、情報処理として考える時、従来自分が抱いてきた翻訳というものに対する考え方、感じ方がどう変わっていくのかを知ることはとても大事なことだと言いたいわけです。
もっとも、より自由な発想で、【翻訳とは…である】と考えていいのですが、私の目的は、情報処理とすることにより、WEBの構造を理解し、それにより、さらに情報処理の構造、システムの
活用、そして処理をする主体に迫ろうとしているのです。
 
さて、今号はその④としてさらに別の面から情報処理について考えます。情報処理をウィキペディアで調べると、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%87%A6%E7%90%86
情報処理(じょうほうしょり、英: information processing)は既存の情報を加工することによって、より付加価値の高い情報を新たに生み出すことである。情報処理学会設立時に、Information Processing を直訳して誕生した用語であるとあります。
 
つまり、情報処理とは情報の加工によってより付加価値の高い情報を新たに生み出すことですから、これはまさに翻訳そのものですね。
【翻訳】から【情報処理】へと言葉が変わっただけで、その意味するところは同じなのですが、私たちは何かほかの作業ではないかと考えてしまいます。そこで、引き続きウィキペディアから引用します。


情報処理に関する定義としては、日本の情報処理の促進に関する法律(昭和45年法律第90号)の第2条第1項において、
「情報処理」とは、電子計算機(計数型のものに限る。)を使用して、情報につき計算、検索その他これらに類する処理を行なうことをいう。』(一部抜粋)
という規定が見られる。
ここで「計数型」と限っている理由は、電子式アナログコンピュータ(オペアンプ)を除くためである。 

中略。
軍事技術の応用分野でもあり、情報戦、電子戦といった現代戦において、中核をなす技術である。

概要
 一般的に情報処理は、「情報を加工する工程」に対して何らかの情報(データ)と呼ばれるようなものも含む)を投入し、
投入された情報を加工処理し、結果として生み出された付加価値の高い情報を活用するという一連の流れを有する。
多くの情報を高速に扱えることから「情報を加工する工程」におけるコンピュータの活用が現代では日常的
に見られる。


似た言葉に、英語のData processing(しばしばDPと略される)、日本語では「データ処理」がある。これは大型コンピュータ等によるデータの処理を指して使われた言葉である。
情報処理をおこなうシステムを情報処理システムという。情報処理の技術を情報技術という。情報処理に関連する学術分野としては、計算機科学・情報科学・情報学・情報工学などがある。


情報処理の例としては、ウィキペディアの編纂も該当し、ボランティアによる情報の集約、インターネット環境によるアクセスの提供、編集という情報の加工処理、次世代への有益な情報を継承していくことでの情報活用への展開などの要素も見られ、広義の情報処理の一例と考えることも可能である。

Information Processing という用語の由来
一般に Information Processing とは何らかの観測可能な形での情報の変化(処理)である。
すなわち、
岩の落下による位置情報の変化からデジタルコンピュータシステムによるテキストファイルの印刷まで、宇宙で起こるあらゆる事象を描写するプロセスである。

テキストファイルの印刷の例で言えば、コンピュータは何らかのデジタル情報を紙の上の文書という形式に変化させる。
クロード・シャノンは、
Information Processing を「潜在的情報から明示的情報への変換」と定義した。
情報が潜在的か明示的かは、あいまい度(
equivocation; 送信側で送った情報の不確実な度合い)、散布度(dissipation; 受信側が受け取った内容を送信側が確認できない不確実性)、伝送情報量(transiformation; あいまい度から散布度を引いた量、すなわち保持された情報量)で定義される。

認知心理学では、Information Processing とは人間の思考を理解するという目標へのアプローチである。1940年代から1950年代に使われるようになった。
このアプローチでは、認識を脳という「ハードウェア」上で「精神」という「ソフトウェア」が動作して処理しているものとみなす。
心理学における
Information Processing 的アプローチは、(完全に同義とは言えないが)心理学における認知主義や哲学における機能主義に密接に関連している。Information Processing は逐次的なモデルも並列的なモデルもあるし、集中的なモデルも分散的なモデルもある。
並列分散処理モデルは1980年代中期にコネクショニズムとして一般化した。なお、そういった脳のモデルが提唱される以前の1950年代初期のことであるが、フリードリヒ・ハイエクが『ニューラルネットの原理を初めて提唱した科学者として「再発見」されている』という主張がある[1]

このようなことから、日本で使われている情報処理という用語を Information Processing に直訳しても理解されないことが多いため、注意が必要である。
英語では
Computing (コンピューティング)が比較的近い。
引用ここまで。
(赤、茶の文字色は筆者が行っています。以下同じ。)

そこで、同じく「翻訳」についてのウィキペディアの定義を参照してみましょう。
 

翻訳(ほんやく)とは、Aの形で記録・表現されているものから、その意味するところに対応するBの形に翻案することである
最も身近なものとして、言語における翻訳があり、あるソース言語(source language)によって表現された文章を、別のターゲット言語(target language)で表現することを指す。

 

概要
ある文章(原語文)を他言語で記述する行為を一般に翻訳と呼ぶ。一方、発話を別言語に置き換える行為は通訳と呼ばれる。元の文を原文といい、翻訳された文を訳文・翻訳文と言う。
また、元の言語のことをソース言語または原言語、訳文・翻訳文の言語をターゲット言語または目的言語と言う

例えば、英文から日本文へ翻訳された場合は、ソース言語が英語であり、ターゲット言語が日本語である。


実際の翻訳では、ソース言語からターゲット言語へその言語間で対応する語彙を用い、対応する文法を用いて翻案することが多い。
場合によっては、元々の意味の
 機械翻訳(機械的に対応する単語を当てはめてゆく方式の翻訳)が行われることもあり、これを直訳と言ったりもする。
これに対し、
文章中の個々の単語の対応にこだわらず、意味だけを移す作業が行われることがある。これが意訳と呼ばれるものである。
文学作品や娯楽作品の意訳などでは訳者なりの解釈が加えられ、アレンジを伴うこともある[1]。同じ原文でも各々の訳者の個性を反映した多様な意訳作品が発表されている。


両言語から対応する語・句を選定する直訳作業において、単語は言語間で一対一の対応があるとは限らないことが問題となる。
例えば、ソース言語では1語で表される概念
が、ターゲット言語では複数の語(複数の概念)にまたがっていたり、逆にソース言語で複数の語であるものが、ターゲット言語では1語となってしまう場合がある。 更には両言語で語の意味する範囲が微妙に異なるため、文脈によっては同じ訳文を使用できない場合なども存在する。

これは、文学作品でのニュアンスや語感の再現や、言語による色の表現などで顕著になる問題である。
例えば、
虹の色の数は、日本では7色とされているが、他の地域や文化によっては7色とは限らない。
また、日本語で「
青」と呼ばれるものに緑色の植物や信号灯が含まれるのも、単純に単語を置き換えることができない顕著な例である。
なお、このような一対一の対応がないという問題は、コンピュータによる自動的な機械翻訳
の実現が単なる単語の差し替えでは不充分であることにもつながっている。

さらに、場合によってはターゲット言語に対応する概念が見当たらないこともあり、この場合は翻訳が難しくなる。

なお、近年ではコンピュータの発達に伴って機械翻訳という言葉はコンピュータが自動的に行う翻訳を指すようになり、そのようなコンピュータによる翻訳と人間の手による翻訳とを区別するために、人間によって翻訳が行われることを、人力翻訳や人手翻訳と言う場合もある。
引用ここまで。
   
 いかがでしょうか?ここまで見てきて、かなり似通った工程であると定義されていますね。
しかし、
翻案としていますので、翻訳より翻案のほうがわかりにくいのではないかと思ったりもしますがここでは触れません。
この定義の
抽象度によって違いが明確になっていくことがわかります。抽象度を下げていくことは、具体化する、条件を狭く特定するということになりますが、定義の抽象度、レベルによって違う概念であることになったり、同じじゃないか、となったりするのです。

 次に、情報処理はコンピューティングであるとなっていますが、これまでの考察では、人間の脳の思考を外側に出したものがコンピュータですから、情報処理を理解するためには、その本体=主体である人間の脳の思考、五感の感じ方、感情のありようなど意識活動としての人間の活動に対比させつつ考えていきましょう。
 
先に引用したウィキペディアの定義と比べて、ご自分の定義、イメージはいかがでしょうか?「翻訳とは●●である。」という風にご自分の考えを書き出してみてください。
例えば、「翻訳とは言語の
等価変換である」とも言えますね。また、「翻訳とは異なった言語・文化の体系同士を等価につなぎ合わせる試みである」とも言えますね。
また、「翻訳とはその言葉がわからない人に、その内容をその人のわかる言葉に
等価になるように変換すること」だと言えます。これが情報処理として考える時のまさに付加価値の部分です。
 
 ここでお気づきだと思いますが「
等価交換」が翻訳のポイントであると言っています。
しかし、ウィキペディアにもある通り、文化様式が異なるとき、必ずしも社会的に等価と言えることが、言語表現としてあるかというと、そうでもないことが多いのです。
ある文化・言語体系では、細かな身体区分があり、その名称も豊富になっているが、別の文化・言語体系では、おおざっぱであることも多いのです。
そのため、単語対単語のレベルの変換は翻訳にならないということになります。ここに翻訳の難しさ、誤訳の発生要因の原点があります。
 
 通常私たちは、自己が所属する文化・言語体系が基準になって思考しています。それは、思考様式でもあり、価値の体系でもあるのです。
つまり、思考体系、行動の様式の体系であり、その文化・言語体系内の共通知識=常識となるわけです。生活の様式でもあります。
 
 従って、一つの言語を別の言語に翻訳するということは、等価でないものを等価であるように探求することと言えます。翻訳者の内部では、価値のせめぎあい、常識のせめぎあいがなされているのです。
このように翻訳の現場では、等価へのあくなき探求心が働いています。これは、異文化の衝突ともいえることであり、ヨーロッパの国々ならかなり近い歴史・文化と価値観を共有してきたわけですが、彼らが南北アメリカ大陸や、中東からインド、中国、日本へと初めてわたってきた人々の驚きはいかばかりだったでしょうか。逆もまたしかりですが。
 
 今は、翻訳という方法、技術が許容され、共有されてきていますが、それこそ初めて見聞きした人々にとっては、それが本当なのか、自分が正しく理解できているのか、また、相手に伝わっているのかを翻訳のみで知ることはできなかったでしょう。
こう考えていくと、なぜ、世界には多くの国が他国を支配して領土を広げるという侵略を繰り返してきたのかの理由の一つを上げることができます。それは、自分と異なる文化・言語体系とは信頼ができない、つまり、相手が真実を言っているのか、自分を欺いているのかがわからないという不安・恐怖が根底にあったからだと推測します。
 
 このような気分には、誰でもなるのではないでしょうか?例えばあなたが一人で言葉が通じない国に行ったとき、自分の目的をどうやって果たせばいいのか、また、身の安全をどうやって実現できるか不安だと考えるのではないでしょうか。
その時、身振り手振りで何とか心が通じ合ったと感じたときの喜び、安心感はとても大きなものでしょう。
 
また、例え言葉が通じ合う、郷里の人々、または家族の間でも、言葉は同じですから、言うことは理解できても、それに賛同できるかどうかは、まったく別のことですね。ここでは、その立場の違いによる、意見の相違という問題が起きています。このように、言葉は通じればいいというだけのものではなく、その内容、価値、その考えを容認できるかどうかも通じ合わないと意味がないということです。
 
 したがって翻訳には、文化・言語体系としての意味の等価性と、話者の意図に対する許諾か否認という価値の表明に関する等価性の保持が必要になるわけです。
もちろん、翻訳者は、異なる意見を合わせる必要はないわけですが、もし、価値の等価性に翻訳の破れがあったとしたら、それが戦争につながっていったことも想定されるのです。
 
 文化・言語体系の等価性のみが翻訳者の責任となることが考えられますが、政治的な駆け引きが必要となる時は、意図における等価性をあえて変えてしまうことも政治の歴史過程にはたくさん見られることです。
それらは現在の個人や企業間の取引、法律の解釈などにも多く見られる課題でもあります。こういう状況下では、契約書を結ぶ段になるとなかなかうまくいかないことが多く挙げられます。
 
 これらは、結婚にも例えられるかもしれません。結婚する前は意図的等価性も文化・言語的等価性もある会話であったのが、いざ共同生活を始めるとこんなはずではなかった、などという生活共有の破たん、つまり意図的等価性の破れが生じて、関係が悪化して行くことになります。
個人であれ、国家であれ、企業であれ、皆固有の文化・言語体系があり、それが話者の意図に対する
否認という、非等価性を感じ始めると分離感、疎外感、障害感を感じてしまうのです。
 
 このような
意図の否認という等価性の破れを、相互理解、独自性の承認というもう一つ別の等価性から判断できるようになると、争いがなくなっていきます。
つまり、自己の文化・言語体系の価値観中心だけで、他者の文化・言語体系の話者の意図を等価判断するとその上位にある等価性を実現できないのです。これが、
常識という価値感から、うまくいかなくなった時には、常識から離れてみる、という叡智でもあるのです。情報処理という客観性の獲得からこんな視点が見えてきたりもします。
 
今回は、「翻訳は情報処理である、その④」をお届けしました。みなさんのご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。

第123号 巻頭言

巻頭言 :2015年3月25日号 新創刊第123号・

翻訳とは情報処理である-その③
―情報処理とはなにか?―


バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg皆様こんにちは、早くも3月25日、東京では暖かい日が続き、ソメイヨシノの桜が開花し始めています。いよいよお花見のシーズン到来です。皆様のお住まいの地域ではいかがでしょうか?

今号は、新創刊の第123号となります。123という順番の数字が並び、なんとなく楽しい気分です。
 
大和言葉風に読めば、「一二三はひふみ」とも読めますし、有名な「一二三(ひふみ)神示」があります。一二三(ひふみ)神示は、日月神示(ひつきしんじ、ひつくしんじ)とも呼ばれ、昭和19年に岡本天明が千葉の麻賀田神社に詣でたとき、自動書記をさせられた神示と言われています。原文が難解で解読が困難であったため、解読には困難を極めたそうです。その解読により、漢字仮名交じり文に読みくだしたものを一二三(ひふみ)神示と言うそうです。詳しくは、ウィキベディアでご覧ください。http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E6%9C%88%E7%A5%9E%E7%A4%BA&redirect=no
 
 
さて、前号は、「翻訳は情報処理である、その②」としてお届けしましたが、今号はその③として情報処理について考えます。前号では、
【翻訳は情報処理である】と定義することによって、翻訳に対して従来抱いていたイメージを変えていくことを目指しています。あなたは、翻訳に対して、自分がどんなイメージを持っているかをご存知ですか?翻訳とはこういうものだ!私は翻訳をこういう風に考えている!その、考え方、翻訳とはこういうものだ!と定義した内容、つまりあなたが抱いているイメージ(=概念体系)が、翻訳の出来栄えや作業の深度、進度、翻訳の方法を決定しているのです、と書きました。
 
そこで、今号では、その内容をもう少し具体的に考えていきましょう。今号は【情報処理】という言葉にどんなイメージをもちますか?という質問で始めます。
 
いわゆる情報処理という言葉が広く使われるようになったのは、1980年代になり、コンピューターが企業活動の事務処理等に導入され、普及してからと言えます。それが今や、いわゆる「ビッグデータ」と呼ばれる、大量の「情報=データ」を迅速に、且つ安定的に、記憶・加工処理し、再現・引用・伝達・送受するためにはどうすればいいのか?という高度な要請にこたえていくという過程で、ITとして結実し、処理言語、及び処理システムとしてのプログラムがさらに研究開発され、画期的な発展が成し遂げられてきた、ということができます。地球上のかなりの地点でインターネットにつなげば、人類の持つ知的資産、情報(=データ)を取り出し、記入し、瞬時に加工、伝送するという、一昔前なら、まさに奇跡的とも思えることが実現できます。
 
このように、私たち人類は、人間の見る、聞く、話す…という五感という情報機能、認識という処理機能、つまり脳の機能として説明され理解してきた我々人間自身の情報処理システムを考える時、この目に見える外在物(=表象)としてのITつまりインフォーメーション・テクノロジーを対象として考察していくことができます。なぜなら、私たちの言語運用能力や認知能力、識別・判断力などの脳思考システムは皆、自己の外側にあるもので、且つ見えるものがその対象とならざるを得ないからですし、逆に、人間の身体機能と脳の処理システムを対象として研究して作り出してきたものが、ITであり、AI(=人工知能)システムであるからだともいえるからです。
 
 私たちには、身体というものがありますが、それを自分自身の眼で、くまなく見ることができるでしょうか?できませんね。目の前にあるものしか見えません。首長族は、もしかして、自分自身を見るために、あのように首を長くしていったのでしょうか?その点、キリンは、長い首をグルリと回したり、伸ばしたりして自分のあちこちの部位を見ることが可能です。その意味では、首長のキリンは、人間より認識能力が優れていると、言えそうですが、そう判断することはできません。つまり、見ることと、判断、認識することとの間には、かなり暗くて深い河が横たわっていそうです。
 
そこで、コンピューターを対象に、私たちの見ることという作業、及びその認識、判断をコンピューターシステムの情報処理と対比して考えてみます。まず、コンピューターの画面は平、つまり平面、つまり2次元ですね。縦、横があれば、奥行きはなくても脳の思考によって理解することができます。しかし、コンピューターはプログラムという情報処理システムによって、これに動きや角度、陰影、濃淡などを加えることにより、立体的なイメージ、動態的なイメージを作り出し、私たちが普段実感している外界の立体的な動きや、奥行きとして感じている実感というものを作り出しているのです。これが、仮想現実(=バーチャルリアリティ)といわれるものです。
 
私たちが「情報処理(=データ)」と認識するとき、何か本物ではない!というようなある種不安感を抱いたのは、この仮想現実(=バーチャルリアリティ)であって、本物ではないから、自分自身=人間の手作業、脳作業こそが現実(=リアリテイ)であるという概念体系があるからです。
 
 ところで、私たちは外在物を目で見ることができますから、その動きや色合い、音、におい、味わい、感触などなどを組み合わせて、若い女性、子供、熟年男性、犬、学校、建物、川、橋、山・・・という風に、一つ一つの概念を名付けて、いわば「概念体系=名詞辞典」という現実のデータベースを作り出している、とも言えるのです。自分以外の目に見えるものは名前を付けて理解することが可能であり、時には忘れてしまっても、外観を示すことで、相互のコミュニケーションは可能です。
 
さて、コンピューターのこの2次元の平面に、自分自身をどのように投影させるか、つまり、自分自身を見る方法があるのかと考えますと、今まで、自分は自分自身の身体をリアルな立体としてみたことはない、ということがわかります。つまり、コンピューターの目であるものはカメラですが、カメラが映すものは、コンピューターの画面ではなく、画面を覗いている私を移すのです。私はコンピューターではなく、コンピューターに情報の処理をさせている立場の存在です。外側から、キーボードをたたき、指示命令を出しています。その指示命令を受けて、コンピューターのプログラムがあらかじめ決められた処理システムに従って、いわゆる計算をして作業が行われ、それが画像として画面上に映し出されたと理解し、それを保存、伝送、その他の処理を行っているわけです。
 
このコンピューターシステムの機能がますます研ぎ澄まされ、人類の脳処理能力がそのまま変わらないとするなら、2001年に見た、「AI」という映画が今や現実の世界になりつつある、ということがいえます。したがって、ここでは、情報処理を単に人工知能の処理、コンピュータープログラムの問題だと考えていくのでは面白くないと思います。
 
ところで、【翻訳は情報処理である】というテーマを掲げた目的は、前号で述べた、翻訳ビジネス上の重要なテーマである、
制約条件に捉われずに、どれだけ顧客が望む最適の品質で納品できるか、早ければ早いほど品質が良くなり!逆に、品質が良いものほど早くできる!時間と品質という、いわば相反する課題を、逆に相乗効果を発揮させるようにすることは可能か?ということに、チャレンジしてみようとしています。
 
ITやAIに負けない進化を遂げることは、現在の人類には到達可能か?とも言い換えられるテーマです。今までは、人間を研究対象としてITや、AIが開発されてきました。今度は逆に、外在物としてのITシステムや、AIを対象として人間にはそれと同等の、またはそれを超越できる情報処理能力や、優れた知能、いわゆる超能力ともいえる情報処理能力は開発できるのではないだろうか?ということなのです。
 
これまで、記憶能力の開発はかなり大事だといわれ、多くの記憶法や、学習法などにかなりの年月が費やされてきました。試験の合格は、記憶力であるとも言われてきたのです。しかし、このような現代、ITやAIが登場している現代において、いつまでも古い記憶法などに頼っていていいのでしょうか?このままでは、確かに、AIに使われてしまうことにもなりかねません。人類は、そんな状態に甘んじていいのでしょうか?
 
ちょっと大げさではないかと笑われそうですが、私は人間自身の能力開発、つまり、これまで顕現されてきていない、潜在能力の開発は時代の急務であると考えています。
AIと競争するかどうかは別としても、インターネットは、脳の連絡網のメタファーであり、同じ電磁気システムであるのですから、人間の脳内ネットワーク、つまり、インナーネットは、十分開発可能であると思うのです。初めはいつも笑いものになることが多いものです。
 
過去の体験による自分が作り上げた法則、脳の思考パターンによって現実世界は運営されています。つまり、世界の現実はそれによって起きてきます。それは、同時に自分自身をどういう風に決めているか、つまりセルフイメージによっても規定されています。そういう意味では、どうも人間はコンピューターシステムのようだわ!と気づかれる方もいるのではないでしょうか?実際、ある意味でそうなのです。なぜなら、人間に似せてコンピューターシステムは作られているからです。
 
私たちがいま使っている、つまり一般に販売されているPCシステムはまだそんなにハイレベルではないようですが、軍事などの政府レベルや、超国家的企業レベルなどでは、高度な人工知能を備えたコンピューターシステムはもうすでに使われているそうです。
さらに言えば、値段が安いからとか、時間が速い方がいいからとかいう理由で、いわゆる機械翻訳(=コンピューター翻訳)の水準でWEB翻訳の多言語化がなされているケースもあり、とりわけ日本語翻訳においては、翻訳の質が問われる局面が出てきています。安く、早くという市場ニーズによって、機械語的翻訳レベルに本来の翻訳の仕事が奪われてもいるのです。
 
それは、コンピューター翻訳が悪いのでも、お金を出さないお客が悪いのでもなく、やはり、進化をストップしてしまっている人間の側に問題があるとも言えるのです。コンピューターより早く最適な翻訳をするには、またはコンピューターにできない最適な翻訳をするには、人間である私たちは、自分の情報処理エンジンである脳を含む身体と、五感というセンサーを超えた情報処理能力を、進化した人類へのワンステップとして、潜在能力の開発をしていくことが必要なのではないでしょうか?
 
今回は、「翻訳は情報処理である、その③」をお届けしました。みなさんのご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。

第122号 巻頭言

巻頭言 :2015年3月10日号

翻訳とは情報処理である-その②

バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg前号は、「翻訳は情報処理である、その①」としてお届けしましたが、今号はその②として、同じテーマで考えていきます。
 
翻訳のプロセスを考えてみますと、まず、作業に入る前に準備が必要ですね。それは、その文書の内容を調べるための適切な辞書や知識データベース、内容の理解可能な知識、経験の水準が必要ですし、もちろん翻訳対象言語に関する知識、言語運用能力がまず前提として、準備されている必要があります。
 
これらは、一定の水準、つまり必要な専門内容に関し、2言語間のスムーズな等価変換が過不足なく、且つ短時間にできるという翻訳作業の能力水準であることが、求められます。
ここでは、プロフェッショナルの仕事としての翻訳を考えていますから、当然顧客からの依頼条件には、納期があり、文のスタイル、表組みその他表現に関する納品の指定要件があります。それは、出版物の翻訳であれ、ビジネス文書の翻訳であれ同じです。
 
そして、それらの事前の準備が整えば翻訳作業へと具体化していくわけですが、現実には、そう理想的にいかない場合のほうが多いかもしれません。しかし、限られた時間の中で、顧客の要求に最適品質の翻訳文書を納品することが求められていることには変わりありません。
 
このように、十分とは言えない事前準備と限られた時間、という制約条件に捉われずに、どれだけ顧客が望む最適の品質で納品できるか、という状態の作業が続けられています。
 
これらの条件に捉われると、かなりなストレスが発生します。緊張した状態では、翻訳作業という脳の処理プロセスがうまく回らない、つまり、勘違いや、物忘れが発生しやすい状態になると言えるでしょう。時間と品質という、いわば相反する課題を、逆に相乗効果を発揮させるようにすることは可能か?これが、翻訳ビジネス上の重要なテーマなのです。
 
いかがでしょうか?早ければ早いほど品質が良くなる!逆に、品質が良いものほど早くできる!こんな世界なら誰だって嬉しくなりますね。時間が速ければいいというばかりではありませんが、現代人は時間に囚われていますし、特に日本人は時間にルーズだと嫌われますから、仕事もこなくなるかもしれません。まさに、「時は金なり」の世界にいるのです。
 
皆さんも、入試などの時はかなり緊張してしまい、普段はスラスラ解ける問題を間違ってしまったという経験がおありではないでしょうか?つまり、脳の思考プロセスには、いつも一定、安定している状態を保つには、意識して保つ必要があるということになります。
 
外からの情報を処理するのがいわゆる五感<眼・鼻・耳・舌・身>の感覚となりますが、
これらは、脳が思考処理するための情報収集のセンサーであるということになります。翻訳作業もこれらの五感を使いながら作業するわけですが、翻訳作業のデータは文字情報、音声情報となっていますので、眼で見るか耳も使うということになり、全機能を使い続けてはいません。目は、そういう意味では、他の四感と比べるとダントツに使用されるセンサーであり、眼からの情報が9割以上だといわれます。かなり目に依存した状態だと言えるでしょう。
 
この目に依存したシステムの世界が、今我々が一般的、かつ現実だと感じでいる世界ですが、当然、鼻つまり匂いがメインの情報処理、情報センサーとする世界、例えば香水、何かを嗅ぎ分ける世界もあるわけですし、聞く、耳のセンサーの世界は音楽家の世界であるとすぐに思いつきますね。盲目の音楽家が誕生している所以です。このように必ずしも五感が全部そろっていなければその世界のプロフェッショナルにはなれないと決め付ける必要は無いようです。
 
ただ、五感のセンサーがうまく機能しないときは、他のセンサーが不足の機能を補っていくようになります。私は、左耳が聞こえなくなったのですが、初めはどこから音が聞こえるのか判断できませんでした。つまり、右と左の両耳があるということは両耳から情報を得て、その位置・方向を特定し、それに反応していたわけですから、それが片耳からしか聞こえないとなると、音の位置、方向が判断できなくなってしまうのです。
 
しかし、1年くらいたつと、右耳の聞こえる範囲が広くなったように思えるのですが、何かが左側の情報不足を補ってくれていると思います。それが、身体の細胞なのか、皮膚なのかよくわかりませんが、ふらふらしなくなりましたし、聞こえる方向もかなりわかるようになりました。外界のセンサーである五感は、身体機能のそのような補完能力によってメインのセンサーを変えても情報処理はできるのです。
 
ところで、話がそれますが、私が飼っている犬は、時々遠くで呼ばれた声と反対方向に走る出すことがあります。その場合、呼んだ家族の姿は見えていません。犬は目が良くないので、遠くの姿は見えないようです。このように、なぜ逆方向に走るのかよくわかりません。犬の耳は、かなりいいはずですね。犬笛は人間の耳には聞こえない周波数帯域ですが、犬には聞こえます。犬は人間よりはるかに幅の広い週数帯域を持っています。その犬が方向感覚を失うのは、ビルの谷間で呼ばれたときは、音が反響するので回り全体から聞こえるからなのでしょうか?
 
さて、次に、センサーからはいった情報は、脳で処理されるわけですが、脳の働きにも癖があります。つまり、記憶との関係なのですが、いつも処理している脳の部位、情報の内容はすぐに処理されるわけです、つまりリンクされやすくなっているのですが、普段使わない情報は想起のスピードが遅いですし、間違ってしまう確率が高くなります。ここで起きる処理が間違うと、いわゆる<誤訳>ということになります。その時にもう一つの処理ミスが発生することもあります。それはセンサーからの情報の読み取りの判断ミスです。
 
早く読んでいくとき、脳は普段使い慣れた文章を繰り返します。そのため、テニオハがおかしかったり、似た漢字が誤用されたりするミスが多く見受けられます。これらは、要するに<変換ミス>なわけです。これはもうお分かりのように、PCやスマートフォンでのメール作成、テキスト作成時の文字入力における学習機能を使った変換方式の時に起こりやすいミスですね。
 
最近は、電子ブックが普及してきたと思いますが、それでお目にかかるのがこのミスが結構多いということです。編集者はこれを見逃しているのかしら?と思うことがたびたびありますが、電子ブックの制作は個人が自分の原稿をそのまま電子化することもあり、そのため編集がなされていないことも多いのではないか、ということでした。やはり、翻訳もそうですが、他の人の目で点検することの意義は十分にありますね。
 
ところで、【翻訳は情報処理である】というテーマを掲げた目的は、先ほど述べた、制約条件に捉われずに、どれだけ顧客が望む最適の品質で納品できるか、早ければ早いほど品質が良くなり!逆に、品質が良いものほど早くできる!時間と品質という、いわば相反する課題を、逆に相乗効果を発揮させるようにすることは可能か?ということに、チャレンジしてみようとしています。これが、翻訳ビジネス上の重要なテーマです。
 
このように【翻訳は情報処理である】と定義することによって、翻訳に対して従来抱いていたイメージを変えていくことを目指しています。あなたは、翻訳に対して、自分がどんなイメージを持っているかをご存知ですか?翻訳とはこういうものだ!私は翻訳をこういう風に考えている!その、考え方、翻訳とはこういうものだ!と定義した内容、つまりあなたが抱いているイメージが、翻訳の出来栄えや作業の深度、進度、翻訳の方法を決定しているのです。
 
もちろん誤訳も、過去の体験による自分が作り上げた法則、脳の思考パターンによって起きてきます。それは、同時に自分自身をどういう風に決めているか、つまりセルフイメージによっても規定されています。ここまで来ると、どうも私はコンピュータシステムのようだわ!と気づかれるかもしれません。ある意味でそうなのです。なぜなら、人間に似せてコンピュータシステムは作られているからです。
 
おや、どこかで聞いたことのあるセリフだな!と気づかれましたか?そうです。旧約聖書にありますね。神々は自分に似せて人を作ったと・・・・。私たちが使っているPCシステムはまだそんなにハイレベルではないようですが、高度な人工知能を備えたコンピュータシステムはもうすでに使われているそうです。世界最高知能のコンピュータシステムと人間のチェスの試合では、人間は勝てなくなったそうです。
 
このままでは、コンピュータに翻訳の仕事が奪われてしまいそうです。コンピュータより早く、最適な翻訳をするには、またはコンピュータにできない最適な翻訳をするには、人間である私たちは、自分の情報処理エンジンである脳を含む身体と、五感を超えた第六感、第七感? 第八感? を情報処理のセンサーとして開発していくことが必要なのではないでしょうか?
 
今回は、「翻訳は情報処理である、その②」をお届けしましたが、次回もこのテーマで考えていきます。みなさんのご意見、ご感想などいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。

 

第121号 巻頭言

巻頭言 :2015年2月25日号

翻訳とは情報処理である-その①

バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 前号までは、私たちの思考活動は、情報処理能力と言い換えることができるということ。そこで、この情報処理能力をどのように捉えるかが大事なポイントであること。つまり情報処理とは、認識の仕方、概念形成であり、それが、自身の世界への見方を決めていき、さらにそれぞれの行動を決め、思考原則としての価値体系化がなされていく、と述べました。今回も、この情報処理について考えていきます。
 
テーマは、「翻訳とは情報処理である」ということになりますが、なんだ、そんなこと?それって当然でしょ!とお考えになるかもしれませんが、その理解が、表面的な理解なのか、それとも自身の思考プロセスにおいて十分にこなれて理解されているかで今後の対応が変わってきますし、今後の変化がどうなっていくのかという点についても推測できるようになっていきます。そうです、このような認識の方法が情報処理の中身だと言えるのです。
 
まず、一般のレベルで思考内容を情報処理ととらえる考え方は、IT(=現代のインターネット=インフォーメーションテクノロジー)が登場したことによって誕生したと言えるでしょう。IT(インターネット=インフォーメーションテクノロジー)は、我々の考え方、世界認識の方法を、これまでの現実体験(リアリティ)に基づく具体的な行動体験からではなく、画像や音声、文字の情報という、バーチャルリアリティを受け入れ、それを現実体験と同等であると認識することへと拡張したのです。
 
それはどういう事かというと、PC上や、スマートフォンで再現表示されているのは、いわゆる電子データですね。表示された写真を見て、これは自分の顔である、これは、誰誰である、と認識しますが、それは電子的に表示されたデータ処理の結果を判断したものなのですね。音声も一旦周波数に置き換えられ、似たような声のパターンに変換、いわば翻訳されて耳に届く、聞こえるということになります。
 
それは見ることで言えば、現実に自分の目で、目の前にあるものを見た映像を判断し、そう認識するというプロセスと同じなのですが、対象素材が印刷された写真から電子データ上の写真としても同じものだというように、認識を拡張したと言えるのです。もう少し分かりやすく言うと、犬は、鏡を認識していないように反応します。自分がそこに写っている、という認識がないのです。もしかすると鏡の映像が見えていないのかもしれませんが。
 
つまり認識というプロセスは、それが当然のことだとして受け入れられないと、拒絶反応をおこす、つまり、見えない?見ない、ということになるのです。ご承知のように、私たちの情報知覚センサーは、眼(視覚)、耳(聴覚)、皮膚(触覚)、舌(味覚)、鼻(嗅覚)の五感によっておこなわれています。これらの五感によって得られた情報は、脳で判断処理されて、認識へといたるわけです。したがって、認識、思考処理というのは、脳の機能であるといわれてそれが重視されてきました。現代の研究は脳機能の解読、理解というところと、DNAの解読理解が大きな進歩、成果を上げてきたと言えるのでしょう。
 
ITは、この人間の脳と五感による情報知覚センサーシステムの研究によって登場してきた技術と言えます。人間の知覚能力を解析、解読研究し、それを代替させる機能を開発することが目的であるわけです。
 
従って、私たちはPCやスマートフォンを眼や耳、口、脳の機能処理の一部(情報収集と記憶、伝達)という作業を代替させているということになります。もうすでに、鼻、皮膚の機能の一部も処理できるようになる研究が行われています。人間の情報処理機能の一部が機械処理システムに代行されていく時代になっています。これらは、マイコンチップなどとして様々な電化製品に組み込まれ、また自動車という名の割には運転者が必要だった車が、今や、自動運転の研究が進み、まさに自分で運転する【自動車】が登場するのも間近だといわれます。
 
これらは、みな、五感というセンサーシステムと、脳という記憶、解析、判断、認識処理という情報処理システムの統合プログラムによってなされている、ということができるのです。もちろんこれだけが人間の諸活動、つまり意識の諸活動を代替できるわけではありません。ここでは、情報処理システムに限って考えています。なぜなら、人間は、五感と脳思考だけで活動・処理しているわけではない、と考えているからです。
 
ところで、このように、人間の情報処理のシステムの研究から、ITシステムが誕生したわけですが、人間は、その対象物を外側に見出すことによって、それを見て自分自身に対する認識も深まっていくのです。このように外在物としてITが誕生したことで、データの受信、解読、判断、認識、応答返信というプロセスは、私たちのライフスタイルを変えました。
 
さらに、今までは自分の目で見える範囲―本や印刷された写真、映画なども含めて―だけが認識対象でしかなかったものが、バーチャルリアリティと呼ばれる、新しい現実認識を獲得したことにより、従来の認識レベルが格段に広がったのです。
 
従って、ITによって、私たち人間の認識能力が飛躍的に増大、または拡大したと言えます。それは、量的変化だけでなく、質的変化も遂げていくはずです。1994年の商用インターネットの登場からすでに20年が経過し、21世紀になって生まれた子供たちは、生まれたときからITシステムを使って成長してきています。それこそ、この子供たちは新人類へのステップを踏みだしているのかもしれませんね。
 
さて、これらの情報処理能力、情報処理システムという思考の枠組み=パラダイムが、現代世界の実際上の構造となり、新たな変化・システムを生み出しているのです。したがって、【従来の人の手による翻訳】から、【情報処理としての翻訳】と言い換えることによって、翻訳とは何かを考えていく思考の枠組み=パラダイムもまた変化していくことになるのです。
 
このように【翻訳は情報処理である】と定義することによって、翻訳に対して従来抱いていたイメージが変わりませんか?翻訳に対して、自分がどんなイメージを持っているかで、翻訳の出来栄えや作業の深度、進度が変わってきます。もしも、翻訳作業になかなかスムーズに取り掛かれなかったり、誤訳や訳抜けなどがよくあったりする、といった場合、翻訳に対するあなた自身の過去の体験、思い込みなどがそれらを引き起こしている可能性があります。
 
つまり、翻訳に対する自分のイメージ、思い込みが、作業を簡単にしたり、なかなか進まない状態を作り出したりしていると言えます。また、誤訳をする場合も同じような個所が多いということであれば、誤訳の内容に関する気づき、何らかの問題の示唆の現れとなっているもしれません。自分が翻訳作業中に体験するミスや作業手順、翻訳作業内容などについて、先入観を持たずにただ感じてみるというような作業をしてみることをおすすめします。それによって、自分らしい翻訳作法、自分に合った翻訳作業スタイルが確立すると、翻訳作業がかなりはかどることになります。
 
以外と自分自身の癖や傾向など、自分自身が一番知らないのです。このことは本当に示唆深いことです。自分自身を一番知らないのが自分であるからこそ、人は、自分探しという旅に出かけるのですね。しかし、自分自身を知るためにいくら外側だけに意識を向けて、外側を探し回っても、自分自身の本当の姿というものは捉えることが難しいといわれます。
 
外側は、自分自身の何かの表れを映し出して見せてくれる、鏡だともいわれます。だとすれば、鏡に映された外側に本質があるのではなく、やはり自分の内面、こころにこそ自分自身の本質があるわけですから、内面に目を向け、耳を傾けるほか、道はなさそうです。そこで働くのが五感を超えた六感、七感、八感のセンサーだと思います。
 
外側への探求から、内面への探求へと一歩を踏み出す時、先ほど述べた、どんな時に誤訳するのか? 何を誤訳しているのか? または、なぜ、その文章、内容などにおいて訳抜けや誤訳などの問題を起さなければならないのか? と、問いかけてみると、何か心の中から、はっと気づかせられる感情、感覚が湧き上がってくるとき、内面が反応してくれていると、考えられるのです。このとき六感、七感、八感のセンサーが働き始めたのだと自覚して、深めていくことで、PCやスマートフォンの知覚情報処理の限界を超えて、跳躍していくことができると思います。
 
今まで、教科書や、親や知人から教えられ、聞いたり話したり、本を読んだりして、無理なく理解してきた社会とその仕組みだけが価値の体系のすべてであり、その枠からはずれることなどない!というほどに、私たちは既成概念の中に捕まっています。この既成概念こそがこれまで活用された記憶再生装置ですから、存在価値の体系、信念体系として、私たちが認識できる世界をげんじつかしてきたと言えるのです。
 
それはまた、セルフイメージとも言い換えることができそうです。自分が自分自身をどう思っているか?それがセルフイメージですが、私たちは、自分が持っているセルフイメージについてほとんど知りません。自己の過去の体験の記憶によって、その記憶は、親や兄弟たちなどの家族との交流、友人たち、近所の方たちとの交流によって形成されていきます。
様々な体験、人からあなたはこうだと定義されたことによって、自分自身のセルフイメージを作り上げ、それによって様々な体験を再現しているのです。 
 
このセルフイメージが、あなた好みの翻訳作業や、あなたが望む翻訳者像に導いていきます。このセルフイメージが、自分が自覚して作り上げたイメージかどうかが大事なポイントですね。セルフイメージをどのようにデザインするか?これができていますでしょうか?
 
今回は、「翻訳は情報処理である、その①」としてお届けしましたが、次回もこのテーマで考えていきます。みなさんのご意見、ご感想などもいただければ幸いです。
最後までお読みいただき有難うございました。

第120号 巻頭言

巻頭言 :2015年2月10日号

記憶力からリサーチ力へ

バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg  前号では、私たちの思考活動は、情報処理能力と言い換えることができ、この情報処理能力をどのように捉えるか、つまり認識の仕方、概念形成が、世界への見方を決めていき、それぞれの行動を決め、価値体系化がなされていくと述べました。IT(=現代のインターネット=インフォーメーションテクノロジー)が登場したことによって、われわれの考え方、世界認識の方法がかなり抽象化され、共有概念化されていくプロセスに必要な時間が、これまでになく加速されてきたのです。
 
 翻訳者は、その作業の特性上、もともと調べることが必要でした。【調べもの】つまりリサーチをきちんとするかしないかで、翻訳の成果、能力、技術の格差が開いていきます。バベルでは、これらを総称して、リサーチスキル=情報処理能力ととらえてきました。翻訳者の大事なスキルです。翻訳能力をいかに高めるのか?一番悩ましいポイントですが、その解決策が、情報処理能力を高めることなのです。つまり、リサーチスキルを高めて、自分自身の記憶だけに頼らないようにしていく、ということです。
 
 ところで、法務実務の従事者、弁護士の重要なスキルは記憶力でした。法律の条文から判例までいろんなケースを記憶していないと役に立たなかったのです。しかし、IT(=現代のインターネット=インフォーメーションテクノロジー)が登場したことによって法曹界、弁護士業務に求められる能力は、記憶力からリサーチ力に代わってしまいました。インターネットによって、弁護士が独占していた情報が、一般の多くの人にもリサーチ可能になったために、弁護士の役割、期待される能力が変わってしまったのです。
 
 このように、翻訳業界だけでなく、法曹界や法務に沿った業務を行う役人、役職にある様々な業務、過去の体験の蓄積やデータの記憶が要求されるような業務は、かなり影響を受け、熟練から新人への移行、かえってITを使いこなせる新人が登用されたりするという出来事もありました。
 
 記憶は、過去の事例であり、固定観念の源です。記憶とはすぐに古くなってしまう、過去情報なのです。これまでの社会が、とりわけ日本の社会が、記憶というものをあてにし、大事にしてきたことには、何か大きな原因がありそうです。大学入試の問題批判では、記憶力を測る試験から創造力を測る試験形式へと移行することが叫ばれていましたが、今や、全入の時代なり、試験内容は変化してきたのでしょうか?
記憶とは前例に学ぶ、前例に従う時重宝されます。したがって、法曹界、弁護士、役人やそれに関連した業務従事者にはとても大事な能力だったのですね。
 
 また、古代には、ほとんどを記憶に頼り、暗唱していく役目があったことになっています。有名な稗田阿礼は、天武天皇の命によって、帝紀と旧辞を暗誦して、のちに太安万侶に語って聞かせて、それを太安万侶が筆録したと、古事記の序文に書かれています。これの真偽のほどはわかりませんが、日本人社会の記憶能力を高く評価する一例にすぐ思い浮かびます。
 
 ところで、有名な「竹内文書」も、実は門外不出で、代々口伝、つまり暗誦によって伝えられてきたといわれていたものが外に出て、裁判にまで発展し、その後提出された多様な文書類は、焼失したとして返還されなかったなどといわれています。日本には、この口伝が多いことも記憶の大事さに影響しているのでしょうか?
 
 ところで、この竹内文書には、教科書はおろか、古事記、日本書紀もあっと驚く日本、及び世界の歴史がかかれています。日本史や古代史がお好きな方はご存知だと思います。
まだご存知でない方は、「竹内文書」でリサーチしてください。おすすめです。
 
 その口伝の方法ですが、次の役目の人に伝えるその都度、いくらかの間違い、変化というものも起きていたのでしょうか、やはり記憶する方は、紙に書いたりして覚えることもあったようで、出版されている「竹内文書」に書かれた日本の超古代史の情報は、正しい部分と間違った部分があると、正統竹内家の方がコメントしています。そして、この暗誦の過程で筆写しながら覚えていき、それが外に出たのではないかとも言っています。できたら、正統竹内家の本物を出していただきたいと思いますが、何か出しては障りがあることが伝えられているのでしょうか?
 
 閑話休題、記憶に頼ることの問題点を指摘してきましたが、この記憶という私たちの脳の情報処理のメカニズムは、まだ解明の途上にあるのでしょうか?もうかれこれ50年ほど前になりますが、睡眠中に聞くと記憶力が高まるという器具を売っていたので、親にせがんで買ってもらったことがありました。しかし、すぐに飽きてしまい、効果を感じることはありませんでした。その後、この記憶力を高める方法は、七田真さんという方が、右脳と左脳の機能を研究され、右脳の高速記憶力を使うとすごい効果が上がるというので、多くの出版物や、トレーニング教材が出たように記憶しています。
 
 皆様も記憶についてあれこれ本を読み、トレーニングをされたりしたことはおありでしょう。ことほど左様に、記憶能力を高めることが、現代日本人のテーマとなってきたと言えます。最近は脳科学の研究が進んだとは言え、一方で認知症という病気?症状が数多くニュースになり、その対策としての「脳トレ」が流行っています。その流行は、日本人の人口の年代構成にも一因があると思います。
 
 それは、少子化の影響があり、若い世代の人口比が少ないのです。私などは大東亜戦争の終戦後の生まれで、かの有名な団塊の世代です。この団塊の世代現象は世界規模で起きています。なんといっても、第2次の世界大戦ともいわれる所以からですが、ドイツとイタリアによりヨーロッパ戦線が始まり、その後、日本がアメリカを相手に戦争を始め、アジアの植民地の解放という目的も日本が持っていたことから、アジア全域も植民地からの独立戦争になっていき、最後には、日本だけがある意味、アメリカに負けてすべての戦争責任を取らされてしまったのです。
 
 それはさておき、この世界大戦の終了によって、日本はその後数年間にわたり、多くの子供たちが誕生しますが、アメリカなどはその出産期間が日本の倍以上にわたっています。おそらく、日本は負けてしまったのですぐに帰還させられたのでしょうが、そのあとも戦後処理のために米兵やアジアの独立戦争を戦ったヨーロッパ諸国は戦後処理が長引いたのかもしれません。中国なども、そのあとが結構長い期間、国内戦争状態になっています。
 
 日本の人口分布のうちこれら団塊世代が既に60代になっていることは、このIT(=現代のインターネット=インフォーメーションテクノロジー)を活用した情報処理技術の進展に何か影響を与えているかもしれません。ソニーは米国企業になってしまいましたし、トヨタ自動車や、他のメーカーもそうですね。記憶力からなかなか抜け出ることができなかった日本人社会は、かなり成熟した熟年社会であり、そういう意味では、世界の国の年長者、つまり、大人の国なのだとも言えます。
 
 大人の国の日本が、ITで情報処理能力を高めた若者国から、経済的な攻勢を受けるのはやむを得ませんし、何もそんなにがつがつと景気の浮揚ばかりを言う必要などないのではないかとも思いますが、しかし、私がここに申し上げている情報処理能力とは、若ければいいということだけを言っているのではないのです。確かに、過去の記憶の中だけに生きてしまうと、大いに問題がありますが、先ほど触れた日本の古代の歴史書のように、世界最古の歴史と文化の伝統を持つ民族、国家は日本なのです。この文化の集積、情報の集積は他国の比べ物にならないと思います。
 
 情報処理能力とは、その背景、つまり堆積物としての文化、文明というものの情報が何層もの分厚い資源の層となっていることがとても重要です。これまで、記憶についての反面の考察をしてきましたが、この歴史的文化、文明の蓄積は、まさに、一朝一夕にはできないのです。少し手前味噌になりますが、若いころの情報処理能力と、この数年の60代になってからの情報処理能力はかなり違いがあるのです。深さと幅の広さ、奥行きというものがかなり違っています。いろいろな多様な情報が一気にリンクされ、解明されるような趣があり、まさに質的跳躍ともいうべき違いがあるのです。いわば、血となり肉となっていると言う感じです。それが、熟年の知性、情報処理能力かと思います。そして、それに、ITのリサーチ力を加えると、かなりな情報処理能力が加速されると思います。
 
 このような大きな変化の時代には、翻訳者であれ、弁護士であれ、情報処理能力の高い人々はますます、ネットメディアを活用して、必要な情報を瞬時に、即座に手に入れ、高い業務処理のパフォーマンスを上げていくことができています。
 
 翻訳のプロを目指したり、現在の翻訳ビジネスをさらに充実させようとしたり、さらに、作家に挑戦したり、新たな職業につきたいと考えたりするとき、情報処理能力を高めることが必要ですが、その情報処理能力を高めることが、誰にでもできる素晴らしい時代が到来したのです。これまでの記憶能力という過去の既成概念の縛りを解き、新しい観点から、情報処理能力を高めていくことで、新しい翻訳サービス、商品を創造してはいかがでしょう。
 
 翻訳者のみならず、現代の私たちにとってとても大事な能力が、記憶力ではなく、リサーチスキルであり、それは視野を広げ、知性を高め、脳自体の処理能力を加速し、世界認識という情報処理能力を広げていくものだと言えるのです。
 
 最後までお読みいただき有難うございました。ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです。

第119号 巻頭言

巻頭言 :2015年1月25日号

『 情報処理能力の格差は開き続ける』

バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg 前号では、技術革新によって、翻訳ビジネスの世界も様変わりしてきたこと、それにより、従来の翻訳の仕事がなくなったり、新たなビジネスチャンスが生まれてきたりしたことなどを述べました。このような変化は、翻訳の世界だけでなく様々な分野で、且、長い歴史の中で何度も繰り返されてきたわけです。そして、現代は、かつてない、まさに地球が一つの市場となるという、ビジネスグローバリズムが地球規模で確立した時代です。
 
私たちの思考活動は、情報処理能力と言い換えることができます。この情報処理能力をどのように考えるかで、それへの対応が変わってきます。どのように考えるか?つまり、どのように認識するか?概念化するか?ということになりますが、この認識、概念形成が世界の見方を決めていき、それぞれの行動を決め、価値体系化がなされていくわけです。これまでは、つまり、IT(=現代のインターネット=インフォーメーションテクノロジー)が登場する前までは、言わば旧世界の物理学であり、現代は量子力学という新物理学を基礎とする世界となったと言えるのです。
 
変化というものはそっと忍び寄り、知らぬ間に全く変わってしまっていて、以前と同じように見えても、その実はガラッと変わってしまっている、などということが起きていきます。いまは、江戸、明治、大正、昭和という時代はとうに過ぎ、平成も27年目になっています。西暦紀元2000年を迎えたのがほんの少し前だったような気もしますが、もはや2015年にもなっていて、2012年の12月21日の世界の滅亡予言やら、富士山の噴火、首都圏直下型地震など、様々な危機が言われてきましたし、今も言われています。
 
多くの予言、予想に反し、まったく想定外のニューヨークの9.11事件、2013年3.11の東北大震災、福島原発事故が起き、日本にある原発は確か停止状態にあると思います。想定外といえば、世界の地震・噴火・豪雨・豪雪・陥没・生態系の激変…などかなり異常なことが集中して起きていますが、もはや最近は、異常気象と呼ぶレベルではないほど、頻繁に起きているので、異常気象ではなく平年の通常気象であるという判断にさえなるそうです。
 
このように、価値観が大きく変化しています。価値観、ライフスタイルがますます多様化する時代が、現代の特徴です。そしてその変化と多様化は、さらに進んでいくことが予想されます。この現代は、インターネットのお蔭で、瞬時に世界の反対側にいる人とコミュニケーションが可能です。様々なアプリ、ツールを使ってメールだけでなく、音声・画像による面談、会議、ゲーム、医療の診断など・・時間と空間を超えたコミュニケーションが再現できます。
 
例えば、電子ブックリーダーがあれば、読みたい本を何回かの指のタッチだけですぐ購入し、30秒ほど待てば、ダウンロードされた電子ブックを読むことができます。その所要時間は3分ほどで済みます。WEB書店からの翌日配達もすごいサービスですが、電子ブックは、驚きです。私は、すっかりはまっております。ただし、電子化された本はまだ少ないので、これからの商品点数、マーケットの拡大が待たれます。
 
しかし、電子ブックはまだ新規市場のためでしょうか、または、作品によってでしょうか、単純な誤植が多いときは読むリズムがそがれたりします。編集費用が十分掛けられてないためかもしれません。電子ブックらしい編集コミュニケーションが提供されるといいと思います。操作機能の更なる向上も期待されますが、手軽さ、時間の速さにおいては、他を圧倒しています。
 
電子ブックの技術革新はさらに進むでしょうし、この便利さを体験した人はさらにリピートするでしょうから、市場も大きく成長することが考えられます。それに対応して、かつてない、翻訳の新ビジネス分野が登場しているということができます。これは、巨大なマーケットであると言うだけでなく、従来の紙と印刷による翻訳出版、出版事業とは比べ物にならない新しい価値体系と技術革新がそこにあるのです。
 
もちろん、この電子ブックを冷ややかに見ることも可能です。今はまだ多くの人々がその価値を体験することなく、手を出しかねており、冷ややかに見ている人が大多数です。はなから眼中にない人も多いかと思われます。しかし、小、中学生などの子供たちは、物心ついた時からIT機器の中で育っていますから、彼らの情報処理方式、情報処理能力はかなり高く、親和性があると思われます。それでも、親と子供たちの志向性により、その格差はかなり開いています。
 
情報機器を使えるか否かは、操作性能が高まり、万人が使えるようになっていくことが考えられますが、それまでは、かなりの差が開いていくでしょう。しかし、それもまた、個人の選択の自由だとも言えます。どのような価値観で生きていくのか、人はこのライフスタイルの自由を求めて、悪戦苦闘してきた歴史でもあるともいえるでしょう。
 
ところで、従来の経済圏、従来の市場領域における市場サイズで考えると、先端的なライフスタイルは限られたものに見えますが、グローバルマーケット世界は、地球規模となりますから、そのサイズは圧倒的な大きさとなるのです。翻訳ビジネスが、従来の言語マーケットごとに分断され、また、流通の壁により制限されてきた部分が取り払われれば、それらは、多言語マーケットとして従来のマーケットサイズの数倍、数十倍、数百倍ということも可能になるのです。
 
文字情報の変換を中心にしたビジネス価値を提供するのが翻訳ビジネスですが、その文字情報はITそのもののごとく流通していくことができます。まさに、WEBでのコミュニケーションを考えるなら、多言語市場というすごいマーケットが花開く!と考えることが可能です。
 
誰もが翻訳にチャレンジし、翻訳出版を電子ブックとして実現できます。そういう意味では、翻訳の世界も多層化すると言えるでしょう。翻訳出版も、電子ブックであれば、翻訳のプロフェッショナルな技術を持つ人が行うだけでなく、外国語ができるというだけでも翻訳して出版してしまうことも可能だからです。
 
このような例から考えても、ネットの世界は、本物、偽物、プロ、アマ混交の世界です。これが時に問題視されてきましたが、そのような混交の時期を過ぎると、固有の優れた情報や技術、コンテンツが残っていきますし、選択眼を養うのも自己責任でもあります。私たちはいわばその混交のタイミングにうまく居合わせているのであって、このタイミングを逃したら、もうすでに情報処理能力格差が開いて、ほとんど相互に交流できない?交流しない世界に分かれていくのかもしれません。
 
市場のニーズもまた、同じようにそれぞれのニーズに分かれています。そういう意味では、世界の市場が多層構造になっていく、というような現象がみられます。
実際、現在もそうなのですが、それを理解していません。まだ私たちはお互いに一つの価値観を持ち、通じ合えると信じているからです。
 
この共同幻想を、マスメディアが支えていますが、昨年の事件、朝日新聞の第2次世界大戦時の日本軍の事件記事ねつ造発覚などが起き、新聞社の謝罪が繰り返されるようになれば、多くの人々がマスメディア離れを起こし、小数グループに価値観が分かれていきます。すでにマスコミ離れはかなりのレベルでおきているともいえます。
 
 情報処理能力の高い人々はますます、ネットメディアを活用していくことでしょう。手軽に専門家や、隠れた研究者の記事を電子ブックとして読むことができますし、情報を比較分析していくことも可能です。翻訳者は、その作業の特性上、もともと調べることが必要でした。【調べもの】つまりリサーチをきちんとするかしないかで、翻訳能力、技術の格差は開いていくのです。バベルでは、これらを総称して、リサーチスキル=情報処理能力ととらえています。翻訳者の大事なスキルです。
 
 調べることを本当に簡便化してくれたのが、このITです。翻訳ビジネスのために、ITが誕生してくれた!?というわけではありませんが、世界のコミュニケーションを考える上では、翻訳はまさにインターネットの働き、効果を可能にするコミュニケーションツールであるのは疑いの余地はありません。その翻訳能力をいかに高めるのか?一番悩ましいポイントですが、その解決策が、情報処理能力を高めることです。つまり、リサーチスキルを高めて、自分自身の記憶に頼らないようにしていく、ということです。
 
 記憶は、固定観念の源です。ビジネス世界は日進月歩です。もっとややいかもしれません。それに対応するのに、記憶に頼るより、リサーチすることが正確な情報処理への近道なのです。この点は次回にさらに詰めていきますが、記憶とはすぐに古くなってしまう、過去情報なのです。
 
翻訳のプロを目指し、また、ますます翻訳ビジネスを充実させていこうとお考えのあなたにとって、素晴らしい時代が到来したのです。これまでの記憶という過去の既成概念の縛りを解き、情報処理能力をさらに高めていくことで、新しい翻訳サービス、翻訳商品を創造してはいかがでしょう。これによって、情報処理能力がさらに高まることでしょう。
 
翻訳者のみならず、現代の私たちにとってとても大事な能力が、リサーチスキルであり、情報処理能力を高めるものだと言えるのです。
 
 最後までお読みいただき有難うございました。ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです。

第118号 巻頭言

巻頭言 : 2015年1月10日号 

『 グローバル世界の情報処理能力 』

バベル翻訳大学院 学長  湯浅 美代子

201501071028_1.jpg新年、明けましておめでとうございます。
2015年も明けて10日になりますが、皆様、お健やかに良き年をお迎えになったことと、お慶び申し上げます。
 
年々、時間が早まっていく感じがしておりますが、いかがでしょうか?
最近読んだ本に、現代の1日は、平安時代の1年に相当すると書いてありました。
これは、平安時代の1年分の出来事や変化の量と質が、現代1日に詰まっているとも言えますが、すごい例えですね。
 
平安時代の出来事を拾っていくと、かなりいろんなことが起きています。しかし、それはやはりそれなりの期間、時間がかかっていますし、また、それらのニュースのすべてを、同時のタイミングで誰もが知ることは難しかったでしょう。
 
平安時代との最も大きな違いは、現代は、世界に張り巡らされたワールドワイドウエブ(WWW)、つまりインターネットによって、事象発生現場の生中継有、分析評論有、当事者や解説者、観察者の情報有で、まさに多様な視点でかなりの情報を入手することができ、過去の出来事と比較検証することも可能です。そして、そのコストは年々安価になり、望めば誰もがその情報にアクセスできる時代となっていることです。
 
ここまで考えると、平安時代の1年どころか、もっと大きな文化・社会変化が起きている時代の1年にも匹敵するのではと思うこともあります。とは言え、現代であっても平安時代的な変化と情報摂取の時間の中で生きている方もおいででしょうし、まさに現代の超スピード感覚時間の中で、多様な情報処理能力を持ち、時代の変化を起こしつつ生きているという方もおいででしょう。
 
つまり、現代は、社会変化のスピードが速い、その情報量が多いということだけでなく、その人、その人の個人の状態そのものも大きな差が開いている、と言えるのだと思います。
 
と言いますのは、客観的に皆が同じ情報を共有しているという共同幻想を抱いていた時代は、新聞やTVニュースを誰もが簡単に受信し、かつ多くの人が信頼できた時代だと言えますが、それは、おそらく1970年代で終わったのではないかと思います。
 
1980年代に入るとコンピュータ=電子計算機という高速処理の機械が登場します。初めはかなりの高額で、性能は限られていましたが、企業はそのコンピュータを導入するかしないかによって、その情報処理能力にだんだん差が開いていきます。その後、個人向けのPC=パーソナルコンピュータ=パソコンが登場、さらに通信機能が付いた機種が登場します。
 
この第一ステップのパソコン通信によって、一般個人も情報通信に対する見方が変わるというステップを踏み、その後、さらに、商用インターネットが米国に登場した1994年からは、がらりとその様相が変わっていくのです。
 
1984年~1994年、この間の出来事として記憶していることは、パソコン通信ができない翻訳者は多くの方々が翻訳経験を重ねた高齢の方でしたが、仕事がだんだん減っていき、パソコン通信ができなければビジネス翻訳には従事できなくなっていった、ということです。
 
技術革新が翻訳の方法、スタイルというものを変えていきました。それに伴い、適応できた翻訳者と適応できなかった翻訳者の格差が大きく開きました。もちろんその時は、翻訳者だけでなく、翻訳会社もそれに適応できない企業格差が大きくなり、淘汰されたのです。
 
1994年以降は、皆様もご記憶の方が多いかと思いますが、これ以降、インターネットという情報網が世界規模で大きく成長して行きます。それでも、はじめは、コンピュータオタクと呼ばれる個人利用者が多かったわけですが、コンピュータの性能が向上しかつ安価になったため、企業が一斉にコンピュータを業務・事務処理活動に導入します。
 
それにより、会社の仕事ではコンピュータを使えないと採用されないなどということにもなり、仕事の処理は、コンピュータを使っていくものへと変化していきます。まさに情報処理技術=ITの世界、グローバルマーケットがそこに登場し、グローバルビジネス世界が確立されたと言えるのです。
 
この1980年代から1990年代に起きた最も大きなトピックは、インターネットという情報通信技術が商用化され、広く世界一般に使われることになったということです。これは、ある意味では、グローバル化の恩恵の面ですが、同時に、多様な世界尺度が一つの共通の尺度へと統一されていった過程でもあると言えます。このように、一方では恩恵でも、同時に格差が開くという問題も生み出しています。今までの仕事のやり方が変わると共に、やり方を変えなければ仕事がなくなってしまう、ということでもあります。
 
技術革新によって、このような変化は歴史の中で繰り返されてきたわけですが、現代は、まさにグローバリズムが地球規模で確立した時代であると言えます。では、このグローバル時代のマーケットの中で、翻訳ビジネスはどういう形になっていくのかを知ることが必要になります。そこで、本誌では、バベル翻訳大学院とバベル翻訳研究所のタイアップの形を探りつつ、グローバルマーケットにおいて、翻訳者はどうなっていけばいいのか、また、翻訳ビジネスの可能性はどうなっていくのかなどをテーマに考えていきます。
 
このようなグローバルビジネス時代の価値は、世界のインフォーメーションに対応すること、つまり情報が大量、かつ迅速に処理されることを前提に構成されています。それは、大量処理ということであって、決して質的処理ではないのですが、今は、まだ大量処理のシステムにありますから、これに適応しないと、企業の求める価値を提供できないことになります。
 
そして個人レベルの一定の専門作業を、作業者がどこにいるのか、誰なのかに依存せず、均質の成果を上げる作業を可能にする方法をシステム化したのがソフトウエアと言えますが、このソフトウエアの活用によって、大量の仕事を一人でこつこつと行うのではなく、多くの人々が共同して一斉に処理することで品質を保ちつつ短時間で処理することができる、というのがこのIT(インフォーメーション・テクノロジー) の役割、目的なのです。
 
もちろん、基礎技術は同じでも、その表現力は個人差があり、多様な創造性を発揮することも可能ですが、二つの方向に活用ができるというわけです。そして、グローバルビジネスにおいて求められる翻訳作業においては、この大量処理、多工程のプロセスで時間と空間をいかに共有するかという視点からシステムが組まれ、ソフトウエア、つまり、処理ツールが提供されています。
 
これは、ある意味で仮想の情報処理空間を作り出すシステムであり、概念です。このようなソフトウエア、情報処理のツールを活用できるかどうかが、このグローバルマーケットでは要求されることになります。このような、仮想空間という概念を共有していくことが現代の情報処理能力には必要なことになるのです。
 
これは、私の仮説ですが、時代を構成する人間の意識状態は、その時代が孕む技術知識の振幅と変化情報の振幅との掛け算になる程の幅の開きがあるのではないかと思います。例えば、現代に生きていても、平安時代のスピードと情報処理能力で生きている人もいれば、平安時代を1日で生きているくらいのスピードで情報処理ができる人もいるという、情報処理能力格差が1年と1日であり、実に365倍の開きがあると言えるわけです。
 
これも私の想像ですが、この開きはだんだん途方もない開きとなっていき、この差が大きく開いている人同士はお互いに出会わなくなってしまうのではないか?つまり、時間と空間が別々になっていくのと同じことではないか?などと考え、これが、今、先端科学で言われる、パラレルワールドの概念ではないか(笑い)、ともイメージするのです。
 
現代のグローバルマーケットで翻訳者として活躍することは、世界のビジネスの要請であり、それにこたえる翻訳者や、翻訳技術研究がなされていくことが、現実の課題です。
 
バベルの新しい試みは、新たな市場ニーズに対応した、翻訳技術とどこからでも自由に参加、活用できる仮想翻訳作業空間を作り出し、学びながら働く、働きながら学ぶという二つの側面を統合した仕組みを作るということです。
 
それはなぜ必要となってくるのか?翻訳文書の形式は今後どのような方向へと向かうのか?WEBサイトやブログ、ユーチューブなどの動画が情報メデイアの主たるものとなっていくとき、翻訳の形はどうなっていくのか?・・・様々な課題が湧き上がってきます。
この、2015年1月10日号から、新しいテーマでお届けいたします。
 
最後までお読みいただき有難うございました。
ご意見、ご質問などございましたら、下記からご投稿くださいませ。面白いアイデア、歓迎です。
 

第109号 巻頭言

WEB TPT 2014年8月25日号 ― 通巻109号  

巻頭言:
『 新たな時代の創造― 

             世界は翻訳である=トランスフォーム- その7 最終回』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


皆様お元気にてお過ごしのことと存じます。残暑お見舞い申し上げます。
早いもので、2014年もあと数日で新学期9月を迎えるところとなりました。次号9月10日号から、ワクワクする新たなステップへと移行いたしますので、ここに、これまでご愛読いただいたことに感謝しつつ、新たなチャレンジへの意図をご案内させていただき、この巻頭言の最終号をお届けいたします。
 
本誌の新創刊は2010年2月24日号ですが、それまでの月刊誌『The Professional Translator』2010年1月号をもって、印刷物の月刊誌を終了させ、休む間もなく2010年2月24日号から、WEBマガジンとして生まれ変わり、<WEB The Professional Translator>としてスタートいたしました。実に、1994年の商用インターネットの登場から16年目の新たなチャレンジでありました。
 
印刷版の月刊誌を廃刊にし、WEB版のデジタルマガジンへと変わる意思決定には、一抹の寂しさ、形のないものとなることの不安などもありましたが、インターネットを活用して創造していく新たな世界への興味、面白さへの誘惑は断ちがたく、ITをどう活用するかという自分自身のビジネス上の課題、学びの場としても興味深く参加してまいりました。
 
翻って、1974年4月、26歳の時、郵便による通信教育講座を運営担当するようになり、全国各地においでの通信教育講座受講生の副教材として、さらには、翻訳とは何か?という問いについても研究していける雑誌を作りたいと考え、1976年10月に印刷物の月刊誌『翻訳の世界』を創刊いたしました。
 
その後、毎月欠かさず発行し続け、時には臨時増刊号も発行しながら、私の3号までの編集長スタートし、その後編集長も数名が交代して、500号を超える世界唯一の翻訳の専門商業誌として長寿を伸ばしつつご愛読いただいてきました。この月刊誌は、2010年1月号で廃刊としたわけですが、実に34年にわたり、翻訳一筋に刊行してくることができました。
 
この1970年代から、2010年までの日本、世界の政治・経済・技術・システム・価値観など多くの変化が起きた、いわば動乱の時代であったかと思います。軍隊による戦争が終わり、経済・情報・金融戦争へと姿を変えていき、企業活動が活発になることにより、翻訳ビジネスがあちこちに誕生し始めるのがこの1970年前後です。
1945年8月の大東亜戦争の終焉から25年が経ち、オイルショックにより世界と日本の経済が絡み合っていることが明白になり、同時に自立の方向へと向かう敗戦からの脱出というような意識があったように思います。
 
私自身の翻訳への関心と意識は、この大東亜戦争と敗戦という現実をどう整理し、理解すれば、世界が平和に豊かに生きていくことができるのか?ということが根底にあります。軍事戦争であれ、経済戦争であれ、金融・情報戦争であれ、戦争は必ず敗者と勝者を作ります。それが、戦後の団塊世代として生まれ、又、家族の長崎での被ばく体験も含めて、何が真実か?を知りたい、探求していこうという原動力となっています。
 
お蔭様で、初心を貫き、翻訳にまつわる事業を40年余り続けることができ、インターネット、ITシステムの登場による、世界システムの一大変化を目の当たりにしつつ、その渦中にあって日々体験してきたことは、素晴らしく楽しい、面白いことであったと思います。紙による印刷物の世界が、ITシステムの登場によって根底からその価値観が変化していくのでしょう。
 
今回の< WEB The Professional Translator > の模様替えは、バベルの次世代へのステップへのチヤレンジです。先ほども述べましたが、1974年に始めた、郵便による通信教育講座が、成長発展して、1999年7月インターネットの翻訳専門職大学院へと変態いたしました。その事業会社は、米国法人となり、2000年には、ハワイに本部オフイスを開設、ハワイに開学し、既にDETCの認証を受けていたのですが、この2014年7月、なんとハワイ州の大学院としての登録認証を頂きました。2000年のハワイ州開学以来14年振りのプレゼントです。
 
バベル翻訳大学院は、インターネットの翻訳専門職大学院、つまり、インターネット・ビジネススクールと言えるわけですが、このインターネットによる翻訳教育システムについても、バベルならではの独自の技術、情報、サービスがあります。しかし、世界は時々刻々と変化していきます。2010年には、どんな生活スタイルだったか、思い出せますか?かなり変わっているはずです。それほど変化のスピードが速いのです。今や、40階建ての高層ビルが、ほんの2,3年で出来上がってしまう時代です。
 
このような高度情報化社会を、快適に、幸福に、豊かに、意義深く生き抜いていくには、やはりそれなりの意識改革と情報装備が必要です。それは、従来のような固定資産ではなく、流動資産=インタンジブル・アセット=知的情報資産と言えるものに価値を置くことに他なりません。このインタンジブル・アセットの高度集積ビジネスは、翻訳業、専門職業、教育業・・・軍事産業・金融工学産業・・・など、あらゆる分野に可能性があるのですが、工業社会的な感性では、高度情報社会のシステムは理
解されません。
 
翻訳業は、その意味でまさに時代の寵児ともいえるのです。勿論、インタンジブル・アセットに対する意識と感性を磨かなければ、従来型の翻訳業も苦戦を強いられるでしょう。翻訳業界も何度も変化の波を越えたところが生き残っているのです。
 
バベルグループは、グループとしての志とユニークさを保ちつつ、世界レベルの新たな高度情報システム化社会の行方を見つめ、世界の皆様に向けてよりよいサービスを提供していくために、必要なリサーチを行い、翻訳情報レポートの提供、IT技術の活用研究と開発を行うなど、新たなビジネスモデルの事業体の設立へと変態していく予定です。
 
 これらは、大学院生や、修了生、MSTホルダーの方々と共に、世界初の翻訳専門職法人を開設していく計画であり、本誌で既に呼びかけをいたしておりますように、翻訳研究所を開設していく計画ともなっています。
 
 この巻頭言は、WEB マガジンの創刊と共に開始して109号となりました。第1号から69号迄、堀田編集長が担当し、私は、その後2013年1月10日号の第70号から本号109号までの40号を書かせていただきました。「バベル」という、混乱や人間の傲慢を意味すると言われてきた名前を会社名にした動機を探り、同時に新しい「バベル」の意味を探ってまいりました。また、今年になってからは「世界は翻訳である」というテーマで書き始めましたが、今回はそれをトランスフォームとして、その7 のラッキーセブンで終了と致します。このテーマは、また別の記事として書いていきたいと思っております。
 
WEBマガジンのこのシステムは、RCMS というコンテンツ・マネジメント・システムです。創刊号以来の109号分の全記事をいつでも、どこからでも読むことが出来ます。紙の印刷媒体では、109号分を持ち歩くことは出きませんね。勿論、誰も持ち歩こうなどと考えないと思いますが。
 
電子ブックが、ようやく成長し、大きなマーケットになってきたといいます。翻訳のビジネスマーケットは、成長の一途をたどっています。しかし、それは従来のシステム思考の延長線上ではないのです。新しい市場は、新しい思考、進化したシステムとなるでしょう。私はその進化の方向を、何時でも、誰でも、何処からでも、快適に、幸福に、豊かに、自立して、意義深く生きていくことができる世界システムの実現として意図しています。
 
バベルの新しいチャレンジに、皆様のご参加をお待ちしております。
巻頭言は今回で終了いたしますが、他の連載は今後も続いていきます。又、現在の特集はすでに、新しいテーマに沿っておりますので9月中まで継続し、新システムへは、毎号順次対応してまいります。マーケットリサーチ・レポートなど、皆様にもご協力いただき、まさに、インターネットならではの情報と方法について研究してまいりましょう。とても楽しみにしています。
 
 本稿のご愛読を有難うございました、そして今後も引き続き、よろしくお願いいたします。
 
追記:
中央大学時代の恩師である、木田元先生が、去る8月16日永遠の生命へと帰られました。85歳の若さですから、皆さんから惜しまれての旅立ちです。
木田先生は、戦後の闇市での放浪と自立を生き抜かれ、気取らず、気さく、いつも笑顔を湛えたやさしい方でした。
先生、いつも有難うございました。しばし、お疲れを癒されますように。  合掌。
 
木田元先生の哲学者としての【反哲学】の御偉業を讃え、ここに記します。
                  2014年8月25日  湯浅美代子

第108号 巻頭言

WEB TPT 2014年8月10日号 ― 通巻108号  

巻頭言:
『 新たな時代の創造― 世界は翻訳である  その6 』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


 2014年は、新しい時代への変換の扉を開けていく時です。
あなたの人生の新たなステップ、新しい扉を開けてみませんか?
 
前号では、本誌で連載されたジェニファー 森さんの記事からの引用で、「セルフ・ブランディング」についてご紹介しました。
 
翻訳業に入る前に、一般の企業で働いたご経験がある方は、よくご存知だと思いますが、企業の営業活動の中心は、商品の差別化・商品の告知と言ったマーケティング活動と、高品質の商品・サービスの提供と、生産技術の研究開発、それらをうまく運営・維持するための組織運営、資金繰り、会計管理、ということになります。
 
小さなサイズでも、大きなサイズでも、基本的な構成は同じです。世界中に多くの企業がひしめき合うグローバルマーケットで、競合する多くの商品の中から、自社の提供する商品、サービスをお客様に購入していただくための活動、それがマーケティング、つまり、市場の創造ということです。
 
私は、大学院を中途で退学し、現在の事業の前身である会社に就職して、その後、3年ほどたった時に、担当していた事業を独立させて会社を設立することになったのですが、さらにその数年後くらいで、その会社の株式を全株取得することになり、名実ともに、自主独立を果たすこととなりました。
 
そうなると、自分で本格的に経営をしていかなければなりませんので、その頃に読んで今も心に残っている本が2冊あります。その一つは、「150万社の経営基本戦略」で、もう一つはドラッカーの経営書でした。
 
「150万社・・・」の方は、日頃のマネジメントで、何度も読み返しながら使い込んだ本です。ドラッカーの書籍の方は何冊もあるので、タイトルははっきり思い出せないのですが、多分「マネジメント」ではないかと思います。その中で、私の脳裏に焼き付いた言葉があります。その言葉を読んで感動し、そうか、それなら面白そうだから、私にもできると思い、それからついに、寄り道することも脱線することもなく、30年余り続けてきたし、目下、継続中ということになります。
 
その言葉は、「企業活動の目的は、顧客の創造である」ということです。この言葉にしびれました。他と争って顧客を奪い合うのではなく、「顧客を創造する」とあったわけですから、0から新たな価値、つまり自社にとっての顧客は、アイデアと工夫によって作れるし、作り出せばいいのだ、と思ったわけです。
 
自分がやろうとしている事業のサービス価値を求める顧客は既にあるのではなく、自分自身がやりたい、最適なサービスを作り出すことが、同時にそれを必要とする顧客を作り出す=創造することなのだ!というのは、感動であり、大発見でした。
 
これは、まさに、創造と言える行為なのだと思います。私達の現在の3次元の経済活動中心の世界構造の中で、極めて創造的な行為ができる、それは「顧客の創造である」と感じたのです。芸術作品も、誰も見てくれなかったらその価値は生まれません。アートもビジネスも、アカデミックな活動も、公的活動も皆、顧客があるからその存在意義があるわけです。顧客の創造が、事業の創造なのですね。
 
この、顧客の創造という言葉が、企業を維持すること、経営をすることを、「マネジメント」という言葉で、普段の生活、家事や趣味の読書、人生の探究、生活を楽しむことなどと同じような、生の親しみやすい感覚で感じる、考えるというものだと感じさせてくれました。そうなると、それは、仕事というよりは、生活そのもの、生きることと同じようなものに感じられ、あれこれ考えていく、工夫、アイデアを見出すことが楽しくなっていきました。
 
このように、企業活動というものを、自分の生活感覚、皮膚感覚とでもいうようなところで発想すると、自分自身が日頃、お客として経験している、サービス体験、評価などのノウハウをそのまま活かすことができます。この記事で、ジェニファー 森さんがおっしゃっていることは、セルフ・ブランディングですが、一口に翻訳者と言っても、それぞれ皆さんの得意分野や、技術力、サービス内容は違うはずですから、ご自分を客観的に捉えることで、他の翻訳者とは違う、自分だけのサービスの特徴・商品価値という、つまりご自身のブランドを作ってしていきましょう、というご提案だということになります。
 
セルフ・ブランディングというと、難しいと感じるかもしれませんが、先ほどのドラッカーの言葉、「企業活動の目的は、顧客の創造である」というように、シンプルに、かつ自分がわかりやすい、肌感覚、皮膚感覚と言ったもので捉えていけば、
ぐっと身近になり、いろんな自分らしさ、自分自身が必要なサービスアイデア、商品の開発技術、生産技術などもインスピレーションが湧くようになるのです。
 
 もちろん、それには、好奇心が大事です。自分が知っている範囲でしか接触、体験がなければ、たいそう退屈なものになるでしょうし、行動もパターン化され、考えも固定されていきます。その意味で、当社の経営理念にした言葉は「既成概念にとらわれない」ということになったのです。顧客の創造を喜ぶ精神とは、いろいろな意味で、既成概念に捉われてはできないからなのです。
 
そういう意味では、創造とは、飽きっぽい人にはうってつけなのかもしれませんね。
 
 初め、新しいことに取り組むときは、いろいろ未知の苦労もあるし、新たな体験が出てくるので、発見の喜びがありますから、決して飽きることがありません。この状態は一番いい状態です。小さな荒野が、少しずつ出てくるときは、それを乗り越えることの喜びを感じることができますから、自分の手腕、能力に対する自信、自分に対する良き評価が、維持、形成されていきます。自分へのエフィカシー(=自分の能力の自己評価)が高まっていきます。
 
ここでこのエフィカシーについて、確認しておきましょう。
以下ウィキペディアからの引用です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%8A%B9%E5%8A%9B%E6%84%9F
自己効力感    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自己効力感 (じここうりょくかん)(self-efficacy) とは、外界の事柄に対し、自分が何らかの働きかけをすることが可能であるという
感覚心理学などで用いられる。
カナダ人心理学者アルバート・バンデューラが提唱したもので、原語はself-efficacy。「自己効力」と訳されることもあるが(たとえば、本明寛による翻訳書の書名)、日本語として正しい語感とは言えない。自己効力感は、バンデューラの社会的認知理論の中核となる概念である。自己効力感を通して、人は自分の考えや、感情、行為をコントロールしている。
よく似た用語に、
自尊心(self-esteem)があるが、自尊心はその本人自身の価値に関する感覚であるのに対し、自己効力感は自分にある目標に到達するための能力があるという感覚である。
定義:自己効力感とは、ある具体的な状況において適切な行動を成し遂げられるという予期、および確信。結果予期と効力予期の2つに区分される。 結果予期とは、ある行動がどのような結果を生み出すのかという予期。一方、効力予期とは、ある結果を生み出すために必要な行動をどの程度うまく行うことが出来るのかという予期。

自己効力感の源泉
自己効力感を生み出す基となるのは、以下であるとされる。
  1. 達成体験(最も重要な要因で、自分自身が何かを達成したり、成功したりした経験)
  2. 代理経験(自分以外の他人が何かを達成したり成功したりすることを観察すること)
  3. 言語的説得(自分に能力があることを言語的に説明されること、言語的な励まし)
  4. 生理的情緒的高揚(酒などの薬物やその他の要因について気分が高揚すること)
  5. 想像的体験(自己や他者の成功経験を想像すること)-O.マダックスによる。
自己効力感の3タイプ
自己統制的自己効力感:自己の行動を制御する基本的な自己効力感
  • 社会的自己効力感:対人関係における自己効力感
  • 学業的自己効力感:学校での学習などにおける自己効力感
引用ここまで。
いかがでしょうか?如何にエフィカシーを高めていくかが大事なことだとわかります。あなたご自身を振り返った時、自分はエフィカシーが高いということに自信がおありになると、一安心ですね。でも、もしかしたら、わたしはあまり自信がない、、、とお考えになる方がおいでであれば、これからの人生を明るく、楽しい体験、生活を送っていきたいとお考えなら、ここはぜひ、このエフィカシーを高めることを優先されることをお勧めします。
 
 エフィカシーが低いと、自己卑下、自己無能感などにつながり、チャレンジどころではなくなります。外部からの制限に縛られ、自由な感覚、新しいことへのチャレンジ、変化を受け入れるなどができなくなります。人生を楽しむという余裕さえなくなっていくでしょう。翻訳ビジネスに、夢を膨らませておられる方々は、そのような心配はないかと思いますが、障害にぶつかった時、それを乗り越えられるかどうかが、それにかかっています。
 
なるべく悲観的にならずに、楽観的に考える習慣を持つような癖をつけましょう。
そこで、このエフィカシーを高めることの方法の一つが、セルフ・ブランディングであるといえるのです。では、セルフ・ブランディングはどうすればいいのでしょう?それが、翻訳出版の実績を先に創ってしまおう!という戦略なのです。
 
 翻訳出版は、翻訳ビジネスにおいて、もちろん翻訳だけでなく、専門職ビジネスにおいては、自分の専門能力、サービス内容、人と成りを伝えることができる、とても有力な方法です。著作物を持つことは、夢に見た印税生活への第一歩となります。しかし、従来の翻訳出版方式では、なかなかチャンスがありません。
 
 そこで、この時代の特徴、つまり、電子出版を活用するのがいいと思います。「企業の活動の目的は、顧客の創造」ですから、個人ビジネスもまったく同じですね。
顧客の創造は、まず、顧客イメージを自分の中で明確にすることから始まります。
 
 年齢や職業、性別、地域、学歴、ライフスタイル、家族構成、趣味、嗜好性、容姿などを持っている人々なのかなど、なるべく、こういう人とお付き合いしたい、というようなイメージを持ち、このような方たちに自分のユニークな商品、サービスを提供して、喜んでいただく。この、顧客が喜んでくださるのを見るとき、最高の幸せ!そんなふうに自己の人生の喜びとなるような顧客を創造していくのです。
 
 どうでしょうか、自分が提供するサービスを喜んでくれ、頼りにしていただけるようになったら、あなた自身のエフィカシーは、いやが上にも高まりますね。何といっても信用第一ですから、いかにお客様に信頼され、頼りにされるかが大事です。
 
ではどうすれば、お客様にそれらの情報を伝えることができるのか、それを広告で行うのでなく、出版活動、つまり、自分の翻訳書を出すことで実現していくと考えようということです。
力をつけてから、翻訳出版をしたいというのではなく、先に実績を創ることで、
それを好む顧客を創造していこう!と考える方式だといえます。
このように、いろんなチャンスの中から選択できる時代がやってきているのです。
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見、ご感想など頂けましたら幸いです。
 

第107号 巻頭言

WEB TPT 2014年7月25日号 ― 通巻107号  

巻頭言:
『 新たな時代の創造― 世界は翻訳である  その5 』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


2014年は、新しい時代への変換の扉を開けていく時です。
あなたの人生の新たなステップ、新しい扉を開けてみませんか?
 
今や、HPそのものがコンテンツであり、自分の代わりにいろいろな役割を果たしてくれますし、文字情報、画像、音声、動画とそれこそ多様なメディアミックス、マルチメディアの素晴らしい機能が満載となってきました。どこまで進化していくのか、毎日とても楽しみです。
 
 そこで、HPに加え、ブログやフェイスブック、ツイッター、メール配信など、様々なツールを活用したコンテンツ作りが極めて安価に、可能になってきたことをうけて、これを活用していくことがとても大事となります。これらのツールを既にお使いの方も多いと思いますが、十分に満足のいく成果を上げておいでの方はまだ少ないのではないでしょうか?
 
翻訳作業では、様々な翻訳支援ツールを使いこなすことが必要です。インターネットが普及したことによって、有効かどうかは別として、様々な人や団体が情報を提供していますし、翻訳に不可欠な辞書類や所謂調べものが簡単にできる時代です。今や、翻訳者にとっては、インターネットから切り離された世界は想像できないくらいに、深い関係になっています。
 
このインターネットシステムを、ご自分の翻訳ビジネスの方向に向けて、又、ビジネスのツールの一つとして、それらを有機的につなげて、有効活用する。また、他の人々にも読んでもらえるような効果的な文章を配信、発刊していくという点では、まだ活用研究の余地は十分にあると思います。
 
本誌では、以前、これらのツールをいかに活用するかについて連載記事をお届けしていました。この記事のトピックに関連するものをご紹介しますので、講読会員は、下記のアドレスからご覧いただけます。本稿に合わせてお読みください。     
http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail57/id=1060
そこで、本誌を講読されてない方のために、ご参考までに下記に引用してみます。
**********************************************************************
 
『翻訳者流セルフ・ブランディングの極意 ― 第2回』
「あなたはどんな翻訳者ですか?―セルフ・ブランディングその1」  
          
ジェニファー  森: 翻訳家 ソーシャルメディア マーケティング 講師

201407251100_1.gif「はじめまして。あなたはどんな翻訳者ですか?」と聞かれたら、なんと答えますか?
 
「出版翻訳者です」
「リーガル翻訳をやっています」
「社内翻訳しています」
 
あなたの回答はこんな感じですか?
 
 ちなみに私は出版翻訳者です。でも「私は出版翻訳者です」と言っても、ほかの何千何万人といる出版翻訳者と区別がつきません。自分の価値をアピールするという点では、この回答はまったく意味をなしていません。
 
 たとえば、私が懇親会などで出版社の方とお会いしたとして、「私は出版翻訳をやっています」なんて言うということは「私は女です」と言っているのと同じくらい意味のないものですよね。「それ、状況からなんとなく判断できるよー」とツッコまれそうです。
 
 お仕事を依頼していただけそうな方にお会いしたとき、相手は「この人、どんな翻訳者さんなんだろ」と興味を持ってくださっているのに、こちらの発言が「見れば分かるよ」的なものでしかなかったら……。
 「あっ……そうですね、たしかに……」会話終了。あなたの価値は伝わりません。
 
 また、「横浜に住んでいる翻訳者です」なんていうのも、現代ではどうでもいい情報かもしれません。
 
 「私の価値? なら、やっぱり訳文で勝負でしょ!」ということで、初対面の方にもすぐに見せられるように原稿を持ち歩く? うーん、パーティの席で、相手がその場であなたの原稿を読みふけるなんてことは考えにくいですよね。
 
 では、やはりトークで印象づけましょうか? 「私、ロマンスが専門なんですけど、私の訳文すごいんです。もうなんたって超リアルな感じだしぃ、女子が読んだら思わずステキ!って感じ?なんですよぉ」――アウトです。ネガティブな意味で印象深くなってしまいます。
 
 それとも、とてもじゃないけど自分は「私はこんな翻訳者です」と言えるほどのスキルを備えた翻訳者ではない、とお考えですか? 
 あるいは、そもそも自分の価値をアピールする機会などない、とか?
 
 そうですね。あなたより優秀な翻訳者は世の中にゴマンといるでしょう。でも、だからといってお仕事がまったくなかったら困るわけですし、実際あなたのところにお仕事はきていますね。
 
 なぜ、そのお仕事はあなたのところに来たのか考えたことはありますか?
 
 あなたに翻訳の仕事を依頼する立場の方を、分かりやすく『お客さん』という総称にしましょう。お客さんがあなたを始めて知ったとき、「この人はどんな翻訳者なんだろう?」と疑問を持つはずです。
 
 「この人、思ったほど優秀な翻訳者でなかったらどうしよう」という不安があります。「あの案件は、この人に依頼して大丈夫かな。ほかの人のほうがいいんじゃないかな」なんて考えたりします。
 
 そんな不安は必要ない、自分は優秀な翻訳者だ、とあなたが自信を持っていたとしても、それが相手にきちんと伝わらなくては意味がありません。
 
 先程の残念なケースを振り返ってみましょう。あなたの価値がきちんと伝えられなかったのは、次のような問題があったからです。
 
◆あなたに関する情報が少なすぎる。
◆あなたに関する情報を出すタイミングが悪い。
◆あなたに関する情報が、相手の知りたいことと違う。
 
 これを見るとお分かりいただけるように、相手はあなたに関する情報を「過不足なく、タイミングよく、知りたい情報について」知りたいのです。それが満たされない状態でお仕事を依頼するのは、相手にとってリスクでしかありません。
 
 ビジネスでは、二者が取引をするときに両者のリスクはかならずしも同等ではないと言われます。でもそれは、相手のリスクをとりのぞいてやれば、相手はその取引を断る理由がなくなってしまうということでもあります。
 
 仕事の依頼をはばむ不安材料を取り除いてしまえば、相手は仕事を依頼せずにはいられないということです。そしてそれが、『あなたの価値をきちんと伝えること』にもつながりますね。
 
 あなたの価値はあなたが心に思っているだけでは伝わりません。しかも、相手の視点であなたの価値を伝えること、これが大切なのですね。
 ****************************************************************************
引用はここまで。
 
いかがでしょうか?翻訳ビジネスを始めるうえで、翻訳会社に登録しさえすれば、翻訳の仕事の依頼がやってくるとは限りませんね。登録をすることは、必要最低限の条件であって、それは翻訳の依頼が必ず来る、という保証ではないことが分ります。同じサービスを提供する店があったとしたら、あなたはどういう基準で店を選びますか?同じような商品があったとしたら、あなたはどのような基準で商品を選びますか?私たちは、日頃の生活の中で、このようにビジネス体験をしています。
 
しかし、それを、翻訳の仕事を受注する視点に考えなければ、役に立ちませんが、日頃の自分の選択眼、消費者としての思考パターンや、選択基準を、今度は自分が仕事を受ける立場、商品を売る立場において、お客様の要望、選択基準として考えればいいのだとわかりますね。
 
自分が日頃、お客として経験しているノウハウを活かすことができます。この記事で、ジェニファー 森さんがおっしゃっていることは、セルフ・ブランディングですが、一口に翻訳者と言っても、それぞれ皆さんの得意分野や、技術力、サービス内容は違うはずですから、ご自分を客観的に捉えることで、他の翻訳者とは違う、自分だけのサービスの特徴・商品価値という、つまりご自身のブランドを作ってしていきましょう、というご提案ですね。
 
 そこで、どうやって自分のブランドを創るのか、となります。それはブログや、ホームページ、メルマガの配信、フェイスブック、ツイッターの活用となってきますが、ここでは、もう一つ別な面から効果的な方法を考えてみましょう。
 
翻訳ビジネスにおいて、もちろん翻訳だけでなく、専門職ビジネスにおいては、自分の専門能力、サービス内容、人と成りを伝えることはとても大事なことです。ビジネスは、やはり何といっても信用第一ですから、いかにお客様に信頼され、頼りにされるかが大事です。ではどうすれば、お客様にそれらの情報を伝えることができるのか、ということになります。ここで、私が提案するのは、それを広告で行うのでなく、出版活動、つまり、自分の翻訳書を出す、ということです。
 
 インターネット上に店を構えて、ご自分の能力、実力、サービスの内容を端的にお客様にご理解いただける方法、それは出版です。自分自身の価値を、眼には見えない素晴らしい価値を、本という形にして「見える化」しましょう。翻訳者にとって、翻訳そのものを見ていただくことは、自分の実力、サービス内容、得意ジャンルというものをお見せする、ダイレクトで、とてもストレートな方法です。
 
出版というと、紙の出版物という従来の出版形式をすぐに思い浮かべるかもしれませんが、それだけではありません。デジタル出版も可能ですし、今は、様々な方法があります。電子ブックとして出しておき、それをオンディマンド印刷で、紙の本にすることもできます。最近ますます成長する電子ブックマーケットは、ご承知の通りです。
 
翻訳も一人だけでするのでなくてもいいですね。翻訳ワークショップや、翻訳プロジェクト、共訳プロジェクトに参加する方法もあります。いわゆる自費出版も盛んです。それこそ、自分に合った方法を、いくつもの可能性の中から自由に選ぶことができます。いつかは翻訳書を出したい!という夢を持ち続けてきた方にとって、現代はそれを実現する素晴らしい時代だと言えるでしょう。
 
 それに、出版とは出版社から声をかけてもらって、お金を頂くものだという考えに捉われている方も多いのではないかと思いますが、新人がいきなりそのようなことができるわけではありません。従来のように、印刷物として本を出すのは、様々な手間とコストがかかり、かなり高額な先行投資が必要になります。その方法によらない、電子出版や共訳ワークショップ、翻訳プロジェクトなど、様々な方法がありますから、出版社から声をかけてもらうのを待つというのは、あまりにも消極的です。
 
自分が直面する事態、状況というものを積極的に捉えて、チャレンジするか、消極策で待ち続けるか、それは、あなたの選択次第です。自分の可能性を切り開くのは自分しかいないと見て行動するか、誰かそのうち連れ出してくれるかもしれないと期待して待つのか、あなたはどちらですか?
 
これは、初めは本当に紙一重です。世界に対する、自分の見方の違いです。行動への視点とも言えます。一つの思考は、一つの視野、視点しか持ちません。しかし、ビジネスとは生きている活動ですから、一つの視野、視点だけからしか見ないのであれば、リアルな可能性の体験というものは得られません。かなり苦しい局面を強いられるでしょう。
 
十分に準備してからでなければ何もできない、始められないという価値観は、百害あって一利無しです。つまり、準備してからと言っている間に時間はどんどん過ぎていくでしょうし、準備はあまり面白くないからです。途中で続かなくなり、挫折してしまうことも多いでしょう。そこで私がおすすめしたいのは、まず、やってみることです。自分一人ではなかなか難しいかもしれませんが、共訳プロジェクトや、指導者がいるプロジェクトであれば、学びながら作品ができ、それを実績にしていくことができます。
 
なによりいいのは、自分に自信ができることです。自分に自信を持つ、これはとても大事なことです。自信がないと、何事も上手くいきません。あなたは、「実績がないのに自信が持てるわけがないでしょう」、と言うかもしれませんが、それは逆なのです。実績があるから自信につながると思っていますが、実は、実体験が無くても、何事にも自信を持てるポジティブな思考パターンだから、自信を持てるのです。成功を引き寄せる思考法なのです。
 
私のお勧めは、まず、無条件に自信を持ってみよう、ということです。でもどうしても自信が持てない、という方は、ただ、自分は自信がある、と心で決めるだけでもいいのです。そうすることで、心が開かれ、チャンスが舞い込んでくることもできます。自分はまだまだだから、という気持ちでいたら、せっかくのチャンスもフイにするかもしれませんね。
 
人間は、一つの側面からの評価を、全体評価にしてしまうという見方をするのではなく、あらゆる面で多様な価値を持つものであると見るなら、楽しい体験も多くなり、豊かさが実感されていきます。しかし、自分自身がこれを一つの側面からだけしか見ない価値観を固定してしまうとすれば、往々にして、望む価値は得られないことになります。望みを実現するためには、まず捨てる必要があります。何を?自分の「望み」をです。望みを実現するには、望みを捨てなければならない?
なんだか、訳が分かりませんよね。
 
ここで、これについて考えてみましょう。望みをかなえるには、自分が持っている思い、望みを捨てることとはいったい何を言っているだろうか?と。
 
既に、お気づきの方も多いと思いますが、これは、私たちが体験するパラドックスです。「望み」とは、いまだ実現していない状態を示しています。従って「望み」を持ち続けるということは、自分自身に「まだ実現できない」、「まだ実現できていない」と言い続けていることになるのです。そして、わたし達の意識は、「実現できない」というネガティブな状態に捉われているので、なかなか望みがかなわない、か、とても時間がかかる、ということになるのです。
 
なぜ、このパラドックスは起きるのでしょうか?よく、禅問答で言われることに似ています。つまりこれも、視点を変えるということでもあります。一つの視点に捉われる心の状態を『執着』と言いますが、何かに執着していると、そこから離れて自由に見る、考える、対応するということができなくなるのです。従って、望みを実現したければ、その望みを捨てる、手放す、ということが必要になる、というわけです。
 
私達の現実体験は、人によって違います。それは、その人の価値観、信念体系によって決まる、と言われます。日頃から、自分がどんな価値観、信念を持っているか、よく点検をしておくことです。自分は、日頃から常識的な考え方が得意である、あまり人と違ったことを考えることはない、と思われるなら、その枠組みから外れることにチャレンジしてみましょう。
 
私達の信念体系に影響を与えるものは、チャレンジです。小さなことから始めてみましょう。はじめは、何時もやっていることの反対をやってみるのです。右利きなら、左でペンを取り書いてみましょう。左で箸を使ってみましょう。そんな小さなことから初めて、慣れてきたら、ちょっと大きな事柄にチャレンジしてみるのです。自分自身の既成概念からいかに自由になれるか?この自由への跳躍、意思決定が、自分の人生体験を新たに、ワクワクする楽しい世界に導いてくれます。
 
翻訳出版を実現するのが、自分の夢なら、まず、その夢を実現することから初めて、そのあとに翻訳家へのステップを踏み出していくのも可能な方法です。
全ては、あなたの志(こころざし)、あなたが実現する思い次第なのです。
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見、ご感想など頂けましたら幸いです。
 

第106号 巻頭言

WEB TPT 2014年7月10日号 ― 通巻106号  

巻頭言:
『 新たな時代の創造― 世界は翻訳である  その4 』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


2014年は、新しい時代への変換の扉を開けていく時です。
あなたの人生の新たなステップ、新しい扉を開けてみませんか?
 
 前号では、多言語マーケットについて考察しました。そして、今後の成長が大きく期待される多言語マーケットである、電子ブック、電子出版の市場をいかに考えていくかということが、翻訳家にとってとても重要だ、ということがお分かりだと思いますが、過去の出版産業や、翻訳産業の業界の在り方にどっぷり使っていると、その宝物が見えてきません。
 
その宝物とは、従来のビジネス慣習の中ではあまり見えてこなかったこと、つまり、顧客からのオーダーがあって初めて、翻訳の仕事が発生する、という仕組みにとらわれないことだ、ということなのです。
 
 これからの翻訳出版ビジネス、いわゆる翻訳ビジネスの在り方を変えていくことが、ITの時代の価値を最も発揮しやすいことになります。従来の翻訳ビジネスの価値の体系からいかに自由になれるか、それが、チャレンジ目標となります。
今号では、この点をさらに掘り下げて、考察していきます。前号のおさらいですが、インターネット市場はどういう市場なのかということを知りましょう。
 
 世界のインターネット人口は、総務省の白書によると、2013年は、27億4千万人となっています。1年間で2億5千万人が増加したということです。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/kids/internet/statistics/internet_01.html
 
 今後も増加していくであろう超巨大マーケットが、インターネットにつながったマーケットであると言えますが、この巨大さというのを、イメージできますか?
世界の各国は、これまでの歴史の中で、このような巨大マーケットを手にしたことはありません。過去の戦争の歴史は、資源を求めて、豊かな土地を求めて、戦いによってマーケット、つまり国土を広げることで生きてきた、とも言えます。
 
第2次世界大戦で、日本は対日経済制裁としてのABCD包囲網の中で苦しみ、何とか突破口を見出そうとした末に、宣戦布告へと駆り立てられ、追い込まれて戦争へ突入せざるを得なかったのです。もしも、インターネットが普及していたら、事態は全然違っていたでしょうね。タラレバのお話ですが。
 
この、インターネットにつながった274千万人というマーケットは、未だ単純に一つのマーケットだとは言えません。ご承知の通り、言語障壁が多数存在し、言語の通用サイズが一つのマーケットを構成しているわけです。つまり、まさにバベルの塔の世界であることを実感させられますね。
 
 そこで登場するのが、翻訳というわけです。ひところ、ローカライズという言葉が多く登場しましたが、言語をメイン言語から見ての地方言語化、つまりローカライズと言うニュアンアスに、あまりいい感じがしなかったのを覚えていますが、ローカルという価値、特殊性に意味がもたらされると、かえって価値が高くなるというような感じさえ致します。このように、一つの言葉が意味付けされ、多くの人が使い始めていくうちに、言語の使われ方も、受け取る意味に対する感じ方も変容していく、つまり言葉は、人々の生き方と共にあるのだと、改めて実感する次第です。
 
 神はなぜ、バベルの塔の建設を人びとに放棄させ、世界各地に散らされたのか?インターネットにつながって、一つのマーケットではあるが、多言語世界であるという多義性、多様性の花開く様をみると、なんとなく、神のなされたことの思惑というものが分かるような気分になりませんか?なにかとても素敵な感じさえします。
 
そんなことを考えていたら、当時、バベルの塔の完成を前に建設を放棄して世界各地へと散らされたことは、ローカライズであり、それが今度はネットワークによってつながることは、その逆、グローバライゼーションであると言えることに気づきました。バベルの塔の出来事から、何千年もたっているのに、結局は、ローカライズとグローバライズを繰り返していたということになるのです。
 
しかし、この考察は、なかなかいい線、良い着地点に落ち着いたと思います。バベルの塔の意味を問い直す24回余りの連載では、ここまで行き着いていませんでした。今回の、インターネットマーケットからの考察が、このテーマに、新たな視点を開いてくれたことに、喜びを感じます。
 
 さて、閑話休題、インターネットマーケットは、このように、グローバライズとローカライズが繰り返されるある種の循環構造、循環システムとなっていることが分りました。その市場構造への理解を深めながら、本題の、電子ブック、電子出版などのデジタルメディアコンテンツへと考察を深めていきましょう。でも、時々寄り道と、結構回り道も致しますので、ゆったりとした気分でおつきあいください。
 
 ところで、一般にビジネスにとって必要な活動の一つに広告、宣伝、PRというものがありますが、これは、必要不可欠な活動と言えますね。十数年前まで、バベルにおいても、かなりの額の広告宣伝費、新聞、雑誌メディアの使用料を負担しておりました。直接お客様のもとへ営業訪問するわけにもいかず、それで、新聞雑誌メディアに広告出稿をしていたわけです。その費用はかなりの金額のうえ、だんだん効果が減じてきたので、どうしようか?と考えていたところへ、商用インターネット登場のニュースが飛びこんできたのです。
 
そこで、早速インターネットに関する調査研究に着手し、大学の研究室に通い、米国シリコンバレーも視察するなど、新時代のシステムへの希望にあふれて、積極、果敢に取り組んだことを思い出します。
 
 その当時の夢は大いに膨らんだのですが、やはり何といっても今から見れば、あまりに初期段階の技術であり、回線はナロウバンドであって、しかもストリーミングの技術やシステムなど、ものすごい高価格でした。なんと、2000年頃は、毎月数百万円のコストを払っていたのです。当時から考えれば、現在はおとぎの国にいるようなものであり、たった十年余りの変化に隔世の感があります。
 
 このインターネットへの投資をしたことによって、これまで使用してきた広告宣伝活動を中止しました。これは、今でも語り草になるほどのすごいことでした。毎月数千万円の広告費がかかり、数千人の無料翻訳力診断応募者の皆さんへの添削指導をして返却するという大変な大仕事が、無くなってしまったのです。
 
 もちろん突然亡くなったわけではなく、一年半ぐらいをかけて徐々に新システムに移行したのですが、当時の関係者、社員、役員の皆さんは、どう受け止めたらいいのか、いろいろ戸惑いがあったのも事実でしょう。
 インターネットに、ホームページ(HP)を開設し、そのコンテンツを毎月増やし続けてきたわけですが、その効果と、以前の広告宣伝をしていた時の効果とは、確かにくらべものにはなりませんでした。しかし、HPの効果は、多様な広がりを見せてくれました。
 
 HPそのものがコンテンツであり、自分の代わりにいろいろな役割を果たしてくれます。今では、文字情報、画像、音声、動画とそれこそ多様なメディアミックス、マルチメディアが自由に使える素晴らしい機能が満載となってきました。どこまで進化していくのか、毎日とても楽しみです。
 
 そこで、皆さんが発行されている、ブログやフェイスブック、ツイッター、メール配信など、様々なツールを活用した、コンテンツ作りが極めて安価に、可能になってきたことは、ご承知の通りです。しかし、それらを、ご自分の翻訳ビジネスの方向に向けて、有効に活用する、また、有効な文章を配信、発刊していくという点では、まだ活用研究の余地は十分にあると思います。
 
 翻訳ビジネスにおいて、もちろん翻訳だけでなく、専門職ビジネスにおいては、自分の専門能力、サービス内容、人と成りを伝えることはとても大事なことです。ビジネスは、やはり何といっても信用第一ですから、いかにお客様に信頼され、頼りにされるかが大事なことです。ではどうすれば、お客様にそれらの情報をお伝えすることができるのか、ということになります。私が提案するのは、それを広告で行うのでなく、出版活動、つまり、自分の翻訳書を出す、ということです。
 
 インターネット上に店を構えて、ご自分の能力、実力、サービスの内容を端的にお客様にご理解いただける方法、それは出版です。自分自身の価値を、見えない素晴らしい価値を、本という形にして見える化しましょう。すると、紙の出版物という従来の出版だけをすぐに思い浮かべられるかもしれませんが、それだけではありません。今は、様々な方法があります。電子ブックとして出しておき、オンディマンド印刷で、紙の本にすることもできます。
 
 それと出版とは出版社から声をかけてもらって、お金を頂くものだという考えにとらわれている方も多いと思いますが、新人がいきなりそのようなことができるわけではありません。従来のように、印刷物として本を出すのは、様々な手間とコストがかかり、かなり高額な先行投資が必要になります。しかし、それでも、先行投資はするほうがそれだけ成果が上がります。当社も、インターネットが登場してすぐに大きな投資をしてきましたが、それがその時に回収されたのではありません。
 
 
そのあとの様々な事業展開のすべてに、それが影響された結果であると感じます。ある面では全く無駄な投資だったという側面もあります。別の面では、大変な効果があった、つまり授業料として役立った、という評価もできます。すべては、どう見るかなのです。見方なのです、視点とも言えます。一つの思考は、一つの視野、視点しか持ちません。しかし、ビジネスとは生きている活動ですから、一つの視野、視点だけからしか見ないのであれば、かなり苦しい展開を強いられるでしょう。それが、ある種の傲慢心をもたらしていきます。
 
人間が、一つの側面からでしか価値がないというのではなく、あらゆる面で多様な価値を持つものであるなら、楽しみも多くなり、豊かさが実感されていきます。しかし、これを一つの側面からだけしか見ない、価値観を固定してしまうと、往々にして、望む価値は得られないことが多いです。望みを達成するためには、まず捨てる必要があります。何を?自分の望みをです。望みを実現するには、望みを捨てなければならない?訳が分かりませんよね。今回はこれについてお考えになってみてください。望みをかなえるには、その自分が持っている思い、望みを捨てることとはいったい何を言っているだろうか?と。
 
既に、お気づきの方も多いと思いますが、この続きは次号で、さらに考察を深めてまいります。
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見、ご感想など頂けましたら幸いです。
 

第105号 巻頭言

WEB TPT 2014年6月25日号 ― 通巻105号  

巻頭言:
『 新たな時代の創造― 世界は翻訳である  その3 』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


2014年は、新しい時代への変換の扉を開けていく時です。
あなたの人生の新たなステップ、新しい扉を開けてみませんか?
 
 前号では、この世界マーケットは多言語マーケットです。ここでは、翻訳者、通訳者が必要です。さあ、それではあなたは、このマーケットで、何を売り、何を買いたいのでしょうか?それとも、何を提供し、何と交換するのでしょうか?と書きましたが、今日は多言語マーケットとは何かと、考えてみましょう。
 
 世界のインターネット人口は、総務省の白書によると、2013年は、27億4千万人となっています。1年間で2億5千万人が増加したということです。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/kids/internet/statistics/internet_01.html
 
 このデータも、前号で引用しましたが、毎年、2~3億人が参入する、超巨大マーケットが、インターネットにつながったマーケットであると言えますが、この巨大さというのを、イメージできますか?例えば、中国の人口は、1年でやく668万人増加し、13億6千万人と言われますが、国別ではおそらくこれが1位でしょうね。http://sankei.jp.msn.com/world/news/140120/chn14012018230005-n1.htm
 
  しかし、これは全員がインターネットを使いこなす、つまりつながっている人口ではありません。インターネットにつながった274千万人というマーケットは、これに匹敵する存在は他では考えられないということになります。
しかし、そこに、大きな壁があって、27.4億人の巨大マーケットは、言語という大きな壁で囲まれ、いくつもに分かれているのです。
 
 従って、これらの壁の内側でビジネスを行うのか、この壁を通過してビジネスを行うのか決めることになるわけです。壁を通過して、いくつかのマーケットにまたがってビジネスを考えるこの時、翻訳者、通訳者が求められることになります。世界の多くの企業は、なるだけ大きなマーケットでビジネスをしようとするわけですから、翻訳・通訳ニーズはますます必要とされることになります。
 
ところで、この状況を、視点を変えて考えると、インターネットによってつながった一つの電子マーケットは、いわば、翻訳・通訳のために登場したという言い方もできますね。翻訳ビジネスという視点で考えると、今は、ものすごい翻訳市場、翻訳ニーズが発生している時代だと言えるのです。
 
 世界の現実、出来事をどのように判断するかは、そのおかれた立場によって価値は異なりますね。私達はこれまで、現実、出来事の価値判断とは、あたかもただ一つしかないというような考え方を押し付けられてきたと言えるのですが、これは、そもそも間違っているわけです。実際には人の立場の数だけ、価値観の数だけの多彩な判断というものがあるのですが、どうも、単純に二つの視点からしか判断しない、という習慣になっています。
 
このように、世界の出来事をいかに判断していくのか?それは、価値観の数だけあっていいのだと考えるなら、世界認識は一変します。それが、情報化社会の深層=真相でもあるのです。つまり、世界―世界をどう考えるかということ―は、人の価値観の数だけある、ということになりませんか?世界は、まさにパラレルワールドだと言えるのですね。
 
パラレルワールドについては、インターネットジャーナリズムの中でも、最近語られ始めたと言える比較的新しい概念ですが、このように、翻訳という視点から考えると、意外と無理なく、そのアイデアへと導かれます。
 
ところで、翻訳とはどういう作業なのか?と考えてみましょう。翻訳とは?で検索すると、たくさん出てきますが、例えば、コトバンクで引くと、

①世界大百科事典 第2版の解説では、
http://kotobank.jp/word/%E7%BF%BB%E8%A8%B3
   ほんやく【翻訳 translation】 
一般に翻訳とは,ある自然言語の語・句・文・テキスト意味内容をできるだけ損なうことなく他の自然言語のそれらに移し換えることをいうが,とくに文学作品の,ある自然言語から別の自然言語への移し換えをいう場合もある。また,翻訳という言葉は翻訳の行為活動・過程を指すこともあれば,翻訳の産物・作品を指すこともある。なお,口頭行われる翻訳は通訳呼ばれる。 ロシア出身の言語学者R.ヤコブソンは,翻訳を,(1)言語内翻訳(同一言語内での言換え),(2)言語間翻訳(ある自然言語から別の自然言語への移し換え),(3)記号系間翻訳(自然言語を別の記号系に置き換えること)の3種に分けたが,この考えは(2)の言語間翻訳に還元される翻訳の一般通念打破して,翻訳というものが言語の本質にかかわるものであることを示している。 

大辞林 第三版の解説では、
ほんやく【翻訳】
( 名 ) スル
① ある言語で表現されている文を,他の言語になおして表現すること。また,そのなおされた文。  「 -家」 →
反訳
②〘生〙が,の指定する順序にアミノ酸を配列し,タンパク質を組み立てる過程。細胞質にあるリボソームで行われる。 → 転写
 
などと出てきます。次にウィキペディアでは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%BB%E8%A8%B3

翻訳(ほんやく)とは、Aの形で記録・表現されているものから、その意味するところに対応するBの形に翻案することである。最も身近なものとして、言語における翻訳があり、あるソース言語(source language)によって表現された文章を、別のターゲット言語(target language)で表現することを指す。
とあり、さらに、

異なる言語間で意味を翻案する中で、特に記述された文章(原語文)を他言語で記述する作業を翻訳と呼ぶことが多い。一方、発話を別言語に置き換える作業は通訳と呼ばれる。元の文を原文、翻訳で成立した文を訳文・翻訳文と言い、原語である元の言語のことをソース言語、翻訳で成立した文を訳語・翻訳語のことをターゲット言語と言う。

実際の翻訳作業は、ソース言語からターゲット言語へその言語間で対応する語彙を用い、対応する
文法を用いて翻案することが多い。場合によっては、元々の意味の機械翻訳(機械的に対応する単語を当てはめてゆく方式の翻訳)が行われることもあり、これを直訳と言ったりもする。しかし、それだけでは訳文が文章として成り立たない場合、文章中の個々の単語の対応にこだわらず、意味だけを移す作業が行われる。これが、意訳と呼ばれるものである。

このような両言語から対応する
を選定する作業において、単語は言語間で一対一で対応をしているとは限らないことが問題となる。つまり、あるソース言語では1語で表される概念が、別のターゲット言語では複数の語(複数の概念)にまたがっていることが問題となる。これは、文学作品でのニュアンスや語感の再現や、言語による色の表現などで顕著になる問題である。

長い、引用となりましたが、翻訳とは何か、を定義すると、概こんな回答が返ってくるかと思います。ここで良く整理されているのは、

ロシア出身の言語学者R.ヤコブソンは, 翻訳を,(1)言語内翻訳(同一言語内での言換え),(2)言語間翻訳(ある自然言語から別の自然言語への移し換え),(3)記号系間翻訳(自然言語を別の記号系に置き換えること)の3種に分けたが,この考えは(2)の言語間翻訳に還元される翻訳の一般通念打破して,翻訳というものが言語の本質にかかわるものであることを示している。

という指摘です。翻訳を、言語成果物の側面からのみ考えずに、言語の本質にかかわるものだという指摘は、まさに本質的ですね。さてそこで、言語を使いこなす人間側の視点で考えるとき、翻訳者は、誰でもが同じ文であれば、同じ翻訳文になる、と考えられますか?ここが、上記の、翻訳というものが言語の本質にかかわる ものだということから考えると、同じ翻訳にはならなくなってくるのです。それぞれの価値の体系によって、状況(=原データ) は解釈され、判断されて翻訳表現されていく、ということになります。
 翻訳が、いかに一筋縄ではいかないものか、ということは、日頃実感されておいでだと思いますが、これでお分かりいただけると思います。まさに翻訳とは、人の数だけある、と言ってもいいのです。
 
ここで私が提唱していこうとしていることは、冒頭から述べている、この情報化社会のシステム、基本構造=真相と深くかかわりあっていることなのですが、それは、この文章のテーマである、「世界は翻訳である」という認識だと言えます。
 
 この巨大なインターネットマーケットは、多言語マーケットであり、そこには、言語別のマーケットが、それぞれ存在しているともいえるのですが、しかし、情報システムとしては、単一なのですね。システムの言語は共通ですから。これが大きなインターネットマーケット、情報システムとしてのマーケットの特徴です。
 
私たちが理解できる、自然言語で表現される段階で、流通させる言語マーケットが特定され、それを選ぶということになりますが、この言語一つ一つがそれぞれ大きなマーケットを構成しているということになります。すごいでしょう!
 
 一つの言語マーケットを選んでそこでのビジネスを行えば、表現としての言語様式はそこでしか使えませんが、それを別の言語に翻訳すれば、もう一つの言語マーケットにつなげて、広げることができます。ですから、インターネット上のビジネスは、サイトの表現形式や法的システム・文書を翻訳するだけで、いくつもの大きなマーケットを獲得し、そこでビジネスができるということになるのです。
 
 そこで、今後の成長する多言語マーケットである、電子ブック、電子出版の市場をいかに考えていくかということが、翻訳者にとって、とても重要だということがお分かりだと思いますが、過去の出版産業や、翻訳産業の業界の在り方にどっぷり使っていると、その宝物が見えてきません。
 
その宝物とは、従来のビジネス慣習の中ではあまり見えてこなかったこと、つまり、顧客からのオーダーがあって初めて、翻訳の仕事が発生する、という仕組みにとらわれないことだ、ということなのです。
 
 これからの翻訳出版ビジネス、いわゆる翻訳ビジネスの在り方を変えていくことが、ITの時代の価値が最も発揮されることになります。従来の翻訳ビジネスの価値の体系から、いかに自由になれるか、それが、チャレンジ目標となります。
次号でも、この点をさらに掘り下げて、考察していきます。
 
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見、ご感想など頂けましたら幸いです。

第104号 巻頭言

WEB TPT 2014年6月10日号 ― 通巻104号  

巻頭言:
『 新たな時代の創造― 世界は翻訳である その2 』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


 2014年は、新しい時代への変換の扉を開けていく時です。
あなたの人生の新たなステップ、新しい扉を開けてみませんか?
 
今年も早、6月10日号となりました。2014年も半年が経ちます。月2回のマガジンなので、一月が2回の区切りですから半月単位で記事を書くことになります。それで、よけい早く思えるのかもしれません。しかし、そうとばかりは言えない時もあるのです。一日に予定が目いっぱい入っている時などは、なかなか時間が経たず、まだこんな時間?と余裕を感じています。
 
これは、昔よりも、時間に対する意識感覚がより自由になったからだと感じます。時間をコントロールしているような感覚です。子供時代はおそらくこんな感じだったのではないかと思います。しかし、成人して、社会の仕組み、規範の中で多くの人々と時間を共有し、制限された意識レヴェルになっていくと、時間は一定間隔で過ぎゆくものと思い込んでいますから、時間の感覚に既成概念がまとわりつき、自分の素直な実感を無視していたのではないかと思います。
 
凡そ40年近くの時間感覚(間隔)体験で、時間の流れは意識に関係なく一定で、皆と同じ実感を共有しているのだと思い込んでいたのです。
皆同じように感じているということを前提に、ニュースや、インタビュー、報道、政策などが語られていました。日本では、欧米に比べて個人意識が尊重されないため、よけい強くそう感じさせてきたのでしょう。その実態は、鬱や、自殺者の毎年の増加などによっても知ることができます。
 
戦後70年になろうとする昨今、団塊の世代と言われた、大きな人口の年代の塊が、60歳の定年退職の時期を迎えてきましたが、年金原資が不足するかもしれないという将来の財政不安が言われ、定年退職年齢が年々延長されているということも起きているようです。
 
ある意味では、これらは雇用優先で、自立を前提とした人生設計ができにくい政策となっています。自分の人生の時間を、国の政策に委ね、雇用という安全保障に寄りかかっていていいのでしょうか?企業中心の経済活動だけが、ビジネスの成功を収めるという幻想にとりつかれているようでもあります。
 
又、戦後の経済復興、世界の経済成長で、金融資本主義が世界各地に広がり、蔓延し、金融を使えなければ人にあらず?みたいな、経済成長神話に踊らされてきたと思います。日本は1992年頃のバブル崩壊以降、経済のシュリンクを体験し続けているわけです。もう20年も失われたときが続いているというのに、現実のこの状態を肯定的に捉える眼と言いますか、江戸時代のような先進文化社会を目指して、単なる金融経済価値の追求から離れたらいいのではないかと思います。しかし、なんと対外資産は増え続け、日本は320兆円の対外純資産国で、世界一?のお金持ちだそうです。
 
本誌でも、「英文メディアで読む」、「東アジアニュースレター」でおなじみの前田先生の2本の連載に明らかなように、中国はすでにバブルが崩壊し始めているようです。それは、中国政府がこのところの尖閣問題などを起こして、反日暴動を起こさせていることからも推測されます。韓国も中国も、そういえば以前、アメリカも、ジャパンバッシング、反日運動を起こして、国内の批判、反動を日本に肩代わりさせて、自分への矛先を抑えるというのが常套手段のようですので、中国バブル崩壊は、信ぴょう性が高いでしょう。それに、共産党の要人が、家族を海外に移住させており、すでに50兆円もの財産が、対外流出しているというニュースが流れてもいます。
 
これら日本の隣人諸国による「困った時の日本たたき」は、なぜ起きるのでしょうか?どうも、世界的に隣国同士は仲が悪い、ということもあるようです。それに、第二次世界大戦で手足をもがれた日本は、いじめがいがあったのでしょう。なんといっても70年ほど前に、ヨーロッパの植民地アジア諸国の独立解放戦争のきっかけを、世界の大国アメリカを敵にして戦い、原爆と水爆を落とされて、無条件降伏し、戦後は黙ってその責任と賠償を行い、戦勝連合国、米国の統治下にある間接支配国として、歴史・教育・防衛・国体なども壊され、叩きのめされたはずの国なのに、戦勝国側より、お金持ちになっていたのですから不思議ですね。
 
この、隣人諸国から向けられる日本たたき、反日感情というものが、その国の国内統治の切り札になるというのは、かなり面白く且つ微妙な現象であり、重要な歴史・民族心理のテーマであると思われます。ここに、日本の存在意義というか、パラドキシカルな情報価値が潜んでいると思います。確かに、負けても、負けても、立ち直ってきて、世界一のお金持ちになってしまう、というのは、敵から見れば、異常だし、怖く見えるのかもしれませんね。
 
しかし、日本にとっては、必ずしもいいことではなく、敗戦、焼け野原からの経済復興と世界経済の成長の中で起きた、きわめて特殊な経済の繁栄の一時期が、今後もずっと続くような思い込みができ、この20年余の失われた時代を作り出したように思います。
 
2001年の9.11の後、米、ブッシュ政権への疑惑の追及に端を発したインターネットジャーナリズムは、チュニジアの春に始まって、中東各地を旧政権転覆の渦に巻き込み、その流れはアメリカにおいても「ウオール街を占拠せよ」という、大きな運動となりました。この間の世界情勢の様々な動きは、かなり緊密に影響しあい、グローバリゼーションが、ITツール、インターネットによって促進され、維持されてきたと言ってもいいと思います。
 
そして、2011年の3.11を契機に、インターネットの情報の流れが、大きく方向を変えてきたと実感します。3.11によって、戦後70年、これまでは、隣人諸国による反日運動の成果が功を奏してきたわけですが、あの3.11における東北の被災者の方々の誠実かつ成熟したマナーによる振る舞いが、インターネットで流されると、一気に世界の人々の賛辞が寄せられました。
 
古くからの伝統、歴史に裏打ちされた品質、成熟した振る舞いは、一朝一夕で形成されるものではなく、本来の日本人の本性というものを世界が再認識した出来事であったと言えるでしょう。
 
日本ばかりか、世界のインターネットジャーナリズムでは、これを機に、これまでの日本の歴史、昭和、大正、明治、江戸時代から古代へと、今まで隠されたり、歪められたりしてきた事実関係がいろいろ発掘されたり、調査報告されたり、海外文書や海外発言などで多様な事実が明るみに出てきています。
 
同時に、第2次世界大戦の再評価なども行われています。主に日本が戦ったアジア諸国からは、欧米列強の植民地であったアジア諸国の独立戦争としての感謝の評価が語られ、ひところ言われた、ルックイースト、つまり欧米だけを見習わずに、アジアの一員である東の日本を見習おうという再評価の動きでもあるようです。
 
いまや、多くの日本人が、世界各地に滞在し、現地の文化やビジネス活動に従事、貢献していることなどが伝えられます。本学の院生の皆さんにはそういう方も多いのでしょう。世界の金融支配や自国の領土拡張、国益優先だけを考える時代が終わりをつげ、世界の人々が、言葉の違いによるコミュニケーションギャップを乗り越えて、自立した個人相互の自由な交流が続けられる時代、新しい時代を創造していきたいものです。
 
それは、主に、インターネットジャーナリズムともいうべき、ネットTV、ネットラジオ、世界各地のWEBメディアの情報、現地の映像、個人が立ち上げたユーチューブ画像や、研究データのブログなど、様々なメディアによって花開いています。いつでも、その瞬間に世界の情報とセミナーなどのイベントに接することができます。
 
 このような素晴らしい時代に、翻訳者として、または翻訳ビジネスを通じて、世界各地の人々のコミュニケーションや、ビジネス、文化交流に役立つことができます。皆さんは、このような世界のシステムが共有できることをどう思いますか?私には、本当に素晴らしい時代が来た、としか思えないのです。
勿論、わたし達の現実は、陰と陽の2極性のバランスにありますから、そのバランスにおいてと言う意味なのですが。
 
 これらのシステムは、個人が一人一人自立した意思決定のもとで、自分でブログを立ち上げたり、企業がHPを立ち上げたり、商品を販売したり、情報を提供したり・・・という自発的な活動によって実現されています。このように、インターネットは、ジャーナリズムの形成だけでなく、相互の直接取引ができるという世界マーケットを作り上げたと言えるのです。
 
 この世界マーケットは多言語マーケットです。ここでは、翻訳者、通訳者が必要です。さあ、それではあなたは、このマーケットで、何を売り、何を買いたいのでしょうか?それとも、何を提供し、何と交換するのでしょうか?
 
 世界のインターネット人口は、総務省の白書によると、2013年は、27億4千万人となっています。1年間で2億5千万人が増加したということです。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/kids/internet/statistics/internet_01.html
 
 これだけ大きなマーケットが誕生し、多言語状態であるということは、翻訳者、通訳者にとってはものすごいビジネスチャンスだと言えるでしょう。しかし、それは勿論あなただけにとってではなく、世界に多く存在するであろう同業の翻訳者、通訳者にとってでもあるのです。
 
 日本においても、電子ブック、電子出版の動きが加速してきました。
翻訳のマーケットは益々広がるばかりです。そこで、これらのマーケットで、あなた自身がどうすれば、自立したビジネスへと踏み出していけるのかを考えていきましょう。そのためには、従来の価値観に基づく情報摂取だけでなく、もっと多面的な視点、新しい価値に基づくビジネスに対する理解、自分自身についての客観的な理解、などを深めていく必要があります。
 
 それは、次回以降の課題としていきます。
最後までお読みいただき有難うございます。ご意見、ご感想など頂けましたら幸いです。

 

第102号 巻頭言

WEB TPT 2014年5月10日号 ― 通巻102号  

巻頭言:
『新たな時代の創造― 視点を変える! 』


バベル翻訳大学院   学長  湯浅 美代


2014年は、新しい時代への変換の扉を開けていく時です。
あなたの人生の新たなステップ、新しい扉を開けてみませんか?
 
前号では、今起きていることが、質的転換であり、従来の延長線上で考えているとだんだんうまくいかなくなってくる、というようなことを書きました。自分が知っている範囲、自分が今まで経験した範囲でだけで考えていると、いつの間にか世界は大きく変化してしまっています。
 
この十数年、つまり2000年頃から、世の中の変化は、それ以前の何倍もの変化が起きていたと言えます。そして、それは、さらに加速しているとも言えるでしょう。ところが、自分の既知の体験、記憶の中だけで生きていくと、周りの変化は見えないのです。そういう場合は、その人にとって何も変化はしていないのです。
 
わたし達は、ほとんどが記憶、過去の体験知の範囲でしか考えていないし、それを外れたものは認識するのは難しいか、認識できないとさえ言われています。確かに、自分が聞いたことも、見たこともないものは、それがなんだかわからないし、的確に認識できない事は想像がつきます。それに、よくわからないものが出てきたら、それこそ、パニックを起こすか、恐怖心で逃げ出すかもしれませんし、不安なまなざしを投げかけ、できるだけそっと離れるか、無視しようとするように思います。
 
皆さんもご存じだと思いますが、花瓶が描かれている絵で、花瓶から目の焦点を外して、その外側に焦点を移すと、向かい合った人の横顔が見えてきます。そうです、だまし絵といわれるものもいろいろありますね。
http://matome.naver.jp/odai/2133286335988435301
 
有名な画家にエッシャーがいます、このようなだまし絵を見ていると不思議な感覚が現れます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC いつも、理解できる範囲内だけで生きると、思考回路も固定しがちですが、アイデアや、新しい発想をしなければならないときなど、このようなだまし絵を見て、固定観念、決まった思考パターンから脱出してみてはいかがでしょうか?
 
 翻訳者が、翻訳作業中に一番多く壁にぶつかるのが、この思考回路の固定ではないでしょうか?専門の翻訳作業であればあるほど、言い回し、用語、語法も決まりきっているでしょうし、逆に、急に新しいパターンを出すと、それは誤訳だともとられかねません。ある意味で、専門性が高いとは、いわゆる、専門バカになりかねない、という危険性と背中合わせにあるのです。
かといって、専門を捨てようと言っているわけではないのですが、過去の安定した成熟経済成長のような時代であれば、それは大変有意義であったわけですが、残念ながら、いつまでも同じ状態が続くわけではないのですね。
 
 現在私達が直面しているような時代に在っては、専門を高めてさえいればいいというわけにはいかないように思えるのです。それを、端的に表現すると、質的転換が起きている、ということなのです。しかも、単純に、同じベクトルで、上質への変化であれば、専門性を高めることは役立つ戦略です。しかし、だまし絵をご覧になればお分かりのように、明らかにそれではないのです。未知の何か、つまり、今まで体験したことのないもの、この数百年間、または2000年間は起きてこなかったものとかいうような量的時間から、なにか大きく質的時